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13311722 journal
日記

phasonの日記: 薄膜(=擬2次元系)における強磁性

日記 by phason

"Layer-dependent ferromagnetism in a van der Waals crystal down to the monolayer limit"
B. Huang et al., Nature, 546, 270-273 (2017).

および

"Discovery of intrinsic ferromagnetism in two-dimensional van der Waals crystals"
C. Gong et al., Nature, 546, 265-269 (2017).

本日は2つの論文.どちらも擬2次元系での強磁性を扱っているが,片方は異方性のある2次元系単層薄膜で強磁性が出たというもの,もう一つは擬二次元薄膜に磁場により異方性を入れてやると強磁性になり,磁場を切ると異方性が弱すぎて強磁性が出ないというものである.

磁性体はスピン(*)をもつ構成要素(原子や分子)が無数に集まったものであるが,物質の次元性により磁性は大きな影響を受けることが知られている.

(*)電子等のもつ自転に似た性質.これにより,電子一つ一つが弱い磁石のような性質を持つ.

我々の住んでいる世界は大まかには3次元であるが,物質の厚みを減らしていった極限である単層薄膜,例えばグラフェンなどは擬似的な2次元系(擬2次元系)と見なすことができる.こういった低次元系では,磁気的なドメインを崩すために必要なエネルギーなどが低下するという特徴がある.例えば3次元に並んだスピン(=小さな磁石)をもつ物質で,全部のスピンが同じ方向を向いている場合,つまり強磁性体の場合を考えよう.強磁性体であるのだから,隣接するスピン間には同じ方向を向けようとする相互作用が働いている場合に相当する.
この強磁性状態の中に,半径rの欠陥としてスピンが逆向きを向いた領域が存在すると,その界面ではスピンの向きが↑↓と反転しているため,「スピンを同じ方向に向けようとする相互作用」に逆らうこととなり,エネルギーが高くなる.どのぐらいエネルギーが高くなるかは界面の面積に比例するので,大まかにr2に比例する.従って,このような逆を向いたドメイン(=秩序を崩すドメイン)が大きくなると,エネルギーの損は急激に増大する.
一方,これが二次元の強磁性だったと仮定しよう.同じように逆を向く領域が混じっていると,その界面は領域の外周に相当するので,高くなるエネルギーはr1に比例する.そのため,このような秩序を崩すドメインは,3次元よりも大きくなりやすい.
擬1次元の系ではもっと極端である.強磁性体である
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の一部が反転した状態は
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であるが,エネルギー的に損をする箇所は領域のサイズによらず2箇所のみであり,しかもこの欠陥が動いてもエネルギーの損は変わらない.境界が動き回るとエントロピー的に得をする一方で,エネルギーの損は非常に小さいため,1次元系ではこのような欠陥が次々に生まれやすい.
こういった効果により,低次元物質では磁気的な秩序状態(*)が起こりにくくなることが知られており,例えば1次元系では絶対零度まで強磁性状態が発生しないこと,2次元では異方性が無ければ強磁性が発生しないこと(ただし,異方性が無い場合には渦状のスピン配置が実現するKosterlitz-Thouless転移が起こる)が知られている.

(*)磁気秩序に限らず,低次元系では揺らぎの効果が強くなり,各種の相転移が起こりにくくなる.もっとも,逆に低次元系でのみ起こるPeierls転移のようなものもあるが.

このように秩序化しにくい低次元磁性体であるが,分子などスピンの向きやすい方向に異方性のある系では,2次元系であっても強磁性転移が起こり得ることが理論的に示されている.しかしながら,それが現実の単層物質で示されたことは無い.
今回報告されたのは,そのような擬2次元系の単分子層の厚みを持つ薄膜において強磁性状態が確認された,というものになる.

まずは1本目の論文を見ていこう.Huangらは,CrI3という層状化合物を劈開し,その磁性を磁気光学カー効果(磁気カー効果とも呼ばれる)を用いて観測した.磁気光学カー効果というのは,強磁性体などの磁場を発生している物質に直線偏光を入射すると,反射光の偏光面が回転したり楕円偏光になったりする,というものだ.これを利用する事で,偏光面の回転からその物質中での磁場を見てやることができる.光学的な測定,特に偏光面の回転のような現象は検出が容易なため,薄膜のような微弱な磁化しか持たない物質の磁化を調べる際にもよく利用される手法である.
この物質は大気中では不安定なので,不活性ガスを充填したグルーブボックス中で作成・劈開し,そいつをそのまま測定に持って行っている.
測定結果であるが,試料は45 K以下で強磁性に由来する磁気光学カー効果を示し,単層物質ながらこの温度で強磁性へと転移していることが明らかとなった.外部磁場を変化させていった際にもきれいにヒステリシスループが見えており,強磁性の発現は間違いないであろう.
なおこの転移温度はバルクの転移温度である61 Kよりわずかに低いだけであるが,これはもともとこの物質において層間の相互作用が弱く,単層になっても影響が小さいためだと考えられる.
また面白い現象として,2層のときだけ強磁性がサプレスされ,反強磁性となっていることが発見された.単層および3層のサンプルではきれいな強磁性(に由来する磁気光学カー効果)が見えるのだが,2層の場合にはそれが見られなかったのだ.ただし少し強めに磁場をかけると(およそ±0.65 T以上),単層より強く,3層よりは弱い程度の磁気光学カー効果が見られた.これは2層の場合のみ層間の相互作用が反強磁性となっており,スピン配置が
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
と,2層の間で打ち消し合っていると考えれば辻褄があう.ただし,なぜ層間の相互作用が2層の場合のみ反強磁性的となるかについては謎に包まれている(※なお,3層やバルクでは,全ての層間が強磁性的に結び付き全スピンが同じ方向を向く).

続いては2本目の論文である.
こちらの論文で用いられている物質は同じく層状化合物のCr2Ge2Te6だ.ただしこちらは異方性が低く,層数が少ない状況では外場が無い状態では強磁性は示さない.
この物質の層数を減らしていくと,外場として0.075 Tの弱い磁場をかけた状態での磁気転移温度が70 K弱(バルク)→ 50 K強(5層)→ 45 K強(4層)→ 40 K強(3層)→ 30 K(2層)と低下していく.単層だと不安定で迅速に分解するらしく測定できてはいないが,スピン波近似を用いたフィッティングからは20 K前後が予想されている.
以上の結果は弱いとは言え外場ありでの条件だった.では外場ゼロではどうなのかというと,3層および2層のサンプルではゼロ磁場での残留磁化は測定温度の最低点である4.7 Kまで見られず,著者らは転移温度は低次元揺らぎの効果によりもっと低温に下がっているのではないかと考えているようだ.
※ただし,「非常に保磁力の低い強磁性体」(軟磁性体)という可能性もあるとは思う.

この系の面白いところは,非常に弱い磁場で強磁性をスイッチングできる点にある.2層や3層といった薄い系では,磁場をかけなければ強磁性が表れないため,磁気光学カー効果も表れない.そして弱い磁場を印加するだけで強磁性が表れ,急激に大きな磁気光学カー効果を示すようになるわけだ.これは,低次元由来の揺らぎを利用してやることで,弱い外場で大きなスイッチングを実現できることを意味している.つまり,容易にスイッチング可能な磁気光学素子を作れることとなる(現時点では低温限定だが).

というわけで,同じ号に掲載されていた低次元強磁性体二題を紹介してみた.
低次元の揺らぎやそれの絡む磁性というのはなかなか面白いものなので,このあたりの研究成果がどんどん出てくると良いなあと思う今日この頃.

13301279 journal
日記

phasonの日記: 電位により3相を切り替えられる機能性酸化物

日記 by phason

"Electric-field control of tri-state phase transformation with a selective dual-ion switch"
N. Lu et al., Nature, 546, 124-128 (2017).

イオンを含む溶液中で電極の電位を振ると,その表面に逆側の電荷をもつイオンが吸着し電気二重層と呼ばれるナノサイズの分極層が形成される.この電気二重層,非常に近い距離で電荷が分離しているため,局所的に非常に強い電位勾配を生じる事になる.このため,材料の表面に通常ではかけられないほどの非常に強烈な電場を印加したのと同じ状況が得られることとなり,これを利用する事で通常のFETを遥かに超えるような強烈な電荷注入などが行える.こういった電気二重層トランジスタは絶縁体への強制的な電荷ドーピングによる超伝導化など,物性物理の分野において近年活用が進んでいる分野である.
今回報告された論文は,この電気二重層による強烈な電場を利用する事で,SrCoO2.5に水が分解して生じるO2-を押し込んでSrCoO3-δ(δ<0.1程度)にしたり,電位を逆に振ってH+を押し込んでHSrCoO2.5にしたりと言った変化を可逆的に起こし,色や電気的・磁気的特性を3つの相の間で可逆的に変化させることに成功した,というものである.

今回の論文の結果は偶発的な発見のような感じではあるが,2種類の元素を電気的に入れたり出したりすることで相変化を引き起こした初の例となる.
母物質はレーザー蒸着により作成されたSrCoO2.5の薄膜である.この物質は2.12 eV程度のバンドギャップ(これは580 nm程度の波長の光のもつエネルギーに等しい)をもつ絶縁体であり,それを反映して600 nmより短い波長の光を強く吸収する.大雑把に言って,赤外あたりの透過率は60%を超え(長波長ほど透過率は高い),赤あたりから急速に透過率が下がり,紫あたりで透過率は20%ほどとなる.これを反映し,母物質の色はかなり黒っぽい赤で,向こうが多少は透けて見える,といった色合いとなる.

