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今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのなその記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
そもそもwikipediaは「真実」を掲載する媒体じゃないから、嘘だと証明なんてする必要はない。他の媒体を出典として情報をまとめているだけなんだから、自身のサイトなりSNSなりで否定コメント書けば、誰かが「本人は否定している」という情報として書き足してくれるでしょ。
真実を最優先しないにせよ、真実でないと開き直るようになったら、辞典として何の価値があるんだよ。
それを検証するのもwikipediaプロジェクトの目的だったような。当初から「正確さは保証できないけど、(一定のガイドラインの下で)不特定多数の手で百科事典を作ってみよう」ってスタンスだよね。
ソースという権威に頼る以上は、真実かじゃなくて尤もらしいにしかならないかと
「真実」の捉え方が違う。
「〇〇新聞によれば××である」という情報が本当であれば、実際に「××である」かどうかはwikipediaは考慮しない、ということ。
では、「○○さんについて○○さん本人が××だと言っている」というのも事実であり、wikipediaに掲載してもいいのでは?
××自体が事実かどうかは別の議論として…。
考慮しますよ。というか、そういうのは節に継ぎ足されるのでそれだけで記事を作ることは絶対にありえない。でなければ「聖教新聞によれば××である」とか「ムー(雑誌)によれば××である」とかいくらでも言えますからね?
よく誤解されていますが、ソースを信用しているのはWikipediaではなく執筆者なので、他の執筆者に混ぜっ返されることは非常によくあります。そういう思い込みで事実と真実を混同しないでください。
辞典として何の価値があるんだよ。
それは、アンサイクロペディアに対してdisってる?
しかし、ネット情報の真偽では、真実・事実の情報より嘘の情報の方が早く広く伝播するからな。本人に関する虚偽情報がwikipediaに掲載されても、本人が修正できないというのはちょっとやりすぎじゃないだろうか。全ての人がブログやツイッターをやってるわけでもないし。
それを認めたら、本人が気に入らない内容を改変し放題になっちゃうだろ。
悪魔の証明なんて明確な一次情報源が曖昧だから起きるのであって、嘘が書かれているならその嘘のソースを請求できなければ削除できますよ。(そしてそういった悪魔に来歴が左右されるほど経歴が公になっていないからこそ、そういう連中が「自分自身の記事を作らない」ようにしているわけです)それに、(当然ながら)「タブロイド紙」「新聞」あるいは「機関紙」「ミニコミ誌」をソースにすると即座に掣肘されます。一次情報源は基本的に「国会図書館所蔵」が大前提なので、そうでない場合電子版のマスメディアサイトから起稿しなければなりません。
そもそも、本来は百科事典は確定した事象(チョウの種とか、器具の名前とか、大災害とか)しか扱わず、イデオロギーや宗教にしても「あった」というだけであって、それを公布したり勧誘したりすることは辞典の域を超えています。「スラドチョウは白地に薄茶の複雑な模様を持ち、阿納丹市川戸町の垂込川にしか生息が確認されていないので絶滅危惧種に指定されている。」という記事に対し、「それはとても美しい」とか「絶滅危惧種なので捕らえてはならない」とかそういうことを書いてはいけない、それが中立性です。まあ、言ってしまえば「第三者の集合知」がWikipediaなので、第二者以下に観点を落とし込むことがないようにするのが中立性というやつなんです。#そういった話を抜きにしても、こういうのは自分でWikiを作ってそこでやれと言いたくなりますね。
