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この生き辛い世の中、息苦しい社会を作り上げているのは、上述の規律=訓練的権力です。社会の隅々(学校、工場、オフィス、病院、軍隊、家庭・・・等々)にまで網の目を広げる権力。
この根拠を示さないまま「抵抗することが肝要」などと言っても説得力はありません。
「国力の増強」など、今や全く自明ではない。
これは意味が分かりません。増強は増強でしょう。経済の反映であったり軍事力の強化であったり人口であったり、種類は多々ありますが、自明でなくなったようには思いません。
なぜ国家
>>固有の「わたし」を「われわれ」に還元する危険性は歴史が証明しています。 >まったく証明されておりません。それが良いほうに働いた事例も、悪いほうに働いた事例も無数にあります。 これは他の方が述べているように、「悪いほうに働いた事例も無数にあります」ということから、危険性は歴史が証明していると言えるでしょう。むしろ良い例というのを知らないのですが。
何を持って「良い」というの
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
その前にさあ (スコア:1, 興味深い)
そいつが楽になるためだけに、警察に捜査費用(回りまわって税金)を使わせたり、しに場所に選ばれた土地の持ち主に迷惑かけたりしてるんだから。
そうすりゃ思い止まらせようとする人も増えそうだしさ。
やはり公衆自殺ボックス (スコア:1, 興味深い)
ぶっちゃけありえない (スコア:2, 参考になる)
ならばその権利を棄てる自由もあるだろうと。
でも、国にしてみれば国民は国の財産なわけで。
各人の生産力,納税力が国力の維持のために必要であり、
国を運営していくにあたって、それが当てにされている。
そんなわけで、勝手に死なれては困るのです。
--
Ath'r'onならfloatあたりに自信が持てます
反権力 (スコア:1)
権力は、今まで考えられていたように抑圧や禁止といった形式で働くのではなく、人々を「生産的」にさせます。ここでの生産とは、経済的生産のみならず、学校での成績、工場(オフィス)での能率、病院での健康、軍隊での「破壊力」でさえをも意味します。社会はこのようにその隅々にまで権力が毛細管状のネットワークとなって広がっています(すなわち権力は「国家対革命」などという二元的なものではなく、社会の細かいところまで、人と人との関係が存在する全ての場所に広がる網の目状のものです)。
この何もかもを生産的にする権力が私達が抵抗しなければならないものでしょう。自殺は究極の反=生産です。自分で自分の死を決定するのは何ら悪いことではない。また自然の歴史を鑑みれば、反=生殖などありふれているでしょう。今生き残っている種は淘汰の結果、生殖を本能に刷り込まれた種が生き残っているのであって、同性愛的な種、自殺する種なども自然は許容しています。
国家は国力の増強、つまりは富国強兵のための道具としてしか国民を見ていません。「産めよ増やせよ」がその典型です。だが、「国力の増強」など、今や全く自明ではない。なぜ国家が繁栄しなければならないのか。うろ覚えで恐縮ですが、上野千鶴子は『ナショナリズムとジェンダー』という本で、「「わたし」は国籍、性別、ジェンダー、エスニシティなどさまざまな関係性の集合である。しかし、「わたし」はそのどれにも還元されない」というようなことを書いています。固有の「わたし」はどのような組織にも回収されないのです。
最後に、自殺は究極の反=生産と書きましたが、自殺を積極的に勧めているわけではありません。この生き辛い世の中、息苦しい社会を作り上げているのは、上述の規律=訓練的権力です。社会の隅々(学校、工場、オフィス、病院、軍隊、家庭・・・等々)にまで網の目を広げる権力。それに対して抵抗することが肝要であり、抵抗することによって生きやすい社会を作ることができると思います。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:反権力 (スコア:1)
でも最近はマスメディアで取り上げられたりで危うい。
Re:反権力 (スコア:1)
> 自殺は究極の反=生産です。
揚げ足取りですが、それは違います。だって、自殺では一人しか死にませんもの。
街中で刃物を振り回して暴れたって二三人は殺せますし。
> つまりは富国強兵のための道具としてしか国民を見ていません。
なんだか、国民と国家をきっちり二分できるように考えているように見えますが、実際には違いますよね。
国民の代表が国家の規則、即ち法律を作ったり、行政の長をやったりしているわけですから。
Re:反権力 (スコア:0)
この根拠を示さないまま「抵抗することが肝要」などと言っても説得力はありません。