この物質をイオン液体に沈め,ゲート電位を+3.5 Vに上げる(逆に,材料の電位は下がる).すると負側となった母物質には陽イオンが引き寄せられ,電気二重層の電場によって非常に強く母物質中にイオンが押し込まれることとなる.今回の物質では,溶液に含まれる水分子から生じたH+が母物質に取り込まれ,結果としてHSrCoO2.5という,これまで知られていなかった新しい組成の物質が生じることとなった.この変化にかかる時間はおよそ30分前後である.
なお,この変化はX線による格子定数の変化や,軟X線を用いた分光(*)によるCoやOの価数・結合状態の見積もり,電顕による格子像の確認,SIMS(二次イオン質量分析法)によるHの検出,理論計算による構造予測などにより分析されており,各手法での結果は推定されている構造変化と矛盾しない(また,他のいくつかのモデルは実験結果より排除されている).

(*)例えば結合に関与しない内殻電子を叩き出す(または叩き上げる)際の吸収は元素ごとにほぼ固有の値となるのだが,原子の価数により微妙に原子核と電子との引力が変化するため,ごくわずかに変動する.このズレを見ることで,原子の価数が推定できる.また,ある程度最外殻(=結合に絡んでいる部分)に近い電子を見てやることで,結合に関係した情報も引き出すことができる.

このHSrCoO2.5はバンドギャップが母物質よりもやや大きめの2.84 eVとなるが,これは光で言うと430 nm前後の紫あたりの光に対応する.このため光の吸収率は可視光領域全体で40~50%程度にとどまり,色も薄いグレー程度である.つまり,イオン液体を利用したドーピングにより,母物質の色を非常に濃い暗赤色から薄いグレーへと変換することができているわけだ.
これと同時に,磁性も大きく変化している.母物質はおよそ537 Kで転移する反強磁性体なのだが,それがHSrCoO2.5では常温では常磁性,125 Kあたりで弱強磁性に転移する磁性体へと大きく変化を見せている.

今度はゲート電位を逆に振ってみよう.HSrCoO2.5となった材料に対し,ゲート電位を-2.3 V(材料側は逆に正電位となる)として電圧を印加したところ,材料からH+が抜け,1時間前後で元のSrCoO2.5に戻すことができた.さらにゲート電位を大きく負側に振って(=材料の電位を大きく正側に振って)-2.7 Vにすると,今度は水が分解して生じたO2-が材料に押し込まれ,SrCoO3-δへと変換された.
この物質は金属である事が知られており,実際に今回の実験で得られた薄膜も金属伝導を示すことが確認されている.これに伴い光吸収は一気に増大し,可視光(から赤外)全域で80%程度の光を吸収する黒色のフィルムへと変貌する.さらに磁性も変化し,室温では常磁性,250 K弱で強磁性へと転移するようになる.

これら3つの相の間での変化は可逆的であり,何度も行き来でき,光学的・磁気的・磁気光学的・電気的特性を3つの相の間で可逆的に変化させられる非常に興味深い物質となっている.
まあもちろんこの物質がそのまま何かに使えるわけではないが,例えばこういった複数相への転移が自由に行える物質の開発が今後進んで,複数の状態で遷移して光吸収や色,はたまた太陽電池としての性質など様々な特性を電圧一発で変換できるスマートウィンドウなどへと展開できるとなかなかに面白いものが開発できそうだ.

13264297 journal
日記

phasonの日記: グラフェン膜を通したエピタキシャル成長 1

日記 by phason

"Remote epitaxy through graphene enables two-dimensional material-based layer transfer"
Y. Kim et al., Nature, 544, 340-343 (2017).

エピタキシャル成長と呼ばれる現象(製法)は,半導体素子を初めとした分野でよく用いられる手法である.エピタキシャル成長においては,巨大な単結晶からある特定の結晶面で切り出したウェハーを基盤とし,ガスなどで原料を供給しながらその基盤上で結晶薄膜を成長させる.上に載せられる物質の結晶格子のサイズが基盤の結晶格子のサイズと整合していると,基盤の結晶を足がかりにその上にきれいに結晶が成長するため,非常に質の良い,配向が揃って結晶粒界などもほとんど無いような単結晶薄膜を成長させることができる.
例えばSiの単結晶上でSiの薄膜を成長させる,という事を考えてみよう.基盤となるSiは,非常に巨大なインゴットから切り出された単結晶であるためウェハー全域にわたってひと繋がりの結晶ではあるが,るつぼで溶融して作成する際に微小な欠陥ができやすい.その上にSiをエピタキシャル成長させると,「時々欠陥はあるが全体としては単結晶」なSi基盤上に,「非常に均一で欠陥も少ない単結晶薄膜」のSiを成長させられるので,特性が向上するのだ.
他にも,エピタキシャル成長中にわざとドーパントを混ぜていくことで,「非常に均一で結晶性が高く,しかも深いところまで均一にドープされた薄膜」なども作る事が出来る.

そんな優れた薄膜成長法であるエピタキシャル成長であるが,基盤上に成長させた単結晶薄膜を剥がすことはできない.というのも薄膜の最下層は当然ながら基盤と結合しており,それを引き剥がすことは薄膜(や基盤)の破損や欠陥の発生を伴うためだ.もしエピタキシャル成長させた単結晶薄膜をきれいに剥がすことができれば,ベースとなる基盤は一度だけ作っておき,後は必要に応じてその上で薄膜を成長→剥離,を繰り返すだけできれいな半導体素子がいくらでも量産できることになる.そのような手法は出来ないものだろうか?

そのヒントとなる研究が,数年前に報告されている.それは単層のグラファイトであるグラフェンの親水性を調べている時に判明したことなのだが,親水性基盤の上にグラフェンを貼ってもその表面は親水性を維持し,一方で疎水性の基盤の上にグラフェンを貼るとその表面は疎水性になる,というものだ.つまり親水性や疎水性といった基盤の性質が,グラフェン(これは本質的には疎水的であると考えられる)を透過しているように見える,という発見だ.
なぜこんなことが起こるのだろうか?実はこれ,グラフェンがあまりにも薄すぎるために,グラフェンの下にある基盤とその上との間を十分に遮蔽できず,グラフェン膜上下での静電的な相互作用が(弱まりはすれども)通り抜けてしまう,という事に由来する.
今回の著者らはこの発見に刺激され,「グラフェン膜を挟んでもエピタキシャル成長ができる」事を発見,グラフェン膜とその上に成長したエピタキシャル膜との間に結合がない事から,作った薄膜を自由に剥がして転写できることを報告している.

原理を簡単におさらいしておこう.
まず著者らは,GaAsの基盤上に単層グラフェンを貼り,その上でGaAsのエピタキシャル膜を成長させている.一枚のグラフェンが間に入っても,下層の基盤のGaAsの作るポテンシャルはグラフェンを透過し上にまで影響を与え,グラフェンの上で成長するGaAsに対しその配向を制限する効果を発揮する.
実際に著者らがこのような手段で作成したサンプルを分析すると,視野いっぱいのミリメートルのオーダーにわたってきれいなエピタキシャル膜が成長しており,全体が一つの単結晶となっていることが確認された.一方,間に挟むグラフェンを2層や4層といったもっと厚いものにしてしまうと,基盤との相互作用がより強く遮蔽される結果,上に成長するGaAs膜は無配向の無数の結晶が融合した多結晶薄膜となった.
しかも予想通りに,グラフェンの上にエピタキシャル成長した単結晶薄膜と,その下のグラフェンとは結合を作っていないので,成長させたエピタキシャル膜を簡単に剥がしてやることにも成功している.
またこの効果がGaAsに特有ではない事を示すために,著者らはInP/グラフェン/InPやGaP/グラフェン/GaPなどの別の半導体でも同様のことを試しているが,それらでも同様に非常にきれいな単結晶薄膜が成長している.
さらに,わかりやすいデモンストレーションの意味も込め,グラフェンを貼ったGaAs基盤上にGaAsをエピタキシャル成長させ,さらにその上にAlGaInP→InGaP→AlGaInPと成長させたLEDを作成,その発光特性を調べている.本手法で作成したサンプルは,通常のエピタキシャル成長によるデバイスとほとんど変わらない発光(強度や半値幅,発光波長等)を示し,通常のエピタキシャル膜と遜色のない膜が得られることを示している.

本手法は,これまでいわば「使い捨ての型」であった基盤を,「量産の効く金型」に変えるようなものであり,結構面白いんじゃないかなあと感じる.まあ,半導体素子分野は専門外なんで,これがどの程度インパクトのある事なのかはよくわからないが.

13253807 journal
日記

phasonの日記: 3Dプリンタを用いた微細構造も可能なガラス製品の作成

日記 by phason

"Three-dimensional printing of transparent fused silica glass"
F. Kotz et al., Nature, 544, 337-339 (2017).

ガラスは非常に優れた素材である.800 ℃以上の温度に耐える耐熱性,高い硬度と力学的強度(ただし割れやすいが),そして可視光領域での高い透明性.こういった優れた特性ゆえ,さまざまな光学材料や化学用品がガラスで作られているのはご存じの通りである.その一方で,高い強度と割れやすさ,そして高い融点ゆえに,ガラスの微細加工は手間がかかることも事実である.微細な研磨や化学的なエッチングなどを用いなければならず,微細加工されたガラス製品を作成するのはなかなかに骨が折れる.
さて,そんな微細加工されたものを比較的安価に製造できるのではないかと近年期待されているのが,3Dプリンタだ.そのためガラス製品を3Dプリンタで作成しようという試みも色々と行われているのだが,例えば多くの3Dプリンタで用いられているフィラメント式でガラス製品を作ろうとした場合,ガラスフィラメントをレーザーなり何なりで1000 ℃以上に加熱しながら積層しなくてはならず,現在までのところそこそこサイズが大きくてしかも表面がかなり荒いものしか作成に成功していない.また,ガラス微粉末のようなものを積層しつつ,レーザーなどで局所的に加熱溶融するという手法もあるのだが,こちらは無数の欠陥やクラックが入るため白濁した不透明なものしか得られていない.こういった欠陥をその場で化学的に削りながらいい感じに成長させる手法では,フッ酸などのやや危険な試薬類を使わなくてはならないためあまりお手軽ではない.
今回報告されたのは,ガラスそのものではなく,シリカのナノ粒子をポリマーの原料と共に溶液に分散させ,それを通常の光造形法により積層化,最後に熱処理することで微細なガラス製品を簡便に作成する事に成功した,というものになる.

