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厚生労働省は「不公平だ」「けしからん」などとぐちゃぐちゃと言葉遊びを重ねている前に、この15才の少年の短い生涯を見習うべし。
素朴な疑問ですが、臓器移植って「死」の概念にまで手を付けて実行するほど の大した技術なんでしょうか。
ふ~む・・・難しいですね。心臓移植以外に助かる道が無いと診断された14才の少女に、臓器移植を受けさせず、結果的に「死ね!」と宣告するに等しい事をして、実際にその少女が死んでも、そのあなたの死に対する概念というのは守られるだけの立派な価値があるのかどうかという疑問と同程度に難しいです。
まあ、(生命に関わるほどのではないにしても)病気になって入院でもしてみれば考えが変わりますよ。「まだ死にたくない」「愛する家族や友人ともっと一緒に過ごしたい」という願いがどれほど切実な物か。でも、たとえ今は健康であっても、そうでない人に対する配慮とかもできるといいですね。
というか、あなたが臓器移植に反対なら、自分は臓器を提供しない事を明確に意思表示すればいい し、自分が受けなければいいだけの話ではないですか。あなたとは別の考え方を持つ人もいますの で、臓器移植を禁止せよというのであれば、それは「死ね」と言っているわけで。
立派な考えだと思います。
しかし、どう考えても死ぬにはまだ早すぎる子供が、不慮の事故等で亡くなった人の身体の一部を使わさせてもらって、成人して結婚して・・・という風に生きてもらいたいと願う親がいたとしても、私は理解できます。
それで、臓器移植は確立された有効な治療の1つであり、タブー視する理由は無いという立場もあると思います。
だったら入院したのは148万1千人 [mhlw.go.jp]なので、全然桁がちがうじゃないか、東大と病院を同列に扱うのはやっぱり無理だという反論を受けそうだなって事が、前もって思いつきません?
いや、単に「たとえ話は、物事を説明するのに、より解りやすい」という目的で使う場合に効果的なのであって、かえって解り難かったり、「何か変だな?」というたとえなら使わないほうがいいと思っています。結局、病院(入院)に東大を持ち出して反論した事で、たとえの応酬合戦になってしまったわけですが、せっかく反論を寄せていただいたのですから応じたまで、というのもあります。
その様な人は実際には極めて少ないとでもおっしゃりたいのでしょうか。こういった資料があります。
> ところで、入院した人のうち、臓器移植を必要とする人は何割ですか? その様な人は実際には極めて少ないとでもおっしゃりたいのでしょうか。こういった資料があります。
ざっと調べてみたところでは、総務省統計局 [stat.go.jp]の資料によれは、「2-17 出生・死亡数と婚姻・離婚件数」(なんでExcel...)より、平成12年度の死亡者総数が961,653人、同じく「2-4 年齢各歳別人口(平成12年)」(なんで...以下同文)によれば、18歳人口が1,510,000人。 Technical Type さんの挙げた数字を元に臓器移植により救えたかもしれない死亡者数が700+250+2300=3250(腎臓、心臓、肝臓以外の疾患でも移植で助かったかもしれない人がいるかもしれないけど、とりあえず) 東京大学の学部学生・大学院生の入学状況 [u-tokyo.ac.jp]より、学部の入学者総数が3318人(平成13年度) これらから、全死亡者数の内移植OKなら助かった可能性のある人が0.34% 18歳人口に対して、東大へ入学した人の割合が0.22%
この数字から見て、多少の差はあるけど、お話にならない程(桁が違う程)の差ではない(=統計的に比較例として不適切な程には違わない)。
東大のたとえは、いわば「おととい来やがれ!」といったニュアンスを含んでいる反論だという解釈もできます。ですからこのたとえはこの議論にはそぐわず、話が脇道に逸れるのです。
一方、入院に関しては、入院していない人であっても、入院している人を見舞いにいくなどすれば、その人の境遇に配慮を示す事もできます。これは、臓器移植を考える上で関係があります。
それもあって、入院の話に東大の話で反論するのは、違うのではないか、と思います。
一度死んでしまった人が、別の病因で死にたかったからと言って死に直す事はできないけど、東大に入りかたっけど落ちてしまった人なら、来年もう一度挑戦する事もできます。 そういう意味でも東大の例話はあまり適切ではないと私も思います。
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I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
