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ただし、ソースははてブ
はてブの良いところは人気コメント [hatena.ne.jp]を見れば、方向性がわかり易い。
大学が政府の統制から自由であるのは政府の意思によって学問が歪められないためであり、「国がカネだしてるんだから言うこと聞け」ってのはつまり学問の自由の死を意味するわけだがそこんとこ理解してんの?
独立行政法人だっていって金減らしたの忘れたか
いよいよ日本の「大学の自治」も死に向かいつつあるようだ。口先ではグローバル化を煽りながら、実際にやっているのはそれに逆行して優秀な研究者を追い出すようなことばかりだからバカげている。
「学問の自由」や「大学の自治」は、「挙国一致」する人間を組織的に育成しては民主主義の根幹が成り立たないという反省から生まれた。当然今の政権からは許容しがたいだろうな。
学校に好きにさせるというのは不安もあろうが、自由を許容する必要があるのが民主主義のコストというものだろう。
やっぱ進め一億火の玉だよな
> 社会の中に存在している組織は秩序を守り、社会の利益発展に寄与するよう努力するべき社会にとって、何が利益なのか利益ではないのか、何が正しくて何が正しくないのかは、その空間と時間を共有する限りなかなか本当のことの判断がつきません。今、社会にとって利益がある、社会にとって正しいと思っていることは、そうであるかもしれないし、そうではないかもしれません。だから、それが正しいことであろうと、正しくないことであろうと、将来にわたって対応していくためには、多様性を維持するしかないのだと思います。今の価値判断では、どうしょうもないこと、ゴミのようなこと、役にたたないこと、社会の利益にならないこと、あるいは社会に反することであろうと、それは多様性を維持するための必要経費として、「うまく」保持していく必要があると思います。
しかし、お金がなければどうしようもない。> いつか税金投入を打ちきられたり、反社会的組織と見なされるリスクを負う覚悟で臨んでもらいたい。確かにそのとおりなので、戦前の旧帝大は広大な森林を持って林業経営をして巨額の収益をあげていました。資金という後ろ盾があったので、大手をふってはできなかっただろうけど国とは独立したことがあるていどはできたのでしょう。だから、戦後、社会の価値観が180度変わってもすさまじい発展ができたのだと思います。また、キリスト教圏では寄付が習慣というか教義として根付いているので、大学が独自の寄付金で国とは独立したこともできます。ところが、現在の日本ではもはや演習林も大学病院も収益を上げることはできず、寄付という資金源もありませんので、国から独立したことはできません。多様性を保持するという意味で現在の大学の状況としては戦前の状態よりかなり悪く、考え方も研究もだんだんモノカルチャーな雰囲気になって多様性もなくなりつつあるように思います。今度日本に何か大きな価値観の転換があったとき、日本という国がその価値観の転換に対応できるのかどうか不安になります。
制度によらず、社会の中に存在している組織は秩序を守り、社会の利益発展に寄与するよう努力するべき
あなたが朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国やソビエト社会主義共和国連邦やイスラミック・ステートに産まれても、制度によらずその社会に対して同様の忠誠心を持つべきであるということでしょうか。
なるほど。世界から戦争がなくならないはずですね。皆が皆、自国「のみ」に優先的に目を向けることの危険性をそろそろ気付いたほうがいいと思うんですけどね…。グローバリゼーションの流れが、逆に「世界全体という社会の中における自国」を強く意識させてしまう反作用も産んでしまっている気がしますね。この反作用それ自体は悪いことではないと思うのですが、これが安易に狭量なナショナリズムに結びついてしまわないことを願うばかりですね。
それは読み間違いじゃない?
社会が変容しても我関せずを貫きたいなら、いつか税金投入を打ちきられたり、反社会的組織と見なされるリスクを負う覚悟で臨んでもらいたい。
反社会的組織と見なされる覚悟を持てば、忠誠心なんか持たなくてもいい、と言っていると読むべきでは?
「朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国やソビエト社会主義共和国連邦やイスラミック・ステート」で忠誠心を公然否定するような人は、当然その覚悟は持っているわけですが。
結社の自由は『自由』の範疇でしか認められないし、『自由』に対する社会的コンセンサスは変化していく。抵抗する自由はある。あるが、日本が変わっていこうとしている原因はとっくの昔に終わったことだ。米ソの世界二分の計は破綻して、群雄割拠に逆戻りしてしまったし、時間は戻せない。過去の安寧を懐かしむよりも勝ち残りを意識するほうが建設的だ。
大学の自治を知らない人のコメントなんだろうなあとしか思えないもともと大学当局は体制側だってのに当局職員に要請したところで教員学生が従う義務があるわけでもなし大体、昔から国旗を揚げようとする当局とそれを引きずり下ろそうとする学生でプロレスやってたしな
歴史的にも教員さまは、公務員と同じように、社会保険で特別扱いされてますからね。民間企業の入る年金・健康保険ではなく「日本私立学校振興・共済事業団」という特殊法人になってる。
国旗掲揚・国歌斉唱で歪む学問ってなんね?拒否する時点で歪んでんじゃね?
国旗も国歌も「国」という枠組みレベルの話であって、右も左もない、その下の政治的思想や政党によらない話だと思うんだが。
国の金を使って、国そのものを否定する自由を認めろってのは、それはおかしいんじゃないか?と思わずにはいられない。
親の金で生活してるやつが「親なんていらない」とか言ってるようなもんでしょ。テレビ芸人が自分のギャラがどこから出てるのか考えもせずに「嫌なら見るな」と言ってみたり。
国旗国歌の強制というのは、結局は国家への帰属とか国家主義・それも相当国家社会主義に近い国家主義への無制限の隷属とセットにされてるように思うんですが。つまりは、国旗国歌の強制を受け入れるかどうかを、ある種の「踏み絵」にして、踏み絵を踏まない人間を排除する役割を担ってる。要は国家への無制限の隷属を宣言させるのと同じようなものがあるように思うんですよ。そこにあるのは天皇ですらなくて、国家というより国体や統治者個人への服従ではないかと。
それが、学問の自由とか発想の自由、ましてや批判精神に対してどれだけの悪い影響を及ぼすかは、2011年3月の原発事故がなんで止められなかったか。と言うので如実に出てますよ。原発に対する批判を許さない空気と言う物がずっと長い事、311以前のこの国を支配していて、批判をするものを半ば狂人扱いして排除する事で原発という社会構造・利権構造が成り立っていた側面がかなりある訳ですよ。その結果、安全上筋の悪い古い原発を停めるという、最低限必要とされてたことことすらままならず、「安全神話」ばかりが独走してしまい、あの大地震での大規模原子力被災という惨事を招いてる。
しかも、その後「原発推進は間違ってなかった」と言うだけの為に(だと私には思える)、既存の被曝被害の事例すらトンデモ扱いする「学者」やらなんやらが沢山出ました。そして、「放射能汚染があっても安全」「ニコニコ笑ってれば放射能は襲ってこない」みたいな、言葉を失うようなトンデモが、行政や政府の後押しのもとでドンドン出てきてる。
これと同じことが、国旗国歌を強制することで今後沢山出てくるでしょう。それこそ、(時の権力者・スターリンが後押ししてた)ルイセンコ進化論を絶対真理として通常の科学的議論を拒絶して社会が大きく混乱するに至ったソ連と同じようなことが、色んな局面で起こるでしょう。# 既に、親学とか江戸しぐさとか推されてますしね。
国旗国歌の強制というのは、結局は国家への帰属とか国家主義・それも相当国家社会主義に近い国家主義への無制限の隷属とセットにされてるように思うんですが。
そんな意味は薄いと思うな。単なる儀礼(プロトコル)・礼儀の問題でしょう。
単なる儀礼・礼儀の問題だと捉えていれば、自分の思想・信条とは無関係と捉えることもできます。
そう言う礼儀を知った上で、国旗掲揚・国歌斉唱を拒否するなら、それはそれで尊重します(同意はしないけど)。しかしながら、知らずにやってる「常識知らず」が多過ぎるように思います。
大体、他国の国旗や国歌に対する儀礼・礼儀を日本人は学ばな過ぎです。自国の国旗・国歌に対しての儀礼・礼儀を学ばないからですね。
>>国旗国歌の強制というのは、結局は国家への帰属とか国家主義・それも相当国家社会主義に近い国家主義への無制>>限の隷属とセットにされてるように思うんですが。
>そんな意味は薄いと思うな。>単なる儀礼(プロトコル)・礼儀の問題でしょう。
「国旗国歌」だけなら儀礼の問題かも知れないが、「国旗国歌の強制」となるとね。
儀礼・礼儀ってのは、決まった形に従っていれば、お互い不愉快な思いをしない、という決まり事。決まり事だから、本質的に強制するものだよ。朝は「おはようございます」と挨拶しろ、って小学校で強制されただろ?
