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オリジナルを置き換えるのではないなら検閲だと騒ぐ必要も無いでしょうし。問題は、単に表現のみを見て改変してオリジナルの価値を貶めていないか?って所の方じゃないかな。侮蔑的な言葉を侮蔑的行動の表現として使用している時に、それを改変しちゃったりしたら意味が通らない事も有りえると思うんだ。
賛成です。
あとは、どんな表現があったけどどんな理由で書き換えられたかが判るように書いてあれば良いのではないでしょうか。(直接的な表現を書く必要はないので、「黒人を差別する表現があったけど置換しました」のような感じで)著作権云々の問題もですが、改変されたものを読んだ人が「それが本来のもの」だと認識しちゃうことがあれば、それが一番の問題になると思うんです。
100年前の作品なら現代語訳って感じで良いんじゃないでしょうか。差別用語も現在と微妙に意味合いや重要性が違ってきている言葉もあるでしょうし、同一性保持権というより翻案権に近い気がします。
古典派古典として時代背景の注釈でもつけてそのまま読ます方が良いんじゃないかと思う。例えば日本の古典文学って奴でも下手に現代語訳なんかしたら単なるポルノになりかねないのとか有りますよね。
>下手に現代語訳なんかしたら単なるポルノになりかねないのとか有りますよね。
単なるポルノになっちゃうって、実際、ある種、ポルノだったわけですから、それを上手く日本語にしても、ポルノになるのは、当たり前だと思う。
そういう意味で、橋本治は、うまくやったと思うんだな。現代語に訳するにしても、訳者の技術/才能が必要だと思う。
>侮蔑的な言葉を侮蔑的行動の表現として使用している時に、それを改変しちゃったりしたら意味が通らない事も有りえると思うんだ。
ニグロから奴隷という変更が目玉なのだそうだが、そもそもニグロを黒人差別のために使っていたか?という問題があるよね。そして、ニグロは奴隷であったというのも、無茶な話で、白人奴隷という存在が結構あったりするんですよね。その白人奴隷を、アラブなんかに売り飛ばしていたという歴史もある。
そして、あの作品は、ニグロとか呼ばれ蔑まれていた人たちについてはむしろ好意的で、人種差別についてのアンチテーゼという意味もあった。それを、その侮蔑しているという証左である言葉を弱い表現/差別を隠す表現に改竄するのは、そのアンチテーゼとしての力を失わせる改悪ではないか?とも思う。
そして、ニグロは奴隷であったというのも、無茶な話で、白人奴隷という存在が結構あったりするんですよね。 その白人奴隷を、アラブなんかに売り飛ばしていたという歴史もある。
と云う2つの命題の間に、一体全体、何の関係が??片方が真だろうと偽だろうと、もう一方の真偽とは何の関係も無いんじゃねーか、と。
>と云う2つの命題の間に、一体全体、何の関係が??
黒人=奴隷白人の奴隷もいる..破綻した式
ニグロ=奴隷ニグロであっても奴隷でない存在があった(自由を買った奴隷もいた)
以上から、黒人を奴隷とするのは、明らかに誤りだと言っているだけですよ。
でも1830年代アメリカという文脈に限定すれば,「明らかに誤り」とまではいえない。原文を比較してから考えないといけない。マークトウェインの話だから、ここの多くの人は地域や時間を暗黙のうちに前提としているよ。
重要なのはこの置き換えによって,元コメにあるように,オリジナルがオリコンが世界かが壊れないかどうかが重要だけど、報道記事からだけ判断するのは早急過ぎ。
>壊れないかどうかが重要だけど、報道記事からだけ判断するのは早急過ぎ。
報道記事から示されている事にもとづけて話をするってのがあるからね。壊れるか?という問題もあるが、表現の改竄があるという問題は、世界観がどうこうの問題だけではないからね。
読み取れる範囲として、表現改竄がある、世界観云々はどうあれ、改竄自体の是非について話すのは、早急ではないよ。
インディアンジョーに対しては好意的ではなかったと思いますが、彼は改名されてしまうのでしょうか?