タブロイド紙や新聞に誤報をかまされたら、Wikipediaよりも、まずは発行元に文句言わないとダメなのでは。特に、自分以外には判断できないような誤報であれば、自分以外誰も証明できないのであるから、きっちりと筋を通しておかないと困らないかい。例えば、会社だったら、自社のホームページで公式に発表すれば、それは信頼できる情報源だよね。
会社だったらそれで通用しますが、個人だったら個人のHPの本人の主張は「信頼できる情報源に当たらない」として却下されます。
ところが「俳優の声優の代表作」に関しては本人か事務所のサイトの記述以外は書いちゃだめとかいう反するローカルルールあるんだよなぁ。もうどうしようもない。
それはこっちにはこれが代表作として載ってる!いやこっちにはこれが!ってなって収拾付かなくなったからですよ。それならまだ一次情報源に基づいて書いた方がマシなので。
自分以外には判断できないような誤報であれば、自分以外誰も証明できないのであるから、きっちりと筋を通しておかないと困らないかい。
マスコミ相手に個人が裁判起こすって並大抵の労力じゃないぞ
正確性、というか科学の根幹たる反証可能性は完全に捨ててるよね。「偉い人が言ってるから正しい」っていうWikipediaの論理は非科学そのもの。
これでも信頼できる情報源だけから書いてればまだマシだったんだろうけどね(今の世の中の情報のスピードには置いてかれるが)。
正確な情報を知っている人をシャットアウトするのと引き換えに正確な情報を知っていると思い込んでる馬鹿が馬鹿できない仕組みを作ったつもりが、信頼する情報源と信頼できない情報源の区別もつかない馬鹿ばかり呼び込んじゃった感じ。
もうWikipediaには期待してないけど、新しく反証可能性を是とした辞典サイト作れないもんかねえ…。
反証可能性が科学の根幹なのかどうかには偉い人の間でも未だに議論が収束してないよ。
>「偉い人が言ってるから正しい」っていうWikipediaの論理は非科学そのもの。と断定しちゃうのも、これまた科学的じゃないと思う。
正確な情報を知っている人が正直に正確な情報を提供してくれるとは限らない。自分の都合のいい嘘の情報を提供してくるかもしれない。だから出典を求めるんだよ。
「偉い人が言ってるから正しい」っていうWikipediaの論理
じゃあ「偉くない人が言っていることも正しい」というテーゼを反証してください、どうぞ。偉い人はなんで偉いかというとその筋の専門家だから偉いんだよ。そこを否定して何かを書こうと思ったらそれこそ非科学そのもの。
明確な嘘なら、その記述自体に「信頼できる情報源」がないので消せるのでは?
「明確な嘘」であっても「信頼できる情報源」をでっちあげるのがマスメディアですよ。
たとえば従軍慰安婦問題、朝日の誤報が明らかになったのは何年後でしたか?それまでは朝日の記事の内容が「信頼できる情報源」として扱われていたわけですが。
そうでなくても新聞記事もTVニュースもノンフィクションを謳う書籍も捏造・歪曲当たり前。しかしそれを嘘だと指摘する側がメディアに取り上げられたり書籍化されないかぎり、情報源としては否定される。
そんなにいやなら、未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかないやねぇ…。
というお花畑な妄言を否定したら、
未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかない
ことにされる
意味不明すぎw
そういう方針をWikipediaは10年以上やってるんだ、ごめんね。意味不明なわけなんだけど、変えたければ参加して変えてください。
うなぎファシストって親戚がうなぎ送ってきたら喜んで食べるんでしょ?
>たとえば従軍慰安婦問題、朝日の誤報が明らかになったのは何年後でしたか?ちゃんと検証したのは朝日新聞位だけど?