そんなことも知らないのは、単なる常識知らず・礼儀知らず。「おはようございます」くらいなら、愛想の悪い人、と思われてお終いだけど、格式のある場だとそういうわけには行かない。いくら常識知らず・礼儀知らずな君だって、仏式の葬儀に派手な色のシャツで行ったりはしないだろ?
そういうことを知ってて、あえてその儀礼・礼儀に従わない、ということはあり得る。それは自己責任でやればいい。ただし、他人を不愉快にさせる覚悟は、当然必要。覚悟があれば許してもらえる、って保証は無いけどね。
ところで、君は校歌・学歌の斉唱や校旗掲揚には反対しないのかね?それは愛校主義の無制限の隷属とセットだったりしないのかね?
給食の前後に「いただきます」「おごちそうさまでした」と言うのには反対しないのかね?それは仏教由来で、仏への無制限の帰依とセットだったりしないのかね?# 実際、「給食費払ってるんだから、ウチの子にそんなことさせるな」という非常識な親は居るね。
まあ、国旗・国歌が行き過ぎた国家主義に利用のは事実だし、その過ちは繰り返してはならない。だからと言って、礼儀知らずを再生産し続けるのは、羹に懲りて膾を吹くというもの。程度と言うものについて、考えてみてはどうかな?
いただきますが神へのお祈りに置き換わっても許容されると思いますが
で?
日本のパスポート持って(日の丸背負って)海外に行くけど、日の丸に敬意は払いたくないとか意味分からない。
日本国民の権利や自由や海外における身分保証をしているのは日本国です。国家に帰属したくないのであれば、それらも放棄すべきです。
>日本のパスポート持って(日の丸背負って)海外に行くけど、>日の丸に敬意は払いたくないとか意味分からない。
「敬意を払う」のと「強制を唯々諾々と受け入れる」ってのは、違うんじゃないかと思うんですけど。一定の敬意を払っていても、強制するという行為自体への批判をするというのは、何ら矛盾しないと思いますし、偏狭なナショナリズムの類を批判するというのも、両立する話ですよ。そのあたりごちゃごちゃにすべきじゃないと思いますが。
そもそも、国旗を掲げていない船や飛行機に搭乗するというのは、すごい恐ろしい行為だと思うけど。「無国籍船」として扱われるから、それで他国の領海に入ったら下手すれば海賊扱いに。。ソビエトロシアなどは、さらっと飛行機をミサイル撃墜してるし。
今の国旗のデザインが不評なら、必要に応じてアップデートすればいい。でも国旗なしは勘弁。。
国家が国民を守るのは、それが国家の存在意義であり義務だからであって、国民はそれに敬意を抱く義務はありません。
国家とは国民の集団。国家に対する敬意とは、それを構成する国民に対する敬意です。
日本のパスポート持って(日の丸背負って)海外に行くけど、日の丸に敬意は払いたくないとか意味分からない。普通の人は、海外へは出かけない時代が来ている(に戻っている)のです。
逸般人の自覚を持とう。
親が子供を育てるのは当然生んでくれと言った覚えはないから親に感謝しないのは自由
中二もドン引き
そうですね。菊の御紋ですね。そっちはいいんだ。
意味わかんないよな
昭和のバカ世代がやってた学生運動なんて「学費が高いから」だぞ後になってバツが悪くなったのか「あれはファッションだった」とかほざいてるの
普段嫌ならxxしなければいいとか言うくせに日本に粘着し続けるのは甘やかし過ぎたせいなんだろうな
/.Jのデフォルトインタフェースでは、非建設的な発言が表示されなくなる利点があります。(ログインユーザだけでしたっけ。)はてブは、元記事を読む必要があるかの判断が、人気コメントタブを押すことでできます。どちらの機能も「ネット上のすべての発言を読まないと」という強迫観念があり、そのための時間を捻出できる暇人完璧主義者には、無用なのでしょうけど。
ログインユーザが十分に多ければ一行目が成り立つのでしょうが。
「ネット上のすべての発言を読まないと」という強迫観念があり、そのための時間を捻出できる暇人完璧主義者には、無用なのでしょうけど。
元記事を読めばいいだけでは?