今回用いられている造形法は,一般的なステレオリソグラフィー法となる.ステレオリソグラフィー法ではまず,溶液中にポリマー原料となるモノマーを溶かしておき,下面が透明な容器にこの溶液をれる.そこに3Dプリンタのヘッド(というか逆向きのステージというか)を浸し,底面との間にわずかな隙間ができるようにする.ここに下面の下からレーザーを照射すると,光化学反応により生じたラジカルが引き金となり,レーザーを照射した部分のモノマーが重合しその部分だけが固化する.レーザーで一層分の形状を固化させたら,ヘッドをほんの少し上に引き上げ,次のレイヤーをまたレーザーで描画する.これを繰り返しながらヘッドを上に引き上げていくと,縦に長い任意の形状の3次元オブジェクトを作成できる,というものだ.早送りで動画を見ると,液体から立体物が引き抜かれていくようななんとも不思議な光景である.
もちろんステレオリソグラフィーで直接ガラスを作成する事は出来ないのだが,著者らは原料としてアモルファスシリカの微粉末(直径約40 nm)を含む溶液を用いている.溶液はフェノキシエタノール30%,メタクリル酸ヒドロキシエチル(要するにポリマーの原料となるモノマー)60%,テトラエチレングリコールジアクリレート10%(光硬化性.光で重合をはじめる)の混合物で,ここに体積分率で37.5%とかなりの量のシリカナノ粒子が混合されている.ここでポイントとなるのが,溶液の方をかなり濃厚にしてある点だ.これにより溶液の密度が高くなり,シリカナノ粒子との間での屈折率の差が少なくなる.これにより,レーザーで固化させる際の溶液による光の散乱が大幅に減少し,精密な形状を作る事が可能となる.
この溶液を用いてステレオリソグラフィーを行うと,溶液中のモノマーが重合して固体のポリマーとなりながら,周囲に無数に漂っているシリカナノ粒子を取り込んでいく.結果として,光造形されたものは多量のシリカナノ粒子を含むポリマーとなる.
これを600 ℃まで加熱して焼き出すとポリマー部分が燃焼して消えてなくなり,「3Dプリンタで作ったとおりの形状に固められたシリカ微粉末」となる.一度温度を室温まで下げた後,今度はこれを1300 ℃あたりまで上げて数分間加熱,シリカの微粉末の表面が溶融・融合してアモルファスのガラスへと変換される.
結果として,3Dプリンタで作成した形状そのまま(といっても,ポリマーが飛ぶことでややシュリンクするが)のガラス製の立体物が生成することとなる.

実際に作成されたものが例えばFigure 1Figre 3にあるが,プリントされた微細な形状を保ったまま(例えばFigure 3の「門」などは,横幅わずか1.7 mm程度である),透明なガラスへと変換されていることがわかる.また,積層の際の層状の段差はできてしまうものの,単一積層面内での荒さは非常に低く,Figure 4で見られるようにそのラフネスは数 nm程度しかない.また透明性も非常に高く,通常の溶融ガラスと同程度の透過率90 %となっている.
色ガラスを作る事も可能である.3Dプリントを行う溶液中に各種の金属イオンを溶かし込んでおくと,それらを取り込んだ色つきのガラスを作成する事が出来る.
なお,ガラス部分は最後の熱処理により十分溶融・結合しているので,内部にクラックなどはなく,多孔質でもない通常のガラスとなっている.

本手法を用いると,Figre 3bにあるようなマイクロ流路チップなどの作成も容易になり,必要に応じてその場で作成,それを使って微量反応・分析などを行うことが可能になる.結構面白い気がする.

13197890 journal
日記

phasonの日記: ウィルス同士もある種のコミュニケーションを行っている

日記 by phason

"Communication between viruses guides lysis-lysogeny decisions"
Z. Erez et al., Nature, 541, 488-493 (2017).

見落としていたものをNature Digest経由で.

生物は,さまざまな方法を用いて他の仲間達と通信を行っている.これは何も動物に限った事ではなく,植物だってそうだし,場合によっては細菌同士ですら各種のコミュニケーションをとる.例えばあまりに細菌の密度が高くなっていることを互いの出す分子の密度により細菌が認識すると,分裂を控えたりするわけだ(そうしないと,局所的に餌を食い尽くして全滅したりする可能性がある).
今回の論文で報告されたのは,こういったコミュニケーションを半生物・半物質であるようなウィルスも行っていた,という発見である.

論文中で著者らは「枯草菌がウィルス(テンペレートファージ)に感染した際に,互いに通信し合って免疫を活性化しているのではないか?」という事を証明しようとして実験を行い,全く違う事実を発見た,と明かしている.
そもそもの発端は,枯草菌がテンペレートファージに感染した際に起こる現象にある.感染により枯草菌は数を激減させるわけだが,ある程度時間が経つと再び数が増加していく,という挙動が見られる.これはテンペレートファージが免疫によって駆除されたわけではなく,枯草菌の内部でテンペレートファージが溶原化することによって起こっている.
ここで溶原化についてちょっと説明しておこう.テンペレートファージは宿主に感染すると,持っている遺伝子を宿主のDNAに挿入して組み込む(*).通常時はこの組み込まれた部分が続々と読み出されタンパク質等へと翻訳,ファージのコピーが無数に作られ,最終的に宿主は破裂して死亡する.ところが時としてこの翻訳が行われず,宿主のDNAに組み込まれた状態のまま(宿主の)子孫へと受け継がれていく事がある.このように,ウィルスがその姿を単なる遺伝情報へと変換してしまい,まるで休眠しているかのような状態になる事を「溶原化」と呼ぶ.なお,溶原化しているウィルスも,何かの切っ掛けにより再び読み出され翻訳されはじめるため,無害化したわけではない.

(*)プラスミドという独立した形で紛れ込ませる事もあるが,今回はそれは置いておく.

枯草菌にテンペレートファージが感染すると,最初はどんどん破裂して死滅しながら新たなファージを多量にばらまいていく.ところがある程度経つと,溶原化して休眠状態に入るファージの率が上がり,その結果として生き延びる枯草菌が増えるわけだ.今回の著者らはそれを「枯草菌が感染を感知し,それを他の枯草菌に何らかの分子を使って知らせることで免疫系を活性化(**),それによりファージを溶原化して封じ込め,生き延びているのでは?」と仮説を立てたというわけだ.

(**)免疫系を活性化したぐらいでなんとかなるのなら常日頃からそうしておけと思うかも知れないが,無駄な機能を活性化するとそれだけエネルギーを無駄遣いすることに繋がるため,通常時においては生存に不利である.このため多くの生物では,緊急時に対処するためのシステムは緊急時にしか駆動されないようになっている.

そこでまず実験である.
枯草菌にファージの一種であるphi3Tを感染させ,しばらく培養する.適度に枯草菌が死んで数を減らした頃の溶液を取りだし,分子量が3000以上程度の大きな分子を濾過で除き,「危険を知らせる分子が入ってそうな溶液(以下,「抽出液」と呼ぶ)」を作り出す.菌同士の通信は通常分子量の小さい短いペプチド(数個のアミノ酸が繋がったようなもの)が用いられるため,そういったシグナル分子がいるなら抽出液中に残っている可能性が高い.
続いてこの抽出液に,新たな枯草菌とファージ(phi3T)をぶち込み,再度培養する.
するとどうだろう.単なる培養液であるとか,ファージに感染していなかった枯草菌がいた溶液を濾過したもので同じ事をやった場合に比べ,抽出液中で育てた枯草菌はファージにやられて死ぬ事が顕著に減少していたのだ.生き延びた枯草菌を取り出してそのDNAを調べると,phi3Tに感染してその遺伝子が組み込まれていることがわかった.つまり,感染しなかったのではなく,感染しても溶原化の状態で止まっているphi3Tが多かった事を意味している.
この結果に著者らは,「ほら見たことか.やはり枯草菌は互いに情報をやり取りしており,ファージに感染した枯草菌からは他の枯草菌に対し防御を固めさせるためのシグナルが出ていることが確認できた」と思ったことだろう.
……少なくともこの時点までは.

そう,実は驚くべき事に,話はそう簡単ではなかったのだ.
著者らは続いて,抽出液中での他のファージを感染させた際の生存性を調べた.もし枯草菌がある種のファージ(phi3T)に対する防御を固めたのなら,他のファージに対する生存性も上がるはずである.そこで抽出液中に新たな枯草菌を入れ,そこにphi29,phi105,rho14といった違う種類のファージを加え,同じ実験を行った.
すると予想だにしないことに,枯草菌の生存率は単なる培養液と同様,低くなったのだ.つまり,別種のファージには普通に食われて死んでいった事になる.
これは奇妙な話である.もし枯草菌が「敵が居る!免疫を高めなくては!」と他の枯草菌に知らせたのであれば,種類を問わず抗ウィルス性が上がるといった変化が起こる方が自然である.一体何が起こっているのだろうか?
ここで著者らは,見事な発想の転換を見せる.

『phi3Tの溶原化を促進しているのは,実はphi3T自身なのではないか?』

この文章の冒頭付近で述べたように,がむしゃらに感染を広げてしまうと,あっという間に宿主が死滅するためウィルスとしてはそれほど増殖することは出来ない.生存戦略として考えると,宿主がほどほどの数存在するときは自身もどんどん増殖し宿主を食い尽くしつつ,宿主が減りすぎて絶滅しないように,ある程度宿主の数が減ったら今度は溶原化して宿主集団の回復を待つのが正解となる.もしかすると,ファージであるphi3Tも何らかの手段でこのような調整を行っているのではないだろうか?