>それまでは朝日の記事の内容が「信頼できる情報源」として扱われていたわけですが。いいえ、元々あの記事は「信じられる情報源」としては扱われませんでした。それこそ従軍慰安婦問題の会議のその場で。
まあマスコミが盛ったりするのは否定しない。「従軍慰安婦は性奴隷」とか「南京虐殺被害者は40万人」とか吹いた新聞社も有るからな。
ただそういう臭い物に蓋をして知らんぷりしているマスコミには何も言わず、自分で反省の素振りを見せた所は叩き放題と思うのはどうかと思うぞ。どっちが悪質かと考えるとね。
「誰も言っていないことなのに、特定人物が言ったことにされている」「発言や映像の途中を抜き出し切り貼りして正反対の意味をもつように編集する」
大手にかぎらずマスコミ定番の手法ですが。
その判定基準は主観と常識に一任されているから、その場の主体が信頼できると誤って判断してしまえば、どうにもならない
正直な所、百科事典としての手段でも目的でもないと思う。編集者たちのいわゆるマウントを取る手段としか思えない。四六時中編集とか監視しているややこしい人たちが居て、その中には序列やら不文・成文のルールやらがあって、気に食わないと「Wikipediaには何条何項というルールがあって」「他の記事がルール違反してるかは関係ありません。厳密にはこのルールに反します」「中立性とはどこそこに書いてあるようにこれこれという意味で」こんな感じでもはや素人が入れる隙間は僅かにしかないし、中立性よりルールの知悉で評価されるゲームに過ぎんし、記事自体は手段でしかない。逆に言えば政治思想自体は目的ではないし中立性がお題目だからそこまで偏らないのはメリットでもある。ただ、傍目にはあのコミュニティーはヤバい。似た事をしたいならルールはシンプルかつ各人が解釈する形にしないとマウント合戦になる。
十分シンプルなルールだろ。
これ [wikipedia.org]とかこれ [wikipedia.org]全部読むのが最低限とかだよ。
「編集者」っていう、それを仕事とする人を表す言葉があるようなことに、簡単に入り込めると思ってるのは考えが足りないと思うよ。
結局簡単には入り込めない所に入り込んでいる少数の人たちの意見表明になるじゃん。厳密なルールより多くの目の検証や介入がより中立なのは明らかなんだし。中立性はどこに?
特定宗教の信者や特定団体のシンパといった一意の人々が「簡単には入り込めない」から中立性が担保されているんです。そもそも「多くの目の検証や介入がより中立」というその根拠はなんですか?スラド5ちゃんねるか何かと勘違いしていませんか?
厳密なルールより多くの目の検証や介入がより中立なのは明らかなんだし。
それ、実証されてないんじゃない?まずはそこからじゃないかな?
多くの目の方が正しいってなら、投票で覆せばいいだろ。自称「多くの」をどうやって担保してるの?
多くの目を反映させるには、ルールに反しない範囲で編集合戦をすることだよ書き換わるたびに少しづつ多数の落とし所に近づいていくんだよ
編集合戦を行ってるのは少数だと思う。
>中立性よりルールの知悉で評価されるゲームに過ぎんし、記事自体は手段でしかない。>中立性がお題目だからそこまで偏らないのはメリットでもある。
素晴らしいルール設計ってことじゃね?
昔:ネット上の記述はソースにならない!今:ネット上に記述のないものはソースにならない!
ソースが紙媒体ではいけないなんてルールはWikipediaのどこにもないと思うが。
阿保が吠えているようにしか見えない
と阿呆が吠えている
ソースもない本人の弁明なんて、巷でも普通に「嘘松」って呼ばれるでしょ。
挙げてる例も [要出典] で済む話だし、訴えるべきはタブロイドや新聞社だし。
「過度な中立性」をあげつらいたいのは伝わるけど、話のピントがずれてる気がする。
「嘘松」なんてネット上の一部の偏った人たちの方言にすぎないんですがあなたの「巷」って狭すぎませんか?
ほら、やっぱり何かをあげつらいたいだけなんでしょ。
>たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのな
韓国系や中華系がガンガンでっちあげを反映して、どんだけ確実な証明しても、そっち系の管理者が荒らし認定して巻き戻す。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
中立性は目的か手段か (スコア:2, 興味深い)
今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのな
その記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
Re:中立性は目的か手段か (スコア:4, 参考になる)
そもそもwikipediaは「真実」を掲載する媒体じゃないから、嘘だと証明なんてする必要はない。
他の媒体を出典として情報をまとめているだけなんだから、自身のサイトなりSNSなりで否定コメント書けば、誰かが「本人は否定している」という情報として書き足してくれるでしょ。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:2)
Re: (スコア:0)
真実を最優先しないにせよ、真実でないと開き直るようになったら、辞典として何の価値があるんだよ。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:1)
それを検証するのもwikipediaプロジェクトの目的だったような。
当初から「正確さは保証できないけど、(一定のガイドラインの下で)不特定多数の手で百科事典を作ってみよう」ってスタンスだよね。
うじゃうじゃ
Re: (スコア:0)
ソースという権威に頼る以上は、真実かじゃなくて尤もらしいにしかならないかと
Re: (スコア:0)
「真実」の捉え方が違う。
「〇〇新聞によれば××である」という情報が本当であれば、
実際に「××である」かどうかはwikipediaは考慮しない、
ということ。
Re: (スコア:0)
では、「○○さんについて○○さん本人が××だと言っている」というのも事実であり、
wikipediaに掲載してもいいのでは?