はてブは、元記事を読む必要があるかの判断が、人気コメントタブを押すことでできます。
他人による反応は、ひとつの意見として参考にはなったとしてもそれだけで「元記事を読む必要があるかの判断」ができるものではないと思いますが。
元記事をすべて読める暇な人は、世界中の言語で記されたすべての記事を(翻訳ソフトに助けてもらって)読めば、良いのでは。誰も止めてません。
世界中の記事を読める人は、/.Jなり、はてブなりに読んで役に立った記事をタレコミしてくれるとtea_cupは、個人的にうれしいです。
# 感想は個人のものです。
ソースが朝日でAnonymous Coward投稿のいつものやつ
しかも社説では猛省だとよhttp://www.asahi.com/paper/editorial.html [asahi.com]
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
国立と思想の自由 (スコア:0)
ただし、ソースははてブ
Re:国立と思想の自由 (スコア:3)
はてブの良いところは人気コメント [hatena.ne.jp]を見れば、方向性がわかり易い。
大学が政府の統制から自由であるのは政府の意思によって学問が歪められないためであり、「国がカネだしてるんだから言うこと聞け」ってのはつまり学問の自由の死を意味するわけだがそこんとこ理解してんの?
独立行政法人だっていって金減らしたの忘れたか
いよいよ日本の「大学の自治」も死に向かいつつあるようだ。口先ではグローバル化を煽りながら、実際にやっているのはそれに逆行して優秀な研究者を追い出すようなことばかりだからバカげている。
Re:国立と思想の自由 (スコア:3, すばらしい洞察)
「学問の自由」や「大学の自治」は、「挙国一致」する人間を組織的に育成しては民主主義の根幹が成り立たないという反省から生まれた。当然今の政権からは許容しがたいだろうな。
学校に好きにさせるというのは不安もあろうが、自由を許容する必要があるのが民主主義のコストというものだろう。
Re:国立と思想の自由 (スコア:2)
やっぱ進め一億火の玉だよな
Re:国立と思想の自由 (スコア:2)
> 社会の中に存在している組織は秩序を守り、社会の利益発展に寄与するよう努力するべき
社会にとって、何が利益なのか利益ではないのか、何が正しくて何が正しくないのかは、その空間と時間を共有する限りなかなか本当のことの判断がつきません。
今、社会にとって利益がある、社会にとって正しいと思っていることは、そうであるかもしれないし、そうではないかもしれません。
だから、それが正しいことであろうと、正しくないことであろうと、将来にわたって対応していくためには、多様性を維持するしかないのだと思います。今の価値判断では、どうしょうもないこと、ゴミのようなこと、役にたたないこと、社会の利益にならないこと、あるいは社会に反することであろうと、それは多様性を維持するための必要経費として、「うまく」保持していく必要があると思います。
しかし、お金がなければどうしようもない。
> いつか税金投入を打ちきられたり、反社会的組織と見なされるリスクを負う覚悟で臨んでもらいたい。
確かにそのとおりなので、戦前の旧帝大は広大な森林を持って林業経営をして巨額の収益をあげていました。資金という後ろ盾があったので、大手をふってはできなかっただろうけど国とは独立したことがあるていどはできたのでしょう。だから、戦後、社会の価値観が180度変わってもすさまじい発展ができたのだと思います。また、キリスト教圏では寄付が習慣というか教義として根付いているので、大学が独自の寄付金で国とは独立したこともできます。
ところが、現在の日本ではもはや演習林も大学病院も収益を上げることはできず、寄付という資金源もありませんので、国から独立したことはできません。多様性を保持するという意味で現在の大学の状況としては戦前の状態よりかなり悪く、考え方も研究もだんだんモノカルチャーな雰囲気になって多様性もなくなりつつあるように思います。
今度日本に何か大きな価値観の転換があったとき、日本という国がその価値観の転換に対応できるのかどうか不安になります。
Re: (スコア:0)
あなたが朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国やソビエト社会主義共和国連邦やイスラミック・ステートに産まれても、制度によらずその社会に対して同様の忠誠心を持つべきであるということでしょうか。
なるほど。
世界から戦争がなくならないはずですね。
皆が皆、自国「のみ」に優先的に目を向けることの危険性をそろそろ気付いたほうがいいと思うんですけどね…。
グローバリゼーションの流れが、逆に「世界全体という社会の中における自国」を強く意識させてしまう反作用も産んでしまっている気がしますね。
この反作用それ自体は悪いことではないと思うのですが、これが安易に狭量なナショナリズムに結びついてしまわないことを願うばかりですね。
Re:国立と思想の自由 (スコア:1)
制度によらず、社会の中に存在している組織は秩序を守り、社会の利益発展に寄与するよう努力するべき
あなたが朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国やソビエト社会主義共和国連邦やイスラミック・ステートに産まれても、制度によらずその社会に対して同様の忠誠心を持つべきであるということでしょうか。
それは読み間違いじゃない?