これは意味が分かりません。増強は増強でしょう。経済の反映であったり軍事力の強化であったり人口であったり、種類は多々ありますが、自明でなくなったようには思いません。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
権力(生産性を要求する規律=訓練的権力)の究極の姿がファシズムやスターリニズムだと言えばお分かりになるでしょうか。
>>この生き辛い世の中、息苦しい社会を作り上げているのは、上述の規律=訓練的権力です。社会の隅々(学校、工場、オフィス、病院、軍隊、家庭・・・等々)にまで網の目を広げる権力。
>この根拠を示さないまま「抵抗することが肝要」などと言っても説得力はありません。
前のコメントの通り、権力は生産性を個々人に要求します。つまりは効率・能率を極限まで高めようとするのです。そうした効率や能率、競争を煽る社会が、リストカッターやひきこもり、ニート、摂食障害の方、鬱病の方といった形で齟齬をきたしているのは明らかでしょう。
>>「国力の増強」など、今や全く自明ではない。
>これは意味が分かりません。増強は増強でしょう。経済の反映であったり軍事力の強化であったり人口であったり、種類は多々ありますが、自明でなくなったようには思いません。
「国力の増強(を目指すこと)」など、今や全く自明ではない、と言いたかったのです。経済の反映や軍事力の強化などは固有の「わたし」にとって何ら意味を持ちません。なぜなら「「わたし」を作り上げているのは、ジェンダーや、国籍、職業、地位、人種、文化、エスニシティなど、さまざまな関係性の集合である。「わたし」はそのどれからも逃れられないが、そのどれかひとつに還元されることもない」(上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』)からです。国と同一化しないのですから、国の繁栄などどうでもよい。
>>なぜ国家が繁栄しなければならないのか
>個人にとっての理由ですか?ならば自分の社会的な富が最大の理由でしょう。自国が栄えれば、そうでない国より豊かに暮らせる。
これについては上で書いた通りです。また、国家が繁栄しなければならない、個人にとっての理由が自分の社会的な富の増大だとしたら、あまりにも人々の価値観といったものを一元的に見過ぎています。
作家AKIRAさんは「ロー・コスト、ロー・ストレス(収入は少なくともストレスの少ない生き方)」といったものを提案しています。また国家が繁栄するために能率・効率を追求し、そのためノイローゼや鬱病、果ては自殺にまで追い込まれてしまってはたまったものではありません。
>しかし、「わたし」はそのどれにも還元されない」というようなことを書いています。固有の「わたし」はどのような組織にも回収されないのです。
>>個人を誰か・何かに回収してもらう必要はないでしょう。その誰か・何かと個人との間に利害関係が有るだけで、それらに供与/反発する理由としては十分です。
「わたし」はどのような組織にも還元されない、と書いたのは、ナショナリストが固有の「わたし」を「われわれ」という言説で回収しようとするからです。
仰るとおり、個人と個人との間に利害関係があるだけで、権力はそこで「行使」されていますし、そこでは常に権力を巡る闘争が起きています。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
> 経済の反映や軍事力の強化などは固有の「わたし」にとって何ら意味を持ちません。
いいえ。意味を持つ場合もあれば、そうでない場合もある、と言ったところでしょう。
だって、「わたし」は国家にも属していているのだから。
> 国と同一化しないのですから、国の繁栄などどうでもよい。
国家に属していることから逃げられない「わたし」が、「国家の繁栄などどうでもよい」などとは言えないでしょう。
国家に属していることに考えが及ばないから、「国家の繁栄などどうでもよい」と言う人は居るかもしれませんが。
> 仰るとおり、個人と個人との間に利害関係があるだけで、権力はそこで「行使」されていますし、
> そこでは常に権力を巡る闘争が起きています。
闘争史観というか、なんというか、そういう考え方はもう古いんじゃないかと私は思います。
国家が国民のものになったとしても、ずっと国民同士で闘争し続ける、って理論ですもん。
いつまでたっても心の平和が訪れるわけがない。
Re:Re:反権力 (スコア:0)
どんなものも行き過ぎれば害になるが、行き過ぎる手前なら役に立つ。
二元論的な考え方は何の役にも
Re:Re:反権力 (スコア:0)
Re:Re:反権力 (スコア:1)
確かに。私の解釈は稚拙なのかもしれません。
>> 経済の反映や軍事力の強化などは固有の「わたし」にとって何ら意味を持ちません。
