teik 曰く、"「有罪」の反対は、「無罪」ではなく「有罪でない」である。わかってはいるけれど、複雑な気持ちを抱いてしまうのは私だけではないはず。よりよい人の裁き方とはなにか。これを機に、人を裁くことの難しさを考えてみてはいかがでしょうか。実際に陪審裁判をシミュレートした大まじめな公開実験が行われています。"疑わしきは罰さず、確信をもって有罪といえなければ無罪、という大原則が取り戻せるのが、日本の法廷に。報道機関が推定無罪を思い出さなければ陪審員制度は無理だろうな。
単に推定無罪というだけでなく.... (スコア:2)
「やったのはコイツと考えるのが合理的だが、起訴した訴因についての立証が無いから無罪」というのはあり得るわけですね。
日本でうまくいくといいけど・・・ (スコア:2, 参考になる)
この話題が出る度に言いますが、一般人が正しく裁けるとはなかなか思えないのです。アメリカで21年育ってきましたが、最初は当たり前だと思っていた陪審制度に対してかなり疑問を抱くようになりました。日本で話題になったかどうか分かりませんが、7、8年ほど前「マクドナルド訴訟」(女性がコーヒーをこぼして、火傷したのはマクドナルドのせいだと訴えて勝訴し、マクドナルドは400万ドル=5億円の賠償支払いを命じられた)が起こったのをはじめ、全く常識に反するような陪審判決が多く見られます。そして去年、陪審室での暴言、脅迫により判決が左右された事件(英語の記事)さえ起きています。
日本人はアメリカ人と性格が違うということは言えるでしょうし、今回導入されようとしている制度はアメリカの陪審制度と異なるということもありますので、最初から絶望することもないかもしれませんが、私としてはやはり気にせざるを得ません。こういった制度改革は極めて慎重に考えて実施すべきだと思います。
ちなみに、ちょうどこの話題を取り上げた日本語の小説がありますが、「司法戦争」(中嶋博行著書)というものです。もし興味があれば呼んでみてください。
#私が初めて読んだ日本語の小説でもあります。(^_^)
陪審なんてやりたくないよね (スコア:1)
-- wanna be the biggest dreamer
刑事と民事 (スコア:1)
民事事件の場合は、完全に第三者であることはまずない上、内容が単純であることが多いので、国民感情に任せて判断されてしまうことが多くなる。
というような感じじゃないですかね?どちらにしろ、陪審員制というものが歴史的に存在しない日本でいきなり導入するというのは無謀なことこの上ないと思います。
# やってみたいとは無責任にも思ってしまうけれど。
日本の「陪審制」 (スコア:1)
チャチャ入れみたいで心苦しいけど、日本にも陪審精度は「存在」するよ。戦前に導入され、戦中に「戦争遂行の障害となる」という理由で一時停止されたままで、現在も制度的に残ってる「だけ」なんだけど。
それから、(ここに書くのではなく元記事に書くべきだと思うけど)現在の司法制度改革で導入が検討されているのは「陪審制」ではなくドイツ型の「参陪制」。裁判の評議に裁判官(プロ)と陪審(アマ)が協議して判決を決定するという制度
「日本には参加型の意思決定制度は適さない」という議論はよくあるけど、例えば司法の場であれば検察が告発を見送った事件に関して、被害者等の求めに応じて検察の決定が正しかったかどうかを審議する「検察審査会」という機関が置かれていて、実際に有権者の中から委員を選出している。この制度は検察官の中からも高く評価されていて、決して日本でも市民の参加による司法制度が適合しないという評価は適さないと思うな。
検察審査会体験記
「法律だとか、裁判なんてメンドクサイものは難しい司法試験をクリアした裁判官や弁護士や検察官に任せておけばいい」って考え方には一理あると思うけど、彼らの判断が常に正しいとは限らないから、「司法制度改革」なんじゃないの? 結局人間が作ったものなんだから、完璧はありえないけどよりみんなが納得できるシステムとしてならば参陪制って導入してみる価値がある制度だと思うけどな。
#ソフトウェアは法律に似ている。逆も然り
Re:陪審なんてやりたくないよね (スコア:0)