ADの日記: 差別語と名前付け 1
最近、従来使われていた言葉が差別語として非難されるケースをよく目にする。「マスター/スレイヴ」は差別語だ、なんてのもずいぶん前にあった。何か違和感を感じたので考えたことを書いておく。
変だと思う具体的な事例を挙げるのも面倒なので、骨子からいうと「差別語」という定義のものがあるとすれば、それは侮蔑的表現をなすものであるべきなのではないか、ということ。転じて、単なるカテゴリ分けの言葉を「差別語」として不必要に非難をすべきではないということ。
私が知る範囲で差別語とされる言葉は、主に国や人々、病気などの状態などををカテゴリ分けした言葉…つまり、ある集団、ある性質に付けられた名前と思われる。対象は名前、名称、呼び名。
そもそもの名前付けの機能を考えてみる。名前付けとは、あるモノの対象化と考える。
フィールド(自然、あるいは空間)には無数にモノが存在するが、そのうちのある部分を1個の対象として「区別」する行為のひとつが名前付けであると考えられる。
名前付けには、2通りのパターンがあると考えられる。
- ある個体をしめすユニークな名前(固有名詞)
- あるカテゴリ(性質・分類)をしめす名前(普通名詞)
たとえば、飼い犬に対して「シロ」と名を付けるのはユニークな名前の使い方で、「犬」というはカテゴリをあらわす名前の使い方。
上記で示したように名前にはカテゴリを分けるという機能が存在する。そしてその機能は言語を使用するあらゆるシーンでごく当たり前に使用されていること。
…つまり人類は、言語の根本的な部分から既に差別的なんだよ!!!!!(AA略
ΩΩΩ<な、なんだってー!
こんなことを書くと「それは差別と区別をごっちゃにしている」と言われそうですが、私の知るところ区別と差別はまったく別の領域を示す言葉ではなく、区別に内包される存在が差別という言葉です。記号的には「差別⊆区別」。
以下、goo辞典を経て大辞林 第二版より引用
- 【区別】
- あるものと他のものとの違いを認めて、それにより両者をはっきり分けること。
- 【差別】
- ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。
- 偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。
- 〔仏〕「しゃべつ(差別)」に同じ。
「差別」と「区別」をより差別化する意味で、単なる「あるものとの違いをわける言葉」を差別語としてはならず、「侮蔑的な表現の言葉」を「差別語」とすべきではないのか。でなければ、差別語批判自体が意味を成さないと思われる。
というよりも、この際、侮蔑用語って定義をしたほうが語意としては正しいのではないかと。侮蔑語だと補助動詞の使い方とごっちゃになってしまうから。…という言葉狩りをしてみる(特に意味は無い)。
既に存在するカテゴリー名前が語意的に不適切であり、それを変更するのは基本的には良いことだと思う。(例:痴呆症→認知症) しかしながら、区別と差別を厳密に差別化しないような輩が、他人に向かって差別語を使用したとして非難するのは度し難い。せいぜい話題のすり替えにしかならず、何の生産性もないことだと思う。