Kanjiの日記: 地デジの話 2
地上デジタル放送で録画したデータに制限をつける問題について、じゃあ実際に自分ならどこまでやりたいのかちょっと考えてみました。
以下の段階に分けることが出来るでしょう。
1. リアルタイムで自分が観る。
2. タイムシフト(短期間保存)で自分が観る。
3. アーカイブ(長期間保存)して自分が観る。
4. アーカイブして他人に見せる(一世代コピー)。
5. アーカイブして流通させる(多世代コピー)。
驚いたことに1ですら現行でも不便があることに呆れ果てます。各機器のインタフェースの制限なんかで、自分で撮った番組すら普通に見れないことがあるらしいです。
2は内蔵HDDかなにかに保存可能にすればオッケーです。撮ったデータをコピーや移動できなくても問題ありません。
3は保存のため他のメディアにコピーする必要がありますが、そのメディアを自分しか再生できなくてもいいことになります。EPNというやりかたがこれに当たるようです。
4はコピー回数に制限をつけるというアイデアです。コピー先の機器に合わせた信号付きでコピーするのでしょうね。友人に見せたいときは友人の機器の暗号鍵でも入力してコピーするのでしょうか。
5は制限なしの状態です。
こんなややこしいことするぐらいなら、どこぞにでっかいサーバでも立てて好きなときに好きな番組をダウンロードできるようにしてくれればいいのに。
と思ったとき気づきました。テレビというものは、即時的に視聴させることで成り立っているビジネスなのだということです。すぐ効果が上がることを前提にスポンサーは金を出して宣伝させているのです。それが出来なくなったら電波のうまみが減ってしまいます。ブロードバンドといっても回線がまだまだ細いので数千万世帯への配信は厳しいとかあるんでしょうけど。
仮にコピー無制限になったとして、視聴情報をテレビ局に送り返さないといけない制限付きとかになったら視聴者はどういう反応をするのでしょうね。
私は「弁護士のくず」を途中からしか観ていなかったので最近の再放送を追っかけていたのですが、第四話の録画を忘れてしまったのでもう観れません。DVDが出ていても買う気もありません。いまから誰かにこのドラマの面白さを伝えてもその人も観れません。こういうのも文化の衰退を招いている一因だと思います。
なんかもう地デジを機にテレビがすたれてしまったほうが日本のためのような気もしてきました。すたれると言っても絶滅するわけではなくて、せいぜい今の映画ぐらいの規模に収まって、文化や芸術の下流を担うような役割を果たし、人材を育成する場みたいな感じに。
文化 (スコア:0)
衰退というのは繁栄があった上での話であるが、
テレビ系で録画うんぬんの状況が多少変わったとして、
それが文化にまで響くほど変化したと思える程だろうか?
昔より選択肢は広がったし、話し相手も多くなった。
が、録画系の変化より、趣味の多様化の方が番組作成側には
影響が大きいのではないかな? それに比べれば多少の録画の
制約なぞ微々たるものだろう。
と、ひとつ石を投げてみる。
じわじわ (スコア:1)
ブロードバンド(死語)がもっと発達していったら、好きなときに好きなコンテンツが楽しめるようになり、免許事業とか電波という強力な武器に守られていたテレビ業界が衰退する可能性は十分考えられると思います。せめて流行りのドラマの録画媒体の貸し借りぐらい出来ないと、見逃したら二度と見れなくなるかもしれないテレビよりも、面白い作品がじわじわ広がる可能性のあるブロードバンドメディアに人が移っていきそうな気がしませんか。