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13170629 journal
バグ

yasuokaの日記: A4インチサイズと物理学者オズワルドの謎 1

日記 by yasuoka

「物理学者オズワルド」とは誰なのかの読者から、#mayonezの「A4をインチ換算すると|A4サイズのパソコン・A4インチサイズのもの」(2017年2月21日)という記事をお教えいただいた。

こちらの記事では、a4インチサイズの大きさや身近なa4インチサイズのものを紹介しています。

「a4インチサイズ」って何? 私(安岡孝一)個人は、初めて聞く大きさなんだけど。

A4インチサイズとは
名称 A4
縦横の比率 約 1.414 (21*29.7センチメートル)
重量 用紙の坪量が g/m2 の場合、重さは 約 グラム。

「A4インチサイズ」=「A4」なの? でも、坪量のところに数字はいってなくて、重さもわからないんだけど、どうなってるの?

■ A4インチサイズパソコンの特徴
・A4サイズとモバイルサイズの中間的立場にあり、持ち運びしやすさ、使いやすさ、性能のバランスに優れている

「A4インチサイズ」が「A4サイズ」と「モバイルサイズ」の中間的立場にあるとすると、そもそも「モバイルサイズ」はどういう立場で、「A4サイズ」はどういう立場なの? それは本当に立場なの?

A判は、19世紀末ドイツの物理学者オズワルドによって提案されたドイツの規格で、面積が1平方メートルの「ルート長方形」をA0としました。

「物理学者オズワルド」って誰? どこのWWWサイトからコピペしてきたの?

JIS規格は制定後、幾度となく改定が繰り返され、現状のものに落ち着くわけですが、その過程で最も議論されてきたのが、サイズの問題でした。

JIS P 0138は1951年の制定後、1957年・1961年・1998年に改正されてるけど、A4判のサイズが変更されたことは無いし、そもそも「A4インチサイズ」なんて規定されてない。「最も議論されてきたのが、サイズの問題」って、どこのJISの話?

いや、その、正直ここまでヒドイと、こんな記事、素で読んでる人いるんだろうか、とすら思えてくる。この#mayonezって、去年(2016年)の10月頃スタートしたサイトらしいけど、こんなガセだらけの記事バラまいて、どうするつもりなんだろ?

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テレビ

yasuokaの日記: モールス符号とQWERTY配列 1

日記 by yasuoka

ネットサーフィンしていたところ、スペインABCの『Por qué se ordenaron así las letras y otras curiosidades del teclado QWERTY』(2017年2月8日)という記事が、私たち(安岡孝一・安岡素子)の論文『On the Prehistory of QWERTY』(ZINBUN, No.42 (2011年3月), pp.161-174)に言及しているのを見つけた。

Esta teoría del fallo mecánico fue cuestionada por los investigadores de la Universidad de Kyoto Koichi Yasuoka y Motoko Yasuoka en 2011. Ellos llegaron a la conclusión de que el teclado surgió por las sugerencias y críticas de operadores de código Morse que necesitaban escribir con rapidez.

いや、そんなことをconclusión(結論)にした覚えは無いのだけど。『On the Prehistory of QWERTY』のconclusionは、あくまで

The development of QWERTY was a winding road, first by Sholes and others, second by Harrington and Craig, then by Jenne and Clough, again by Sholes, and at last by Wyckoff, Seamans & Benedict. There was no consistent policy towards QWERTY.

