英語版Wikipedia、編集承認制を導入へ 31
この流れにガラパゴス化しないでほしい 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
英語版Wikipediaは存命の人物関連記事への変更を全て承認制にするという方針に近々切り替えるとのこと(マイコミジャーナル、本家/.記事)
存命の人物に関する記事は特に悪意ある編集の標的になりやすく、個人に深刻な被害を与える可能性が高くなっている。このため記事への変更はベテランWikipedia編集者の承認の受けないと公開されなくなる「flagged revisions」機能が導入されることとなったという。この機能はすでに昨年ドイツ語版のWikipediaにて導入済みだそうだ。
NY Timesの記事によると今回の方針はWikipediaがその影響力の大きさを自覚したことの表れであり、混とんを容認するカルチャーから脱し、より成熟して信頼にたるものに変貌する意志の表れでもあるとのこと。既にここ数年Wikipediaでは匿名ユーザーによる新規記事作成は認められておらず、また人気記事や激しい議論が繰り広げられる記事などは「保護」や「半保護」され編集が制限されてきた。また、誤った情報をわざと掲載するケースなども見受けられたが、承認制を導入することで捏造を防ぎ、記事の精度を向上させることが可能になるという。
どのような編集者に承認権限が与えられるかは未定だが、Wikipediaの関係筋によると数千人単位となる予定とのこと。ドイツ語版では承認権限のある編集者は7,500人近くいるが、英語版はドイツ語版の3倍以上の記事があるため更に多くなるとみられている。
なお、この件は8月25日からアルゼンチンのブエノスアイレスで開催されているWikimania 2009でも議論が重ねられているとのことだ。
ありがたいことに私の狂気はベテランWikipedia編集者が保障してくれるというわけだ (スコア:1, おもしろおかしい)
ベテランWikipedia編集者の正気は
一体どこの誰が保障してくれるのだね?
Re:ありがたいことに私の狂気はベテランWikipedia編集者が保障してくれるというわけだ (スコア:1)
ルールの地上代行者
我らが使命は
我がルールに逆らう愚者を
その肉の最後の一片までも絶滅すること
エイメン
Re: (スコア:0)
Re:ありがたいことに私の狂気はベテランWikipedia編集者が保障してくれるというわけだ (スコア:2)
まず世の中の過半数の人が正気だという保証から (スコア:0)
/.の場合、不正モデをする輩もいるわけだ。そして「不正モデ」として別な人が是正をかけることができるわけだ。それは少なくとも過半数のモデレータが正気じゃないと成り立たない訳だ。
管理者が正気じゃなければWikipediaが情報源として信頼されなくなるはずなので、管理者の正気は閲覧者によって担保されているのかもしれない。ただしWikipediaがむちゃくちゃでも一般閲覧者が妄信することはないという条件付き。
その前提が崩れてWikipediaがむちゃくちゃでも世の中の過半数支持を得られて妄信されてしまったら、そう考える自分か世の中の過半数のどっちかが正気じゃないとなるが、どっちなのかはまず何をもって正気とするかを考えてみたらきっとわかるに違いない...たぶん。
Re:まず世の中の過半数の人が正気だという保証から (スコア:1)
現在の管理者の権限の強さからすると、管理者が正気を失った場合(または、そこまで極端ではなくても独裁的兆候が出だした場合)でも一般閲覧者(や一般編集者)による抑止力は期待できないように思われますが・・・
Re: (スコア:0)
いや、「Wikipediaの管理者」を選べる必要はないです。「情報源としてのWikipedia」を信頼するかどうかを選べばいいのです。
# 「『ただし』出典はWikipedia」とかがあまり信頼してない典型ですね
代わりの、よりまっとうなオンライン百科事典をだれかが立ち上げて、そっちに人気が移ってしまえば管理者はWikipedia共々沈むことになりますからね。
さらにWikipediaの場合、直接的に潰せる方法があります。広告収入ではなく寄付で運営されているようなので、寄付が減れば滅びるかもしれないんです。(管理者が正気でなくてもついていくような人が寄付の大半をしているのではない限りは。)
滅びる前に、正気に戻って方針転換するかもしれませんし。
Re:まず世の中の過半数の人が正気だという保証から (スコア:1, おもしろおかしい)
/.Jの場合、編集者が自分の別アカウントでたれ込みして編集者として採用するなどの自作自演行為が常態化しているので、モデレータが正気だったとしてもサイトの方向性自体の正気の保証は既にできないでしょう。
同様のことがWikipediaで起こらないという保証もありません。
Wikipediaに保証をもとめなければ解決
Re:まず世の中の過半数の人が正気だという保証から (スコア:1)
Re: (スコア:0)
違う違う。
「要出典」が貼れないような状況でもすっぱ抜いてくれる人が居る!
