yasuokaの日記: 囗の中は王か玉か 5
当用漢字の字体には、どう見ても醜悪な、気色の悪くなるものがかなりあるといふことである。あれは何しろ大急ぎででつちあげた字体で、たとへば「国」といふ字など、はじめは四角のなかに王の字をいれるはずだつたのに、それでは民主主義の時代にふさはしくないという横槍がはいつたため、発表の寸前に、その王の字に点を一つ打つてごまかすことにしたのださうな。
「発表の寸前に」ってのは、いくら何でも大嘘だ。国立公文書館蔵の『太政官内閣関係・内閣総理大臣官房総務課資料・国語審議会』や『太政官内閣関係・諸雑公文書・国語審議会に関する件』には、内閣官房総務課から見た国語審議会の様子がバインドされているが、これを見る限り、遅くとも昭和21年4月27日の第9回総会の時点で、囗の中に王を書く「囯」は不採用となっており、代わりに旧字の「國」に戻されている。「囯」を不採用にした理由については、木下一郎(内閣官房総務課の事務嘱託)の昭和21年8月27日の記録中に「尚ほ囯は王といふ字が入るのでどうかといふことであつた」とあるのが見てとれる。この結果、昭和21年11月16日に内閣告示された「当用漢字表」では、旧字の「國」が収録された。
国語審議会において、囗の中に玉を書く「国」が議論されはじめるのは、私の知る限り、昭和22年10月10日に報告された「活字字体整理案」以降のことだ。つまり、囗の中を王から玉へ変更するのに、約1年半かかったことになる。しかも、「国」が収録された「当用漢字字体表」を国語審議会が答申するのは昭和23年6月1日、「当用漢字字体表」が内閣告示されたのは昭和24年4月28日。昭和21年4月27日から数えると、3年越しだったりする。これを「発表の寸前に、その王の字に点を一つ打つてごまかすことにした」などと書く丸谷才一は、いったい当時の審議のどこを調べたというのだろう。
後から見たら (スコア:1)
Copyright (c) 2001-2014 Parsley, All rights reserved.
丸谷才一の業 (スコア:1)
失われる歴史 (スコア:1)
子引き、孫引きが増えることを恐れての発言だと思われますが同意です。
Copyright (c) 2001-2014 Parsley, All rights reserved.
Re:失われる歴史 (スコア:1)
「点がついたのは、主としてデザイン上の問題だった」 (スコア:0)
----
読売新聞社会部編 『日本語の現場 第一集』 読売新聞、126~127頁
(平成十七年一月三十一日の闇黒日記より孫引用)
http://noz.hp.infoseek.co.jp/diary/20050101.html
わが国が当用漢字の字体を決定したのは二十四年である。中国の革命達成の年との付合は偶然だが、民主政体の世で<「くに」の中心が「王」では具合が悪い>とする発想が、当時の国語審議会にもあったのだろうか。
同調査団団長、林さん(字体表制定当時の国語審議会幹事)の話。
「そんな意見の委員もいた。が、それだけじゃない。点がついたのは、主としてデザイン上の問題だった。『王』では、四角の中をさらに細かく仕切るようで、見た目にきれいじゃない。そこでホクロをつけたんですよ」。