ということであって、モールス符号との関係だけを結論にしたわけじゃない。というか、モールス符号のオペレータがらみで説明できるのは、「S」の移動と、せいぜい「T」と「I」の移動くらいであって、たとえば「M」の移動はモールス符号では説明がつかない。そのあたりを『On the Prehistory of QWERTY』でも、あるいは『「ECONOトリビア」QWERTY記事顚末記』(情報処理学会研究報告, Vol.2015-CH-106 人文科学とコンピュータ(2015年5月16日), No.2, pp.1-8)でも、ちゃんと書いたはずなんだけど、やっぱりスペイン語で論文かかなきゃダメなのかしら。

13140200 journal
日記

yasuokaの日記: メートル法より以前のA判 2

日記 by yasuoka

私(安岡孝一)の昨日の日記に関して、Georg Christoph Lichtenbergが1786年10月25日にJohann Beckmannへ宛てた手紙(Georg Christoph Lichtenberg: Briefwechsel, Band III (C. H. Beck, 1990), S.274-275)を、御教示いただいた。手紙の問題の部分を引用してみよう。

Ich gab einmal einem jungen Engländer, den ich in Algebra unterrichtete, die Aufgabe auf, einen Bogen Papier zu finden, bey dem alle Formate als forma patens, folio, 4to, 8, 16, einander ähnlich wären. Nach gefundenem Verhältniß wolte ich nun einem vorhandenen Bogen eines gewöhnlichen Schreib⹀Papiers mit der Scheere das verlangte Format geben, fand aber mit Vergnügen, daß er ihn würcklich schon hatte. Es ist nämlich das Papier worauf ich dieses Billet schreibe, dem ich aber, weil durch das beschneiden etwas von der eigentlichen Form verlohren gegangen seyn kan, noch einen unbeschnittenen beylege. Die kleine Seite des Rechtecks muß sich nämlich zu der großen verhalten wie 1:√2 oder wie die Seite des Quadrats zu seiner Diagonale.

確かに1:√2という比率が言及されているが、しかし、この手紙が「ドイツの物理学者LichtenbergがA判を考案した根拠」だと主張するのは無理がある。A判の辺の比率が1:√2になっているのは事実だが、それならB判だって同じだ。A判とB判の最大の違いは、A0の面積が1平方メートルであり、A1の面積がその半分、A2の面積がそのさらに半分、…となっている点にある。一方、この手紙が1786年10月25日に書かれたのなら、それはメートル法より以前だと考えられるし、そもそもこの手紙には紙の面積に関する言及は無い。

もちろん、メートル法の開始をいつに置くかという点で議論はあるが、1790年以前に置くのは、さすがに無理があるように思える。ただし、A判がドイツ由来なのかフランス由来なのか、あるいはそれ以外なのかは、18世紀末ギリギリのあたりをもう少し調べてみる必要があるだろう。

13138524 journal
日記

yasuokaの日記: 日本製紙連合会の考えるA判の起源 2

日記 by yasuoka

ネットサーフィンしていたところ、日本製紙連合会「紙のQ&A」の以下の記述が目にとまった。

紙のサイズはどのように決まっているのですか?
普段何気なく使っている「A4」、「B5」などの紙のサイズ。どのような基準で決められているのでしょうか。A判は19世紀末にオストワルドというドイツの物理学者によって提案され、もともとドイツ国内の規格でしたが、現在では国際規格サイズになっています。このドイツの規格で決まっているA判の基本A0判は、縦横の長さの比が「1:√2」で面積が1㎡となっています。このA0判の長い方の辺を半分にする度にA1、A2、A3、A4・・・となり、数字が大きくなっていくに従って面積は小さくなっていきます。

A判を考案したのは、Friedrich Wilhelm Ostwaldではない。「A判の起源」にも書いたが、Ostwaldが提案した紙のサイズは、1cm×1.41cmを基本として、1.41cm×2cm、2cm×2.83cm、2.83cm×4cm、…と倍々にしていくもので、A判とはサイズが全く異なる。実際にA3判のもととなったのは、フランスで18世紀末から使われてきた紙のサイズMoyen papier (0.2973m×0.4204m)である。ちなみに、ドイツのB3判(日本のB3判より少し小さい)のもととなったのは、フランスで18世紀末から使われてきた紙のサイズGrand papier (0.3536m×0.5000m)である。

