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他界した祖父や祖母が話していた純粋な方言はすでに聞かなくなりいまは地方に残る叔父や叔母が強く訛った言葉を話しています。
アラサー・アラフォーの従妹は地方で育ったためバイリンガルですが、訛りが軽く残り方言が理解できます。それより若い親戚は地方で育っていて訛りは雰囲気しか再現できず、方言も理解できない状況です。
あくまで上記は東北に祖がある我が家の一例ですが、方言に限らず文化面でも急速な均一化を感じます。
純粋な方言(という表現は語弊があるかもしれませんが)を聞いた世代がいなくなると軽い訛りや文化的な保護を除いて、一部メジャー以外が未来で残るのは難しいような気がします。
関西だと、関西弁の中での大阪弁、神戸弁、京都弁といった細かな境界が薄れてきていて、「関西共通語」と呼ばれる方言に変化してきていますね。
こんな研究結果もあります。http://hdl.handle.net/11094/4150 [handle.net]
共通化しているのは事実なのでしょうが、私の世代(30代)では、まだ一応多少の差異はありますね。京都「きいひん」大阪「けえへん」神戸「こうへん」
合間にバウム「くうへん」とか挟まないとハタかれたりしないのでしょうか。
お正月に田舎へ(親と一緒に)帰省した人も多いと思うが自分らが子供の頃の「田舎の風景」って、もう殆どないんだよね。
田園風景だけでなく、縁日や祭囃子、凧揚げもコマ回し、獅子舞や挨拶回りとかうちの相当な田舎でも初詣とおせち料理くらいしかお正月の風景って残ってない。
せめてお正月くらい田舎に人が増えれば良いんだけど土日あわせて一週間しか休みがないと子供つれての帰省が大変すぎる、お正月休みが短すぎる。
私の在住する地方では、凧揚げはまだ現役ですよ。今日も公園でたくさんの親子が揚げてました。確かに、凧揚げができる大きな公園でもないと無理なんですけどね。
かつて子どもが多かったころ、三が日を外して開催されていたイベントが事実上なくなってるというケースはありそうですね。うちの田舎はさほど子どもは減ってないんですが、3が日本当に人が少なかったので驚きました。姉曰く「その後は7日までイベント続き」とか。餅つきも29~30ぐらいに済ませるらしく。
#ネットで公開されてる自治体の広報を見ると確かにイベントづくしでした
元々は15日まで休みだったから、そのくらいの長期休暇にすると良いんだけどね。どうせ有給は40日近く余ってるから、夏と冬でそれぞれ一週間(5営業日*2)ほど消化させようよ・・・
どうでも良いっちゃどうでも良いけど「餅つきも29~30ぐらいに済ませるらしく。」って、餅つきって年末行事なんだけど、もっと早くやれって話?(でもクリスマス前ってのも……)、それとも正月にやってしまえって話?(それはどうかと……)29日は避けるべきって話もあるけど27-30あたりが一番いいと思うけど。とか思ったけど。
地域やご家庭で様々なんでしょうね。私が小さいころ('70s)は大晦日に女性陣がおせち作るのと並行して男性陣が餅ついてました。
元コメは「31なら帰省組も餅つきに間に合うかも」ぐらいの話でして。
#実際「人足」として待たれてたらしんどいとは思いますが。#ていうか大晦日前に大掃除済ませてたんだなあ……偉いなあ……。
日本も年末年始で3週間位休みを取ろうよ
子供の頃(昭和50年台)って、その辺のどこででも(もちろん電線等がないところで)凧あげできてました。今は都会では開発進んで、河川敷にでも行かないと無理だし、田舎では子どもがいないという。羽根つきなどもしかり。正月遊びが「イベント」としてでないと、やりにくくなりました。
東京の湾岸エリアでは、電線が地中化しているのと、比較的広い公園があるために、今の時期は結構毎日親子で凧揚げしてるのを見られます。
一方、最近中核市となった市の外れで50年台の少年時代を過ごした私は子供のこと凧揚げしたことないですね。周辺でもほとんど見かけませんでした。
なんていうか、こういうのは地域性が大きいので一概に言うのは難しそうです。
他界した祖父や祖母が話していた純粋な方言はすでに聞かなくなり
純粋な方言? そんなものあるんです? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E8%A8%80%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BD%93 [wikipedia.org]
>純粋な方言? そんなものあるんです?