そこで著者らは,phi3Tのゲノム(遺伝情報の全体)を解析することとした.
phi3Tのゲノムは128kの塩基対からなっており,そのなかに201の遺伝子(タンパク質へと翻訳される部分)をもっている.このうち128の遺伝子は各種のファージ類で共有されているものである.同じものがphi3T以外のファージに影響を与えなかったことを考えると,この部分はとりあえず無関係と考えても良いだろう.
残りをよく見てみると,N末端にシグナルペプチドをもつようなタンパク質をコードしている遺伝子が3つ存在した.シグナルペプチドというのは要するにタンパク質末端にくっつけるタグのようなもので,細胞中ではこれにより各タンパク質を特定の場所(核であるとか,細胞膜であるとか,等)に輸送させる働きをもつ.ウィルス本体の組立だけなら場所を指定する必要はないので,これら3つの遺伝子から出来るタンパク質はなにやら怪しい雰囲気がある.
さらにこの3つの遺伝子をよくよく見てやると,一つは膜貫通タンパク(=宿主の細胞膜に固定されてしまう)で細胞間の通信には直接は関係がなさそう,もう一つはあまりにも大きいのでシグナルには関与してそうにはない.容疑者は最後の一つに絞られた.しかもこの遺伝子,枯草菌などが含まれるBacillus属において個体数を調節するための互いの通信に関与しているタンパク質に関する配列とよく似ている.そのタンパク質は,ひとたび細胞外に出ると末端が加水分解を受け,5-6アミノ酸程度の非常に短いペプチドを生成し,これが細胞間での通信として拡散していくことが知られている.もしかすると,phi3Tにコードされていた類似のタンパク質も,細胞外で末端が切られて通信を行っているのではないだろうか?

このコードされていたタンパク質が同様の加水分解を受けるとすると,生じる短いアミノ酸配列はSer-Ala-Ile-Arg-Gly-Ala (SAIRGA,Arg=アルギニンの略号はRである)となる.
このSAIRGAという配列がphi3Tの溶原化を促進しているのだろうか?著者らは同じ配列のペプチドを合成し,それを培養液に入れて実験を行ってみることにした.通常の培養液中に枯草菌とphi3Tを入れ,そこに合成したSAIRGAを濃度を変えながらぶち込んでみた.するとどうだろう.SAIRGAの濃度を上げていくだけで,感染しても死なない(=phi3Tが溶原化して休眠状態となっている)枯草菌が増えていったのだ.しかも,この短いペプチドの頭のSerや末端のAlaを除いたAIRGAやSAIRGという配列では,こういった効果は全く見られなかった.
これにより,phi3Tは何らかの方法で他の感染した細胞から放出されるSAIRGAの濃度を検出し,その濃度が高い=周囲に感染している宿主が多い場合は溶原化して休眠状態に入る確率を上げる,という制御を行っていることが明らかになった.著者らはこのシグナルのもととなるタンパクをコードしている遺伝子を,aimPと名付けた.
ウィルス同士が何らかのコミュニケーションをとっているというのはほとんど誰も考えたことのない現象で,これは大変驚くべき結果である.

aimPからのシグナル(細かく書くと,遺伝子aimPがデコードされて出来たタンパク質AimPが加水分解して出てくるシグナル分子)(SAIRG)に応答するには,その信号を受け取る側のタンパク質も必要になる.それはどのようなものなのだろうか?
こういう「ペアで働く遺伝子」はゲノム上の隣接する位置にコードされていることが多いため,著者らはaimPの隣を調べてみた.するとaimPのすぐ上流に378アミノ酸からなるタンパク質をコードしている部分が存在した.このタンパク質はTetratricopeptide repeat(TPR:34アミノ酸の繰り返し構造)をもつ分子だが,こういったTPRを持つタンパク質はグラム陽性菌においてシグナルの授受による個体数の調整などに関わっていることが知られており,aimPから生じたシグナルSAIRGAの受容に関わっている可能性が高い.そこで著者らはこの部分をaimP(から出たシグナル)の受容体(Receptor)をコードしている遺伝子,ということでaimRと名付けた.

このような,ウィルス(に感染した細胞)からのシグナルによる個体数の調整は,phi3Tに固有のものなのだろうか?それとも他のウィルスでも同じようなことが行われているのだろうか?著者らは既知のゲノム情報のデータベースを使い,aimRと類似の遺伝子をもつウィルスが存在していないか調査を行っところ112の類似の遺伝子を発見したが,これらをもっているウィルスは全て桿菌属ファージに属していた.また,それぞれの遺伝子の上流にはphi3T同様aimRに相当する遺伝子が存在していることも明らかとなった.つまり,桿菌属ファージの多くは,今回の実験で用いたphi3Tと同様にシグナル分子のやり取りを通じて個体数調節を行っている可能性が高い.
しかもそれらaimPから生成されると思われる6アミノ酸からなるシグナル分子を比較すると,末端のアミノ酸はほとんどがA(たまにG),末端から2番目のアミノ酸は必ずG,末端から三番目のアミノ酸はRが多いが他の正電荷をもつアミノ酸も取り得る,というように後半の3アミノ酸はほぼ共通だったものの,前半の3アミノ酸に関しては非常にバリエーションが多い事もわかった.これはつまり,異なる種ではある程度異なるシグナル分子を使うことで,「自分の仲間が増えすぎている」(=ちょっと自重した方が良い)のか,「違う奴らが増えすぎている」(=気にせず自分らも増えた方が良い)のかを区別する役に立つのだと考えられる.ウィルスがやっているにしては思ったよりも複雑なコミュニケーション手段である.

著者らは最後に,このAimPなどによる個体数調節のメカニズムについても調べている.とりあえず判明した範囲では,aimRから出来るタンパク質であるAimRは通常時ではファージが挿入したゲノム中のaimXという第三の遺伝子近傍に結合し,この遺伝子の発現を促進,タンパク質AimXが多量に作られるようにしている.このAimXはファージのゲノムの恐らく最初のあたりに結合し,ファージを作るための部品全ての発現を促進していると思われる.つまりこうだ.

aimRが発現 → 出来たAimRがaimXの発現を促進 → 出来たAimXがウィルス全体の製造を促進 → 同時にaimPも発現するので,出来たAimPが加水分解されシグナル分子SAIRGも増大

シグナル分子の濃度が高くなると,このシグナル分子はAimRと結合し,AimRがDNAから外れていく.すると「AimRによるaimXの発現促進」が起こらなくなるので,結果としてファージの製造も減速する,というわけだ.
この結果,ファージが増えすぎて宿主全滅,寄生しないと増えられないファージも全滅,となるのを抑制していると考えられる.

こういったコミュニケーションの仕組みは,もしかしたら他のウィルスでも広く用いられているのではないか?という指摘もある.もしそうだとすると,新しい原理の抗ウィルス薬(ウィルスの発現を抑える薬)などに繋がる可能性もあるだろう.ただ,今回の例で言うとシグナル分子の濃度を増やしてもファージの「複製が起こる頻度を下げる」程度までしか行かず,ある程度は増えていくらしい.完全な休眠に固定するわけには行かなそうだ.
何はともあれ,ウィルスという生物だか物質だかわからんようなものでさえコミュニケーションをとることが出来る,というのは非常に驚くべき発見である.

13192533 journal
日記

phasonの日記: 準安定相のナノラミネート構造による,高い耐亀裂性をもつ鉄鋼の実現

日記 by phason

"Bone-like crack resistance in hierarchical metastable nanolaminate steels"
M. Koyama et al., Science, 355, 1055-1057 (2017).

九大とMITとマックス・プランク研究所による協同研究.九大はその場所柄鉄鋼関連の研究を結構行っており,今回の研究はその一つの成果である.

今更言うまでもなく,鉄鋼は現代社会において実にさまざまな部分で構造材として利用されている.鉄はさまざまな微量元素の添加によりその特性が大きく変化し,また焼き入れ・焼きなましによっても硬さ,柔軟性などを大きく変えることが出来る.
そんな鉄鋼を利用する際に問題になってくるのが,ある程度の強さの負荷が繰り返し印加されると突然破断するいわゆる「金属疲労」である.これは弱い負荷によって微細な亀裂が生じ,繰り返しかけられる負荷が亀裂末端に集中,亀裂が徐々に成長することで大局的な破断に繋がる現象で,これまでにも航空機や鉄道における事故を引き起こしたり建造物の破壊を引き起こすなど,安全面での大きなリスクとなっている.工学的には,多少の亀裂が成長しても大丈夫なように十分な安全係数をとって設計するだとか,頻繁な検査により早期に発見し修理・交換を行うことで対処されているが,コストの増大や見落としによる事故の発生を防ぎきれない.
従って,金属疲労を起こしにくい鉄鋼材料の開発は重要な研究課題であり,これまでにもさまざまな新材料・新製法・新加工法が提案されている.
今回著者らが報告しているのは,準安定相間の相転移を利用した亀裂の発生抑止と,階層的な構造による亀裂成長の抑止を組み合わせた新たな構造を持った鉄鋼が,これまでの鉄鋼を大きく超えるような耐亀裂性をもつ,という発見である.