厚生労働省は「不公平だ」「けしからん」などとぐちゃぐちゃと言葉遊びを重ねている前に、この15才の少年の短い生涯を見習うべし。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
素朴な疑問ですが、臓器移植って「死」の概念にまで手を付けて実行するほど の大した技術なんでしょうか。
佐藤亮一 in Frankfurt Germany
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:2, 参考になる)
ふ~む・・・難しいですね。心臓移植以外に助かる道が無いと診断された14才の少女に、臓器移植を受けさせず、結果的に「死ね!」と宣告するに等しい事をして、実際にその少女が死んでも、そのあなたの死に対する概念というのは守られるだけの立派な価値があるのかどうかという疑問と同程度に難しいです。
まあ、(生命に関わるほどのではないにしても)病気になって入院でもしてみれば考えが変わりますよ。「まだ死にたくない」「愛する家族や友人ともっと一緒に過ごしたい」という願いがどれほど切実な物か。でも、たとえ今は健康であっても、そうでない人に対する配慮とかもできるといいですね。
臓器移植の意義? (スコア:1)
>手を付けて実行するほど の大した技術なんでしょうか。
大した技術かどうかですが、それによって助かっている人が
現実に居る以上、大した技術と言えるでしょう。その上、反対
なら関わらないようにすることが出来る制度があるのですから
制度的にも大したことがあると思います。
Re:臓器移植の意義? (スコア:0)
倫理的な問題というのは、そもそも自分が実際に関わるかどうかとは無関係に議論するべきだと
思うのですが。
で、大した技術かどうかですが、人工臓器がつかえるレベルで実
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
とは言いますが、ではあなたが臓器移植に積極的に賛成した結果、助かった人によって不幸にさせられてしまった人達、たとえば移植を受けた人が殺人を犯してしまった場合の、その
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
>助かった人によって不幸にさせられてしまった人達、たとえば
>移植を受け た人が殺人を犯してしまった場合の、その被害者や家族。
明らかに犯人のみの責任であって、移植治療の責任
ではないでしょう。
>もっとありがちなところで、移植を受けた人が結婚したことで、
>その相手と結婚できな かった誰か。彼らに対する責任をあなた
>は取れるんですか?
「あいつが死んでいれば、俺は結婚できていたのに」
ということ?これはちょっと酷いのでは?
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
臓器移植とはまた別件だとは思いますが、
ある程度危険なものだったら同じような話には
なるんじゃないでしょうか?
拳銃を売ってる店とか。
おそらくすでに誰かが言っているでしょうが、
誰が生きるか生きないかを決めるのはできるだけ平等にしたい、
と言う考えがあるのではないかなあと。
「誰か」が決めるとなると、力関係や人間関係で
決まってしまいかねないのではないかと。
もちろん、そういう、「力(魅力とかも含む)」を持った人間を
生かしといたほうが有益->適者生存という判断方法もあるでしょうが。
それこそ未来予測の精度という話になるわけで。
って、話しそれまくりだ。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
今の臓器移植を取り巻く環境というのは、人が死んでたまたま使える臓器があるから誰かに移植しようというのではないのだ。
誰か
あなたとは別の考え方の一つとして (スコア:1, 興味深い)
それを大前提とした上でのオレの考えを述べさせていただく。
オレは臓器移植は反対だ。
そこまでしてまで、誰かの死体を使ってまで、生きなきゃならないなんてまっぴらだ。人間は必ず死ぬんだ。死を恐れないと言えば嘘になるが、誰かの死体を使って生き延びるか、それとも死ぬかの選択をするハメになってしまったら、その時に、覚悟を決めるだけだ。
Re:あなたとは別の考え方の一つとして (スコア:1)
人はいつ死ぬか判らないので、その覚悟の「表明」は
事前かつ明示的に、"その時の自分"へ影響力を持つであろう人
(家族とか医者とか、か??)に対して、行なっておかないと
事実上無意味ですよね。
で、たとえばあなたは既に、臓器移植を「受ける」のは、
もしそういう場面になっても拒むぜ、と、だれかに告げておいてあるわけですか?
いや、単純に、その(法的に有為な)告げかたを、知らないだけなんで、
どうやるのか教わりたいだけです(^^;
俺っすか?