××自体が事実かどうかは別の議論として…。
Re: (スコア:0)
考慮しますよ。というか、そういうのは節に継ぎ足されるのでそれだけで記事を作ることは絶対にありえない。
でなければ「聖教新聞によれば××である」とか「ムー(雑誌)によれば××である」とかいくらでも言えますからね?
よく誤解されていますが、ソースを信用しているのはWikipediaではなく執筆者なので、他の執筆者に混ぜっ返されることは非常によくあります。
そういう思い込みで事実と真実を混同しないでください。
Re: (スコア:0)
それは、アンサイクロペディアに対してdisってる?
Re: (スコア:0)
しかし、ネット情報の真偽では、真実・事実の情報より嘘の情報の方が早く広く伝播するからな。
本人に関する虚偽情報がwikipediaに掲載されても、本人が修正できないというのはちょっとやりすぎじゃないだろうか。
全ての人がブログやツイッターをやってるわけでもないし。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:2)
それを認めたら、本人が気に入らない内容を改変し放題になっちゃうだろ。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:2)
悪魔の証明なんて明確な一次情報源が曖昧だから起きるのであって、嘘が書かれているならその嘘のソースを請求できなければ削除できますよ。
(そしてそういった悪魔に来歴が左右されるほど経歴が公になっていないからこそ、そういう連中が「自分自身の記事を作らない」ようにしているわけです)
それに、(当然ながら)「タブロイド紙」「新聞」あるいは「機関紙」「ミニコミ誌」をソースにすると即座に掣肘されます。一次情報源は基本的に「国会図書館所蔵」が大前提なので、そうでない場合電子版のマスメディアサイトから起稿しなければなりません。
そもそも、本来は百科事典は確定した事象(チョウの種とか、器具の名前とか、大災害とか)しか扱わず、イデオロギーや宗教にしても「あった」というだけであって、それを公布したり勧誘したりすることは辞典の域を超えています。
「スラドチョウは白地に薄茶の複雑な模様を持ち、阿納丹市川戸町の垂込川にしか生息が確認されていないので絶滅危惧種に指定されている。」という記事に対し、「それはとても美しい」とか「絶滅危惧種なので捕らえてはならない」とかそういうことを書いてはいけない、それが中立性です。
まあ、言ってしまえば「第三者の集合知」がWikipediaなので、第二者以下に観点を落とし込むことがないようにするのが中立性というやつなんです。
#そういった話を抜きにしても、こういうのは自分でWikiを作ってそこでやれと言いたくなりますね。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:1)
タブロイド紙や新聞に誤報をかまされたら、Wikipediaよりも、まずは発行元に文句言わないとダメなのでは。
特に、自分以外には判断できないような誤報であれば、自分以外誰も証明できないのであるから、
きっちりと筋を通しておかないと困らないかい。
例えば、会社だったら、自社のホームページで公式に発表すれば、それは信頼できる情報源だよね。
Re: (スコア:0)
会社だったらそれで通用しますが、個人だったら個人のHPの本人の主張は「信頼できる情報源に当たらない」として却下されます。
Re: (スコア:0)
ところが「俳優の声優の代表作」に関しては本人か事務所のサイトの記述以外は書いちゃだめとかいう反するローカルルールあるんだよなぁ。もうどうしようもない。