金属疲労を防ぐにはどうすれば良いだろうか?
荷重により微小な亀裂が発生し,それが拡大して破断に至るのが金属疲労なのであるから,単純に考えれば防ぐ手段としては「そもそもの亀裂の発生を抑える」というものと「亀裂の成長を阻害する」という2つが考えられる.実際,これまでにこのような対処法は開発されている.
例えば前者の「亀裂の発生を抑える」という方向では,オーステナイト相とマルテンサイト相が微細なレベルで混合した鉄鋼が知られている.鉄は含まれる炭素量や温度によっていくつもの異なる構造(相)を示すのだが,高温では炭素を比較的含みやすいオーステナイト相(鉄の面心立方格子の隙間に炭素が入った状態)が安定化され,低温では炭素をあまり含まないフェライト相(鉄の体心立方格子の隙間に微量の炭素が入っている状態)が安定化する.ところが,高温でオーステナイト化した高炭素鋼を急冷すると,余剰の炭素を排除しきるほどの時間が無いためフェライト相に転移できず,多量の炭素を含んで歪んだ準安定なマルテンサイト相(鉄の体心正方格子の隙間に炭素が挟まった状態)が出現する.さらに,焼き入れ・焼きなましなどの時間を調節すると,このマルテンサイト相とオーステナイト相がミクロレベルで混在した鉄鋼を作る事が可能である.さて,このマルテンサイト相とオーステナイト相であるが,双方の間での転移が比較的容易であり,しかもマルテンサイト相の方がやや密度の低い(=隙間の多い)構造であるため,圧縮する力が加わるとマルテンサイト → オーステナイトへの構造転移が起こり体積が減り,逆に引張り力が加わるとオーステナイト → マルテンサイトへの構造転移が誘起され体積が増える.つまり,ミクロレベルでマルテンサイト相とオーステナイト相が混合している鉄鋼は,負荷がかかってもその荷重変化による変形を内部の微小部分の相転移による体積変化として吸収できる,いわば「柔らかい鋼鉄」として振る舞うことが可能になるわけだ.このため,この二相の共存物は「弱めの荷重が繰り返し印加される」場合に金属疲労を起こしにくいことが知られている.ただし,相転移で吸収できる以上の大きな荷重がかかる場合にはどうしても小さなクラックが発生し,しかもこのクラックの成長を阻害する機構が全く無いため通常の鉄鋼と同様の劣化を示す.
一方,「亀裂の成長を阻害する」という方向として,比較的硬い相と柔らかい相がナノレベルで積層した層状構造(ナノラミネート構造)をもつ鉄鋼が優れている.例えば炭素の多いオーステナイト相を徐冷して得られるパーライト組織(常圧で安定で炭素の少ないフェライト相ができる際に多量の炭素が排除され,それがFe3Cというセメンタイト相となる.これらの板状組織が積層したもの)などがこれにあたるこの場合,亀裂は硬い組織を避けて伸びようとするため非常に曲がりくねった経路でしか成長できず,そのため金属材料が破断しにくくなる(亀裂に対しては,実効的に材料の厚みが増えたようなもの).

これら2種類の構造はそれぞれ優れた構造ではあるのだが
・準安定相の二相ミクロ共存型は,微細な亀裂は生じにくいものの出来た亀裂は普通に成長するため,大荷重が加わる場合に弱い
・ナノラミネート構造は,生じた亀裂が成長しにくいものの微細な亀裂は通常通り生じるため,弱い負荷が非常に多い回数加わる場合に弱い
と,対照的な弱点を持っている.
これら2種類の鉄鋼の長所を併せ持つ鉄鋼を作る事は可能だろうか?原理的には,準安定な二相がナノラミネート構造となった場合にはそういった物質となる事が期待される.弱い荷重による変形は内部の二相間での微妙な相転移による伸び縮みで吸収し,大きな荷重により発生した亀裂はナノラミネート構造がその伸張を阻害,亀裂を小さいままに閉じ込める.
今回論文で報告されたのは,鉄鋼の組成と熱処理の仕方をいい感じにすると,そういった優れた特性が実現できるよ,というものになる.

というわけで論文の方を見ていこう.
結果は非常に単純である.Supplementary MaterialsのFigure S7にも論文と同様のグラフが載っているので,そちらを参照していただくと良いだろう.このグラフ,要するに,「ある荷重(縦軸)を繰り返し加えた際に,何回目(横軸)で破断するか」を示したものだ.Figure S7(A)の方では縦軸の加えた荷重を絶対値で示しており,(B)の方では静的に加えた際に破断する荷重を1とし,それに対する比率で縦軸をとったもので,まあだいたい同じ図となる.
グラフには,今回の論文で作成されたサンプル(熱処理時間の違いで2種,〇および●)と,比較対象としてのSUS304(◆),マルテンサイト-オーステナイトの準安定二相共存系(×),マルテンサイト-フェライトの単なる二相共存系(■),フェライト-セメンタイトのナノラミネート構造(▲),チタン合金(□)が載せられている.
まず高荷重側(小数回の負荷で破断する側)から見ていこう.例えば104回程度の繰り返しで破断する負荷を見てやると,市販のSUS304が400 MPa前後,小荷重には強いが大荷重に弱い準安定二相共存系で500 MPa弱,大荷重に強いナノラミネート構造でも600 MPa前後なのに対し,今回作成されたサンプルではTi合金とほぼ同等の800 MPa以上程度を実現できている.つまり,大荷重が繰り返しかかるような場合でもかなり強い.
では,弱い荷重が非常に多数回加わるような場合はどうだろうか?106~107回程度の非常に多数回の変形を受けるような場合,市販のSUS304では300 MPa程度で破断してしまっている.これに対し,低負荷に強い準安定二相共存系では約360 MPa,大強度には強いが多数回の負荷に比較的弱いナノラミネート構造でもほぼ同様の約360 MPa(*),これに対し今回のサンプルではおよそ400 MPa強と,こちらもチタン合金並みの強さを誇っている.

(*)ナノラミネート構造も二相共存系と同等の強度を実現できているので多数回の負荷時にも強いのでは?と感じるかも知れないが,初期強度からの低下度合いで見るとナノラミネート構造はかなり落ちている.これはFigure S7(B)を見ると顕著である.

という事で,今回の論文の内容をまとめると,
『準安定な二相共存構造かつナノラミネート構造であるような鉄鋼を作ると,これまでの鉄鋼に比べ金属疲労による破断を起こしにくい(=より高い負荷に耐えられる)鉄鋼となる』
という事になる.
論文ではさらに,実際に亀裂がどのように生じてどう成長していくのかも検証し,ナノラミネート構造によって亀裂がジグザグに伸びるしかなくあるところで成長が止まる,なども見ているが,まあここでは省略しておこう.

というわけでなかなか面白い報告である……のだが,これがそのまま実用化に向くかというとやや懸念点がある.
今回の鉄鋼ではマルテンサイト-オーステナイトの二相共存系を使っているわけだが,このうちのオーステナイト相は徐々にマルテンサイト相に転移していくため,長期利用の間に徐々に寸法が変わったりしてしまうことが知られている.もともとオーステナイト相はやや柔らかく耐摩耗性が低めで,またマルテンサイト相への転移によりあちこちに歪みを生じる可能性がある.このあたりが問題にならずしかも金属疲労耐性が必要な用途がどれだけあるのか?などを考えると,そのままの利用はやや微妙か?

13186858 journal
日記

phasonの日記: 複合素材を利用した放射冷却用シート材

日記 by phason

"Scalable-manufactured randomized glass-polymer hybrid metamaterial for daytime radiative cooling"
Y. Zhai et al., Science, 355, 1062-1066 (2017).

冷却は機械類や電気・電子機器類において欠かすことの出来ない要素である.冷却ファンなどを用いたアクティブな冷却はもちろん重要なのであるが,近年の省エネ指向であるとか,ファンを取り付けるのが困難な微小な機器類,長期間屋外で放置された状態で利用される小型の機器・センサー類などからの放熱などにおいては,輻射を利用したパッシブな冷却の重要度が非常に高くなる.
物体からの輻射熱量は,理想的にはステファン・ボルツマンの法則に示されるように温度の4乗に比例する黒体輻射なわけであるが,現実の系ではそれよりも小さな値をとっている.輻射量を増やすにはどうすれば良いだろうか?輻射が吸収の逆過程である事を鑑みれば予想できるように,ある波長での輻射を増やすと言うことは,(一般的には)その波長での吸収率を上げることに等しいと考えて良い.つまり,物体を黒く塗ればそれだけ輻射が増え,輻射による冷却が効率的に進むこととなる.ただし,直射日光が当たるような場所での放熱においては黒く塗ることは得策ではない.ご存じの通り太陽光はおよそ1 kW/m2というエネルギー密度をもっており,これはパッシブな輻射による放熱に比べかなり大きいため,黒く塗ってしまうとむしろ温度の上昇を招くからだ.

「直射日光の当たる屋外においても,輻射で効率よく放熱したい」という要求を解決すべく,これまでにもいくつもの研究が行われている.そういった研究が注目しているのが,太陽光のエネルギーの多くが可視領域(波長数百 nm)にあるのに対し,ちょっと暖かい程度の物体からの熱輻射は主に数~数十 μmの波長である点である.つまり,可視光を良く反射しつつ,長波長の赤外域で高い吸光度(=高い輻射率)をもつ物質を作れば,太陽光を反射しつつも輻射を促進する優れた放熱体となるわけだ.
このような放熱体を作る手法として近年盛んに研究されているのが,ナノ構造を利用した放熱体である.波長と同程度の構造を表面に作り込むことで,その波長の光をより吸収したり,逆に反射させたりといったことが可能になる.例えば可視光と同程度のサイズ(数百 nm)の規則構造を表面に作り,「可視光から見ると反射しやすいが,赤外光から見ると波長より小さい微子構造が見えず,普通に透過できる」というような構造を作る事が可能になり,こういった構造は直射日光下でも輻射による冷却が効率的に起こることが知られている.ただ,問題はコストである.規則的なナノ構造を作るのはコストが高いため,単なる放熱の効率化のために使うには高すぎるのだ.
今回論文の著者らが報告しているのは,非常に安価かつ大面積で作れ,それでいて輻射効率を大きく向上させることの出来るナノ複合体である.