日本製紙連合会がどのような調査をおこなったのかは不明だが、「19世紀末」と「18世紀末」では100年もの開きがあって、あまりにずさんなQ&Aだと言わざるを得ない。しかし、日本の製紙における公式サイトに載ってしまった以上、このガセネタが今後どんどん拡散されていくのだろう。私(安岡孝一)個人としては、できる限り早い訂正を日本製紙連合会に望むばかりである。

13135700 journal
ニュース

yasuokaの日記: 共同通信社がSuzieのニュース記事を削除

日記 by yasuoka

共同通信社の「ふむふむ」がSuzieの全記事を削除した、との御連絡をいただいた。理由は特にお教えいただけなかったのだが、Suzieはガセネタが多く(これとかこれとかこれとかこれとかこれとかこれとかこれ)、共同通信社としても無視できないレベルだったのだろう。その一方で、livedoor NewsマイナビニュースウーマンエキサイトアメーバニュースInfoseek NewsT-SITEYomerumoは、いまだにSuzieのガセ記事をバラマキ続けている。ちなみに、Suzieの記事更新は2016年10月31日を最後に途絶えており、今後はサイトそのものをどうしていくのか、私(安岡孝一)個人としても見守っていきたい。

13131934 journal
教育

yasuokaの日記: 「初等漢字300字の公表を中止せよ」韓国の教育大教授196人が声明 1

日記 by yasuoka

本日付の天地日報によれば、韓国の教育大学10校の教授196名が、『初等教科書漢字表記基準』300字の公表中止を求める声明書を、本日付で公表した。公表中止を求める声明書を公表するあたりが、何とも韓国的なのだが、この『初等教科書漢字表記基準』300字は、2019年の初等学校(小学校)5・6年教科書から適用される予定である。声明書の本文を、私(安岡孝一)なりに訳してみたので、韓国の漢字教育における一側面を、読者の皆さんも味わってみてほしい。

『初等漢字目録300字』公表を中止せよ

教育部は先日『初等教科書漢字表記目録300字』(教育部報道資料『初等5~6学年の学習に役立つ基本漢字(300字)』、以下『初等漢字目録300字』と略して呼ぶ)を公表すべく、関連報道資料を発表した。初等学校漢字教育に対する学界と社会の合意もなされていない状態で、教育部が一方的に初等漢字教育を義務化しようとするものである。ここでは教育部が、一部の団体の主張を受け入れ、漢字を国家公式の表記文字と認定し、教科書に漢字を表記して、初等漢字教育を制度化しようとする意図が含まれている。

1. 国家レベルで『初等漢字目録』を公表し、教科書に表記して教えるためには、その必要と妥当性を、国民の誰もが認めるべきである。1970年以来、ハングル専用の初等学校教科書とハングル専用教育とで、学生たちは、ほぼ世界トップレベルの識字力を持つようになった。それにもかかわらず、現政府が『初等教科書漢字表記目録』を公表し、教科書に難しい漢字を表記しようとするのは容認できない。

2. 廃止予定の2009年改正教育課程に沿った初等教科書での漢字語基礎調査をもとに、初等教科書漢字表記目録300字を指定するのは誤りである。初等学校教師や初等教育の専門家との協議の過程も経ずに、新たに作成される初等教科書とは直接関係のない研究者による教科書漢字表記方案研究をもとに、『初等教科書漢字表記目録300字』を指定し、初等学校課程の漢字表記政策を発表するのは、不当で無責任である。学習語彙を理解するための初等教科書漢字表記の研究結果を、『初等漢字目録300字』に変容させて公表するのは、初等漢字教育を公式化/義務化しようとする漢字教育強化団体の要求を、便法として受け入れるに等しい。

3. 国家レベルで教育部が『初等漢字目録300字』を公表した瞬間、初等私教育の膨張とともに、初等教育の歪曲現象が、手の施しようのないほど酷くなるだろう。国家が、国家のアイデンティティと国民の自尊心をもとにした基礎教育としての初等教育を施行する義務を捨て、初等学校から漢字教育を義務化し、漢字私教育を助長してはならない。発達レベルに合わない漢字を初等学生に強要することで、初等教科教育を阻害し、我々の学生の学習競争力を落とし、将来の情報社会に対する能力を弱体化させることは、絶対にしてはならない。漢字教育が必要ならば、『初等漢字目録300字』を公表する前に、現在の中等教育用漢字をまともに教える方案を先に探さねばならない。

