パスワードを忘れた? アカウント作成
874188 journal
日記

phasonの日記: 走れ!ナノカー

日記 by phason

"Electrically driven directional motion of a four-wheeled molecule on a metal surface"
T. Kudernac et al., Nature, 479, 208-211 (2011).

みんな大好きナノカーの新型である.といっても作ったのは元々のナノカーを作ったところとは別グループ.こちらのグループは,分子の異性化を使って決まった一方向に回転する分子などを作っているグループであり,その成果を組み込んでナノカーを開発した.

分子を使って機械を作ろう,という分子機械を目指した研究は数多く行われているが,この時問題になるのがエネルギーをどうやって運動に変換するか,という部分である.バルクな機械では運動を一方向に制御するためにラチェットなりなんなりが簡単に利用できるが,分子ともなるとそうも行かないため,運動はランダムになりがちである.例えば,光励起によってぐるりと90度回転する結合があったとしよう.通常,こういった構造変化は可逆であるため,90度回ったところにまた光があたると,今度は逆向きに90度回ってしまう可能性があるわけだ.つまり,機械で言えばモーターがランダムに右へ左へと回るようなもので,このままでは意味のある動作をさせることは難しい.もちろん,マクロスコピックな領域で言うところのラチェットやら何やらのような機構を組み込むことは不可能ではなく,例えば鞭毛を回転させる分子モーターなどはうまいこと出来ているわけだが,それを人為的に設計した分子で実行しようと考えるとどういった構造を用いたらいいかなかなか難しく,様々なトライアルが行われている.

さて,今回の論文を書いたグループも,こういった一方向への回転を実現しようといろいろやっているグループである.このグループは最近になって,二重結合の励起による異性化と立体障害の振動緩和の2つの異なるステップを利用することで,回転方向制御型の分子モーターを開発する事に成功した.今回は,それを「車体」に4つ組み込み,STMによる電子励起によって一方向に進むナノカーを開発して報告している.

実際に開発したナノカー分子がどういった形状であるかは,論文のFigures at a glanceの1つめの図(多分誰でも見られる)か,そのページの一番下のところにあるSupplementary informationのPDFファイル中のSynthetic Scheme 2(こちらのファイルは誰でも見られる)を見ていただきたい.車体となるπ系の大きな平面状分子から,二重結合を介して少し小さめのこちらも平板状のπ系分子が4つ繋がっている.この小さな板状の部分がバタンバタンと回って推進力を生むわけだ.タイヤと呼ぶにはちょっと平たいが.
模式的に書けば,

 ■■■     ■■■
   ||         ||
 ■■■■■■■■■■■
   ||         ||
 ■■■     ■■■

こんな構造である.表示がずれているかも知れないが,中心の長い部分が車体,■■■の部分が車輪の役割をする板,||が車体と車輪を繋ぐ二重結合だと思ってもらいたい.
二重結合は通常回転できないが,光などで励起すると一時的に自由に回転できるようになる.という事は,この車軸部分が励起されれば,車輪は回転できるわけだ.しかし,単にこの構造を励起しただけでは,車輪は右回転と左回転が同じ確率で起こってしまうため,ある方向に進む,というわけにはいかない.著者らの工夫は,この車輪に対し,車軸側からアルキル鎖をのばして立体障害を導入することで,回転方向を制御する,というものである.どういう事かというと,車体側の車軸のすぐそばから,炭素鎖が車輪に向かって伸びているのだ.車輪にしてみればこんなものは邪魔であるから,板状の車輪は炭素鎖をよけるようにちょっとだけ斜めに回転して車輪の上に炭素鎖が乗るような位置関係をとる.ひずむ分だけ二重結合には無理がかかるが,炭素鎖と車輪がぶつかるのだから二重結合側としてもあきらめるしかない.
位置関係をわかりやすくするために上図を↑の方向(車輪の位置から車体を見る方向)から見た時の位置関係を書けば,車体は9時方向から3時方向にまっすぐ伸び,車輪の平板は立体障害を避けるために10時から4時方向へと伸びたような状態だ.そして3時の位置に立体障害をもたらす炭素鎖が手前側に突き出ている.

さて,この状態で二重結合を励起する.すると二重結合が回転するわけだが,前述の立体障害となる炭素鎖が存在しているため,左回りには回転できない(4時方向に伸びている車輪部分が,3時の位置に突き出ている炭素鎖にぶつかるため).
そのため励起した際の回転は必ず右回りとなる.そしてぐるっと180度近く回転するわけだが,またまた3時位置に突き出ている炭素鎖が邪魔となる.そのため今度は車輪は2時方向から8時方向へ伸びるような位置で止まる.さて,単純な分子であれば2時方向から8時方向へ車輪が伸びている場合と,4時から10時方向に車輪が伸びている状態では二重結合にかかるひずみの大きさは同じなのであるが,実はこの分子,もうちょっと周辺の構造まで考えると,4時から10時方向に車輪が伸びているときの方がエネルギーが低い(そうなるような位置にメチル基を突き出させている).そのため,励起による二重結合の反転(10時-4時の向きだった車輪が,2時-8時の向きに反転)に引き続いて,分子振動によって3時の位置の炭素鎖による立体障害を乗り越え4時-10時の向きにちょっとだけ回る,という回転が引き起こされる.
つまり全体を書くと,

10時-4時配置 →(光や電子での励起)→ 2時-8時配置 →(引き続き振動で緩和)→ 4時-10時配置(180度反転しており,車輪は180度回転で同じ構造なため初期構造に戻る)

と,励起により必ず右回転するように出来ている.立体障害として突き出た炭素鎖(とメチル基)が,ラチェットの役割をするわけだ.
というわけで著者らは,特定方向にのみ回転するタイヤを実現して,それを4つ組み込んだナノカーを開発した.そして実際に金属基板上に乗せ,STMで観察する(=同時に,STMを流れる電流により車軸の二重結合の励起が起こる)と,一方向に選択的に進むことが確認された(Supplementary informationのMovie 1が実際の動き.走っているときの模式図はMovie 4.どちらも誰でも閲覧可能です).
これが本当に1方向に回転する分子構造に由来するのか?を確認するために,ラチェットとして働く上で重要な炭素鎖とメチル基を逆向きに突き出させたもの(当然逆回転する)を混在させた分子,つまりタイヤの2つは前進するように回転するけど,残り2つは逆向きに回転するような分子を作ってこちらも観察した.すると全体の運動はランダムとなっており,確かに一方向に回転するタイヤが実現されており,それにより車体が一方向に進んでいることが確認できた(Supplementary informationのMovie 3).

地道ではあるが,分子機械のじわじわとした進歩が実感できる.

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
typodupeerror

Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs

読み込み中...