では論文の内容を見ていこう.
著者らが作ったのは,工業的にもよく使われるポリオレフィン系樹脂の一種であるポリメチルペンテン(TPX,透明度がかなり高い)中に,直径が数 μmのシリカの球を6%ほど混ぜ込んだ厚さ約50 μmのフィルムである.単に溶かしたポリマーにミクロンサイズのガラスの球を混ぜ込んでフィルム状に引き延ばすだけなので,製造コストはかなり安い.また,大面積化も容易であり,著者らも実際に幅30 cmで長さが数 m以上あるようなフィルムを作って見せている.
このフィルムの肝は,当然ながら混ぜ込んでいるシリカの球だ.シリカは正に分極したSiと負に分極したOからなる物質であるが,この正と負の原子が格子振動により揺り動かされることで,光と強く相互作用することが出来る.特に今回混ぜ込んであるような数 μmの領域では,粒子直径の約2.5倍の波長あたりにピークを持つような強い吸収を示すことが知られている.つまり逆に言えば,この混ぜ込んであるシリカの球は,およそ波長10 μm付近の赤外域において高い輻射能を持っている,という事になる.さらにこのTPXで出来たフィルムの裏側に銀を蒸着することで,「可視光は良く反射するが,赤外光は非常に強く吸収&放出できる」というフィルムになるわけだ.
著者らは作成されたフィルムの輻射能を,300 nm~25 μmの範囲で測定している.有機分子が吸収をもってくる400 nm以下の紫外域ではやや輻射能を持つ(∴光を吸収する)ものの,可視領域から近赤外領域である400 nm~3 μm弱の領域ではほとんど輻射能を持たず(=この領域の光を吸収もしない),一方で7 μm~測定限界の25 μmの領域では輻射能は0.9以上程度と非常に高い値となっている.これはつまり,太陽光の大部分を占める可視光は透過(&蒸着された銀で反射)しつつ,熱源からの熱は赤外線として非常に効率よく輻射を行える,という事を表す.

では実際にどの程度の輻射能があるのだろうか?著者らはフィールドテストを行っている.
断熱材で出来た箱の中にヒーターを敷き,その熱を銅板を通し,今回作成したハイブリッドフィルムに伝える.ハイブリッドフィルムの裏側(ヒーター側)には銀が蒸着されている.断熱材の箱からは放熱用ハイブリッドフィルムの表面のみが露出しており,この箱を日光の当たる屋外に3日間放置する.この間,フィルム表面(大気に接している方)の温度をモニターしながら,外気との温度差が0.2 ℃以下になるようにヒーターパワーを調節し続ける.フィルム表面と大気との間に温度差がないため,この条件下では対流・伝導による熱の流出は考えなくて良い.つまり,「ヒーターから加えている熱=表面から逃げて行っている熱」になるので,輻射による放熱を測定する事が出来るわけだ.
実際の測定結果であるが,昼夜通しての三日間での輻射の平均値は1 m2あたり110 W,最も放熱力が落ちていた真昼の直射日光下でも93 W/m2を維持していた(測定誤差は10 W/m2以下程度らしい).
著者らはさらにデモンストレーションとして,輻射による水の冷却をやっている.まず深さ15 mmの上面が開いている断熱容器に水を入れ,その上に熱伝導用の銅板の乗せる.その上に今回作成した放熱量ハイブリッドフィルムを貼り,このセット自体を一回り大きな断熱容器に入れる.最後に,この外側の容器の上面開口部を,大気からの伝導や対流による熱の流入を減らすべくポリエチレンフィルムで覆って蓋にする(透明なので輻射は通す).この状態で,外気温15 ℃の深夜の屋外に箱を放置し,水温の変化をモニターする.
すると,外気温は15 ℃で変わらない状態のまま,輻射により水の熱がどんどん奪われ,約2時間後には水温は開始時の約15 ℃から約7 ℃にまで低下している.

こういった輻射冷却の手法自体はよく知られたものであり,また赤外域での輻射能を上げて冷却能を上げる,という事自体も研究例は多々存在する.そういった意味では,画期的な研究,というわけでは無いが,それを実現する手法が「ポリマーにシリカの球を混ぜ込むだけ」という非常に単純かつ低コストである点は興味深い.

13177196 journal
日記

phasonの日記: 噴水符号を用いたDNAストレージの大容量化・高信頼化 4

日記 by phason

"DNA Fountain enables a robust and efficient storage architecture"
Y. Erlich and D. Zielinski, Science, 355, 950-954 (2017).

DNAは非常にコンパクトな領域に膨大な情報を保持している.例えば我々人間は一人あたりおよそ40兆個の細胞で出来ているが,その一つ一つの細胞内にはおよそ60億塩基対(2倍体の場合)からなる染色体があり,これを単純に1 塩基対=2 bit(塩基が4種類あるため)とすればおよそ1.5 GByteに相当する.
細胞一つの中のさらに核一つでこれだけの情報を記録でき,さらに二重らせん構造によるデータ保護も持ち合わせているため,「DNAをストレージに使えるのではないか?」という研究が行われるのは自然な流れであると言え,実際に多くの研究が行われている.これらの研究の多くでは,データを細かなセグメントに分割し(*),それぞれのセグメントを塩基配列として表現,これを合成後にPCR増幅することで十分な安定性を備えたデータストレージとして扱っている.

(*)これは,あまりに長い塩基配列を合成したり迅速に読んだりすることが困難(または不可能)である事に由来する.数百程度なら非常に安く&高速に合成が出来るが,数万~数十万塩基対の合成は現時点ではさすがに困難である.

しかしながら,DNAにデータを記録する場合にはさまざまな形でのデータの欠落に備える必要がある.例えば一塩基変異であるとか,PCRによるDNAの増幅の際に一部の配列が増えずに失われてしまう,などである.前者のような1 bitの変異に関してはデータセグメントごとに誤り訂正符号なものを付け加えておくことで対処できるが,あるセグメントが丸ごと失われてしまうような後者の問題の場合,データを複数の分割方式でエンコードしておくなどデータの重複が多くなり,結果としてデータ格納効率が落ちてしまうと言う問題があった.
DNAは4種類の塩基を持つため,理想的には2 bit/塩基対のデータ密度が実現できる.まあ実際には不安定な配列(同じ塩基が続くとか,GCのペアが多すぎる/少なすぎる,など)が存在したりするため使用できる塩基配列が制限されたり,DNAの複製過程での取りこぼしや変異などの可能性を加味し,シャノン限界として1.83 bit/塩基という値が提唱されている.ところがこれまでに報告されているDNAストレージでは,多くの例で0.8~0.9 bit/塩基,高いものでも1.14 bit/塩基の情報密度にとどまっている.これはデータの欠落を防ぐためにかなりの冗長性を入れていることがその一つの理由である.

耐障害性を高めながらも無駄な冗長性を出来るだけ減らし,理論値に近いデータ密度を実現することは出来ないのだろうか?幸いなことに,現代の情報処理技術の進展は,この問題の良い解決策を提供してくれている.それが「噴水符号(Fountain Code)」である.
この符号化は元々,インターネットなどを介したマルチキャストなどのために開発されているものだ.ネット配信などでは,膨大な数の受信者に対し同一のデータを配信する.ところが単純にデータを分割して配信するだけだと,各経路ごとに一部のパケットが抜け落ちることでの再送要求がサーバに集中する可能性がある.各経路でどのパケットが落ちるかはランダムであるため,これはありとあらゆるパケットの再送要求が集中することを意味しており,非常に具合が悪い.これを解決するために開発された噴水符号では,元々のパケットをランダムに(実際にはランダムというか,疑似乱数的というか,ともかくこのパケットペアの選びかたにもいろいろ工夫があるらしい)二つ選択し,それらの論理和をとったもの(であるとか,とにかく何らかの演算を行ったもの)を配信する.サーバ側ではこの作業を延々と繰り返し,さまざまなパケットペアの相関に相当するデータ(これをdroplet:水滴と呼ぶ)が次々に作成され配信され続ける.受信側でいくつかのパケットがロスしていたとしても,別なパケットいくつかから必要なデータを復元することが出来る.あまり正確ではないが,A-B相関のパケットが失われても,A-C相関,B-C相関の二つのパケットから再計算できるような感じだ.
この噴水符号は,元々のデータよりほんの少しだけ多いデータを使用することで,かなりの確率で元データが復元できる事を特徴としている.つまり,データの無駄を非常に小さくしながらも高い復元性・耐障害性を備えた符号化である事が知られているわけだ.この符号化を利用すれば,多少のデータの欠落が起こるような状況であっても,高効率でデータを保持できる.まさに,DNAストレージにうってつけ,と言うわけだ.
そんなわけで今回著者らは,DNAの塩基配列としてデータを保持するための符号化に噴水符号を利用,それにより非常に高効率にデータを保存できたよ,という事を報告している.

