SaySetの日記: なぜ、宗教的な示唆に不快感を抱くのか。 5
日記 by
SaySet
結局のところ、ある概念に対する普遍性をあまりに無邪気に振りかざされるところに、違和感をかんじているのだなあと思った。
その方は、「自分の存在が無意味と感じられること(その可能性があること)が不愉快だ」と思われているらしい。また、「自分の存在を無意味と感じないために、『神の意思』という発想を取り入れている」ということのようだ。
その考えに異議を唱えるつもりはない。あくまで、その方個人の信条であるのだ。
また、前者に対しては、たしかにそのとおり。それで不愉快に感じない人はいないだろう。
しかし後者に関しては、私はまったく同意できない。『神』などという概念を導入しなくても、私は十分に生きがいを感じられると思うからだ。
自分が同意できない示唆の提示に対して不快感を抱くこと。それ自体は、おそらくごく自然な感情なのだろうとも思う。
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ちょっと追加。
「同意」という言葉は適切ではないかもしれない。「理解」「納得」... うーむ。どれもちがう。
「同意できない」というより「同意していない」の方が適切かな。
うむ (スコア:1)
神と人生の意義は直交する観念ではないかと……。
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「進化論的世界観」は空疎なのか? (スコア:1)
私には、「神の意思」に制御された世界は無機質で空虚だと思える。
そこには偶然の働く余地がない。全ての不運も、すべての幸運も
神の気まぐれしだいだとしたら、それこそ人は何のために生きる?
が、これはしょせん個人の感情なので誰かに同意を求めることはしない。
Big Brotherの存在しない、「進化論的世界観」を空疎と感じるという人が
居たとしても、それはその人個人の感情なので、何を思おうと自由だ。
その人に求めることがあるとしたら、ただひとつ。
俺に同意を求めるな。これに尽きる。
Re:「進化論的世界観」は空疎なのか? (スコア:1)
それ、いいですね。そういうことなんだなあと思います。
同意を求めるな、か (スコア:1)
φ(。。)メモメモ
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専門家じゃないけど (スコア:1)
「進化論 世界観」とかでぐぐっても、思想背景とその対立が理解できそうな、よさげな資料があんまり見つからないんですよね (^_^; 。科学は方法論だと思うので、宗教的観念との折り合いは付けられないものではないと思っています。神は全てを知っているのかもしれないけど、神の申し子は科学を知らなかったかもしれません(w。
宗教を権力の道具に使う人は大っ嫌いですが、「神」という考え方自体はそんなに嫌いではなかったりします。「万物は、神によって生かされている」という考え方は、「子供は、親、家族によって生かされている」という現実に通ずるものがあります。神を真に信じる心のある人は、人に対しても真に優しくあることができる、というわけです。
おいらの場合、無神論者というよりは、何の宗教にも支配された経験がないために、神の信じ方を知らない無学な人間です。おいらは自分で考えて自分で行動を起こさなければ、自己の存在意義を見出すことはできないことを知っています。無神論者はこの作業を、自分自身で未来を切り開くものであると信じています。宗教人は、神の教えに従い、神によって授けられた運命であると信じているのかもしれません。でも、それって、感じ方が違うというだけで、結局はやっていることも、やらなきゃいけないと分かっていることも、同じなのではないかと思うのです。
心の支えをもつということは素晴らしいことだと思います。彼らが神の教えであると言っていることは、実質的には親の教えであり、教会がある地域の教えであり、人と人とのつながりの象徴であると思います。おいらはそういうものは物凄く羨ましいことだと思います。
むらちより/あい/をこめて。