kanepaの日記: 障害者を普通学級や普通学校に通わせることは果たして本人のためになるか 2
普通学級及び普通学校へ行かせるには、本人や家族の意見だけでなく、医学的見地から見た担当医師の意見、教育関係者の見地から見た、入学先または在学している学校の意見、福祉的見地から見た公的支援機関や社会福祉士など、第三者の意見を聞いて総合的に判断するべきだ。
例えば医者や教育関係者などのが通わせることはできないといっても、それでも親が通わせようとするのは、ある意味ひどい話だ。また、医者は医療のプロだし、学校は教育のプロだ。少なからず、親より専門知識がある。総合的に考えるというのは、そういった人の意見を参考にして「学校選び」しようということである。その候補の中に「特別支援学校」と「普通学校」があるだけである。
あと本人は本音ではどう思っているのだろう? 意思疎通できるのならばまだしも、まともに意思疎通ができないならば、本人の声が、最悪勝手に親が都合のいいふうに解釈してしまうことも容易に想定できる。仮に意思疎通できたとしても、親が子に圧力をかけて何も言えない状況にしてしまうことも考えられる。
本人の本音の意見は、第三者しかわからないというケースはたくさんある。
そもそも、まともに親と本音でぶつかり合う人は少ないのではないかと思う。
そもそも一番大切にすべきなのは、特別支援学校だからとか、普通学校だからとかではなく、障害者の本人の人生である。どのようにしたら、本人が幸せに過ごせるか、自立できるかである。親のメンツや世間体ではない。
障害の理解というものは、子供の障害の存在を親が認め、本人がどう普通の人間として幸せに生きていくか、自立するかを考えることにある。もちろんそれには、他人に迷惑をかけないこと、「私を支援するのは当然、当たり前」と思うのではなく「私を支援してくださって本当にありがとう」という感謝の気持ちを忘れないということも含まれるだろう。
親のエゴや怠慢やワガママはすべて本人に振りかかるということを忘れないで欲しい。
揚げ足取り (スコア:0)
普通学校と普通の人間の「普通」の意味が微妙に違う。
もしくは、一方は特別と普通をあくまで選択肢としながら、一方では普通であることが大事と受け取れる言い方になっている。
文章全体から言いたいことはだいたい理解します。また、支持します。
ただ、日本語って難しいと言うか、この程度のことだけど揚げ足取りには絶好なポイントがあるのは惜しいと言うか。
#んー…「普通学校」とは何ぞやと言われれば割と簡単に共通認識得られるけど、
#「普通の人間」とは何ぞやと言われると結構ブレが出るところもアレなのかなぁ
Re:揚げ足取り (スコア:1)
コメントありがとうございます。
確かに「普通」と頭につく言葉(例: 普通○○、普通の○○)は、人によって意味や捉え方が違うと思います。
また、時代背景や社会の環境にもよります。おっしゃるとおりだと思います。
#ただ、こういう場で人の揚げ足を取った場合、非建設的な言い争いになる可能性がありますがね……。
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