では,実際の実験を見ていこう.
データのエンコードの仕方としては,まずはデータを32 byteのセグメントに分割する.今回の場合では総計2,146,816 byte = 67,088セグメント相当のデータをDNAにエンコードする.このデータに入っているのはOS(こういった際によく利用されるコンパクトなKolibriOS),テキストファイル(Amazonギフトカードの番号),パイオニア探査機の金属板の画像ファイル,Shannonの論文のPDF,ムービーファイル,あとなぜかZipbombである.実際のエンコードに当たっては,疑似乱数列を用いて次々と2つのセグメントを選択してそれらの論理和を作成,2 bitを単純に4種類の塩基に置き換える.この段階で最低限のチェックルーチンが入り,生物学的に無効度の高い配列(同一塩基の連続やGC含量の過多)は廃棄される.問題が無ければ,32 byteの論理和(=128塩基対)の頭と尻尾に読み取り等のためのアダプターとなる塩基配列(両方とも24塩基対),疑似乱数列のどの部分の計算結果なのかを表すタグ(4 byte=16塩基対),データ化け対策の誤り訂正符号(リード・ソロモン.2 byte=8塩基対)を付け,全長200塩基対の「パケット」が完成する.でもってこの「パケット」を,噴水符号に基づき次々と組み合わせるデータのセグメントを変えながら作成していくわけだ.
元データを単純に冗長性無しで変換すると67,088種類のパケットとなるわけだが,疑似乱数で組み合わせを作っているため完全に網羅するにはもうちょっと種類を増やしておきたい&DNA増幅の途中で特定の配列が欠落する事を想定しての冗長性確保のため,著者らは元データに+7%となる72,000種類のパケットが出来るまでパケットの作成を続けた.大まかに,元データの5~10%増しが推奨だそうだ.これで読み出せれば,1 塩基あたりおよそ1.57 bitのデータという事になり(この計算では,パケット頭と尻尾のアダプター配列は計算に入れていないようだ),既存の最高値である1.14 bit/塩基を超えシャノン限界の1.83 bit/塩基に大きく近づくこととなる.

では,実際にこいつがきちんとデータを保持できていたかを見ていこう.
まずはPCRで十分に増やしたDNAプールの中身を片っ端から読んで,元データが復元できるかどうかのチェックである.最近の読み取り機だと一日に数十億塩基対が読めるそうなので,まあそこそこの数を読むことが可能だ.著者らは3200万パケットを読み出して(当然膨大な量の重複がある),そこから元データを1 bitのロスもなく再現できることを確認した.と言っても3200万パケットは,パケットの種類が7.2万しかないことを考えると読み過ぎではある.そこで読み出した3200万の中から,ランダムに75万パケットを選んでそこから元データを復元し,これも問題無いことを確認した.この段階では1.3%のパケットロスが生じたようだが,データの復元には問題にならなかった.
さらに著者らは,作成したデータがPCRによる増幅とそこからの取り分けに耐えて生き延びられるかどうかを検証した.前述の通り,DNA複製過程においてはデータの変質や取りこぼしが起こる可能性が有り,冗長性無しではデータ化けや一部ロスが発生すし,増やした溶液の一部だけをとる部分でも濃度の不均一化などが起こる可能性があり,データ損失の可能性が生まれる.まず著者らはPCRを10回行って元のDNA量を210に増やす.増やしたDNA3 μgから10 ngをとり,「それをPCRにかけ2倍のDNA量に増やした後に25 μlから1 μlだけ抜き出して次に回す」という操作を9回繰り返した.これだけの増幅を全量に対して行ったとすると,データのコピー数は最大で1015倍以上に増えており,実用上無限の複製が可能と言うことに対応する.これだけの複製を行うとさすがにデータの質は劣化していたが(7.8%がパケットロス),それでも500万パケットも読み取ってやれば1 bitのエラーもなく元データを復元,そのデータからOS立ち上げたりファイル読んだりが可能であった.
最後に,どの程度のデータ密度が可能であるか?を検証している.一応過去の論文で,DNAストレージの理論的なデータ密度の限界は1グラムあたりおよそ680ペタバイトであると概算されているのだが,今回著者らは元データを希釈 → その一部をとって読み出し → 希釈……として読み出し限界を探ることで,どの程度のデータ密度が実現できたかを調べている.その結果,元のデータプールから10 ngをとってきて,その1/10をとって10倍希釈して読み出し,と言うのを続けた結果,10 pgまでは問題無く元データ2,146,816 byteが復元できた.もう一回希釈するとダメだったので,ここから2.15 Mbyte/10 pg~215ペタバイト/g,という事になるだろう.

そんなわけで,「情報分野で使われている効率の良いパケットロス対策法を導入したら,DNAストレージの性能がだいぶ上がったよ」という論文であった.
読み取り速度は昔に比べると劇的に上がっているとは言え,いつかこういったデータ保存法が何かに使われる日が本当に来るのだろうか?(あるにしても,日常的な用途と言うよりは,大規模なデータをものすごい数複製作って長期冷凍保存しておく,とかそういう用途になるのか?)

13169921 journal
日記

phasonの日記: 赤いこびとを巡る七人のこびと 3

日記 by phason

"Seven temperate terrestrial planets around the nearby ultracool dwarf star TRAPPIST-1"
M. Gillon et al., Nature, 542, 456-460 (2017).

NASAの発表が各所で取り上げられたアレである.
そもそも今回話題になっているTRAPPIST-1星系は,昨年の段階で地球型惑星が少なくとも3個周回していることが報告されており,その段階で1つの惑星に関してはハビタブルゾーンに存在することが示唆されていた.そこでその詳細をさらに調べようと観測時間を割いて調査を行った結果が今回の報告となる.
主星であるTRAPPIST-1は限界ギリギリに小さな恒星であり,その質量は太陽の約8.0%(木星のおよそ80倍)と推定されている.太陽質量の約8%が核融合を起こすのに必要な最小の質量を考えられている点からして,TRAPPIST-1は本当に限界ギリギリで恒星となっている星だと言えよう.このため表面温度もおよそ2560 Kと非常に低くなっている(その半径も木星の1.2倍前後程度しかない).このため本星は「ultracool dwarf star」とも呼ばれる.なぜこんな変わった恒星が観測対象になっていたのかというと,こういった軽くて小さい星であれば小型の惑星が観測しやすいからにほかならない.

現在,系外惑星を探査する手法としてはドップラー法とトランジット法が主に用いられている.ドップラー法というのは,惑星の公転に伴いその重力で恒星が微妙に揺動し,その運動を恒星の光のドップラーシフトから検出することで惑星の存在を明らかにする手法だが,当然ながら恒星を十分揺り動かすだけの強い摂動が必要となる.このため木星のように非常に重く,かつ恒星の近傍を周回している惑星(いわゆるホットジュピター)以外を検出することは(現在の観測精度では)難しい.
これに対し,今回用いられたのがトランジット法だ.これは,恒星の手前側を惑星が通過すると,その惑星が恒星の光を遮るため地球に届く光がわずかに減少する.これを検出することで惑星の存在を見つけるのがトランジット法となる.こちらは地球サイズの惑星も検出可能なのだが,それでも大きな恒星の前面を小さな惑星が通り過ぎた際の光の減少は非常に少なくなるため,検出に困難がつきまとう.ところが,今回のTRAPPIST-1の場合はどうだろうか?恒星の大きさがそもそも木星(=地球の10倍ちょっとの直径)と同程度しかないため,その前面を地球サイズの惑星が通過すると,非常に大きな光度の減少が観測されるはずである.つまり,観測が非常にやりやすい.まあそう言ったわけで観測が行われ,地球サイズの,しかもハビタブルゾーン内っぽい惑星だったことから,今回より詳細な観測が行われたわけだ.

では,今回の研究に移ろう.
今回の論文では,非常に多量の観測データが使用されている.論文の最後に一覧として挙げてあるが,以下の通りとなる.なお,各行の最後に示してある「b:13」などは,各惑星(b~hの7つ.aは恒星を指す)のトランジットを何回観測できたか,という事を示す.なんというか,よくもまあこれだけのマシンタイムをかき集めたものだ,と言ったところか.

TRAPPIST-South(トランジット法用系外惑星探査望遠鏡・チリ) 677.9時間 b:13,c:1,d:3,e:5,f:3,g:4
TRAPPIST-North(トランジット法用系外惑星探査望遠鏡・モロッコ) 206.7時間 b:4,c:3,e:1
スピッツァー宇宙望遠鏡 476.8時間(これが最も良いデータで,解析の中心) b:16,C:11,d:5,e:2,f:3,g:2,h:1
LT/IO:O(リバプール望遠鏡赤外光学系) 50.3時間 b:1,c:1,e:1,f:1
UKIRT/WFCAM(イギリス赤外線望遠鏡@ハワイ) 34.5時間 b:4,c:3
WHT/ACAM(ハーシェル宇宙望遠鏡) 25.8時間 b:1,c:1,d:1
SAAO/1m/SHOC(南ア サザーランド観測所) 10.7時間 トランジット未観測
VLT/HAWK-I(ヨーロッパ南天天文台@チリ) 6.5時間 b:1,c:1,e:1,f:1
HCT/HFOSC(ヒマラヤ・チャンドラ望遠鏡) 4.8時間 b:1
HST/WFC3(ハッブル宇宙望遠鏡) 3.9時間 b:1,c:1

これらの観測・解析の結果,以前には3つだと思われていた惑星が実は7つも存在することが判明した.ただし,最も外縁の惑星hに関してはトランジットが1度しか観測されていないため,データはやや不確実である.
続いて,得られたデータの解析結果に行こう.トランジット法では,惑星が恒星を遮り始めてから完全に恒星前面に来るまでの時間から,惑星の大きさを求めることが出来る.さらに,恒星面を通過する時間なども含めればその軌道部分での周回速度がわかり,さらに複数回のトランジットから周期を求めることで公転周期がわかる.公転周期と恒星前面を通過する際の速度の比較から軌道の離心率も推測でき,また他の惑星の重力の影響による周期のふらつきから惑星の質量も大まかに求めることが可能である.さらに,恒星の光量はわかっているので,ある軌道にある天体が,そこに降り注ぐ光を完全に吸収し熱輻射のみで放熱する場合の放射平衡温度を求めることが出来る.無論,実際の惑星の温度においては,大気の存在により温室効果が働き平衡温度より高くなったり(例えば地球の放射平衡温度は-18 ℃になるが,実際にはこれより30 ℃以上も高い),反射率が高いために平衡温度より低くなったりといった違いは生じるのだが,惑星の温度を考える上での目安にはなる.
得られたデータをまとめると,内側から順に以下の通り.ただし質量の見積もりに関しては,0.5地球質量程度の誤差を含むので,大まかな目安にしかならない.また,元論文では有効数字はもっと多いので,詳しいデータが知りたい場合はそちらを参照のこと.