Re: (スコア:0)
それはこっちにはこれが代表作として載ってる!いやこっちにはこれが!ってなって収拾付かなくなったからですよ。
それならまだ一次情報源に基づいて書いた方がマシなので。
Re: (スコア:0)
自分以外には判断できないような誤報であれば、自分以外誰も証明できないのであるから、
きっちりと筋を通しておかないと困らないかい。
マスコミ相手に個人が裁判起こすって並大抵の労力じゃないぞ
Re:中立性は目的か手段か (スコア:1)
正確性、というか科学の根幹たる反証可能性は完全に捨ててるよね。
「偉い人が言ってるから正しい」っていうWikipediaの論理は非科学そのもの。
これでも信頼できる情報源だけから書いてればまだマシだったんだろうけどね(今の世の中の情報のスピードには置いてかれるが)。
正確な情報を知っている人をシャットアウトするのと引き換えに正確な情報を知っていると思い込んでる馬鹿が馬鹿できない仕組みを作ったつもりが、
信頼する情報源と信頼できない情報源の区別もつかない馬鹿ばかり呼び込んじゃった感じ。
もうWikipediaには期待してないけど、新しく反証可能性を是とした辞典サイト作れないもんかねえ…。
Re: (スコア:0)
反証可能性が科学の根幹なのかどうかには偉い人の間でも未だに議論が収束してないよ。
>「偉い人が言ってるから正しい」っていうWikipediaの論理は非科学そのもの。
と断定しちゃうのも、これまた科学的じゃないと思う。
Re: (スコア:0)
正確な情報を知っている人が正直に正確な情報を提供してくれるとは限らない。
自分の都合のいい嘘の情報を提供してくるかもしれない。
だから出典を求めるんだよ。
Re: (スコア:0)
「偉い人が言ってるから正しい」っていうWikipediaの論理
じゃあ「偉くない人が言っていることも正しい」というテーゼを反証してください、どうぞ。
偉い人はなんで偉いかというとその筋の専門家だから偉いんだよ。
そこを否定して何かを書こうと思ったらそれこそ非科学そのもの。
Re: (スコア:0)
明確な嘘なら、その記述自体に「信頼できる情報源」がないので消せるのでは?
Re:中立性は目的か手段か (スコア:1)
「明確な嘘」であっても「信頼できる情報源」をでっちあげるのがマスメディアですよ。
たとえば従軍慰安婦問題、朝日の誤報が明らかになったのは何年後でしたか?
それまでは朝日の記事の内容が「信頼できる情報源」として扱われていたわけですが。
そうでなくても新聞記事もTVニュースもノンフィクションを謳う書籍も捏造・歪曲当たり前。
しかしそれを嘘だと指摘する側がメディアに取り上げられたり書籍化されないかぎり、情報源としては否定される。
Re: (スコア:0)
そんなにいやなら、未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかないやねぇ…。
Re: (スコア:0)
明確な嘘なら、その記述自体に「信頼できる情報源」がないので消せるのでは?
というお花畑な妄言を否定したら、
未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかない
ことにされる
意味不明すぎw
Re: (スコア:0)
そういう方針をWikipediaは10年以上やってるんだ、ごめんね。意味不明なわけなんだけど、変えたければ参加して変えてください。
Re: (スコア:0)
うなぎファシストって親戚がうなぎ送ってきたら喜んで食べるんでしょ?
Re: (スコア:0)
>たとえば従軍慰安婦問題、朝日の誤報が明らかになったのは何年後でしたか?
ちゃんと検証したのは朝日新聞位だけど?