純粋な方言(という表現は語弊があるかもしれませんが)と自己言及してますね。
祖父母世代同士の話す津軽弁は父母世代には半分程度しか、我々世代には断片的にしかわからないそのくらい方言の「濃さ」に違いがあるのは事実ですよ
祖父母世代同士の会話してるところに通りかかったフランス人留学生が、フランス語会話してると勘違いして会話に参加しようとしてでもちゃんと聞くとやっぱり津軽弁なので理解できずおろおろしてたw
祖父母世代同士の話す津軽弁は父母世代には半分程度しか、我々世代には断片的にしかわからない
1970年代の話です。ヨーロッパ留学中、津軽三味線の山田千里が突然やって来て、一介の学生の自分に「コンサートをやりたいので手伝ってくれ」と頼まれて慌てたことがありました。しかし、このとき、山田千里さんが話しかけてくる日本語(弘前の方でした)が、本当に一言もわかりませんでした。「本当に津軽弁って、何を言ってるかわからないんだ!」と感動しました。(専攻が言語学だったもので。)
祖父母世代同士の会話してるところに通りかかったフランス人留学生が、フランス語会話してると勘違いして会話に参加しようとして でもちゃんと聞くとやっぱり津軽弁なので理解できずおろおろしてたw
1980年代の話です。外国のロックグループの通訳の仕事をしたときに、帰りが深夜になったので、レコード会社の方が自宅までタクシーで送ってくださいました。我々夫婦は後部座席で話しており、レコード会社の方は助手席に乗っていました。翌日、「いやぁ、あの後、運転手さんから、『後ろのお2人さん、何を話しているかさっぱりわかんなかったけど、津軽かどこかの方なんですかね?』って訊かれちゃったよ」と笑っておりました。運転手さんとは我々夫婦、双方とも普通に日本語でやりとりしていたので、運転手さんは彼とは我々は共通語で話し、自分たちの間では方言で話していたと誤解したようです。
大学のとある先生は方言が失われる過程の第1が義務教育と徴兵制,第2がラジオ放送と主張してました。一方で,標準語(共通語)が普及すればするほど,「標準(共通)」の範囲が広がり内部に多様性を抱え込むことになり,新たに「方言」を分類する必要がでてくると。
ネットの中でコミュニティによって言葉遣いが違うのも新たな方言なのかなと,当時考えたことを思い出しました。もっと真剣に講義受けとけば良かった。
正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)を受け入れる障害になっているのだとしたら
言語学的には「正しい言葉」等と言うものは存在しません。「誤用法」すら存在しません。「規範文法」とか「学校文法」というものは「言語学」からはある意味、異質な存在です。理由は簡単。 ① 言語は方言も含めてそれぞれが等価で完璧な体系である。 ② 「文法」は現実に存在する言語現象から、能力に限界のある言語学者が「帰納的」に推論する「仮説」に過ぎない。 ③ 言語はダイナミックに変化を続けていくので、帰納された文法もダイナミックに変化し続ける。 ④ 帰納的に作られた文法(仮説)にそぐわない言語現象に遭遇した場合に、言語学者は、「現実」が間違っているという指摘はせず、その一見矛盾するように見える言語現象も包括できるように自分が仮定した文法の方を修正する。 ものだからです。
ここで問題にしているのは「特定の言語が普遍的な価値を表現する能力を持っているかどうか」だから。
そんなことは不可能だと言うのが最初から言語学の結論ですから。 例えば、日本語の「ワニ」は英語では、crocodile、alligator、cayman、gavial と、少なくとも4つの単語と一致させられます。これは、「英語では、ワニに当たる動物を日本語のように“ワニ”と抽象的に捉える能力が欠けている」とも言えますし、「日本語には、crocodile、alligator、cayman、gavial を区別する能力が欠けている」とも言えます。つまり、言語の比較は常にプラスマイナス・ゼロになります。「長所」は同時に「短所」であり、「短所」は同時に「長所」なのです。 ちなみに、Google 翻訳が役に立たないのは、メタ言語(仲介言語)に英語を用いているからであり、文法的な機能を語順で表現する孤立語の英語は、単語自体が持っている情報量が非常に少ないため[=普遍的な価値を表現する能力を持っていないため]、英語を介してある言語から別の言語に翻訳するときに、可能性が無限に近く広がってしまうからです。
> 正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)ちょっとさすがにそれは見逃せない発言ですね。大阪や名古屋等で使われている言葉を正しいと言っているようには思えないので、おそらく都市部というのは東京のことを言っているのでしょうが、都市部の言葉その他を「正しい」だなんてそんな大それたことをよくもまあ言えるもんです(まあ、それをやったのが明治政府を中心とした人たちなわけですが)。東京なんて地方出身者の集まりみたいなもんですから、地方と言葉・価値観・文化が全く違って正しいということはなく、むしろ地方から輸入さえしている部分もあるのですよ。