最初、黒人奴隷を侮蔑していない登場人物も「ニガー」と言っていて、今の用法と思って読むと混乱するから、そういう場合については「ブラック」と修正するという話かと思ったけど、どうも違うみたいで
>使われ方を検討しない全置換は本来の目的を見失った思考停止に見える。
いや、実際...ちょっと知能障害がある親御さんの子供へ「お前のかあちゃん気違いなんだって?」とか言っていたのを見とがめた別の親御さんが「そういう言葉を使うな」とね。そしてら、「お前のかあちゃん、ニンチなんだって?」とね。そして、さらに注意したら「ニンチショー」になったってさ。「ちゃんと正しい病気の名前なんだからいいだろ」ってことな。代替語に置き換わるだけなんだけどね。
>無粋ではあるけど、注釈を入れるとか、解説でフォローするとかして。
うん、それがベストだと思うんだ。「何も変えないのがベスト」というのは思考停止ではなくて、その時代の表現言葉を残すという意味でやらなければいけないことだと、考えている。
差別用語とか、差別語とか言って使わなくしようというのは、言葉を差別することで自分らの差別心の免罪符にしようという浅ましくさもしい行為なんだよな。
醜いから嫌だ...その時代はそれが醜くはなかっただけのことを許せないって、これも過去に対する差別をすることで(ry
作品についてはできれば、原典、訳注付き、現代表現(おだやかにするんじゃなくて、ちゃんとニュアンスを汲みとったもの)、があるのがいいかなーとか思う。あんまり訳注があっても、イメージがうまく湧かない人もいるだろうしここらへんは、原作へのリンクとかあとがきとかで適切なフォローはできると思うんだけど、今回やってるかな...?
# うーん、例になってる子供の表現のしかたについては、(中身がついていってないけど)それはそれでやんないとちょっと問題ある気はする# 中身がついてかないと、代替語でしかないっていうのには同意## かなり昔の段階で「気が違っている(その意味での文語表現)」、「気違い(侮蔑表現)」じゃやっぱニュアンス違うし...(オフトピ
>ここらへんは、原作へのリンクとかあとがきとかで適切なフォローはできると思うんだけど、今回やってるかな...?
アメリカって人種混淆していて文化程度や民度も様々で幅が大きいですからね。そういった「悪いと思える事の隠蔽」の方が、教育や民度向上より手っ取り早いということで、フォローなしの方がよいのかもしれません。隠蔽するために、改竄するという方針ですからね。隠蔽しないと売れない、薄くして濁った水を飲ませるのも、対症療法としてはありかもね。
>うーん、例になってる子供の表現のしかたについては、(中身がついていってないけど)それはそれでやんないとちょっと問題ある気はする
基本的には、そのおばさんやその子供を揶揄するなということなんですけどね。そういった「言葉の尻尾切り」でなんとかしようとしている以上、これはどうしようもないと思いますよ。「で、お前のママってちびだな、あ、そっちのママはデブだよな。お前ら、自分の母親をチビだとかデブって言われてうれしいんだな?」とか言ったら、少なくともわたしの聞こえる範囲では言わなくなったけどね。
>かなり昔の段階で「気が違っている(その意味での文語表現)」、「気違い(侮蔑表現)」じゃやっぱニュアンス違うし...