社会が変容しても我関せずを貫きたいなら、いつか税金投入を打ちきられたり、反社会的組織と見なされるリスクを負う覚悟で臨んでもらいたい。
反社会的組織と見なされる覚悟を持てば、忠誠心なんか持たなくてもいい、と言っていると読むべきでは?
「朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国やソビエト社会主義共和国連邦やイスラミック・ステート」で忠誠心を公然否定するような人は、当然その覚悟は持っているわけですが。
Re: (スコア:0)
結社の自由は『自由』の範疇でしか認められないし、『自由』に対する社会的コンセンサスは変化していく。
抵抗する自由はある。あるが、日本が変わっていこうとしている原因はとっくの昔に終わったことだ。
米ソの世界二分の計は破綻して、群雄割拠に逆戻りしてしまったし、時間は戻せない。
過去の安寧を懐かしむよりも勝ち残りを意識するほうが建設的だ。
Re: (スコア:0)
大学の自治を知らない人のコメントなんだろうなあとしか思えない
もともと大学当局は体制側だってのに
当局職員に要請したところで教員学生が従う義務があるわけでもなし
大体、昔から国旗を揚げようとする当局とそれを引きずり下ろそうとする学生でプロレスやってたしな
Re: (スコア:0)
歴史的にも教員さまは、公務員と同じように、社会保険で特別扱いされてますからね。
民間企業の入る年金・健康保険ではなく「日本私立学校振興・共済事業団」という特殊法人になってる。
Re: (スコア:0)
国旗掲揚・国歌斉唱で歪む学問ってなんね?
拒否する時点で歪んでんじゃね?
国旗も国歌も「国」という枠組みレベルの話であって、右も左もない、
その下の政治的思想や政党によらない話だと思うんだが。
国の金を使って、国そのものを否定する自由を認めろってのは、
それはおかしいんじゃないか?と思わずにはいられない。
親の金で生活してるやつが「親なんていらない」とか言ってるようなもんでしょ。
テレビ芸人が自分のギャラがどこから出てるのか考えもせずに「嫌なら見るな」と言ってみたり。
一事が万事(Re:国立と思想の自由 (スコア:2)
国旗国歌の強制というのは、結局は国家への帰属とか国家主義・それも相当国家社会主義に近い国家主義への無制限の隷属とセットにされてるように思うんですが。
つまりは、国旗国歌の強制を受け入れるかどうかを、ある種の「踏み絵」にして、踏み絵を踏まない人間を排除する役割を担ってる。
要は国家への無制限の隷属を宣言させるのと同じようなものがあるように思うんですよ。そこにあるのは天皇ですらなくて、国家というより国体や統治者個人への服従ではないかと。
それが、学問の自由とか発想の自由、ましてや批判精神に対してどれだけの悪い影響を及ぼすかは、2011年3月の原発事故がなんで止められなかったか。と言うので如実に出てますよ。
原発に対する批判を許さない空気と言う物がずっと長い事、311以前のこの国を支配していて、批判をするものを半ば狂人扱いして排除する事で原発という社会構造・利権構造が成り立っていた側面がかなりある訳ですよ。
その結果、安全上筋の悪い古い原発を停めるという、最低限必要とされてたことことすらままならず、「安全神話」ばかりが独走してしまい、あの大地震での大規模原子力被災という惨事を招いてる。
しかも、その後「原発推進は間違ってなかった」と言うだけの為に(だと私には思える)、既存の被曝被害の事例すらトンデモ扱いする「学者」やらなんやらが沢山出ました。そして、「放射能汚染があっても安全」「ニコニコ笑ってれば放射能は襲ってこない」みたいな、言葉を失うようなトンデモが、行政や政府の後押しのもとでドンドン出てきてる。