もっと言えば「ローカルで一般的価値の乏しい文化(中略)受け入れる障害になっている」という仮定もよくわかりませんね。件の文化が一体何を指すのかわかりませんし、そもそも障害になるものかどうか。どちらかというと日本人は過去の例から新しいモノは柔軟に吸収しようとする方ですし、それは地方においても変わらないわけで。
まあ、方言がこの先生きのこるかどうかは確かにわからないところではあります。関西弁あたりなら残ってそうだけど、他は世代交代とともに薄れていくでしょうね。私自身、祖父母の言葉を聞く程度ならまだ大丈夫ですが、それよりも前の世代は厳しくなってきているので……。
「言葉・価値観・文化」なんてものは個々が単純で簡単に分離できるようなものでは無いし、「正しい」とか「正しくない」とかってのも馴染まない。もちろん良いことは取り入れたいが良いこと悪いことが渾然一体となってるのが普通だし、悪いことと思っていても後年に良いことだったと分かることもあるだろう。あなたの考えは突き詰めると自治体や州、極論では国を解体した方が正しいって話になってしまうよ。
フランス語は世界一美しい言語だと言う人々と同じような荒唐無稽さを感じる
アメリカ人あたりなら、
もしアメリカ英語以外の言語や、その他のローカルで一般的価値の乏しい文化などが正しい言葉(アメリカ英語)・価値観(アメリカの価値観)・文化(アメリカの文化)を受け入れる障害になっているのだとしたら、あまりそういうのは、惜しむべきではないとも言える。。。
なんて本気で思ってるかもしれません。
>本気で思ってるかもしれません。そんなバカな。間違いなく思っているだろ
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2, 参考になる)
他界した祖父や祖母が話していた純粋な方言はすでに聞かなくなり
いまは地方に残る叔父や叔母が強く訛った言葉を話しています。
アラサー・アラフォーの従妹は地方で育ったためバイリンガルですが、訛りが軽く残り方言が理解できます。
それより若い親戚は地方で育っていて訛りは雰囲気しか再現できず、方言も理解できない状況です。
あくまで上記は東北に祖がある我が家の一例ですが、方言に限らず文化面でも急速な均一化を感じます。
純粋な方言(という表現は語弊があるかもしれませんが)を聞いた世代がいなくなると
軽い訛りや文化的な保護を除いて、一部メジャー以外が未来で残るのは難しいような気がします。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
関西だと、関西弁の中での大阪弁、神戸弁、京都弁といった細かな境界が薄れてきていて、
「関西共通語」と呼ばれる方言に変化してきていますね。
こんな研究結果もあります。
http://hdl.handle.net/11094/4150 [handle.net]
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:1)
共通化しているのは事実なのでしょうが、私の世代(30代)では、まだ一応多少の差異はありますね。
京都「きいひん」
大阪「けえへん」
神戸「こうへん」
Re: (スコア:0)
合間に
バウム「くうへん」
とか挟まないとハタかれたりしないのでしょうか。
Re: (スコア:0)
お正月に田舎へ(親と一緒に)帰省した人も多いと思うが
自分らが子供の頃の「田舎の風景」って、もう殆どないんだよね。
田園風景だけでなく、縁日や祭囃子、凧揚げもコマ回し、獅子舞や挨拶回りとか
うちの相当な田舎でも初詣とおせち料理くらいしかお正月の風景って残ってない。
せめてお正月くらい田舎に人が増えれば良いんだけど
土日あわせて一週間しか休みがないと子供つれての帰省が大変すぎる、お正月休みが短すぎる。
Re: (スコア:0)
私の在住する地方では、凧揚げはまだ現役ですよ。
今日も公園でたくさんの親子が揚げてました。
確かに、凧揚げができる大きな公園でもないと無理なんですけどね。
Re: (スコア:0)
かつて子どもが多かったころ、三が日を外して開催されていたイベントが事実上なくなってるというケースはありそうですね。
うちの田舎はさほど子どもは減ってないんですが、3が日本当に人が少なかったので驚きました。
姉曰く「その後は7日までイベント続き」とか。
餅つきも29~30ぐらいに済ませるらしく。
#ネットで公開されてる自治体の広報を見ると確かにイベントづくしでした
Re: (スコア:0)
元々は15日まで休みだったから、そのくらいの長期休暇にすると良いんだけどね。