…ってのがスラドの売りのはずなんだけどね。
ACの本来の用途のことね。
ACの本来の用途は日本では既に法律(名前忘れた>タレこみに関する法律が数年前に出来たよね)で「封印」されてしまったからなあorz
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
他にもいたよな
前に指摘されてたのは1年以上前の話で、そのコメントがどこにあったかもう覚えてないが
ACでのタレ込みが編集者の自作自演でない保証もない
Re: (スコア:0)
既に日本語版Wikipediaは要出典厨が跋扈してるからなー。(ため息)
Re: (スコア:0)
記事は書くがWikipediaの「常識」には比較的無頓着な連中と、記事は書かないがWikipediaの「常識」に詳しい連中が、それぞれ「自分たちの方が{偉い|貢献度が高い}」思ってるんでしょうねえ。
雰囲気としては営業と技術、管理職とコード書きみたいなものを感じる。
日本語版では一時期(今も?)「要出典」が俗説や政治的に偏った記述を消し去るための大義名分として使われていたような面があったので、それが印象を悪くしたというのもあるでしょう。
逆に、何でかんでも書いてしまえという時代もあったので、あの混沌時代に戻させてはならじとがんばっている人もいるのでしょう。
もっとも「太宰治は日本の小説家」というレベルの記述にも出典が必要で、それがなければ削除されてもしかたがないという原理主義者を見た時は唖然としましたが。(啓蒙だの教育だのってのはこういう意識をもった人を増やすってことですかね)
Re:まず世の中の過半数の人が正気だという保証から (スコア:2, 興味深い)
他の論文に拡散して面白かったとかなんとか。
似たような例(ただしソースはwikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E6%A7%8B%E8%A8%98%E4%BA%8B [wikipedia.org]
Re:まず世の中の過半数の人が正気だという保証から (スコア:1, 既出)
Re:まず世の中の過半数の人が正気だという保証から (スコア:1, すばらしい洞察)
> ちょっとググれば出典になりそうなサイトを発見できるようなことでも、まったく調べていないらしい感じがすることですね。
あなたがつけてあげればいいのに。
そもそも、わざわざ出典を書かないで記事を書く奴が悪いわけで、それに対して正当性を求めても、文句を言われる筋合いは無いわけですよ。なのに、「やる気がそがれる」とか言い出して、変に争いになるし。
まあ、ウィキペディアの啓蒙不足が一番いけないんだけどね。
> 記事をよくすることよりも体裁を整えることに注力し、しかしその努力も中途半端。
記事をよくすることと体裁を整えるは同じだと思うんだけどな。人は形に引きずられるし、英語版の出典の多さを見れば、まずは形だけでも出典を求めることが大切なのはわかると思いますよ。
Re: (スコア:0)
読んでて「うわ、駄目な記事だなー」って思ったからって読み手が書き手を助ける理由なんて特にないと思うよ。
これは有料の書籍や無料でもウェブ上に転がっている個人サイトでも同じ。
Re: (スコア:0)
あなたは溜飲を下げられるかもしれませんけど、その行為によって迷惑をこうむる第三者がいることをお忘れなく。
目的で手段を正当化してはいけません。
Re: (スコア:0)
>目的で手段を正当化してはいけません。
Wikipediaの信頼性なんてもともと大したもんじゃないでしょ。あれをそのまま信じている人なら他でもどうせ騙されまくってる。
積極的に嘘を混ぜるのがいいことだとは思わないけどね。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
散々枝が太ってからのマジレスだけど (スコア:0)
> ベテランWikipedia編集者の正気
これは数学で保証する。
ただし編集者個人について保証するのでなく、また「正気な人の方が狂気な人よりも有意に多い」ということが絶対的な前提条件になる。もしこの条件が満たされれば、編集に関わる人数を増やせば増やすほど正気な作業になりやすいことになる。しかし、1つの作業に関わる人数が増えれば増えるほど効率が落ちるので、結局「少なめの複数人」が作業に関わるのが現実的となる。
今回の例でいうと、承認制にすることで「執筆者と編集者の両方が狂気でない限り、狂気の記事が掲載されることはない」ということ
Re: (スコア:0)
正気の執筆者Aの記事→狂気の編集者Xが却下
正気の執筆者Bの記事→狂気の編集者Xが却下
正気の執筆者Cの記事→狂気の編集者Xが却下
正気の執筆者Dの記事→狂気の編集者Xが却下
狂気の執筆者Eの記事→狂気の編集者Xが承認
編集者が狂気であったらおじゃんな気がしますが
妥当な進化かな (スコア:0)
今まで「パッチを投げたら即コミット」状態だったのが、
「パッチを投げて承認されたらコミット」になるわけでしょ。
Re:妥当な進化かな (スコア:3, 興味深い)
存命の人物についてだけね。これは非常に大きな違いだよ。
日本の既存の国語辞典や百科事典は、存命の人物や存続している企業名については立項しないのが普通なので、妥当だと思うけど。(学研だけはどちらも立項)
どうしても、ご本人や広い意味での関係者からクレームが付いてしまうので。政治家や学者さんの項目を作ると、右や左の人が版元にやって来て、「○○が載っているんなら、ウチのセンセイも載せろ」と主張したりするから、当たり障りのなく、かつ、明確な基準がないと。
例えば初版の大辞林には長谷川町子とか澁澤龍彦がないけど、二版の発行時には物故者となっていたので、掲載されています。(このお二人についてクレームがあったとか、なかったということではありませんので、念のため)
Re:妥当な進化かな (スコア:1)
>日本の既存の国語辞典や百科事典は、存命の人物や存続している企業名については立項しないのが普通なので
ほー。ということは、いつぞやIRCで出した「書かないというルールでもいいだろ」って、つぶやいたのは、既存と照らすと普通の意見だったんだな。
分野ごとの人物事典があって、それは、それ相応の観点と調査と。それにともなう事実関係の確認や内部レビューが必要だろうから
パフォーマンスが悪いんじゃないかなー。程度で終わらせてたよ。
(通常の事典ですら各項目毎に調査執筆者を書いて、個別に責任持たせてたのがあるぐらいだ。きっと人物事典もそんな感じなのだろう)
亡くなられた方だからこそ、客観的事実の有無というのは、強く求められているものであると。そう考えたいものですね。
# そのためには検証できることが必要で。そのうち時の流れに負けるんだ。 メンテの必要が出た時には、手遅れなんだ。
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