これと同じことが、国旗国歌を強制することで今後沢山出てくるでしょう。それこそ、(時の権力者・スターリンが後押ししてた)ルイセンコ進化論を絶対真理として通常の科学的議論を拒絶して社会が大きく混乱するに至ったソ連と同じようなことが、色んな局面で起こるでしょう。
# 既に、親学とか江戸しぐさとか推されてますしね。
Re:一事が万事(Re:国立と思想の自由 (スコア:1)
国旗国歌の強制というのは、結局は国家への帰属とか国家主義・それも相当国家社会主義に近い国家主義への無制限の隷属とセットにされてるように思うんですが。
そんな意味は薄いと思うな。
単なる儀礼(プロトコル)・礼儀の問題でしょう。
単なる儀礼・礼儀の問題だと捉えていれば、自分の思想・信条とは無関係と捉えることもできます。
そう言う礼儀を知った上で、国旗掲揚・国歌斉唱を拒否するなら、それはそれで尊重します(同意はしないけど)。
しかしながら、知らずにやってる「常識知らず」が多過ぎるように思います。
大体、他国の国旗や国歌に対する儀礼・礼儀を日本人は学ばな過ぎです。
自国の国旗・国歌に対しての儀礼・礼儀を学ばないからですね。
Re: (スコア:0)
>>国旗国歌の強制というのは、結局は国家への帰属とか国家主義・それも相当国家社会主義に近い国家主義への無制
>>限の隷属とセットにされてるように思うんですが。
>そんな意味は薄いと思うな。
>単なる儀礼(プロトコル)・礼儀の問題でしょう。
「国旗国歌」だけなら儀礼の問題かも知れないが、「国旗国歌の強制」となるとね。
Re:一事が万事(Re:国立と思想の自由 (スコア:1)
「国旗国歌」だけなら儀礼の問題かも知れないが、「国旗国歌の強制」となるとね。
儀礼・礼儀ってのは、決まった形に従っていれば、お互い不愉快な思いをしない、という決まり事。
決まり事だから、本質的に強制するものだよ。
朝は「おはようございます」と挨拶しろ、って小学校で強制されただろ?
そんなことも知らないのは、単なる常識知らず・礼儀知らず。
「おはようございます」くらいなら、愛想の悪い人、と思われてお終いだけど、格式のある場だとそういうわけには行かない。
いくら常識知らず・礼儀知らずな君だって、仏式の葬儀に派手な色のシャツで行ったりはしないだろ?
そういうことを知ってて、あえてその儀礼・礼儀に従わない、ということはあり得る。
それは自己責任でやればいい。
ただし、他人を不愉快にさせる覚悟は、当然必要。
覚悟があれば許してもらえる、って保証は無いけどね。
ところで、君は校歌・学歌の斉唱や校旗掲揚には反対しないのかね?
それは愛校主義の無制限の隷属とセットだったりしないのかね?
給食の前後に「いただきます」「おごちそうさまでした」と言うのには反対しないのかね?
それは仏教由来で、仏への無制限の帰依とセットだったりしないのかね?
# 実際、「給食費払ってるんだから、ウチの子にそんなことさせるな」という非常識な親は居るね。
まあ、国旗・国歌が行き過ぎた国家主義に利用のは事実だし、その過ちは繰り返してはならない。
だからと言って、礼儀知らずを再生産し続けるのは、羹に懲りて膾を吹くというもの。
程度と言うものについて、考えてみてはどうかな?
Re: (スコア:0)
いただきますが神へのお祈りに置き換わっても許容されると思いますが
Re:一事が万事(Re:国立と思想の自由 (スコア:1)
いただきますが神へのお祈りに置き換わっても許容されると思いますが
で?
