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euleの日記: 味の素養 2

日記 by eule

休みだったため、配偶者がビーフシチューを作ってくれた。とても美味しかったのだが、もうあと一ひねりするともっと美味しくなるんだけどなぁ、と思ったものの、じゃあその「一ひねり」が何なのか、どうすればその「一ひねり」が実現できるのか、がとっさに分からない。

少し考えて、酸味を足すといいのかな?と思ったのだが確信は持てないし、その酸味を足すためにはトマトジュースを投入すればいいのか、何か別なものがいいのか、それも分からない。

こういうのを味の素養、もしくは、味付けの素養と言ったらいいのだろうか。こういうのは、きちんと先生について習ったら身に付くものなんだろうか? それとも、生得的なものなんだろうか? 或いは、ひたすら試行錯誤の果てに辿り着くものなんだろうか?

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  • by Anonymous Coward on 2006年08月19日 9時52分 (#999914)

    生得的なものは無いと思います。幼児教育は可能だと思うけど,才能ってのはないでしょう。

    習うといっても,どう習えばいいのか想像できません。「一口食べてみて,何が足りないのか考えてみてください。……いいですか? 正解を言いますよ」なんてことを繰り返すのは効率が悪いし,あんまり応用がききそうになりません。

    そうすると結局,自分で思考錯誤して体で覚えるか,誰かの弟子になって体で覚えるか(そうすると先達の知恵くらいは拝借できますが),そのくらいしか技術を身に付ける方法がないように思います。

    • ん~、多かれ少なかれ試行錯誤が必要であろうという点には同意です。

      こんなことを考えたのは、以前、タレントのグッチ裕三氏がテレビで「1度食べたものの味は、寸分違わず再現できる」と豪語していたためです(どこまで本当なのかは知りませんが)。外食して「お、これは」と思ったものは、板さんに「これこれこれで味付けしてるの?」「これこれこんな調理法をしてるの?」と訊くそうで、ほぼそれは正解だし、その調味料の割合は訊かずとも、家で同じ味を出せるし、更に新たな食材を使って新しい味を作り出すこともあるのだそうです。

      この発言を聞いたときに、私がとっさに考えたのは、和食にしろ、フレンチやイタリアンなどの西洋の料理体系にしろ、味付けや調理の仕方にはある程度定石があるので、そこから逸脱した部分を察知する能力がグッチ裕三氏は高いのかな、ということでした。どこがどのように定石から逸脱しているのかを捉える能力は、訓練によってある程度は発達するだろうけど、生まれ持った才能の部分が大きそうだなぁとそのとき思いました。

      幸い、味付けや調理の仕方の定石は料理教室や専門学校などである程度「習える」わけです。その定石と自分の味との差分の補正は結局試行錯誤なのでしょうが、そもそも定石を知らないことには補正のしようもないわけで、その辺りが「習える」部分かなぁ、と私は考えています。

      前述のグッチ裕三氏のレシピに、チェーン店の牛丼の味付けは安い牛肉とタマネギに市販のめんつゆと廉価な甘いマーマレードで再現できるというのがあります(実際、そんなような味になります)。でも、これは「味の定石との差分を察知する」という能力だけではここにまでは至らないわけで、もう一つ「何か」が間に挟まっているんだろうなぁと予想しています。

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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie

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