hisao9105 曰く、
ツイッターやってないので自分に利害はないんだけれども、これはちょっと横暴だと思う。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/10/zamashi9_a_23272808
今回の件でツイッターを見せしめにして歯止めをかけようとしている(という建前)なのだろうけれども、こういったケースの重要な所は「そういうことをする人間がツイッターをたまたまツールとして使ってた」っていう点であって。
たとえばツイッターがなくなってもFB含めて他のツールを使って同じようなことはおきるし実際に昔から起こっていた。90~00年代に流行った自殺サークルだとか、その前はパソコン通信だとか雑誌の欄に符丁使ってだとか、更にさかのぼると宗教団体だとかグループだとか作って勧誘したりだとか。
要は人間が他者とコミュニケーションとる限りそういったリスクは絶対にゼロにはならないし逆に完璧な「規制」かけるのならそこには「個々人間の繋がりの完全な分断」が待っているわけで、そんなものは文明社会とはいえないわけで。そしてそれでも「そういうことをするヤツ」というのは困らないわけで。
割り食うのはルール守って使っている/いたまともな側の人間だ。
もっといえば根本にある理屈が「手を怪我するからカッターや鋏を無くしましょう」みたいなキチ親のそれと似てる様に感じられて感情的にも同調できない。
この件だけでもなく、また日本だけでもないけれど、最近の各国の「規制ラッシュ」にはどうにものれない。規制/禁止したところでこういった犯罪がなくならないのは上で述べたとおりだし、むしろ新しい技術やモノが産まれ文明が発達発展していく上で害悪にしかならない。
ツイッター等のツールだけではなくて特定の金融商品だとかモノや技術だとか。見ていると「難癖つけて潰したいだけなんじゃねぇのか」と勘ぐってしまう位妙な話が多すぎる。
人がつくりしモノならば人を援けることが出来るはず。
必要なのはモノを禁じる事ではなくて使い方を教育して人がそれを良いコトに使うようにレールを敷いていくことだと考えている。