どうせ有給は40日近く余ってるから、夏と冬でそれぞれ一週間(5営業日*2)ほど消化させようよ・・・
Re: (スコア:0)
どうでも良いっちゃどうでも良いけど「餅つきも29~30ぐらいに済ませるらしく。」って、
餅つきって年末行事なんだけど、もっと早くやれって話?(でもクリスマス前ってのも……)、
それとも正月にやってしまえって話?(それはどうかと……)
29日は避けるべきって話もあるけど27-30あたりが一番いいと思うけど。
とか思ったけど。
Re: (スコア:0)
地域やご家庭で様々なんでしょうね。
私が小さいころ('70s)は大晦日に女性陣がおせち作るのと並行して
男性陣が餅ついてました。
元コメは「31なら帰省組も餅つきに間に合うかも」ぐらいの話でして。
#実際「人足」として待たれてたらしんどいとは思いますが。
#ていうか大晦日前に大掃除済ませてたんだなあ……偉いなあ……。
Re: (スコア:0)
日本も年末年始で3週間位休みを取ろうよ
Re: (スコア:0)
子供の頃(昭和50年台)って、
その辺のどこででも(もちろん電線等がないところで)凧あげできてました。
今は都会では開発進んで、河川敷にでも行かないと無理だし、
田舎では子どもがいないという。
羽根つきなどもしかり。正月遊びが「イベント」としてでないと、やりにくくなりました。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:1)
東京の湾岸エリアでは、電線が地中化しているのと、比較的広い公園があるために、
今の時期は結構毎日親子で凧揚げしてるのを見られます。
一方、最近中核市となった市の外れで50年台の少年時代を過ごした私は子供のこと凧揚げしたことないですね。
周辺でもほとんど見かけませんでした。
なんていうか、こういうのは地域性が大きいので一概に言うのは難しそうです。
Re: (スコア:0)
他界した祖父や祖母が話していた純粋な方言はすでに聞かなくなり
純粋な方言? そんなものあるんです?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E8%A8%80%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BD%93 [wikipedia.org]
Re: (スコア:0)
>純粋な方言? そんなものあるんです?
純粋な方言(という表現は語弊があるかもしれませんが)と自己言及してますね。
Re: (スコア:0)
祖父母世代同士の話す津軽弁は父母世代には半分程度しか、我々世代には断片的にしかわからない
そのくらい方言の「濃さ」に違いがあるのは事実ですよ
祖父母世代同士の会話してるところに通りかかったフランス人留学生が、フランス語会話してると勘違いして会話に参加しようとして
でもちゃんと聞くとやっぱり津軽弁なので理解できずおろおろしてたw
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
祖父母世代同士の話す津軽弁は父母世代には半分程度しか、我々世代には断片的にしかわからない
1970年代の話です。ヨーロッパ留学中、津軽三味線の山田千里が突然やって来て、一介の学生の自分に「コンサートをやりたいので手伝ってくれ」と頼まれて慌てたことがありました。しかし、このとき、山田千里さんが話しかけてくる日本語(弘前の方でした)が、本当に一言もわかりませんでした。「本当に津軽弁って、何を言ってるかわからないんだ!」と感動しました。(専攻が言語学だったもので。)
祖父母世代同士の会話してるところに通りかかったフランス人留学生が、フランス語会話してると勘違いして会話に参加しようとして
でもちゃんと聞くとやっぱり津軽弁なので理解できずおろおろしてたw
1980年代の話です。外国のロックグループの通訳の仕事をしたときに、帰りが深夜になったので、レコード会社の方が自宅までタクシーで送ってくださいました。我々夫婦は後部座席で話しており、レコード会社の方は助手席に乗っていました。翌日、「いやぁ、あの後、運転手さんから、『後ろのお2人さん、何を話しているかさっぱりわかんなかったけど、津軽かどこかの方なんですかね?』って訊かれちゃったよ」と笑っておりました。運転手さんとは我々夫婦、双方とも普通に日本語でやりとりしていたので、運転手さんは彼とは我々は共通語で話し、自分たちの間では方言で話していたと誤解したようです。
Re: (スコア:0)
大学のとある先生は方言が失われる過程の第1が義務教育と徴兵制,第2がラジオ放送と主張してました。
一方で,標準語(共通語)が普及すればするほど,「標準(共通)」の範囲が広がり内部に多様性を抱え込むことになり,新たに「方言」を分類する必要がでてくると。