教育部は、根拠のない不合理な『初等教科書漢字表記目録300字』の公表を、ただちに中止せよ。

2017年1月24日

かなり一気に訳したので、あるいは訳し間違いや勇み足があるかもしれない。よければハングルの原文と読み比べた上で、コメントいただけると幸いである。

13127759 journal
中国

yasuokaの日記: 「《日本京都大学藏中国历代碑刻文字拓本》编委会」の謎

日記 by yasuoka

2016年11月21日の日記に関連して、問題の『日本京都大学蔵中国歴代碑刻文字拓本』の第1巻を見るチャンスがあった。見返しに書かれている情報は以下のとおり。

图书在版编目(CIP)数据
日本京都大学藏中国历代碑刻文字拓本/《日本京都大学藏中国历代碑刻文字拓本》编委会编著.― 乌鲁木齐: 新疆美术摄影出版社, 2015.7
ISBN 978-7-5469-6944-2
Ⅰ.①日… Ⅱ.①日… Ⅲ.①汉字―碑帖―中国―古代Ⅳ.①J292.21
中国版本图书馆CIP数据核字(2015)第182688号

选題策划: 文昊   责任复审: 吴晓霞
责任编辑: 夏阳   责任决审: 于文胜
书籍设计: 党红   责任印制: 刘伟煜

书名 日本京都大学藏中国历代碑刻文字拓本
本册书名 魏晋―汉代碑刻
出版 新疆美术摄影出版社 新疆电子音像出版社 (www.xjdzyx.com)
地址 乌鲁木齐市经济技术开发区科技园路5号 (邮编 830026)
发行 丝绸之路文献史料图书数据中心
网购 孔夫子旧书网、亚马逊(中国)网
印刷 北京京华虎彩印刷有限公司
开本 787mm×1092mm 1/8
印张 375
字数 45000千字
版次 2016年1月第1版
印次 2016年1月第1次印刷
印数 1-100
书号 ISBN 978-7-5469-6944-2
定价 9800(CNY) 1600(USD)

网络出版读读精品网 (www.dudu-book365.com)
网络书店淘宝网・新疆旅游书店 (http://shop67841187.taobao.com)

前文のようなものは全くなく、「《日本京都大学藏中国历代碑刻文字拓本》编委会」の構成員はおろか、出版経緯も全く書かれていない。p.4からいきなり拓本写真が貼られているが、どの写真にもキャプションが無く、どれが何の拓本なのかわからない。巻末のpp.122-126は附録であり、拓本の管理番号と標題と年代が載っているが、ウチの拓本文字データベースの標題リストのコピペである。しかし、pp.4-121の各写真には、管理番号も標題も付されていないので、全体として全く意味をなしていない。

私(安岡孝一)が睨んでみたところでは、p.4の上の写真は大將軍曹眞殘碑(碑陽)、下の写真は漢將軍張飛題名で、いずれもスケールの部分を切り取っている。p.5の上の写真は大將軍曹眞殘碑(碑陽)、下の写真は大將軍曹眞殘碑(碑陰)で、やはりスケールの部分を切り取っている。p.4とp.5に同じ写真が載っている理由はわからない。さて、このふざけた本、どう成敗すればいいかしら。

