パスワードを忘れた? アカウント作成
7861887 journal
娯楽

hixの日記: 落語家→大仏→教祖様 1

日記 by hix
そんなわけで、演壇に座った落語家を対して、物語の登場人物たる亭主であったり女房であったりに見えるというのは、一種のマインドコントロールである。下手な人が演じたところで、そう見ることは出来ないのである。

新興宗教の教祖という職業の人もまた、同様の技術に長けている。落語家が、集まった人々からは物語の登場人物に見えるのと同様に、教祖様はその宗教の神様のように見える。
彼から見える風景というのもまた興味深い。
が、もしその風景を見ようとしたら、一生教祖で過ごさなければならないだろう。

成れるかどうかは別として、落語家なら良い。
演じていない間は普通の人である。街で声を掛けられて少々面倒くさかったり、高くて不味い料理屋で色紙を頼まれて「我慢して食え」と書く羽目になったりする程度だ。

しかし、教祖様はそうはいかない。何時如何なる時も教祖でなければならない。
怪しい宗教の関係者で一番大変なのは、信者に近い人で、その次に大変なのは教祖様だと思う。
信者というのは一番幸せだ。騙されて大金を巻き上げられても信じている限りとても幸せな気分で居られる。信じてもいないのに巻き込まれる周りの人は不幸だが。
教祖様は意外と幸せではない。最初は良い。しかし長いこと教祖職をやっていると、身動きが取れなくなる。程々で済むやり方は、多分無い。
この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
typodupeerror

日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚

読み込み中...