>いいえ。意味を持つ場合もあれば、そうでない場合もある、と言ったところでしょう。
だって、「わたし」は国家にも属していているのだから。
確かに仰るとおりですね。ただ固有の「わたし」を「われわれ」に回収しようとする言説には気を付けなければならないと思います。
また「国家は幻想である」というような本がありますね。読もう読もうと思っていて読めていないのですが。
>> 国と同一化しないのですから、国の繁栄などどうでもよい。
>国家に属していることから逃げられない「わたし」が、「国家の繁栄などどうでもよい」などとは言えないでしょう。
>国家に属していることに考えが及ばないから、「国家の繁栄などどうでもよい」と言う人は居るかもしれませんが。
逆に固有の個人はどのような関係性にも還元されないわけで、重視する複合的な関係性によってその個人の価値観が決まってくると思います。国家を全く重視しない考え方もアリだとは思いますがいかがでしょう。
>> 仰るとおり、個人と個人との間に利害関係があるだけで、権力はそこで「行使」されていますし、
>> そこでは常に権力を巡る闘争が起きています。
>闘争史観というか、なんというか、そういう考え方はもう古いんじゃないかと私は思います。
>国家が国民のものになったとしても、ずっと国民同士で闘争し続ける、って理論ですもん。
>いつまでたっても心の平和が訪れるわけがない。
仰っているのがマルクスの闘争史観なのか、現代フランス哲学における、微細な権力に対する闘争「史観」なのかは分かりかねますが、前者は野家啓一の歴史の物語理論によって否定されるものだと思います。なぜなら歴史とは天からみた俯瞰的な(かつ客観的な)歴史など存在し得なく、個人の主観から「事実」を取捨選択したフィクションとしての歴史しか存在しないからです。ナショナリスティックな歴史歪曲はこれを悪用して・・・云々と書きたいところですが、スレに関係しないので省きます。
また後者は、社会は権力のネットワーク(網の目)と抵抗のネットワーク(網の目)が権力の布置を巡って常に闘うということですが、これは社会に権力が存在する限り終わりはないと思います。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
>どんなものも行き過ぎれば害になるが、行き過ぎる手前なら役に立つ。
ありきたりの文章に思えるのは私だけでしょうか。
>これ以下の文も同じ。全てを個人に還元しようなんて考え方じゃ何も出来ない。人は一人じゃ生きられないんだから。
人は一人では生きられません。当たり前です。こうした固有の「わたし」論につきまとう典型的な誤解ですが、固有の「わたし」は何も一人で生きているわけではありません。固有の「わたし」同士結び付き、関係性を育み、ネットワーク(網の目)を構築して、抵抗なり何なりをしています。「関係性」というのは、今では言うのも少し気恥ずかしいですが、現代哲学の常識ではないでしょうか。
むしろ固有の「わたし」を「われわれ」に回収するナショナリスティックな言説の方が危険だと思います。
>結局、無能な人間が何もしようとしないことに対する言い訳でしかないね。
誤解と盲信に満ちた文言としか思えません。
反監視・反管理・反権力!!
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生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
アリだけど、稚拙だよね。まあ、甘えてる、としか言いようがない。
そんなこと言うなら、無人島にでも行きなさい、と言ったところです。
> これは社会に権力が存在する限り終わりはないと思います。
いつまでたっても、闘争し続ける運命にある、ということでしょう?
実に不幸な考え方です。
そういう考え方を超越する必要があるんじゃないか、と。
Re:Re:反権力 (スコア:0)
>ありきたりの文章に思えるのは私だけでしょうか。
いえ、貴方だけではありません。割と普遍的な考え方ですから、ありきたりなのは当然でしょう。
そして、貴方はそれすら理解できていないだけで。
仮に権力の究極の姿がファシズムであろうとなんであろうと、そこに至っていない権力そのものを否定する理由にはなりません。
>むしろ固有の
Re:Re:反権力 (スコア:1)
ですから上のレスで「フーコーは現代の権力の生産「過剰」を問題にして本を書いた」と述べたのですが。ファシズムに至ってはいなくとも、現代の社会は過剰な権力に侵されているのです。また、能率・効率・競争を煽る権力は、非効率な者、競争に脱落した者を救済せずに排除するという点で否定されうべきものです。
>>むしろ固有の「わたし」を「われわれ」に回収するナショナリスティックな言説の方が危険だと思います。
>何故でしょう?