人に限らず生きものを殺すのは嫌だなーと言っておきながら
まいにち御飯は美味しく食ってる単なる薄情者ですから、
#ちなみに摂食も「他の死体を使って生きてる」ことですね。
俺も将来そういう場面に出くわしたら、泣いて臓器を欲しがったりするかもです。
俺は鬼に笑われて耐えられる自信は無いので、今は態度は決められません。はい。
食欲と臓器移植欲(!)との違いは、前者は動物に大昔からそなわってる本能なので、
それとの折りあいのつけかたを既に人類は昔から知っている(参考:各種宗教とか)けど、
臓器のほうは本能がそれを欲っするわけじゃない(臓器貰えれば助かることを理性で理解する)
ので、折りあいがつけられてない、というくらいのものかと思います。
ところで、他人(や身内?)に臓器を「あげる」話はまた全然別の話っすね。
#たしかにオフトピだな。
Re:あなたとは別の考え方の一つとして (スコア:1)
立派な考えだと思います。
しかし、どう考えても死ぬにはまだ早すぎる子供が、不慮の事故等で亡くなった人の身体の一部を使わさせてもらって、成人して結婚して・・・という風に生きてもらいたいと願う親がいたとしても、私は理解できます。
それで、臓器移植は確立された有効な治療の1つであり、タブー視する理由は無いという立場もあると思います。
Re:あなたとは別の考え方の一つとして (スコア:0)
言葉を借りますが,誰かの死体を使ってまで生きたいと思っている人は,いる訳で,その技術も既にある。
制度自体を否定するのであれば,あなたはその患者さんに死ねと言っているの
おふとぴ:臓器移植の進んだ未来は? (スコア:1)
わたしは臓器移植には積極的に反対してはいませんが、
かといって賛成ってわけでもありません。
>言葉を借りますが,誰かの死体を使ってまで生きたいと
取っても死なない臓器なら死体じゃないこともありえると思いますので、
「心臓移植」などと限定した方がいいのでは?
それとも、「死体からの臓器移植」に限定するのかな?
#でも、結局人間の欲望が暴走すると諸刃の剣になるんだよな。
#以前読んだ小説からの引用ですが、
#・臓器移植での免疫反応問題が完全に解消された
#・臓器クローニング技術も完成した
#・人々は臓器をブランド視し、性能や流行によって臓器を交換した
#・臓器移植技術がブラックマーケットに流れ、素材となる
#人間(特に幼児)の誘拐が横行
#(この世界ではだれもが遺伝情報を登録・公開するわけではないので、
#クローニングのサンプルを非合法に入手するため、らしい)
#・かくして臓器移植技術は公的に完全凍結、ただし闇ではまだ横行して...
# という状況が起きるという背景のものがありました。
#フィクションであっても、想像するとぞっとしました(汗)。
#でも、東南アジアで臓器を買って移植するって噂話は
#かなり前からありましたねぇ・・・。
#死体じゃなくても使ってる状況の噂もちらほらと。
技術が悪いわけではないのだけど、その運用が適切で、他者に被害を
加えないものであるかどうかは、常に検証されるべきと思います。
#ヒトの生命に関わる技術の取り扱いや議論は慎重にしないと・・・>自戒を込めて
>思っている人は,いる訳で,その技術も既にある。
現状の技術はまだ不完全ではなかったでしたっけ?
#免疫反応の問題を解消する技術は完成して普及してるのかな?
#数年前に概念を新聞で見た気がするけど・・・そういう現場に
#関わりがないから実情は知らないのです。
#移植しても以後ずっと免疫抑制剤を飲み続けるような状況というのは
#それはそれでつらいと思うのです。
#免疫能力が恒常的に落ちるってことは、日常生活にも支障を来たす
#場合もありますしね。
---- redbrick
オフトピですね (スコア:0)
Re:おふとぴ:ついでに (スコア:0)
「阪神(別に巨人でもいいんだけど)ファンにだけは嫌だ」とか。
政治宗教思想人種国籍などなど・・・
オフトピついで。
Re:あなたとは別の考え方の一つとして (スコア:0)
#81826 [srad.jp]にたいしてのレスですので。
つか,話が堂々巡りだな。
Re:あなたとは別の考え方の一つとして (スコア:0)
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
その様な人は実際には極めて少ないとでもおっしゃりたいのでしょうか。こういった資料があります。
* 学部:平成13年度は3253名が入学しています。
* 修士課程:年間2751名の方が入学していると推定されます。
* 博士課程:年間1444名が、入学していると推定されます。
資料は学部学生・大学院 [u-tokyo.ac.jp]
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0, 余計なもの)
だったら入院したのは148万1千人 [mhlw.go.jp]なので、全然桁がちがうじゃないか、東大と病院を同列に扱うのはやっぱり無理だという反論を受けそうだなって事が、前もって思いつきません?
