nabetaの日記: 春秋の筆法 1
日記 by
nabeta
水俣公害の場合、水銀汚染被害を広く知らしめることが水銀被害者である漁労関係者の生活基盤壊滅を意味していた。しかし「風評」により漁労関係者の他の消費者には伝わってしまい、魚は売れなくなり、水銀汚染の直接の被害者でもあるのに生活基盤すら失われ、公害の被害補償も取る事もできない事態に陥るという結果を引き起こした。
そこで必要だったのは水銀汚染の実態を明確に周知して、それによって生活基盤が失われることになる人々の生活補償をすることであり、「風評」被害を抑えることではあるまい。
放射能汚染被害の問題を考えるときに、ニュースで「風評被害を抑えます」みたいなキャンペーンを見る度に、この事を思うけれど、日本人は問題の解決よりも、問題が忘れ去られて沈静化、つまり、世間の雰囲気に圧されて弱者が口を閉ざして沈黙することを執拗に待っているようにしか見えない。
考えてみれば、足尾銅山の鉱毒汚染にしても、水俣公害にしても、解決したのではなく、もしなにかの契機があれば再び再燃するような中途半端なものなのではないかと思う。そして、沈黙した蟠りが重なり合い、堆積して日本の闇を作り出しているような感じがする。
だから、前九年の役、応仁の乱、明治維新というものは単なる過去の史実なのではなく、多分、日本のどこかに応仁の乱のときの恨みを代々受け継いでいる人々が沈黙を守っているみたいに、今現在に未だ残る怨嗟の原点なのじゃあるまいか、などということを思った。
論旨自体はよくわかる (スコア:1)
けどまったくの風評があってそれ放置も違うしねとも。
M-FalconSky (暑いか寒い)