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リレーショナルデータベース自体は昔っからある考えなので、当時から使ってる人間にしては驚きでもなんでも無いんですが。
とのことですが、Coddによる一番最初の関係モデルについての論文は1970年発表です。1976年のACM Computing Surveyにごく初期のサーベイがありますから、サブジェクトの1978年と比べれば「昔
当時はパソコンの上でワープロが動くとは、夢にも思って いなかったことでしょう…。
TK-80 はちょっと行きすぎ ('75 頃?) ですし、そもそもパソコンのカテゴリには属さないでしょう。 1978 年頃の「パソコン」らしき製品と言えば NEC の COMPO BS/80 や SHARP の MZ-80K くらいならあったような気がします。
とは言え、まともな日本語ワープロになり得る日本語処理機能を持ったパソコンというと、MSX2+ とか PC-9800 辺りからでしょうねえ (FM-*/X-* 方面は暗いのでどなたかフォロー求む)。 PC-6001mkII のユーカラもそれなりには動いていましたが、あれはどちらかと言うとアプリケーションが頑張ってた例ですのでちょっと。
(今だとプリインストールというところでしょうが、当時は 装備という言葉でしたっけ)
EPSONの国民機にもROMにワープロを搭載した機種がありましたね。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
1978年ですか (スコア:1)
いなかったことでしょう…。
いまや PC でいろんなことが出来ちゃうわけなので、
専用機としての価値を打ち出せるものでないと
(ゲーム機とかオーディオデッキとかテレビとか)
消えていってしまうんでしょうねぇ。
私の父親も3年くらい前までNECの文豪Mini5Rを使ってましたが、
ついに故障してノートパソコンに買い換えました。
本当は同じメーカーのワープロが欲しかったそうなんですけど、
すでにNECのワープロは売ってませんでした…。
でも、いまやインターネットに接続してネットオークションに
ハマってまして「苦労してパソコンに乗り換えておいてよかった」
と言ってますので、人間万事塞翁が馬ですね(ちょっと違うか)。
Re:1978年ですか (スコア:2, 興味深い)
僕自身、使ったことがないので内容は知りませんが、聞くところによると、
文字がでかすぎて使い物にならなかったそうです。
パッケージが変わっていて、小さな茶壷ぐらいのスティール製の缶に入っていました。
以下オフトピ
当時、同機種用に大塚商会より”リレーショナルデータベース”が発売されていました。
今にして思うと驚きですね。
Re:1978年ですか (スコア:1)
> 今にして思うと驚きですね。
オフトピに反応して申し訳無いが、リレーショナルデータベース自体は昔っからある考えなので、当時から使ってる人間にしては驚きでもなんでも無いんですが。
実際、複数のデータベースソフト売られてましたし、私も使ってました。
#現在と比べると小規模ではありますけどね。
今現在、Oracleとか使ってても、そんな違いは感じないんだよな。
たしかに (スコア:1)
はたして、パッケージ化するほどのメリットがあったのかと言う意味でした。
中途半端な言い回しでした。
そんなことよりnakさん、あなたは僕より一回り以上年上ですね。
#あ、いや、これが言いたかっただけなんです。
#ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・・・
Re:たしかに (スコア:1)
>はたして、パッケージ化するほどのメリットがあったのかと言う意味でした。
>中途半端な言い回しでした。
なるほど、そう言う意味でしたか。
確かにまだ時代的には早かったのかも知れませんが、それなりに使えましたよ。
当時私は中学生でしたが、職員室で使われていたのをいじらせてもらいました。
確か生徒名簿や成績でも管理していたのかな?