最近はそういった面での教育水準というのかな?学術じゃない社会的教育の水準が下がってきている。もちろん、学術的な面だって、相当に怪しいけどね。なもんで、そういった表現の差異ってのは、理解されないと思うけどね。宮崎君とか加藤君の行動について「気違い沙汰だよな」といったら、文句付けられたことがあったな。「え?あれが気違い沙汰じゃないの?ふーん、あんたにとっては普通のことなんだろうなぁ。わたしはそういうのを普通だと考える教育は受けてないからなぁ」とかね。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:0)
オリジナルを置き換えるのではないなら検閲だと騒ぐ必要も無いでしょうし。
問題は、単に表現のみを見て改変してオリジナルの価値を貶めていないか?って所の方じゃないかな。
侮蔑的な言葉を侮蔑的行動の表現として使用している時に、それを改変しちゃったりしたら意味が通らない事も有りえると思うんだ。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:2, すばらしい洞察)
賛成です。
あとは、どんな表現があったけどどんな理由で書き換えられたかが判るように書いてあれば良いのではないでしょうか。(直接的な表現を書く必要はないので、「黒人を差別する表現があったけど置換しました」のような感じで)
著作権云々の問題もですが、改変されたものを読んだ人が「それが本来のもの」だと認識しちゃうことがあれば、それが一番の問題になると思うんです。
神社でC#.NET
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
100年前の作品なら現代語訳って感じで良いんじゃないでしょうか。
差別用語も現在と微妙に意味合いや重要性が違ってきている言葉もあるでしょうし、
同一性保持権というより翻案権に近い気がします。
Re: (スコア:0)
古典派古典として時代背景の注釈でもつけてそのまま読ます方が良いんじゃないかと思う。
例えば日本の古典文学って奴でも下手に現代語訳なんかしたら単なるポルノになりかねないのとか有りますよね。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>下手に現代語訳なんかしたら単なるポルノになりかねないのとか有りますよね。
単なるポルノになっちゃうって、実際、ある種、ポルノだったわけですから、
それを上手く日本語にしても、ポルノになるのは、当たり前だと思う。
そういう意味で、橋本治は、うまくやったと思うんだな。
現代語に訳するにしても、訳者の技術/才能が必要だと思う。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>侮蔑的な言葉を侮蔑的行動の表現として使用している時に、それを改変しちゃったりしたら意味が通らない事も有りえると思うんだ。
ニグロから奴隷という変更が目玉なのだそうだが、そもそもニグロを黒人差別のために使っていたか?という問題があるよね。
そして、ニグロは奴隷であったというのも、無茶な話で、白人奴隷という存在が結構あったりするんですよね。
その白人奴隷を、アラブなんかに売り飛ばしていたという歴史もある。
そして、あの作品は、ニグロとか呼ばれ蔑まれていた人たちについてはむしろ好意的で、人種差別についてのアンチテーゼという意味もあった。
それを、その侮蔑しているという証左である言葉を弱い表現/差別を隠す表現に改竄するのは、そのアンチテーゼとしての力を失わせる改悪ではないか?とも思う。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
と云う2つの命題の間に、一体全体、何の関係が??
片方が真だろうと偽だろうと、もう一方の真偽とは何の関係も無いんじゃねーか、と。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>と云う2つの命題の間に、一体全体、何の関係が??
黒人=奴隷
白人の奴隷もいる..破綻した式
ニグロ=奴隷
ニグロであっても奴隷でない存在があった(自由を買った奴隷もいた)
以上から、黒人を奴隷とするのは、明らかに誤りだと言っているだけですよ。
Re: (スコア:0)
でも1830年代アメリカという文脈に限定すれば,「明らかに誤り」とまではいえない。原文を比較してから考えないといけない。マークトウェインの話だから、ここの多くの人は地域や時間を暗黙のうちに前提としているよ。
重要なのはこの置き換えによって,元コメにあるように,オリジナルがオリコンが世界かが壊れないかどうかが重要だけど、報道記事からだけ判断するのは早急過ぎ。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>壊れないかどうかが重要だけど、報道記事からだけ判断するのは早急過ぎ。
報道記事から示されている事にもとづけて話をするってのがあるからね。
壊れるか?という問題もあるが、表現の改竄があるという問題は、
世界観がどうこうの問題だけではないからね。
読み取れる範囲として、表現改竄がある、世界観云々はどうあれ、
改竄自体の是非について話すのは、早急ではないよ。
Re: (スコア:0)
インディアンジョーに対しては好意的ではなかったと思いますが、
彼は改名されてしまうのでしょうか?