Re: (スコア:0)
日本のパスポート持って(日の丸背負って)海外に行くけど、
日の丸に敬意は払いたくないとか意味分からない。
日本国民の権利や自由や海外における身分保証をしているのは日本国です。
国家に帰属したくないのであれば、それらも放棄すべきです。
Re:一事が万事(Re:国立と思想の自由 (スコア:2)
>日本のパスポート持って(日の丸背負って)海外に行くけど、
>日の丸に敬意は払いたくないとか意味分からない。
「敬意を払う」のと「強制を唯々諾々と受け入れる」ってのは、違うんじゃないかと思うんですけど。
一定の敬意を払っていても、強制するという行為自体への批判をするというのは、何ら矛盾しないと思いますし、偏狭なナショナリズムの類を批判するというのも、両立する話ですよ。
そのあたりごちゃごちゃにすべきじゃないと思いますが。
Re: (スコア:0)
そもそも、国旗を掲げていない船や飛行機に搭乗するというのは、すごい恐ろしい行為だと思うけど。
「無国籍船」として扱われるから、それで他国の領海に入ったら下手すれば海賊扱いに。。
ソビエトロシアなどは、さらっと飛行機をミサイル撃墜してるし。
今の国旗のデザインが不評なら、必要に応じてアップデートすればいい。でも国旗なしは勘弁。。
Re: (スコア:0)
国家が国民を守るのは、それが国家の存在意義であり義務だからであって、国民はそれに敬意を抱く義務はありません。
Re: (スコア:0)
国家とは国民の集団。
国家に対する敬意とは、それを構成する国民に対する敬意です。
Re: (スコア:0)
日本のパスポート持って(日の丸背負って)海外に行くけど、
日の丸に敬意は払いたくないとか意味分からない。
普通の人は、海外へは出かけない時代が来ている(に戻っている)のです。
逸般人の自覚を持とう。
Re: (スコア:0)
親が子供を育てるのは当然
生んでくれと言った覚えはないから親に感謝しないのは自由
中二もドン引き
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
そうですね。菊の御紋ですね。そっちはいいんだ。
Re: (スコア:0)
意味わかんないよな
昭和のバカ世代がやってた学生運動なんて
「学費が高いから」だぞ
後になってバツが悪くなったのか
「あれはファッションだった」とかほざいてるの
普段嫌ならxxしなければいいとか言うくせに
日本に粘着し続けるのは甘やかし過ぎたせいなんだろうな
オフトピ インタフェースの利点 (スコア:1)
/.Jのデフォルトインタフェースでは、非建設的な発言が表示されなくなる利点があります。(ログインユーザだけでしたっけ。)
はてブは、元記事を読む必要があるかの判断が、人気コメントタブを押すことでできます。
どちらの機能も「ネット上のすべての発言を読まないと」という強迫観念があり、そのための時間を捻出できる
暇人完璧主義者には、無用なのでしょうけど。Re: (スコア:0)
ログインユーザが十分に多ければ一行目が成り立つのでしょうが。
Re: (スコア:0)
「ネット上のすべての発言を読まないと」という強迫観念があり、そのための時間を捻出できる
暇人完璧主義者には、無用なのでしょうけど。元記事を読めばいいだけでは?
はてブは、元記事を読む必要があるかの判断が、人気コメントタブを押すことでできます。
他人による反応は、ひとつの意見として参考にはなったとしてもそれだけで「元記事を読む必要があるかの判断」ができるものではないと思いますが。
Re: (スコア:0)
元記事をすべて読める暇な人は、世界中の言語で記されたすべての記事を(翻訳ソフトに助けてもらって)読めば、良いのでは。誰も止めてません。
Re:オフトピ インタフェースの利点 (スコア:2)
世界中の記事を読める人は、/.Jなり、はてブなりに読んで役に立った記事をタレコミしてくれるとtea_cupは、個人的にうれしいです。
# 感想は個人のものです。
Re: (スコア:0)
ソースが朝日でAnonymous Coward投稿のいつものやつ
しかも社説では猛省だとよ
http://www.asahi.com/paper/editorial.html [asahi.com]