まだ当時は目的に合わせて専用ソフトを自作するのがあたりまえでしたから、少し新鮮に感じた記憶があります。
#製品名は忘れましたが、リレーショナルデータベースって言葉は、ここで教えてもらった記憶があったり。
Re:1978年ですか (スコア:0)
とのことですが、Coddによる一番最初の関係モデルについての論文は1970年発表です。1976年のACM Computing Surveyにごく初期のサーベイがありますから、サブジェクトの1978年と比べれば「昔
Re:1978年ですか (スコア:1)
#ちなみに私は1970年生まれ。まだ32なんだけどね…そんなに年かなぁ
その後、情報処理科のある工業高校でRDBは普通に習いました。
また卒業後にSEとして派遣になった最初の職場では、バグの整理にPC-98のdBASEってRDBソフトを使っていました。
#そんな訳なので、厳密に言えば1978年ではなく、私の感想は主に1988年位からです。
>理論的な進展具合および当時のハードウェアを考慮すると、現在のものと比較してDBMSとしての機能は相当に限定されたものだったと推測します。
言いたい事は判るんですけど、普通に使う分にはそんなに今のRDBが「進歩したなぁー」って思える点って無いんですよね…。
確かにハードの進歩によって大量に速く処理できるようになった点は実感できますが、ソフト的には「それほどなぁ…」ってのが実感です。
あくまで個人的な感想ですけどね。
SQLの実行PLANなど、部分的には進んでいるのですが、始めっから設計させてくれた方が余計な性能低下が無くてうれしいんだけどなぁ、と思ってしまうのは古いのかもね…。
#一応、高校時代に情報処理の二種と一種を取ってますし、現在はMS-AccessやOracle使った開発もやってます。
#SQL文が完全統一されて、お間抜けなPLAN立てなくなれば良いんですが。
Re:1978年ですか (スコア:0)
PC-8001mk2用で、「P漢」だったかな。
#8001の解像度(160x100)で日本語ワープロはムリ。
Re:1978年ですか (スコア:1)
TK-80 はちょっと行きすぎ ('75 頃?) ですし、そもそもパソコンのカテゴリには属さないでしょう。 1978 年頃の「パソコン」らしき製品と言えば NEC の COMPO BS/80 や SHARP の MZ-80K くらいならあったような気がします。
とは言え、まともな日本語ワープロになり得る日本語処理機能を持ったパソコンというと、MSX2+ とか PC-9800 辺りからでしょうねえ (FM-*/X-* 方面は暗いのでどなたかフォロー求む)。 PC-6001mkII のユーカラもそれなりには動いていましたが、あれはどちらかと言うとアプリケーションが頑張ってた例ですのでちょっと。
Re:1978年ですか (スコア:2, 興味深い)
> 持ったパソコンというと、MSX2+ とか PC-9800 辺りからでしょうねえ
X1turboも仲間に入れてください(笑)
X1turbo、PC-9801共に漢字VRAMの採用が決め手だったと思います。
# MSX2+はどうだったんでしょ?
> PC-6001mkII のユーカラもそれなりには動いていましたが、あれは
> どちらかと言うとアプリケーションが頑張ってた例ですのでょっと。
私が初めて触ったワープロがX1(turboではない)のユーカラJJでした。GRAMにビットマップで描画する(今書くと、なんとあたり
まえな!)ので発狂しそうな遅さ。変換はもちろん単語変換、
フロッピーがーがー。
Re:1978年ですか (スコア:1)
PanasonicやSONYの機種にワープロソフトを標準装備した
(今だとプリインストールというところでしょうが、当時は
装備という言葉でしたっけ)機種が多かったことから
MSX1,2の時代にもワープロソフトはありましたが、
ワープロとしての利用にフォーカスが当たったという意味では、
2+がマイルストーンということができると思います。
また、BASICで日本語表示や日本語の文字列処理ができる
拡張が標準装備になったのも2+以降で、自分も家計簿
プログラムを作って使っていたものでした。
