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世界初のアーケードビデオゲームはコンピュータスペースだった 24
ストーリー by nabeshin
レトロゲームコレクション 部門より
レトロゲームコレクション 部門より
shumiyaoの日記曰く、
クラシックゲームの歴史「アタリ社編」 れとろげーむまにあより。
アタリ(ATARI)は、アメリカのノーラン・ブッシュネル氏(以下NB氏)が1972年に創業した世界初のビデオゲーム会社(厳密には、ビデオゲームを作る為だけに創立された会社としては世界初)。NB氏は、アタリ創業前にビデオゲームのアーケードゲーム化を目指し、1971年に世界初のアーケードビデオゲーム「コンピュータースペース」を開発。ナッチング・アソシエーツ社から発売された。
(自称)ゲーム愛好家を約四半世紀やっているけど、今までポンが世界初のアーケードビデオゲームだと思っていた。実は「コンピュータースペース」と言うゲームだったんですか!?
ググッて見たら、シミュレータがありました。
その辺の経緯は (スコア:1, 興味深い)
番組にブッシュネルその人も出てきますが「Computer Space」のソフトはMITの学生だったスティーブ・ラッセルが作ったゲーム
「Space War」をそのまま利用していたとか近所の酒場で最初に「Computer Space」を置いたら操作が難し過ぎるので不人気で、
酒かっくらいながらでも片手で簡単に遊べる奴が良いってんで単純な「Pong」が出来たとか、そんな話があったとうろ覚え
Re:その辺の経緯は (スコア:2, 参考になる)
確かアーケードの実機が展示されていました。
その際の説明はこちら [kahaku.go.jp]。
基板を買うようなゲーオタからすれば (スコア:1, すばらしい洞察)
誰もが知ってる事実だと思ってました。
最近になってから基板買うようになった人たちは
昔のゲーム系の本をヤフオクやアマゾンで買うとかして研究しないのかしら?
日記からのタレこみ (スコア:0, すばらしい洞察)
なにをいう (スコア:3, おもしろおかしい)
Re: (スコア:0)
これだけでもこのタレコミの価値はあった。
Re: (スコア:0)
かと思った。
ほんの一瞬。話題が話題だっただけに。
Re: (スコア:0)
がんばって話題を広げてみる (スコア:0)
で、それが実は常識レベルの事だったりして。
#後はまかせた
Aだと思いこんでいたけど、実はB (スコア:1)
実は…
みんな、ビボーが悪いんだぁっ~!
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
参考リンク (スコア:0)
WhirlWindはイギリスじゃなくて、アメリカのコンピュータだと思うのだが……よくわかんね。
しかし、米軍の金でこっそりゲーム作って遊ぶたぁ、フザケタ連中だことw
#日本のコンピュータ黎明期にもこういう連中いたのかね?
Re:参考リンク (スコア:4, 参考になる)
もともとは、軍用機開発のための操縦シミュレーター用に始まったものだが、やがて、リアル・タイム、対話型で、コマンドライン入力とともにライトペン(当時の呼称はライトガン)を用いる超先進的なシステムへと変身してゆく。磁気コア・メモリーもワールウィンドのために開発された。
米空軍はワールウィンドを原型として、米全土をソ連の攻撃から守るためのレーダー防空システムSAGEを構築する。
SAGEは、レーダー・スクリーン上の輝点に、ライトガンによって、敵味方不明、所属などの別を示すコードをはりつけ、輝点の移動に追随させることができた。
つまり、現在の空港管制システムの原点。
また、初の全米規模のコンピューター・ネットワークともなった。
ワールウィンドの実際の開発を担当したのはMITサーボ機構研究所(のち、担当部門がMITデジタル・コンピューター研究所として独立)と、防空技術開発のために設立されたMITリンカーン研究所。このMITリンカーン研究所はトランジスター方式のTXシリーズも開発。これにかかわった人物ケン・オルセン設立のDECが開発したのがPDPシリーズ。