>それまでは朝日の記事の内容が「信頼できる情報源」として扱われていたわけですが。
いいえ、元々あの記事は「信じられる情報源」としては扱われませんでした。
それこそ従軍慰安婦問題の会議のその場で。
まあマスコミが盛ったりするのは否定しない。
「従軍慰安婦は性奴隷」とか「南京虐殺被害者は40万人」とか吹いた新聞社も有るからな。
ただそういう臭い物に蓋をして知らんぷりしているマスコミには何も言わず、
自分で反省の素振りを見せた所は叩き放題と思うのはどうかと思うぞ。
どっちが悪質かと考えるとね。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:1)
「誰も言っていないことなのに、特定人物が言ったことにされている」
「発言や映像の途中を抜き出し切り貼りして正反対の意味をもつように編集する」
大手にかぎらずマスコミ定番の手法ですが。
Re: (スコア:0)
その判定基準は主観と常識に一任されているから、その場の主体が信頼できると誤って判断してしまえば、どうにもならない
Re: (スコア:0)
正直な所、百科事典としての手段でも目的でもないと思う。
編集者たちのいわゆるマウントを取る手段としか思えない。
四六時中編集とか監視しているややこしい人たちが居て、
その中には序列やら不文・成文のルールやらがあって、気に食わないと
「Wikipediaには何条何項というルールがあって」
「他の記事がルール違反してるかは関係ありません。厳密にはこのルールに反します」
「中立性とはどこそこに書いてあるようにこれこれという意味で」
こんな感じでもはや素人が入れる隙間は僅かにしかないし、中立性よりルールの知悉で評価されるゲームに過ぎんし、記事自体は手段でしかない。
逆に言えば政治思想自体は目的ではないし中立性がお題目だからそこまで偏らないのはメリットでもある。
ただ、傍目にはあのコミュニティーはヤバい。
似た事をしたいならルールはシンプルかつ各人が解釈する形にしないとマウント合戦になる。
Re: (スコア:0)
十分シンプルなルールだろ。
Re: (スコア:0)
これ [wikipedia.org]とかこれ [wikipedia.org]全部読むのが最低限とかだよ。
Re: (スコア:0)
「編集者」っていう、それを仕事とする人を表す言葉があるようなことに、簡単に入り込めると思ってるのは考えが足りないと思うよ。
Re: (スコア:0)
結局簡単には入り込めない所に入り込んでいる少数の人たちの意見表明になるじゃん。
厳密なルールより多くの目の検証や介入がより中立なのは明らかなんだし。
中立性はどこに?
Re:中立性は目的か手段か (スコア:1)
特定宗教の信者や特定団体のシンパといった一意の人々が「簡単には入り込めない」から中立性が担保されているんです。
そもそも「多くの目の検証や介入がより中立」というその根拠はなんですか?
スラド5ちゃんねるか何かと勘違いしていませんか?Re: (スコア:0)
厳密なルールより多くの目の検証や介入がより中立なのは明らかなんだし。
それ、実証されてないんじゃない?
まずはそこからじゃないかな?
Re: (スコア:0)
多くの目の方が正しいってなら、投票で覆せばいいだろ。自称「多くの」をどうやって担保してるの?
Re: (スコア:0)
多くの目を反映させるには、ルールに反しない範囲で編集合戦をすることだよ
書き換わるたびに少しづつ多数の落とし所に近づいていくんだよ
Re: (スコア:0)
編集合戦を行ってるのは少数だと思う。
Re: (スコア:0)
>中立性よりルールの知悉で評価されるゲームに過ぎんし、記事自体は手段でしかない。
>中立性がお題目だからそこまで偏らないのはメリットでもある。
素晴らしいルール設計ってことじゃね?
Re: (スコア:0)
昔:ネット上の記述はソースにならない!
今:ネット上に記述のないものはソースにならない!
Re: (スコア:0)
ソースが紙媒体ではいけないなんてルールはWikipediaのどこにもないと思うが。
Re: (スコア:0)
阿保が吠えているようにしか見えない
Re: (スコア:0)
と阿呆が吠えている
Re: (スコア:0)
ソースもない本人の弁明なんて、巷でも普通に「嘘松」って呼ばれるでしょ。
挙げてる例も [要出典] で済む話だし、訴えるべきはタブロイドや新聞社だし。
「過度な中立性」をあげつらいたいのは伝わるけど、話のピントがずれてる気がする。
Re: (スコア:0)
「嘘松」なんてネット上の一部の偏った人たちの方言にすぎないんですが
あなたの「巷」って狭すぎませんか?
Re: (スコア:0)
ほら、やっぱり何かをあげつらいたいだけなんでしょ。
外国語版の「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」の項目がそんな感じ (スコア:0)
>たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのな
韓国系や中華系がガンガンでっちあげを反映して、
どんだけ確実な証明しても、そっち系の管理者が荒らし認定して巻き戻す。