これらの点から、MSXでの日本語処理の実用面という意味では
2+が転機といえると思います。
Re:1978年ですか (スコア:1)
昔PanasonicのMSX2+ A1WSXを使っていましたが、ワープロソフトはROMに焼かれて内蔵されていました。プリインストールというより、まさに標準装備です。
#ROMに焼かれたワープロといえばDynabook EZが一太郎Dashを内蔵してたような記憶が。
Re:1978年ですか (スコア:1)
純正プリンタ(感熱)までそろえると専用機並に色々使えたし、印刷するのが楽しかった。
EPSONの国民機にもROMにワープロを搭載した機種がありましたね。
Re:1978年ですか (スコア:1)
> X1turbo、PC-9801共に漢字VRAMの採用が決め手だったと思います。
日本IBM初の漢字ROM搭載機、IBM JXも中間に…。(^^;
全然普及しなかったけど、ジャストシステムの『jX WORD』なんてのが動きました。
もちろん『ユーカラ』もありました。
Tak.Miyoshi
Re:1978年ですか (スコア:1)
思いますが、自分でフォントを作っていきながら入力する日本語ワープロは
MZ-80K/Cシリーズにもありました。(笑)
実物は使ったことはありませんが、MZ-1200ユーザーでしたので
自機で使えるワープロと言う事で欲しかったので記憶しています。
PC-9801(無印)を入れて良いのでしたら、FM-8とかFP-1000/1100も
入れて良いのではないかと個人的に思います。
あと、グラフィックを印字できるプリンターがあると言う事で
VIC-1001も仲間に入れて欲しいところ。
李 露星
Re:1978年ですか (スコア:1)
当時、漢字コードなんて知らない小学生でしたが、JR-200のユーザー定義文字を使用した一行ワープロを使っていました。
やはりフォントは使う都度自作して入力。
漢字コードは、辞書のページ+何番目とかで識別してたと思う…。
#ベーマガなんかに投稿する時、説明文書をこれで書いてたんだよな(^^;
Re:1978年ですか (スコア:0)
JET-88が動いてました。
#同級生の兄貴が作ったらしい。
Re:1978年ですか (スコア:0)
時に西暦1982年。
PC-8801(無印)+漢字(JIS第一水準)フォントROMボード
+ エプソン MP-80K(だったか? 9ドットヘッド2重打ちで18×16ドットで漢字が打てた)で 動くワープロありました。
ASCIIがN88-BAS
Re:1978年ですか (スコア:0)
JET-88A 使ってました。
当時としては、罫線入りの一枚ものを書くのに重宝しました。
その後、一太郎, 松, Lotus 123 あたりに移行してしまいましたが。
Re:1978年ですか (スコア:1)
ドット間に隙間のある縦8ドットしか打てないラインプリンタで,半ドットのペーパーフィードして無理やり16ドット漢字印刷していたやつでしたっけ.
あの工夫はすげーと思いました.
Re:1978年ですか (スコア:1)
2DDの5'FD2枚で、文書保存の度に辞書ディスクと文書ディスクを入れ替え。漢字変換の度にアクセスランプ点滅。
処理速度は一応実用範囲内と思える程度でした。文書容量が小さいのが最大の難点でしたが、これは当時の専用機でも結構小さかった。
こいつはお絵描き機能に加えて通信機能も持ってまして、私は実際にパソ通接続に使ってました。最後に使ったのはPC9801系への移行時で、RS232Cのクロスケーブルで両機を接続、両側で通信ソフトを起こしておいて文書をテキスト転送。
88でもmkII以降なので環境は随分楽になってましたが、それにしてもアプリケーションは大変頑張ってました。
Re:1978年ですか (スコア:0)
> まともな日本語ワープロになり得る日本語処理機能を持ったパソコンというと、
80年代前半の認識だと、とりあえず640x400で漢字が40x25表示できる
ことと、フォント用の漢字ROMを持っていることではないでしょうか。
CPUパワーなどに代表される使い勝手は二の次で、とにかくワープロと
して機能することが最重要課題だったと思います。
ちなみに、上記の88には第二水準ROMを追加し