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日記

YoRの日記: 以前書いた一族で銀行に行った人のこと

日記 by YoR

あの時の話をよく思い出してみたら、その人は松平大膳家の家来の血筋だった。
名字帯刀を許され、当時の記録には「牢人(浪人と同じ)」とされている。本来この言葉は主君を持たない武士を意味するので、ちょっと矛盾を感じる。ちなみに系図には「松平志摩殿家中」と記述されている。松平大膳家は代により志摩を名乗る人物もいる。

松平大膳家は、高松松平家(水戸徳川家連枝)の分家家老で、主家に養子に出たものもいる。また、高松藩の隣の徳島藩主蜂須賀家へ養子に行った者もおり、その子孫は蜂須賀家の一族家老として残ったそうだ。蜂須賀家本家はまた他(佐竹家)から養子をとり、その後将軍の息子をもらってその系統で子孫が残っているらしい。松平大膳家にしろ結局は家康の子孫である。(佐竹からの藩主の系統も残ってるみたい)

元に戻り、タイトルの人物だが、先に書いた通りやはり血筋が良い。(幕府から見て)陪臣の為、明治には士族にはなっていないのだが、そういう名門の家臣の直系である。恩師の推薦で行けたと言っていたのだが(それは正しいのだろう)、地方銀行の支店長という地位に上ったのには、そういう筋の良さがあったのではなかろうか。

私の親戚には、東京第一弁護士会の元会長や、国立大学の元学部長などがおり、古くは近衛師団に入った人や、禁裏に女官として入った人もおり、やはりそういった地位には血筋が関係していそうな感じはある。弁護士の人も、その祖は徳島藩から名字をもらったという土地の名門である。

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日記

YoRの日記: エンジン 2

日記 by YoR

インタビュアー「今日は究極のエンジンを開発したという物理学者、有江寧先生の研究室からの取材です。先生よろしくおねがいします。」
有江寧「よろしく」
イ「早速ですが、先生はこのたび究極のエンジンを作成されたとのことですが、どのようなものなのでしょうか。」
寧「今までのエネルギーは全て我々の宇宙の中のものを利用していました。ですから宇宙が熱的平衡に達するまでしかエネルギーが使えません。」
イ「は、はい」
寧「つまりそこに上限があるのです。ならば我々の宇宙の中のものではないものからエネルギーを取り出せばどうなるか。」
イ「どうなるんですか。」
寧「我々の宇宙では取り出せない量のエネルギーを生成できます。」
イ「それはすごいですね。」
寧「そして作ったのが、この宇宙創成エンジンです。」
イ「宇宙創成…」
寧「原理の説明を兼ねてここで実演しましょう。ここに宇宙創成以前の揺らぎがあります。ある、と言っても概念的なものですので実際にあるわけではありません」
イ「概念的?」
寧「この安定化にとても工夫が必要でした。また概念化されているとはいえそれを作り出すのにも時間がかかりました」
イ「あ、あの」
寧「これをこのシリンダーに居れます」
イ「え、普通のエンジンのシリンダーみたいですね」
寧「普通のエンジンのシリンダーです。ここで安定化を解きます」
イ「…」
寧「ある確率でこの揺らぎはトンネル効果により宇宙を創世します。創世された宇宙はインフレーションを起して光速をはるかに超える速度で膨張します。それがシリンダーのピストンを動かします。ほら、ピストンが動きましたね」
イ「え、ちょ、ちょっと。光速越えてって」
寧「実はあまりに反応が速すぎて既に一サイクルは終わっています。宇宙創成のエネルギーがピストンを通じてシャフトを回し我々の宇宙に放出されたことは、このセンサーで確認できます」
イ「あ、えと、桁が。ふつうキロとかメガとかだと思うんですが見たことが無い単位ですけど。」
寧「このサイクルの終わりに、シリンダー上部のバルブから創世された宇宙が排出されます。もう排出されてますから、現在この付近に別の宇宙が漂っているはずです」
イ「え、宇宙が漂ってるんですか」
寧「理論上そのはずです。」
イ「(理論上って)…先生今日はありがとうございました。」