>「固有の「わたし」同士結び付き、関係性を育み、ネットワーク(網の目)を構築」した中に自分が居た場合、それを「われわれ」と呼ぶのは日本語的に正しいですよ。
>単純な日本語の単語に、自分勝手に特別な意味を付け加えることに何の意味があるのですか?
人々が全て「均質」であることを前提にしたナショナリスティックな「われわれ」と、「固有」の個性を持った「わたし」同士の繋がりは、全く別物です。どうしても混同させたいようですが。
固有の「わたし」を「われわれ」に還元する危険性は歴史が証明しています。
また、「日本語的に正しい」かどうかではなく、「哲学(思想)的に正しい」かどうかということの方が重要です。
反監視・反管理・反権力!!
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生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1, 参考になる)
現在の日本の権力はそのようなことを行ってはおりません。貴方が「架空の権力」を否定するのは勝手ですが、その行為に意味はありません。
ついでに言うと、フーコーは「現在の日本」について、何も語っていません。全ての権力を「均質」なものであると考えるのは大きな間違いです。
>人々が全て「均質」であることを前提にしたナショナリスティックな「われわれ」
「われわれ」という言葉にそのような意味はありません。
どうも貴方が使う言葉は我々とは違うようですので、貴方が言う「ナショナリスト」が言うことを、貴方が正確に受け取っている可能性は限りなく低そうですね。
>固有の「わたし」を「われわれ」に還元する危険性は歴史が証明しています。
まったく証明されておりません。それが良いほうに働いた事例も、悪いほうに働いた事例も無数にあります。
Re:Re:反権力 (スコア:1)
>現在の日本の権力はそのようなことを行ってはおりません。貴方が「架空の権力」を否定するのは勝手ですが、その行為に意味はありません。
「現在の日本の権力」と仰いましたが、フーコーの言う権力とは国家が所有したり、国家(あるいは何がしかの組織)に限定されるものではありません。
また、権力は「監視」と「処罰」、それらを組み合わせた「試験」を道具にして作用します。これら(監視・処罰・試験)の取り入れられていない地域はあるでしょうか? その意味で、現在も日本は規律=訓練的権力の網の目に捕らわれていると言えます。
日本が権力のネットワークに捕らわれていないとすれば、どうしてリストカッターやひきこもり、ニート、摂食障害の方、鬱病の方など、効率や能率、競争に異議を唱える方達がいるのでしょうか。
>ついでに言うと、フーコーは「現在の日本」について、何も語っていません。全ての権力を「均質」なものであると考えるのは大きな間違いです。
全ての権力と仰いましたが、私の語っているのは「規律=訓練的権力」です。規律=訓練的権力は一様ではありませんし、多様な戦略・戦術を採っています。
>>人々が全て「均質」であることを前提にしたナショナリスティックな「われわれ」
>「われわれ」という言葉にそのような意味はありません。
>どうも貴方が使う言葉は我々とは違うようですので、貴方が言う「ナショナリスト」が言うことを、貴方が正確に受け取っている可能性は限りなく低そうですね。
ふぅ。私が言葉を辞書通りに使っているとお思いですか? ナショナリストが「われわれ」という時の、それが誰に向かって、誰によって、どういった発話の権力の場で、語られているのか。また、その社会的・経済的・政治的条件をも加味して、「われわれ」という言葉を考えています。そういったことを考えるならば、辞書に載っている「我々」と私が言う「われわれ」とが違った意味を持つことは明白です。
どうか辞書通りに考えるのではなく、自分の頭で考えてみて下さい。
>>固有の「わたし」を「われわれ」に還元する危険性は歴史が証明しています。
>まったく証明されておりません。それが良いほうに働いた事例も、悪いほうに働いた事例も無数にあります。
これは他の方が述べているように、「悪いほうに働いた事例も無数にあります」ということから、危険性は歴史が証明していると言えるでしょう。むしろ良い例というのを知らないのですが。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1, 興味深い)
上記の人たちは、皆、権力に異議を唱えているのですか?そんな話は聞いたことがありませんが。
皆、それぞれの人がそれぞれの問題を抱えているだけです。彼らの思想を均一化して語ることは、貴方の言っている「ナショナリズム」のあり方そのものなのですが、貴方はそれに反抗しているのではなかったのですか?
