phasonの日記: 多孔質『液体』
"Liquids with permanent porosity"
N. Giri, et al., Nature, 527, 216-220 (2015).
ナノ~メゾスコピックなサイズの穴が無数にあいた多孔質物質,例えばシリカゲル,活性炭,ゼオライトなどは,ガス吸着やさまざまな分子の選択的な分離,触媒担体としての利用など,工業的にさまざまな分野で使用されている.さらに,近年の向上等における排ガス処理の要求のもと,各種ガスの選択的分離への応用を目指し各地で研究が行われている.
このように固体の多孔質物質は確かに非常に便利であるのだが,固体であるがゆえに移送などの面では取り扱いが面倒であることも否めない.例えば液体であればポンプを使って連続的に移動させる事が可能であり,吸着・反応・脱着などを位置を変えながら連続して行うフロー処理・バッチ処理に向いている.これが固体となると同様の事を行うのはかなり難しくなってくる.
連続処理に適した液体に,気体の吸着・分離に向いた多孔質構造をもたす事は出来ないのだろうか?液体というものが刻一刻と変化する構造をもっている事を考えると,これは不可能な目標にも思えるのだが,それを見事な分子設計で実現したというのが今回の論文である.
「液体に無数の細孔をもたせる」手法として著者らが用いたのが,「籠状の分子を,その入り口よりも大きな分子からなる液体中に無数に分散させる」というものである.実際の分子の形は論文のFigure 1の下段左を見ていただきたいが,分子形状としては8面体の4つの面がベンゼン環で塞がっていて,残り4つの面が入り口としてあいているような籠状分子を中心として,6つの頂点位置から溶解度を上げるためのクラウンエーテルが生えているような構造となっている.この籠の内部空間は直径およそ5 Å,入り口のサイズは4Å程度である.そしてこの分子を,クラウンエーテルの一種である15-crown-5(Figure 1の下段中央の分子)に溶かす.
15-crown-5は室温でギリギリ液体な分子であり,籠状分子のもつクラウンエーテル部位とも当然ながら親和性が高く,この籠状分子を良く溶かしこむ.その量,なんとクラウンエーテル12個に対し籠状分子1つ.これは籠状分子の巨大さを考えると驚異的な比率である.なにせ質量%で言えば溶液の44%が籠状分子という計算になり,もはや「籠状分子が溶けた溶液」というよりは「籠状分子とクラウンエーテルがごちゃ混ぜになったシロップ」といった方が近そうだ.
溶液にクラウンエーテルを使う事の利点としては,15-crown-5が円盤状の比較的がっしりとした分子である点が挙げられる.この円盤サイズは籠状分子の入り口よりも大きいので,籠状分子の内部空洞は溶液中であっても空っぽのまま保たれる(15-crown-5は大きすぎて入れない).実はこれまでにも籠状分子を溶液に溶かす事で多孔質液体を作ろうという試みはあったのだが,それらで使われていた炭化水素系の溶媒分子は紐状の部分をもつため籠の内部に侵入してしまい,細孔を埋めてしまっていたのだ.
という事で完成したこの液体,本当に多孔質になっているのかを著者らは確かめている.
まずは単純計算.これだけの籠が溶けていると,どの程度の孔空間が存在しているのかを見積もると,溶液の体積のおよそ0.7%程度と求まった.さらに分子動力学計算で15-crown-5が確かに籠状分子に入らず,内部が空洞のまま維持されている事も示唆された.
とは言えこれらはあくまでも机上の計算である.そこで実測として,放射性元素から出る陽電子を用いた測定を行っている.物質中に打ち込まれた陽電子は,通常の電子と単寿命の疑似原子(電子と陽電子が互いの周りを周回する状態.その中でも寿命の長いオルトポジトロニウムを使用する)となる.何も無い空間中ではこの疑似原子は100ナノ秒以上の長い寿命をもつのだが,物質に衝突すると迅速に分解して消滅する.細孔内では物質になかなか当たらないので寿命が長く,空洞の部分が大きければ大きいほど寿命は長い.この陽電子寿命測定法により細孔径を見積もると,およそ直径5.5 Åの空洞があるということになり,これは籠状分子の内部空洞のサイズに一致する.つまり,溶液中でも確かに籠の中は空になっており,液体自体が「多孔質液体」となっている事が実証されたわけだ.
という事で多孔質である事が実証されたので,次はここに実際にガスを吸着させている.二酸化炭素,キセノン,メタンなどさまざまなガスが吸着できるようだが,例えば1気圧のメタンでは単なる15-crown-5の液体中への溶解度が6.7 μmol/gなのに対し,籠状分子を加えた多孔質液体では52 μmol/gと,7.7倍もの気体を吸蔵する事が出来た.多孔質性の明らかな現れである(ただし,この値は一般的な多孔質個体に比べると少ない).
著者らは最後に,15-crown-5が籠の入り口より大きいからこそ多孔質性が出ている事をこれ以上なく明白な実験で示している.
まず,この多孔質液体にキセノン(等)を吸着させる.溶液中の15-crown-5は大きいので籠には入れず,籠の中はキセノンで埋まる事になる.そこに溶液の体積の1%強のクロロホルムを加えるのだ.クロロホルムのサイズは小さく,この籠状分子の中へと侵入する事が出来る.すると,もともと溶液に溶けにくいキセノンは液体からどんどん追い出され,かわりに籠の中にはクロロホルムが居座る,つまりほんのちょっとのクロロホルムを滴下するだけで,吸着していたガスを放出させる事が出来るわけだ.
この実験の様子はSupplementary informationのVideo 1として公開されているが,多孔質液体に大きな溶媒を加えた場合は撹拌してもほとんど気泡が発生しない(=吸着したキセノンがそのまま残っている)のに対し,小さな分子であるクロロホルムを少量加えたものは撹拌と共にどんどんキセノンの泡が生じ,ガスが放出されている事がわかる.
(なお,サンプル瓶中で回転している白い塊は撹拌するための回転子である)
液体に多孔質性をもたせる,というのは非常に面白い発想であった.
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