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
274万人 [mext.go.jp]なので、全然かわらないじゃないか、そもそも分母は同じでしかないんだから東大と病院を別々に扱うのはやっぱり無理だという反論を受けそうだなって事が、前もって思いつきません?
こんなの完全なオフトピなん
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
いや、単に「たとえ話は、物事を説明するのに、より解りやすい」という目的で使う場合に効果的なのであって、かえって解り難かったり、「何か変だな?」というたとえなら使わないほうがいいと思っています。結局、病院(入院)に東大を持ち出して反論した事で、たとえの応酬合戦になってしまったわけですが、せっかく反論を寄せていただいたのですから応じたまで、というのもあります。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
提供者の選択の幅が広がることはいいことなんじゃない。
気に入らないオプションだったら使わなければいいだけなんだし
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
あなたにとってはたいした技術ではないと思うのですが、後は臓器移植するぐらいしか治療法が無いぐらい体壊してる私としては、臓器移植ってかなり期待している重要な技術なんですけど。これって間違っています?
私の体が壊れていて、治療する技術のひとつとして臓器移植の技術が研究され、いつか自分の体を治療する選択肢となることを期待するのはやはり、世間的にはたいした問題ではないんでしょう
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
「生きたい」と切実に願う人がいるのと同様に「受け入れよう」という人もいるんだから。
>あなたの発言では臓器移植の技術=脳死判定の技術と混同されているように見えるのですが。
気のせいか思い込みでしょう。
病
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1, 興味深い)
それは誰もがまったく同じ意志を持っているんですか?
それは、不可侵なものなんですか?
もし神さんがいて、死を不可侵なものに設定しているなら
私らはいじくれないはずですが…
いじくれるってことはいじくってもいいんじゃない。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
>それは誰もがまったく同じ意志を持っているんですか?
どう読んでも、先の文章はそう読めないと思うのだが、
そう感じたのなら、どこを読んでそう感じたか教えてくれ。
あと、
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
>なんかやばい発言をしていることを自覚してください(w
やばいかなあ?
助かる(=死をいじる)ための新しい手段を発見発明してしまったんだけど、
これ使っても良いもんだろうか?という議論に対し、
「やろうよ」とか「やりたいよ」とか言うことが
必ずしもヤバいものとは、思えないけど。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
東大受験者のうち合格する率とどっちが高いんだろうなぁ……
>結局、あなたが無理に考えたたとえ話は、自分自身が納得するには十分だが、さほど説得材料にならないし、逆に無関係な話題に発展しかねないという、逆効果しか無いような。
鏡打ち。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
その様な人は実際には極めて少ないとでもおっしゃりたいのでしょうか。こういった資料があります。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
ざっと調べてみたところでは、総務省統計局 [stat.go.jp]の資料によれは、「2-17 出生・死亡数と婚姻・離婚件数」(なんでExcel...)より、平成12年度の死亡者総数が961,653人、同じく「2-4 年齢各歳別人口(平成12年)」(なんで...以下同文)によれば、18歳人口が1,510,000人。
Technical Type さんの挙げた数字を元に臓器移植により救えたかもしれない死亡者数が700+250+2300=3250(腎臓、心臓、肝臓以外の疾患でも移植で助かったかもしれない人がいるかもしれないけど、とりあえず)
東京大学の学部学生・大学院生の入学状況 [u-tokyo.ac.jp]より、学部の入学者総数が3318人(平成13年度)
これらから、全死亡者数の内移植OKなら助かった可能性のある人が0.34%
18歳人口に対して、東大へ入学した人の割合が0.22%
この数字から見て、多少の差はあるけど、お話にならない程(桁が違う程)の差ではない(=統計的に比較例として不適切な程には違わない)。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
東大のたとえは、いわば「おととい来やがれ!」といったニュアンスを含んでいる反論だという解釈もできます。ですからこのたとえはこの議論にはそぐわず、話が脇道に逸れるのです。
一方、入院に関しては、入院していない人であっても、入院している人を見舞いにいくなどすれば、その人の境遇に配慮を示す事もできます。これは、臓器移植を考える上で関係があります。
それもあって、入院の話に東大の話で反論するのは、違うのではないか、と思います。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
一度死んでしまった人が、別の病因で死にたかったからと言って死に直す事はできないけど、東大に入りかたっけど落ちてしまった人なら、来年もう一度挑戦する事もできます。
そういう意味でも東大の例話はあまり適切ではないと私も思います。