Re: (スコア:0)
最初、黒人奴隷を侮蔑していない登場人物も「ニガー」と言っていて、今の用法と思って読むと混乱するから、そういう場合については「ブラック」と修正するという話かと思ったけど、どうも違うみたいで
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
なので、使われ方を検討しない全置換は本来の目的を見失った思考停止に見える。
けど、そのままにしておくのも、逆の、当時は普通に使われてた言葉だったのに、今は禁止されてて飛んでもない単語として扱われてる、というような問題もありそう。作者は当時の雰囲気から「ちょっと口の悪いお調子者」ぐらいのキャラとして書いたのに今読むと「頭のおかしい人種差別主義者」に見えちゃう、とか。
結局、何も変えないのがベストというところで思考停止したくなる。無粋ではあるけど、注釈を入れるとか、解説でフォローするとかして。
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>使われ方を検討しない全置換は本来の目的を見失った思考停止に見える。
いや、実際...
ちょっと知能障害がある親御さんの子供へ「お前のかあちゃん気違いなんだって?」とか言っていたのを見とがめた別の親御さんが「そういう言葉を使うな」とね。
そしてら、「お前のかあちゃん、ニンチなんだって?」とね。
そして、さらに注意したら「ニンチショー」になったってさ。
「ちゃんと正しい病気の名前なんだからいいだろ」ってことな。
代替語に置き換わるだけなんだけどね。
>無粋ではあるけど、注釈を入れるとか、解説でフォローするとかして。
うん、それがベストだと思うんだ。
「何も変えないのがベスト」というのは思考停止ではなくて、
その時代の表現言葉を残すという意味でやらなければいけないことだと、
考えている。
差別用語とか、差別語とか言って使わなくしようというのは、
言葉を差別することで自分らの差別心の免罪符にしようという
浅ましくさもしい行為なんだよな。
醜いから嫌だ...その時代はそれが醜くはなかっただけのことを
許せないって、これも過去に対する差別をすることで(ry
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
作品についてはできれば、原典、訳注付き、現代表現(おだやかにするんじゃなくて、ちゃんとニュアンスを汲みとったもの)、があるのがいいかなーとか思う。
あんまり訳注があっても、イメージがうまく湧かない人もいるだろうし
ここらへんは、原作へのリンクとかあとがきとかで適切なフォローはできると思うんだけど、今回やってるかな...?
# うーん、例になってる子供の表現のしかたについては、(中身がついていってないけど)それはそれでやんないとちょっと問題ある気はする
# 中身がついてかないと、代替語でしかないっていうのには同意
## かなり昔の段階で「気が違っている(その意味での文語表現)」、「気違い(侮蔑表現)」じゃやっぱニュアンス違うし...(オフトピ
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re:改訂版を出すのはまあ良いよ (スコア:1)
>ここらへんは、原作へのリンクとかあとがきとかで適切なフォローはできると思うんだけど、今回やってるかな...?
アメリカって人種混淆していて文化程度や民度も様々で幅が大きいですからね。
そういった「悪いと思える事の隠蔽」の方が、教育や民度向上より手っ取り早い
ということで、フォローなしの方がよいのかもしれません。
隠蔽するために、改竄するという方針ですからね。
隠蔽しないと売れない、薄くして濁った水を飲ませるのも、対症療法としてはありかもね。
>うーん、例になってる子供の表現のしかたについては、(中身がついていってないけど)それはそれでやんないとちょっと問題ある気はする
基本的には、そのおばさんやその子供を揶揄するなということなんですけどね。
そういった「言葉の尻尾切り」でなんとかしようとしている以上、これはどうしようもないと思いますよ。
「で、お前のママってちびだな、あ、そっちのママはデブだよな。
お前ら、自分の母親をチビだとかデブって言われてうれしいんだな?」
とか言ったら、少なくともわたしの聞こえる範囲では言わなくなったけどね。
>かなり昔の段階で「気が違っている(その意味での文語表現)」、「気違い(侮蔑表現)」じゃやっぱニュアンス違うし...
最近はそういった面での教育水準というのかな?学術じゃない社会的教育の水準が下がってきている。
もちろん、学術的な面だって、相当に怪しいけどね。
なもんで、そういった表現の差異ってのは、理解されないと思うけどね。
宮崎君とか加藤君の行動について「気違い沙汰だよな」といったら、文句付けられたことがあったな。
「え?あれが気違い沙汰じゃないの?ふーん、あんたにとっては普通のことなんだろうなぁ。わたしはそういうのを普通だと考える教育は受けてないからなぁ」とかね。
Re: (スコア:0)