yasuokaの日記: タイピング法を教える速記専門学校 3
『キーボード配列 QWERTYの謎』の読者から、 久保友香と馬場靖憲の「2タイプのリード・ユーザーによる先端技術の家庭への導入モデルの提案」(Synthesiology, Vol.2, No.3 (2009年9月), pp.201-210)を読んでみてほしい、と連絡があった。ざっと読んでみたが、参考文献の[12]に『キーボード配列 QWERTYの謎』を示しているにも関わらず、かなり妙なことが書かれていた。
1860年代後半に初めて実用化したタイプライターのキーボード配列は、左からABCDとアルファベット順に配列されていたが、その後製造メーカーごとに様々な配列を採用するようになる。異なる配列が混在する時期から、タイピングの速さを競うユーザー間の競争が起こり、速度を競うコンテストや、速記法を教えるタイピング専門学校が出現する。そこではキーボードを見ずに配列を記憶して打つタッチタイピングが基本となり、一度覚えた配列が変化することには誰もが否定的であったため、最終的には最も多くの人が慣れていた現在の配列が残ることになった。
「速記法を教えるタイピング専門学校」? それはいくら何でも変だ。Paul Allan Davidも、そんなおかしなことは書いていない。1850年代に成立した速記専門学校の多くが、1880年代に至ってタイピング法も教えるようになったのだから、「タイピング法を教える速記専門学校」じゃないと変だろう。しかも、それらの速記専門学校では、タッチタイピングは必ずしも主流ではなかった、という事実は、私(安岡孝一)自身『キーボード配列 QWERTYの謎』で示したとおりだ。それに、もし本当に「一度覚えた配列が変化することには誰もが否定的であった」のなら、全てのキー配列がずっと残り続けることになったはずだ。
というか、この論文、「両手でシリコン樹脂製スパチュラを持って炒める」IH調理法を、QWERTYと比較する、という点で、そもそも無理があるように思われる。「木べら vs スパチュラ」を「QWERTY vs Dvorak」の構図に当てはめようとするなら、たとえば、木べらの方がスパチュラより普及していることを示すべきだが、この論文は、そういう論旨になっていない。なぜ、この論文でQWERTYを持ち出さなければならないのか、全く理解に苦しむ、と言えよう。
天然レビュワー対抗? (スコア:1)
この項は 「先行研究例」をまとめる欄で極論「先達でもこんなドジな例がある」と書いてもいい箇所。
#ウチの前の大ボスは「ここをしっかり調べ上げろ」というお方でした。
ここでDavid[9]はこう書いた、注書きで[12]の指摘を盛り込んだ、しかも研究例としての「[4]-[8]」から外れた番号でDavidが参照されている…となると、天然レビュワーに突っつかれるのに先回りしてパッチあてをしました、というところなのでは。
Re:天然レビュワー対抗? (スコア:1)
あいたたた、とはいえ「速記法を教えるタイピング専門学校」ではDavidの研究の紹介としても落第―落第たることが日本語の範囲でも分かるレベルでの―ですよね。タイピングが速記の前に来るわけがない。
[David 1985] vs [安岡 2008] (スコア:1)