ついでに言うと、現代社会は上記の人々を切り捨て居ませんし、救済も行っています。ただ、彼らを救いきるには力が足りないことと、その全ての人を救いきることなど不可能であることから、一見切り捨てられているように見えるだけです。
それから、どうも貴方はフーコーの言うことを盲目的に信仰しているようですが、フーコーの言が間違っている、または、そもそもフーコーは特に意味のある事を言っていない可能性も考えてみてください。とりあえず「ソーシャル・テクスト事件」について調べてみると良いでしょう。
>ふぅ。私が言葉を辞書通りに使っているとお思いですか?
これは驚きました。貴方と議論するためには、私がまったく知らない、貴方が勝手に定義した言葉を使わなければならないのですか? どうやったら、そんな傲慢なことを考えることが出来るのでしょう。
言葉というものは意味が伝わらなければ何の役にも立ちません。お互いの知っている言語で話さなければ、意思の疎通は出来ませんよ。
とりあえず、ここでは日本語で話しませんか?
ちなみに、「われわれ」という言葉を「人々が全て「均質」であることを前提」にして使うのはおそらく貴方だけです。
普通の人は、地理、嗜好、利害等のごく限定された範囲において共通する部分がある集団に自分が含まれるときに使いますね。
だって、人間が「全て均質である」ことなどありえないですから。
>これは他の方が述べているように、「悪いほうに働いた事例も無数にあります」ということから、危険性は歴史が証明していると言えるでしょう。むしろ良い例というのを知らないのですが。
そういう場合は一般的には「危険性を証明」ではなく「可能性を証明」といいます。よく覚えておいてください。
ところで、どうやら私は貴方の言う「われわれ」という言葉を誤解していたようです。貴方の定義する「われわれ」という言葉を使う人は居ませんので、それが悪いほうに働いた事例はありませんね。
一般的な意味での「われわれ」の場合は、労働組合による労働環境の改善など、立場の弱い人間が利害を同じくする人を集めて、立場の強い者と交渉する際には、どうしても主語を「われわれ」とするようになりますね。
私には、これが悪いこととは思えません。
歴史のとこだけ、横槍 (スコア:0)
何を持って「良い」というの
Re:Re:反権力 (スコア:0)
一緒にすんなボケ。
> 自分の頭で考えてみて下さい。
フーコーを辞書的にしか理解できていないお前がな。
Re:Re:反権力 (スコア:2, おもしろおかしい)
「規律・訓練的権力はできるだけコストを削減しつつ個人を最大限に生産的にしようとする。たとえば軍隊においては、規律訓練は単に脱走を防止する手段ではなく、17世紀以来新しい訓練方法によって兵の技能・運動・攻撃力・防御力を増大させる手段となった。また工場において労働者は適正や作業効率や生産高を、従って利益を増大させるために規律・訓練される。さらに学校においては学習能力の向上を目指して空間配分・時間の累積化などの手段や監視や試験などの道具を用いて生徒が訓育されることになる。」こうしたことは現代社会において日常的に行われています。これを鑑みれば、規律・訓練的権力が存在しないということは言えないと思います。
>それから、どうも貴方はフーコーの言うことを盲目的に信仰しているようですが、フーコーの言が間違っている、または、そもそもフーコーは特に意味のある事を言っていない可能性も考えてみてください。とりあえず「ソーシャル・テクスト事件」について調べてみると良いでしょう。
もちろんフーコーも時代に限定された思考=エピステーメーに捕らわれています。それは本人も自覚していたことでもあります。時代が変わればエピステーメーも変わるでしょう。それは仕方のないことです。
しかし今日の社会学やフェミニズム、反権力論においてフーコーが果たしてきた役割は大きいものであり、フーコーの言が間違っているとするならそれだけの論を提示して下さい。
それには「ソーシャル・テクスト事件」といういかがわしい文章ではいささか説得力に欠けると思います。
>>ふぅ。私が言葉を辞書通りに使っているとお思いですか?
>これは驚きました。貴方と議論するためには、私がまったく知らない、貴方が勝手に定義した言葉を使わなければならないのですか? どうやったら、そんな傲慢なことを考えることが出来るのでしょう。
では逆に問いましょう。なぜ私が議論するのに匿名の人物、故に一人か複数かも分からない人(人々)を相手に議論しなければならないのでしょうか。私と議論したいというのだったら、きちんとハンドルネームを出し、一定の論者としての名前を固定して下さい。匿名の人との議論はとても不愉快であるだけでなく、匿名でない方にとって非常に不利なはずです。名前を出すのが嫌なのならば、今からユーザ登録をしてもいいですが、それではほとんど信用を得られないということを自覚して下さい。
>言葉というものは意味が伝わらなければ何の役にも立ちません。お互いの知っている言語で話さなければ、意思の疎通は出来ませんよ。
>とりあえず、ここでは日本語で話しませんか?
