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日本

yasuokaの日記: 沖縄の三代戸籍

日記 by yasuoka

思うところあって、復帰前の沖縄の戸籍がどうだったのか、調べてみることにした。『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂、2011年3月)にも書いたが、沖縄の戸籍は正本・副本ともに、1945年までにほぼ全てが滅失してしまい、アメリカ軍政下、臨時戸籍のもとで各種手続がおこなわれていた。

1953年11月16日、琉球政府は立法第86号『戸籍整備法』を公布し、沖縄における戸籍の再製をおこなうこととした。ただし、これは新たな戸籍を作るのではなく、あくまで旧戸籍法(大正3年法律第26号)のもと滅失した戸籍を再製するのであって、「家」制度にもとづく三代戸籍の復活だった。1954年2月20日規則第15号で、戸籍整備法の施行期日は1954年3月1日と定められ、旧戸籍法による戸籍再製が大車輪でおこなわれた。

1956年12月31日、琉球政府は立法第87号『戸籍法』を公布し、翌日施行した。夫婦を単位とする新たな戸籍制度が、形式的にはスタートしたのだが、ただし、この『戸籍法』には以下の留保があった。

第百二十二条 旧法の規定による戸籍は、これを新法の規定による戸籍とみなす。但し、新法施行後十年を経過したときは、旧法の規定による戸籍は、規則の定めるところにより、新法によってこれを改製しなければならない。

すなわち、三代戸籍にさらに10年間の猶予を認めたわけだ。そして、1965年8月6日、規則第94号『戸籍法第百二十二条第一項の戸籍の改製に関する規則』で、やっと琉球政府は三代戸籍の追放に乗り出す。改製は、1967年7月1日からの2年計画だったが、さらに2年を延長した1971年6月30日時点で那覇市がまだ終わっておらず、そのままズルズルと1972年5月15日を迎えたわけである。

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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall

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