13119011 journal
日本

yasuokaの日記: 新たな元号は常用漢字に限るべきか 3

日記 by yasuoka

2016年8月10日の日記の読者から、新たな元号は常用漢字表の範囲に収めるべきだ、との御意見をいただいた。いや、それ、私(安岡孝一)に言われても困るのだが、だとすると可能性があるのは「日愛」「才屋」「才及」「日音」「木奇」「口因」「食欠」「音員」「口貝」「日央」「言永」「馬尺」「豊色」「日王」「木黄」「小意」「月意」「力口」「女家」「革化」「言果」「虫文」「食我」「小毎」「木戒」「糸会」「土鬼」「木皆」「言皆」「小既」「木既」「木市」「才広」「木各」「車交」「口赤赤」「才舌」「車害」「金兼」「月干」「甚力」「土甚」「木官」「小貫」「小感」「食官」「舟監」「金監」「王元」「山支」「糸己」「車九」「言己」「走己」「夫見」「才軍」「光軍」「木幾」「馬奇」「才支」「才疑」「牛義」「言義」「口契」「言吉」「月却」「口及」「糸及」「王求」「糸合」「才巨」「才処」「言牛」「足巨」「口今」「馬区」「才屈」「言川」「君羊」「言十」「言旨」「小景」「魚京」「木行」「糸吉」「車干」「女兼」「南犬」「言兼」「金建」「弓玄」「王見」「舟玄」「木古」「金固」「女呉」「言呉」「工力」「女子」「交力」「才句」「糸工」「木交」「才空」「木更」「口侯」「小荒」「石更」「糸交」「金広」「糸岡」「金岡」「才考」「馬句」「糸甘」「石少」「才采」「糸田」「土奇」「木才」「貝才」「山奇」「木冊」「金昔」「才最」「才察」「小参」「車斤」「女台」「女市」「木支」「月支」「才旨」「糸氏」「月旨」「言司」「言式」「言寺」「食司」「言志」「貝易」「才寺」「日寺」「舌辛」「食耳」「車由」「口七」「幸丸」「女疾」「身寸」「才舎」「余斗」「言射」「耳又」「王朱」「月重」「走取」「口兄」「才受」「才合」「糸冬」「足就」「金充」「糸従」「糸宿」「糸屯」「戸斤」「糸者」「言者」「女口」「且力」「余又」「才少」「才召」「木公」「日召」「糸召」「言公」「石肖」「言召」「言正」「言羊」「小童」「石焦」「金童」「土成」「小青」「金定」「木直」「角虫」「口属」「金十」「糸申」「火欠」「目垂」「木区」「才居」「女生」「小生」「牛生」「日青」「米青」「青争」「言青」「木斤」「小昔」「糸責」「七刀」「才斤」「才出」「糸色」「木全」「月泉」「言全」「糸泉」「魚羊」「月善」「糸善」「才昔」「米且」「糸且」「正束」「言斥」「又又」「木目」「木曹」「足宗」「土曽」「小曽」「貝曽」「月蔵」「才足」「糸売」「木寸」「子系」「才員」「才丁」「口垂」「馬太」「文寸」「月台」「才尺」「才石」「言若」「木月月」「才旦」「月旦」「矢豆」「糸定」「言延」「金段」「弓単」「言炎」「矢口」「耳心」「糸致」「才由」「木主」「馬主」「田丁」「才兆」「巾長」「弓長」「目兆」「貝占」「走召」「足兆」「口朝」「言周」「束力」「金真」「土平」「言丁」「土是」「舟廷」「糸帝」「言帝」「金失」「口土」「女石」「女又」「火丁」「木兆」「言寸」「小卓」「木東」「糸充」「米唐」「月同」「重力」「金同」「目童」「言売」「車欠」「虫工」「言忍」「才念」「米占」「火然」「糸内」「石皮」「木不」「月市」「才非」「木毎」「女某」「才白」「舟白」「火暴」「火田」「金本」「才友」「巾凡」「土反」「木反」「片反」「田半」「貝反」「王文王」「食反」「才般」「日免」「女己」「才比」「才皮」「石卑」「月寸」「女臣」「言平」「木票」「才苗」「才夫」「小布」「貝武」「言普」「米分」「糸分」「木丙」「免力」「才包」「月包」「石包」「言方」「食包」「小亡」「土方」「女方」「月方」「糸方」「巾冒」「木奉」「言某」「土屈」「番羽」「女未」「日未」「土里」「才末」「口未」「鬼未」「山甲」「女少」「目民」「女良」「日月」「金名」「口鳥」「麦面」「糸文」「里予」「言尺」「言秀」「月要」「谷欠」「才立」「糸各」「辛束」「王里」「田各」「米立」「米斗」「米量」「木木」「王留」「金令」「歯令」「糸東」「金東」「火戸」「貝各」「足各」「良月」「言舌」「貝有」「月宛」あたりだろう。ただ、どれも、あまり元号に向いていない気がする。また、万が一これらが元号になった場合に、「㍾」「㍽」「㍼」「㍻」のような組み文字が使いやすいかどうかは、かなりアヤシイ。さてさて。