言葉は(辞書通りに)無菌室で使われるものではありません。社会的・経済的・政治的な条件下で使用され、また誰によって、誰に向かって、どんな権力の発話の場で言われたかというものを考えないとその言葉の意味は見えてきません。
もう一度言いますが、辞書通りに考えるのではなく、その言葉を巡る様々な条件を考えて下さい。また文脈からも言葉の意味を解釈して下さい。
>ちなみに、「われわれ」という言葉を「人々が全て「均質」であることを前提」にして使うのはおそらく貴方だけです。
>普通の人は、地理、嗜好、利害等のごく限定された範囲において共通する部分がある集団に自分が含まれるときに使いますね。
>だって、人間が「全て均質である」ことなどありえないですから。
私がナショナリスティックな「われわれ」といったのは、「個々人の個性を捨象して、人々を「国民」といった概念に同質化させる」装置としての「われわれ」です。
>>これは他の方が述べているように、「悪いほうに働いた事例も無数にあります」ということから、危険性は歴史が証明していると言えるでしょう。むしろ良い例というのを知らないのですが。
>そういう場合は一般的には「危険性を証明」ではなく「可能性を証明」といいます。よく覚えておいてください。
>ところで、どうやら私は貴方の言う「われわれ」という言葉を誤解していたようです。貴方の定義する「われわれ」という言葉を使う人は居ませんので、それが悪いほうに働いた事例はありませんね。
上述の通り私の言う「われわれ」は「個々人の個性を捨象して、人々を「国民」といった概念に同質化させる」装置ですから、悪い例は枚挙に暇がありませんね。第二次世界大戦時のナチスしかり、日本しかり。
反監視・反管理・反権力!!
反石原・反小泉・反ブッシュ!!
生きづらい社会を終わらせよう。
Re:Re:反権力 (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:Re:反権力 (スコア:0, すばらしい洞察)
Re:Re:反権力 (スコア:0, すばらしい洞察)
Re:Re:反権力 (スコア:1)
超越ではありませんが、「権力」を「コミュニケーション圧力」と
読み替えて話を追ってみました。権力の隠喩ではなく、物理的な
性質に近い意味で。
有力なメディアのいうことは圧力大、親のスネをかじっていると
親の言うことは圧力大、声の大きな人が言うことは圧力大、
という風に。
だとすれば、「抵抗」や「闘争」は「コミュニケーション圧力の
バランスをとること」が適当でしょうか。
相手より強くなって押し返すのではなく、対等のコミュニケーション
が取れるような人間になること。
ニュースを鵜呑みにせず、自活し、言うべき事は言う、でも
礼儀は失せず、というような。
「生産的」は何を当てはめていいかよく分かりません。
「画一的価値観」などでしょうか。
「全員個性的であれ」という画一的な価値観が学校で
広められているようなのでややこしいです。
ともあれ、「バランスをとる」ならコミュニケーションのある限り
続けるのも悪くないと思います。
lunersさんおよびフーコーには失礼な読み方になってしまいましたが、
現在の日本では産業生産よりコミュニケーションのほうが
重要なテーマであるように思うのです。
#自活しないとね……自戒をこめて
-- AKN
Re:Re:反権力 (スコア:1)
というような部分が、闘争の原理には含まれていないところが問題だと思うんです。
近代以降の思想が、人間より上位の存在、例えば神みたいなものを捨ててから、
そういう傾向が始まったのではないかと考えています。
Re:Re:反権力 (スコア:2, すばらしい洞察)
> なぜ私が議論するのに匿名の人物、故に一人か複数かも分からない
> 人(人々)を相手に議論しなければならないのでしょうか。
それがイヤなら、/.Jに書き込むのを止めるべきです。
解決策は、それしかありません。それが/.Jのルールです。
他に解決策があるとすれば、/.Jの管理者にルール変更を要求することでしょうが、
他の非匿名サイトに移る方が楽でしょう。
#気持ちは解りますが。
Re:ぶっちゃけありえない (スコア:0)
生き地獄を味わう人間の存在も必要ですからね。