susineko_kan_chanのコメント: 綴りを覚える良い方法 (スコア 1) 5
「運筆で綴りを覚えられる」利点はある
筆記体中心で習った世代が英単語の綴りを忘れた時、テーブルとか空中に筆記体で書いて綴りを確認する事がよくある
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「運筆で綴りを覚えられる」利点はある
筆記体中心で習った世代が英単語の綴りを忘れた時、テーブルとか空中に筆記体で書いて綴りを確認する事がよくある
小学校の国語の授業で勉強する様な「ローマ字」は「英語」ではなく「国語(日本語)」、つまり「英語で日本語の言葉を翻字する方法」ではなく「日本語をアルファベットで表記した正書法」。
なので、念には念を入れるなら「日本語(漢字仮名交じり)」「日本語(ローマ字)」かもしれない。
※明治35(1902)年設置の「国語調査委員会」の掲げた「文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スルコトトシ、仮名羅馬(ローマ)字等ノ得失ヲ調査スルコト」の方針通り事が運んで、漢字なしのローマ字専用表記の方が普通教育に採用(戦後すぐの社会状況ではこの可能性が結構あった)されたら、「日本語」=「ローマ字」になったかもしれないが
空気を読まずにマジレスすると、「語彙」と「綴り」は分けて見た方が良いかも……
※戦後の国語改革では「漢字の字形変更」「漢字制限」「振り仮名をなるべく無くす」「仮名遣の表音化」「文語体の原則廃止」「右横書きの廃止と横書き推奨」と、異なる分野のものを一気に進めたので、いろいろ混同しやすいのかも
「言葉は生き物」とは、
「言葉の歴史を観察した結論」としてなら真実なのだけど、
「言葉の誤用や、言葉を好き勝手に弄り回す」事を正当化する文句としてしばしば利用されてますね……。
世の中には、「言葉は音声言語を基準とすべきで、文字言語は音声言語を写し取る為のものだ」、だから表記と発音の乖離は「悪いもの」で、「文字言語を音声言語にどうしても合わせていかなくてはいけない」と思ってる人も居るみたいですが、私はこの意見にはどうも賛同できません。
ええ、確かに現代語の発音と乖離してますよ。でもそれが何か? 不便な面しか見てないだけでしょ、便利な面を忘れてませんか、と。
アルファベットのスペリングも日本語の仮名遣も、元は文字の綴りと発音の乖離から起こったものではあるけれど、結果として異なる綴りや仮名遣に異なる意味を持たせる様になったのは、慣れれば案外便利なものです。
現代かなづかい(昭和21年)では、助詞の「は」「へ」は、「はと書くことを本則とする」「へと書くことを本則とする」とあり、「私わ学校え行きました」も「許容」だったと聞きます(が、現実問題として学校でそんな風に書くとバツでしたが)。助詞の「を」は「を」のままでした。
昭和61年に「現代仮名遣い」として改訂された時に、歴史的仮名遣と同じ「は」「へ」に統一されましたが。
『正しいHTMLの書き方なんて無いんだよ!
このPCに入ってるIEとネスケできちんと表示出来てればいいんだ。
論理マークアップ? CSS? 何それ。お前の「正しい」を押し付けるな!』
※そしてIEやネスケがバージョンアップするたびに書換の必要が……
※十何年前の話
十年前の「電車男」より前の時代は、「恋愛するならオタク趣味を卒業しないとね」と盛んに言われてたので、人生設計から恋愛も結婚も外してました。
オタクを「底辺層」と軽蔑する心の狭い人、「あなたにオタクの友達がいるなんて知れたら私達が迷惑するんだけど!」と正義よりも付和雷同を重視する人とは腹心の友にはなれないし、ましてや恋愛や結婚なんて。
当用漢字表や簡体字が出来てHan unificationが難しくなる前に、中国(当時は清国?)・朝鮮・日本・ベトナムの統一漢字コードを作っておきたい……
#政府の国語改革により漢字制限が実施される事よりも、漢字コードにある文字かどうかの方が後に大きな力を持つわけで
あれ?
進化とは「種の壁を乗り越えて別の種になる事」だと私は学校で習ったのですが……
耐性菌って猿が人間になるみたいに、別の種類の生物になる事なんですか?
アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家