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メディア

yasuokaの日記: キーマンズネットの考えるQWERTY配列の由来 1

日記 by yasuoka

『キーボード配列 QWERTYの謎』の読者から、キーマンズネットの『「キーボードの配列はデモに都合がいい並び」って本当?』(2017年1月6日)を読んでほしい、との御連絡をいただいた。ITmediaのやってるサイトなのに、ユーザ登録が必要とかちょっとイラっと来た上に、読んでみると噴飯ものだった。

ではなぜ、QWERTY配列が生まれたのか? 実際のところそれはよく分かっていない。「英文を入力するときによく連続する文字を遠くに配置した」とか「活版印刷で使う“活字”」の伝統的な収納方法にならった」とか、いろいろな説はあるにはあるのだが……不明であるのが実情。しかし諸説ある中、もしかして……と思わせるものがある。
QWERTY配列のタイプライターを発明し、「タイプライターの父」と言われるクリストファー・レイサム・ショールズ氏がタイプライターの特許を取得しようとしたとき、既に「QWERTY配列に似ている」タイプライターは先に発明されていた。特許の関係で、ショールズ氏は自分のタイプライターにそのままの配列を使うわけには行かず、ちょっとだけ配列を変更したタイプライターとして、QWERTY配列のタイプライターを発明して特許を取得した、という説があるのだ。

その説、少なくとも私(安岡孝一)個人は初耳なんだけど、誰がそんな説となえてるの? Christopher Latham SholesがQWERTYUIOP配列を載せている特許はU.S.Patent No.207559で、Jefferson Moody CloughとWilliam McKendree JenneがQWERTUIOPY配列を載せている特許はU.S.Patent No.199263だけど、これ両方ともJames DensmoreのThe Type Writer Companyがassignorだよ。というか、DensmoreがE. Remington & Sons社に持ち込んだSholesの試作品はQWE.TYIUOP配列で、これをE. Remington & Sons社のCloughとJenneがQWERTUIOPY配列にしたものだから、SholesがそれをQWERTYUIOP配列に戻したんでしょ? そのあたり、ちゃんと調べた?

その発明の特許を出願するとき、ショールズ氏にとってはキーの配列は重要ではなく、そのあたりは自分が使っていたタイプライターのマネをしながら、タイプライターの機構を重視して特許を取得したというわけだ。つまり「QWERTY配列はたまたまマネしただけ」という説だ。

Sholesにとってキーの配列が重要でなかったら、わざわざU.S.Patent No.207559に含めるわけがないでしょ? 何をわけのわからん説、垂れ流してるの?

実際のところ、ショールズ氏自身が次世代機として携帯型のタイプライターを発明して特許を取得したとき、QWERTY配列とはまったく異なるキー配列で特許を出願しているのだ。QWERTYには思い入れも理由もなかったという証左ではないだろうか。

別に「証左」じゃないと思うよ。そのXPMCHRTNSDGK配列を含む特許U.S.Patent No.568630をSholesが出願したのは、1889年9月11日のことで15年ほど後の話なんだけど。そのあたりのイキサツをちゃんと調べた?