ネットの中でコミュニティによって言葉遣いが違うのも新たな方言なのかなと,当時考えたことを思い出しました。もっと真剣に講義受けとけば良かった。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)を受け入れる障害になっているのだとしたら
言語学的には「正しい言葉」等と言うものは存在しません。「誤用法」すら存在しません。「規範文法」とか「学校文法」というものは「言語学」からはある意味、異質な存在です。理由は簡単。
① 言語は方言も含めてそれぞれが等価で完璧な体系である。
② 「文法」は現実に存在する言語現象から、能力に限界のある言語学者が「帰納的」に推論する「仮説」に過ぎない。
③ 言語はダイナミックに変化を続けていくので、帰納された文法もダイナミックに変化し続ける。
④ 帰納的に作られた文法(仮説)にそぐわない言語現象に遭遇した場合に、言語学者は、「現実」が間違っているという指摘はせず、その一見矛盾するように見える言語現象も包括できるように自分が仮定した文法の方を修正する。
ものだからです。
Re: (スコア:0)
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
ここで問題にしているのは「特定の言語が普遍的な価値を表現する能力を持っているかどうか」だから。
そんなことは不可能だと言うのが最初から言語学の結論ですから。
例えば、日本語の「ワニ」は英語では、crocodile、alligator、cayman、gavial と、少なくとも4つの単語と一致させられます。これは、「英語では、ワニに当たる動物を日本語のように“ワニ”と抽象的に捉える能力が欠けている」とも言えますし、「日本語には、crocodile、alligator、cayman、gavial を区別する能力が欠けている」とも言えます。つまり、言語の比較は常にプラスマイナス・ゼロになります。「長所」は同時に「短所」であり、「短所」は同時に「長所」なのです。
ちなみに、Google 翻訳が役に立たないのは、メタ言語(仲介言語)に英語を用いているからであり、文法的な機能を語順で表現する孤立語の英語は、単語自体が持っている情報量が非常に少ないため[=普遍的な価値を表現する能力を持っていないため]、英語を介してある言語から別の言語に翻訳するときに、可能性が無限に近く広がってしまうからです。
Re: (スコア:0)
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:1)
> 正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)
ちょっとさすがにそれは見逃せない発言ですね。大阪や名古屋等で使われている言葉を正しいと言っているようには思えないので、おそらく都市部というのは東京のことを言っているのでしょうが、都市部の言葉その他を「正しい」だなんてそんな大それたことをよくもまあ言えるもんです(まあ、それをやったのが明治政府を中心とした人たちなわけですが)。
東京なんて地方出身者の集まりみたいなもんですから、地方と言葉・価値観・文化が全く違って正しいということはなく、むしろ地方から輸入さえしている部分もあるのですよ。
もっと言えば「ローカルで一般的価値の乏しい文化(中略)受け入れる障害になっている」という仮定もよくわかりませんね。件の文化が一体何を指すのかわかりませんし、そもそも障害になるものかどうか。どちらかというと日本人は過去の例から新しいモノは柔軟に吸収しようとする方ですし、それは地方においても変わらないわけで。
まあ、方言がこの先生きのこるかどうかは確かにわからないところではあります。関西弁あたりなら残ってそうだけど、他は世代交代とともに薄れていくでしょうね。私自身、祖父母の言葉を聞く程度ならまだ大丈夫ですが、それよりも前の世代は厳しくなってきているので……。
Re: (スコア:0)
「言葉・価値観・文化」なんてものは個々が単純で簡単に分離できるようなものでは無いし、「正しい」とか「正しくない」とかってのも馴染まない。
もちろん良いことは取り入れたいが良いこと悪いことが渾然一体となってるのが普通だし、悪いことと思っていても後年に良いことだったと分かることもあるだろう。
あなたの考えは突き詰めると自治体や州、極論では国を解体した方が正しいって話になってしまうよ。
Re: (スコア:0)
フランス語は世界一美しい言語だと言う人々と同じような荒唐無稽さを感じる
Re: (スコア:0)
アメリカ人あたりなら、
もしアメリカ英語以外の言語や、その他のローカルで一般的価値の乏しい文化などが
正しい言葉(アメリカ英語)・価値観(アメリカの価値観)・文化(アメリカの文化)を受け入れる障害になっているのだとしたら、
あまりそういうのは、惜しむべきではないとも言える。。。
なんて本気で思ってるかもしれません。
Re: (スコア:0)
>本気で思ってるかもしれません。
そんなバカな。
間違いなく思っているだろ