惑星b(トランジットを37回観測)
公転周期:1.51日(地球の1日を基準とする.以下同じ)
離心率:0.081以下
軌道長半径:0.011天文単位
放射平衡温度:400 K
半径:1.08地球半径
質量:0.85地球質量

惑星c(トランジットを29回観測)
公転周期:2.42日
離心率:0.083以下
軌道長半径:0.015天文単位
放射平衡温度:342 K
半径:1.06地球半径
質量:1.38地球質量

惑星d(トランジットを9回観測)
公転周期:4.05日
離心率:0.070以下
軌道長半径:0.021天文単位
放射平衡温度:288 K
半径:0.77地球半径
質量:0.41地球質量

惑星e(トランジットを7回観測)
公転周期:6.10日
離心率:0.085以下
軌道長半径:0.028天文単位
放射平衡温度:251 K
半径:0.92地球半径
質量:0.62地球質量

惑星f(トランジットを4回観測)
公転周期:9.21日
離心率:0.063以下
軌道長半径:0.037天文単位
放射平衡温度:219 K
半径:1.05地球半径
質量:0.68地球質量

惑星g(トランジットを5回観測)
公転周期:12.35日
離心率:0.061以下
軌道長半径:0.045天文単位
放射平衡温度:199 K
半径:1.13地球半径
質量:1.34地球質量

惑星hトランジットを1回観測)
公転周期:20?日
離心率:?
軌道長半径:0.06?天文単位
放射平衡温度:170? K
半径:0.76地球半径
質量:?

得られた結果は,全ての惑星がほぼ同一面内を公転する系であることを示唆していた.また,(周期が完全にはわかっていない惑星hを除く)隣接する惑星の公転周期の比がc/b:8/5,d/c:5/3,e/d:3/2,f/e:3/2,g/f:4/3と全て単純な整数比となっており,これは惑星間に共鳴が起こっていることを示している.こういった軌道の共鳴は惑星の軌道を安定化したり不安定化したりと場合により色々あるのだが,6つもの多くの天体間できれいな共鳴関係が成り立っているのは新記録となる.類似の共鳴は木星の衛星であるイオ・エウロパ・ガニメデ間でも観測されており,今回の観測対象であるTRAPPIST-1がガスジャイアントに非常に近いサイズである事を考えると,木星系の衛星の形成過程と類似の惑星形成過程が考えられるのではないか?と指摘している.
各惑星の質量に関する見積もりは誤差が大きすぎてその組成に関してはあまり大したことは言えないが,惑星fに関してはその密度が0.60±0.17とそこそこの精度で求まっている.密度の低さから,この惑星では比較的揮発性の高い成分(水など)がそれなりに多くある事が期待され,氷の層,または大気のような状況となっていることが示唆される.なお,観測された惑星の質量の合計は主星の質量の0.02%程度で,これも木星とその衛星の質量比に近い.ここからも,類似の過程により形成されたのではないか,と示唆している.

主星からの放射量としては,惑星c,d,fがそれぞれ太陽系における金星,地球,火星とかなり近い値になるそうだ.比較的外側で受ける輻射の少ない惑星であるe,f,gにおいても,主星のスペクトルおよび地球型の大気を想定しての比較的単純なシミュレーションでは液体の海が存在することは不可能ではない,と指摘している.逆に内側の惑星であるb,c,dでは温室効果によりかなり温度が上昇してしまう.ただその場合であっても,一部の限定された地域(極域とか高地とか?)では液体の水が存在する可能性が残る,としている.惑星hに関してはかなり主星から遠いため,表層に液体の水を作る事はほぼ不可能であろう.しかしながら,潮汐加熱が十分に効く場合などでは惑星形成時の熱が逃げるのをかなり遅らせ,液体の水が存在することも不可能ではないだろう,と述べている.まあ,惑星hに関してはかなり難しいと思うが……

そんなわけで,ニュースなどで流れている「7つのハビタブルゾーンの惑星」ってのはやや盛り気味であって,惑星7つあって,そのうちいくつかには液体の水があるかもね,ぐらいな感じであろうか.

13166901 journal
日記

phasonの日記: 酵素を用いた気相反応で高い反応性を維持

日記 by phason

"Engineered Surface-Immobilized Enzyme that Retains High Levels of Catalytic Activity in Air"
S. Badieyan et al., J. Am. Chem. Soc., in press (2017).

タンパク質から出来た触媒である酵素は,良くも悪くも古典的な無機触媒などとは大きく異なる特性を持つ.例えば常温・常圧という非常にマイルドな環境であっても活性化エネルギーの非常に大きな反応を触媒したり(逆に,高温や低温では利用できないことが多い),基質特異性が高く分子中の特定の部位のみ選択的に反応を起こすことが可能であったり(逆に,あらゆる反応に使えるわけではないことを意味する),立体選択性が高く光学異性体の一方のみを生成したり,水中でも有機反応をうまく進めることが出来たり,といった特徴が挙げられる.
こういった特徴から,酵素はさまざまな工業的な反応への利用,特に古典的な触媒ではエネルギー効率が悪い反応(高温が必要となる反応)や光学分割が重要な反応(医薬品などの合成等),グリーンケミストリー(出来るだけ無駄な溶媒や試薬を使わないことで環境負荷を抑える)への利用が期待されており,日々多くの研究成果が報告されている.

さてそんな酵素であるが,気相反応への利用はなかなか難しいのが現状である.酵素は元々生体中,つまり水溶液中で使われているものであり,その表面には無数の水分子が吸着している.このタンパク質表面の水分子はタンパク質分子の立体構造を維持するうえで重要な役割を果たしていることが知られており,そのため気相中,特に乾燥雰囲気下におかれたタンパク質はその構造が崩れ変性を起こしてしまい,触媒活性を失ってしまう.
今回報告された論文は,基盤上に固定化したタンパク質であっても,周囲にそれを保護できるようなポリマーを同時に固定化してやると高い触媒活性を維持することが可能であり,酵素を気相反応にも利用できるようになる,というものである.

著者らの発想はある意味シンプルなものだ.水分子が失われて失活するのであれば,水分子に良く似たもので周囲を覆ってしまえば良い.この方針にもとづき,著者らはガラス基盤上に酵素を固定する際に,同時に無数の糖(ソルビトール)を側鎖としてもつポリマーを固定化することにした.ソルビトール(などの糖)は無数の水酸基を持つため,これがタンパク質表面にまとわりつくことで水が存在するのと同じような状況を実現しよう,というわけだ.
実験において,著者らはモデル酵素として構造もわかっている脱ハロゲン化酵素を使用した.脱ハロゲン化反応は排ガス中の有害なハロゲン化炭化水素を分解出来ることから,実用上も有用性が高いためだ.基盤への固定法としては,酵素の外部に露出しているループ部分(比較的柔軟で折れ曲がっている部分)にシステインを導入した変異株を利用した.このシステインの-SHをガラス基盤上に固定化したポリマー末端と反応させ,酵素を基盤に固定する.これと同時に,無数のソルビトールを側鎖としてもつポリマーも適度に基盤上に固定化したポリマーに結合させ,酵素と同居させるわけだ.

では結果を見ていこう.
まず,酵素が水中で自由に漂っている状態を基本とし,この状態での活性を100%と置く.これに対し,基盤上に酵素を固定したものを水中に置いた場合の活性は42%であった.大抵の酵素は固定化すると活性は落ちるので,これはまあこんなもんだろう.続いて,これまでの研究でよく用いられてきた手法である「酵素をバッファ溶液と共に乾燥させ粉末とし,それを気相で利用する」という手法であるが,これだと活性は0.24%にまで落ちる.これでは活性はほとんど無いも同然だ.では,単に基盤に固定化しただけのものを乾燥させ気相で使うとどうなるかというと,こちらの活性は1.7%である.これもまあ,使うにはちょっと,といったところか.最後が今回の実験で用いられた,「水酸基を無数にもつポリマーと同時に固定化したもの」だ.この場合,酵素活性は9.7%まで向上した.無論,水中での活性に比べると1/10にまで落ちているのだが,既存の手法に比べると数倍は活性を保っている.
耐久性についてはどうだろうか?
基盤に固定化した酵素単体だと,160時間後の活性は当初のわずか12%にまで低下していたのに対し,ソルビトール側鎖をもつポリマーを混在させた際には160時間後でも当初の31%の活性を示した.まあ,1/3以下にまで減少していると言ってしまえばその通りなのだが,そもそもの活性が高い上に多少長持ちする,というのは今後の研究の進展も含めればそこそこ有望であると言えよう.

なお,著者らは,この高活性&高耐久性が水分子の代わりに酵素を覆っている(であろう)糖由来の水酸基によるものだと言うことを確かめるべく,いくつかの補足実験を行っている.例えば酵素単体では空気中の湿度の減少に伴いタンパク質の構造が崩れていくのが分光学的に見えている一方で,ソルビトール修飾ポリマーを混在させるとそういった構造変化が見えなくなる点が確認されている.もう一つの可能性として,ソルビトール部分が水を溶かし込んでいて,その水分で酵素が保護されている可能性についても,QCM(クォーツクリスタルマイクロバランス,水晶などを発振させておき,その表面に何かが付着して重さが変わると共振周波数が変わることを利用した微量重量計)を用いて測定を行い,酵素を覆うほど多量の水分は付いていないことを確認している.このため,著者らの目論見通り,酵素周辺に漂うソルビトールの水酸基が酵素を保護し,高い活性や高耐久性を実現している可能性は高い.

まだまだ耐久性などに課題は残るが,アイディアはなかなかに興味深い.

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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家

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