しかし、次に「なぜQWERTY配列が普及しているのか?」という謎が生まれてくる。それにはこんな推測がある。ショールズ氏は、発明したQWERTY配列タイプライターを生産したものの、ほとんど売れなかった。自分に商才はないと判断したのだろう、ショールズ氏はその特許の管理をその名も「タイプ・ライター社」へ任せ、他社でライセンス製造させる方針にしたのだ。

言ってる意味が全く理解できない。そもそも、QWERTUIOPY配列の特許も、QWERTYUIOP配列の特許も、どちらも出願当初からDensmoreのThe Type Writer Companyがassignorだけど? 19世紀のアメリカ特許におけるassignorの仕組みを、ちゃんと理解して書いてる?

するとレミントン社を筆頭として、多くのメーカーがショールズ氏の特許を使った製品を開発・販売する事態となった。やがてヒットしたQWERTY配列のタイプライターは、いつしかデファクトスタンダード化していくことになった、というわけだ。もちろん当時、その他の配列のタイプライターも数多く発売されていた。

「多くのメーカー」って、どこのこと? 『「ECONOトリビア」QWERTY記事顚末記』にも書いたけど、Wyckoff, Seamans & Benedict社が「M」のキーを「N」の右横に移したのは、Sholesの特許を忌避するためだよ。そもそも、SholesのQWERTY配列と、現在のQWERTY配列が違ってるってことを、ちゃんと理解して書いてる?

「噂のIT都市伝説」の記事は、インターネット上に配信されているニュース内容をもとに、キーマンズネットが編集して掲載しており、内容の正確性、真実性等を保証するものではありません。

何なのそれ。当時のタイプライターに関する史料を全く調べずに、適当にインターネット上のネタをキュレーションしただけで、「証左」だの何だのと主張してるわけね。こんなガセネタを読ませるために、読者の個人情報を集めまくってるわけだから、ITmediaの底が知れるというものだろう。このまま「噂」と称して、ガセネタを垂れ流し続けるのがITmediaの本性なら、こんなサイトさっさと潰れてしまえばいいと思う。

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日記

yasuokaの日記: Re: Re: 近衛文麿と応仁の乱

日記 by yasuoka

一昨日昨日の日記に関して、戸板康二の『ちょっといい話』(文藝春秋, 1978年1月)を、一応チェックしておいた(pp.245-246)。

近衛文麿公と話している人が、陽明文庫にこういう本があるかと尋ねると、「あれは戦争で焼けました」といった。
「それは惜しい、疎開なさらなかったんですか」
「いいや、応仁の乱の時ですよ」

ただ、このネタは『オール讀物』の連載には見当たらなかった。あるいは、細川護貞の持ちネタをパクって「潤色」したのかもしれないが、そのあたりの事情はわからない。その一方で、『政界往來』1939年8月号には「風流と文化を語る」(pp.66-77)という記事があり、近衛文麿の以下の発言を記録している。

小林 公爵閣下のお宅には道長卿の日記がおありになるさうですが、何卷ですか、何か卷物にでもなつてゐるのでございますか。
近衞 …………。
小林 それを次の方がお寫しになつたのもおありになるさうですね。
近衞 道長の子賴道といふ人が寫したのがあります。
小林 道長といふお方のお書きになつたのは、忙しい時には裏に書いたりしたらしいですが、なかなか面白いものですね。況んやかれこれ千年近いんですからね。
木舍 大變なものですね。
小林 それは僕らの方の畑で行くと、これくらゐに切つた斷片が、一枚何千圓するんだから――勿論切るわけには行かんでせうけれども、えらいものがあるんですね。
木舍 燒けなかつたのですかね。
近衞 應仁の亂が一番危なかつたのですけれども、幸運なことに近衛家のものは持つて逃げて助かつたのです。外の家のものは應仁の亂で殆んど全部燒けてしまつたやうです。

この発言は、1939年7月5日の対談会におけるもので、参加者は近衛文麿・小林一三・木舎幾太郎とのことである。近衛文麿のこの発言によれば、応仁の乱で焼けたのは、近衛家のものではなく、ほかの家のものである、という風に私(安岡孝一)には読める。うーん、さてさて…

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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人

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