naka64の日記: 先生いじめても…。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-0b56.html
教材が作れないと悩む、と書いた時点で「あるいは子どもたちから「淫」の字をつきつけられてヒヒラ笑いされるのが怖い」と言うにしかず、ではありました。
教員集団としてはこちらには「そこまで言うならおまえが1年間教員として過ごす1単元として作って見せろ」「教師の仕事場は外野のゴミ捨て場じゃねーぞ」と言うクレームが出てくるのでしょうか。クルーグマンが「FRBにもできないことを日本の当局に要求していた」と陳謝した事態にも通じるものがありそうな。
(わたし、「裁判員裁判でグロのパワポを出す気か」という批判が出てきたときには「刑事訟務は賤業かよ」とあきれかえったものですが。)
一方、「配れない」「配れるものが作れない」のは純粋な外部要因で説明できることです。外部の言霊主義を跳ね返せないほど現場が疲弊している、ということなのでしょう。
FRBはクルーグマンの宿題に応じるべきではあったでしょうが、高校の現場には叱咤ではなくカウンセリングが必要なのでしょう。
#コメントがうまくできなくなっていたので。