DEC以外にも、MIT人脈から派生したヴェンチャーにはSDC、MITRE、BBNなど、コンピューターやコンピューター・ネットワーク、さらにはインターネットの歴史を語る上で外せない名前がある。
このあたりのことを概観する最近出た本としては、脇英世の『インターネットを創った人たち』(青土社)あたりがある。
で、MITに納入されたそのPDP-1をハックした好き者、スティーヴ・ラッセルとその仲間たちが作り出したのが世界で最初の、一発限りではない、成功したコンピューター・ゲームである「スペース・ウォー」で、1961年のこと。
お手本にしたのはE.E.スミスの「宇宙のスカイラーク」シリーズとのこと。
人類の存亡にもかかわる第三次世界大戦に備えて実用化された対話型でグラフィック機能にもすぐれた最新のコンピューターを、この初代ハッカーたちはお遊びの道具にしてしまったのだ。
ラッセルとその仲間たちは世界最初のテレフォン・フリークス(phreaks)、つまり、電話クラッカーでもある。
このスペース・ウォーはオープン・ソースとして全米の研究者の間で人気をよび広く頒布されることになる。もっとも、人気をよんだ最初のきっかけはDEC社が、納入されるPDP-1の診断プログラム用に、スペース・ウォーのプログラムを添付するようになったからというが。
で、世界最初のミニコンのひとつとしてベストセラーになったPDPシリーズのその後期型をユタ大学で遊んでいたのがノーマン・ブッシュネルだった。
大学卒業後、シリコン・ヴァレーでアンペックス社に就職したブッシュネルは本業のかたわら、スペース・ウォーのコンセプトをいただいて、「コンピューター・スペース」を開発。
1968年にナッティング・アソシエーツ社からリリースされたコンピューティング・スペースは筐体数にして1500台が製造されたというから、マーケット的には、伝説に言うほどの失敗だったわけではないだろう。
しかし、ブッシュネルがもらったロイヤリティーはたった500ドル。
そこで翌1972年、ブッシュネルは自分の会社を設立する。このアタリ社が「ポン」でヒットを飛ばすことになる。
コンピューター・スペースは決して、スペース・ウォーのコピーではない。てゆうか、PDPシリーズのような高価なミニコンを使うわけにはゆかないので、むしろ、スペース・ウォーをダウングレードしなければならなかったのだ。このため、オリジナルが対戦型なのに対し、コンピューター・スペースは機械相手。ただし、末期には対戦型もあったという。
コンピューター・スペースは未来的メカとして、70年代の映画にも登場している。
1973年の『ソイレント・グリーン』と1975年の『ジョーズ』だ。スピルバーグの趣味なのだろう、『ジョーズ』のビーチハウスの前に並んだアーケード・マシンの中に黄色い筐体のコンピューター・スペースの姿が見えている。
コンピューター・スペースを初めとした初期のアーケード・ゲームの歴史に関する日本語サイトとしては
シューティングゲームの歴史(第一章)
シューティングゲームの歴史(第二章)
がある。ディープ・リンク禁止とあるのでトップ・ページのアドレスだけ紹介すると、
http://spitfire.client.jp/ [client.jp]
資料の誤読なども散見されるが、ここまで詳しい日本語サイトはほかにあまりない。
でも、サイトの作りはぐしゃぐしゃ。
YuiTad
Re: (スコア:0)
アマゾンでも買える (スコア:0)
Re: (スコア:0)
メメントみたい。
Re: (スコア:0)
#1276653からすると、そこに書くようですけど、チラシの裏に書く意味って何なんでしょう?
Re: (スコア:0)
公共性の無い独り善がりな落書きや独り言は、そういった他人の目に付かない所にこっそり書いて自己満足していろよ、ってことを
暗喩して言う言葉です。
このスラドにタレコミを連続投稿するアカウントユーザーの中には、投稿数を水増しするかのように無理矢理タレこんでない?って
邪推したくなるような記事が混ざりがちなので、そういったのを諭す意味で使われることが多いようです。
Re:なんだこれ? (スコア:1)
最初に前置きとして、「そんなのはチラシの裏にでも書いとけ、と言いたいところだが」とかあれば解りやすいですけど。
Re: (スコア:0)