パスワードを忘れた? アカウント作成
538893 journal

h.morinoの日記: もう一つくだらないことを思い出しましたよ 4

日記 by h.morino

研究生活中最も腹が立った瞬間の話をしましょう。

修士の研究が始まって目鼻ついたあたりで、人工環境システム学専攻の学生が大きな階段教室に集まって各々「俺様はこんな研究をやるぜ」って発表をしました。
その際の質疑応答で最も腹が立ちましたね。

普通、質問って近い研究分野の人しかできません。良くわかんないから。人工環境システム学は研究室間の差が特に大きくて奄美でダニを研究する人もいれば流体の話をする人もいたりと容易には突っ込めません。

ところが私の研究は、本来は言語処理関連の人じゃないと突っ込めない、音楽情報処理ならなんとか、という内容にもかかわらず質問が来るわけです。視覚障害と音楽というテーマがいかんのですな。

とある女性は質問しました。
「なんでそんな研究が必要なんですか。必要だとは思えない」
またストレートに失礼な質問ですが、腹がたったのはこの発言ではありません。
確かに必要性がわかりにくい研究ですから、点字楽譜の供給量の話をしました。点字楽譜作成者の苦労が校正に集中している話をしました。支援するアプローチが必要なのでこの手を試していると言いました。視覚障害者が楽譜を書く話はいいそびれました。
「そういう意味で必要がないと言ったのではありません。目の見えない人に楽譜を渡してそれだけなんてひどい。冷たい感じがする。目の見えない人は耳が良いのだから耳で覚えさせれば良い。おぼえるまで目の見える人がつきっきりで教えてあげれば良いじゃないですか。」
この瞬間です。私はその質問をした女性に対して激怒していたと思います。一瞬声を失いました。返答はしょぼしょぼと視覚障害者自身から楽譜の需要があるのでとか言っていたはずです。でも実際は怒りのあまり上の空でした。

あまりにも無知で傲慢な発言に思えます。
表面だけの優しさに隠れて、この人は全ての視覚障害者とボランティアと点訳者と実演家を見下し馬鹿にしました。その行為に対して「貴様は今、最大級に失礼なことを言ったぞ!」と伝えられなかった自分が、ふがいないです。

なぜこの発言で私が怒ったのかわからない人は、困ります。
一字一句なぜなのか良く考えてみてください。

万一わからない人が出たら、解説しないといけませんね。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by Anonymous Coward on 2006年02月19日 22時19分 (#886341)
    「目の見えない人は耳が良いのだから耳で覚えさせれば良い。」
    という物言いに、お前はどこのアントワネットですか?と思った。
    そうでしょう?(違う)

    映画「レイ」なんかでも点字楽譜出てきますね、いわゆる天才系でも活用すると。
    見る人が見れば、楽譜は小説を読むのと同じ楽しさがあるというし。
    単に演奏情報を視覚化したものではないし、たとえそこまでロマンティック
    な概念を共有できないとしても、読ませなくていい理由にはなりませんね。

    視覚障害者は耳がいい事が多い、耳で覚えてしまう視覚障害者もいる、
    ヘタにそういう知識があると、それで幸せなんだと思ってしまうのかな。
    しかし、こういう愚問に顔色一つ変えずに答える用意をする必要がある、
    という事が解ったというのは収穫と言えるかも知れません。

    「おまえはパンが無ければケーキを食べればいいと言うのか?」と。
    (だから違うって)
    • 違う違う。いや違わないか。
      「何様?」
      という点では。アントワネットだったらある意味納得なんですが。

      障害者は、生きている実在の人間で、かわいそうなお人形じゃないんですよ、というのが一番近いかなあ。問題の発言で最も悪いニュアンスなのは「つきっきりで教えてあげれば」の部分です。
      こりゃその場で聞いてたイントネーションからすると「ああ哀れな子あーんかわいそうでしゅねーおうたを教えてあげましゅよー」という感じ。そうじゃねえだろと。
      障害者もボランティアも、聖人君子じゃない普通の人間なんですね。
      わがままなおっさんだってモーヲタ毒男だって尻軽女だっているわけですよ。生きている生身の人なんです。哀れな赤ちゃんじゃないんです。対等なんです。普通の人なんです。
      あと本人の自主性尊重とか、自分のペースでやりたいので迷惑をかけたくないという気持ちから萎縮、音楽に触れなくなるとか、そのへんも。

      後は細かいことで。
      楽譜は楽しみの部分もありますが、自分で楽譜を読むことにおいて重要なのは「楽譜を書いた人の意図を正確に汲む」ということです。基本形として正確に意図を汲んで、自分として解釈して演奏する。聴いたままを弾いたのでは、聴いた演奏の物まねに過ぎません。演歌のCDを聴いて、コブシの高さと回数まで正確にコピーして歌ったら演歌を歌ったことになるかというと違いますね。そんな感じです。特にクラシックでは正確な楽譜の有無は死活問題。むかしの大作家が書いてるけど明らかに間違ってて買った後みんな修正して演奏する楽譜とかあるわけですが、点訳者の中でそれを直して良いのか五線譜の通り書いておくのか直して書いて注釈を入れておくのか議論があったりするそうです。
      また視覚障害者が晴眼者に指導する際にはページ番号まで対応を取った楽譜が重要になるとか。

      「耳が良いのだから」のくだりもすこし嫌なんですよね。ステロタイプ的で。実際は、耳が良いとは限りません。また、音楽として耳が良いことと一般の意味で耳が良いことには明確な因果関係はない。個人の個別の才能です。たとえば私が今交通事故になって両目を失っても絶対音感はつきません。
      それなのに
      「視覚障害者は耳が良いんでしょー?」
      この脳味噌お花畑野郎!という感じです。

      >収穫
      たしかにそうです。しかしそれを、身をもって知っていたのに、Porch氏にむっとしていた自分がいますよ…
      一体私は何を学んだのかと。良く考えたらそんなのはなれっこだろと。
      --
      #昔、点字楽譜の自動解析やってました。
      親コメント
      • >迷惑をかけたくないという気持ちから萎縮
        わかりますねえ、それ。というか、身内の叔父が半身不自由になって、
        つきっきりで介護してくれる叔母に、夫婦であってもそう繰り返してます。

        確かに、「つきっきりで教えてあげれば」というボランティアな精神も
        それはそれで素晴らしい行為には違いないでしょうし、それを言った人間が
        実行しているとしたら、立場的に怒る気にはなれないと思いますけどね。
        主張に賛同はできないにしても、その人なりのフィールドで対峙してるから。

        >聴いたままを弾いたのでは、聴いた演奏の物まねに過ぎません。
        ああ、そうそう。そういうことですね。原典のニュアンスが失われてしまうという問題。
        英語で書かれた書物が時に和訳でニュ
        • >主張に賛同はできないにしても、その人なりのフィールドで対峙してるから。
          ああ、「その人なりのフィールドで対峙してる」可能性は今まで見落としていました。その場で罵倒しなくて良かったです。そういう事情でも賛同はしませんけどね…

          データに関しては難しいところで、統計調査だって手間とお金がかかるわけです。
          無駄に見える事務作業をやってる暇があったら一曲でも多く点訳した方が良いのではという判断を非難することはできないです。どっちをやるにしても持ち出しボランティアなわけで。
          調査したデータさえあれば助力が得られるとはっきりしている状況ならできるんでしょうが。
          --
          #昔、点字楽譜の自動解析やってました。
          親コメント
typodupeerror

ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ

読み込み中...