Brujoの日記: 明晰さ
ある種の力により明晰さはもたらされる。いや明晰さがひとつの力というべきか。
それはわれわれが知りたいと思っていることについて何でも答えてくれる。
その力はすばらしい。だが、大きな欠点でもあるのだ。
明晰さの最大の欠点は「我々が知りたいと思っている事」にしか答えてくれない
ということだ。そしてその答えを得るために我々はエネルギーを使う。
そして明晰さそれ自体はエネルギーをもたらさない。
明晰さは人気の酒場の腕のいい女主人のようなものだ。手元にお金があれば、酒場の
中で彼女は我々の望みをなんでもかなえてくれるだろう。多くの者は、その酒場で
自分が何もかもをものにできた存在のように自分のことを思うかもしれない。
しかし、お金が無くなれば彼女は次第に冷淡になりやがて店の外に容赦なく放り出される。
そのとき、我々は手元に何がしかがなければその酒場に入ることはできないのだという
事を改めて知る。酒場でのもてなしに耽りすぎたことで、手持ちを新たに得るような努力
を怠ってしまっていたのだと気づく。
もっとも、その酒場に入るにはそれなりの元手がないと門前払いなのだが、ある種の人間
の犯す過ちはその元手があたかも最初から自分に無尽蔵に与えられているものだと誤解
してしまう。そして、店から放り出されてもそのことに思い当たらない。
手元にそれが無いにも拘わらず、店の外で自分がいかにその店で重要に扱われていた
のかを吹聴して回るわけだ。しかし、だれも彼の言うことなど本気で聞きはしない。
彼は文無しだって事は見れば判る。
酒で身を持ち崩す連中と自らの明晰さに耽った挙句にすべてを失う連中はその点で
似ている。その明晰さを得るに必要だったエネルギーがどこから来たのかについて
目覚めていなければ、明晰さはやがて我々の元を去ることになる。
いかなる明晰さや鋭い洞察も、それらを与えてくれる力の源の存在を感じて、それとともに
在ろうとしつづけない限りはやがて単なるほら話にしかならなくなるのだ。短期に強力な
体験をして悟りを得たと思っているはずの多くの人間が、やがてどうしようもない低迷に
苦しむのはそういうわけだ。
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