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日記

YoRの日記: 寛政の三博士

日記 by YoR

江戸時代後期、寛政の頃に、昌平黌で教鞭をとっていた人に、柴野栗山という方がいる。
私の大叔父がこの柴野家に婿入りしているのだそうだ。本家筋ではないらしい。
今でも柴野栗山を讃える会があるのだそうだ。むちゃくちゃ偉い人と親戚なんだなあと。
ちなみに同僚を合わせ、寛政の三博士と呼ばれるのだが、そのほかの人は

古賀精里
尾藤二洲
岡田寒泉

である。
(四人そろって三博士、というわけではなく、古賀か岡田の何れかを入れるらしい)

あと、栗山が筆頭だったみたい。

といっても、「寛政異学の禁」を率いた人たちなんよね。昌平黌では朱子学以外ダメって。

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日記

YoRの日記: そして最近の話 1

日記 by YoR

昨年末からとある開発がドはまりし、どうやら現時点では裁判沙汰にまで発展しているようである。

自分も被害者だ。メインのファームウェアの開発をやっていたのだが、どうやっても期日に間に合いそうにない。だから納期を遅らせてくれと何度も何度も頼み込んだ。しかし「期日までに動くものを納品しろ」の一点張り。
結局、納期三日前に、私は、仕事場で立ち上がることができないほどのめまいと疲労感を覚え、(軽くものを食べ、数時間休息してから)その日に早退し、次の日から休みを取った。更に言っておくと、この日まで二週間連勤だ。

それまでも心療内科に通っていたのだが、あまりのことに先生に「長期休暇の必要があるという診断書を出してください」と言った。じっさい、病院まで行くのにすら、壁伝いにたまに休みながら歩かなければならないほどの体調だったのだ。
そして二か月の休暇を取った。

今は何とかなってきているのだが、まだフル稼働は無理という状態。特に期限を短く指示されると怒気をコントロールできないほど精神が安定していない。

更におまけとして、まあ、自分ができないので他社に丸投げしたのだけど、そこも「お手上げ」してしまった。理由は、そもそもシステム的にCPUパワーが足りなくて動かないことが判明したという。
実は発注元もうすうす気がついていたとか…あのさ、それって俺に拷問加えたのと変わりなくない?

展開次第では治療費と休養中に入手可能だった賃金の補填もできないものかと考えている。この当たりの手続きはよくわかってないのでどうなるのかわからないけど。
少なくとも、あまりの要求の理不尽さと、(こちらにミスがあるのを理由として)システム変更に伴う設計変更の費用を出さないと先方が言うため、相手を裁判所に訴えることになったとさ。こちらの目算では、このような(会社に対しての)タダ働きの強制は十分刑法に引っかかるのだそうだ。まずは仕様変更費用を払うように民事訴訟を行うということらしい。

13267557 journal
日記

YoRの日記: ちょっと前の話

日記 by YoR

とある仕事の話。ある程度時間がたっているので、自分の記憶違いなどがあるかもしれないが、相手先などは伏せるので、読む人は「こんなことがあったのか」くらいに思ってほしい。

最初は、とあるメーカーから出されていた基板が生産停止になったため、その代替品を作ってほしいという要求だった。
その基板は、あるICをメインとして、外部からの信号に従って特定の動作をするものだ。特に用途は特定していないもので、そのメインとなるICの機能を使っただけの基板と思ってよい。また、使用環境の制限などもないので、常温の室内で使われるものと思われた。

ところが、開発の段になり、外部信号の条件と、その時の動作についての資料が先方から出てこなかった。なんどか仕様を要求したが無いとのことなので、メインICの動作は知っていたので、それから類推し、こちらで仕様を作って先方に提示し、その仕様を基に開発することで同意した。

ところが、先方から「バグがある」と報告が出てきた。こちらから提示した仕様に合わせてテストし、それにのっとっているのを確認したのだが、先方が言うには「こちらのテストとは違う動きをする」とのこと…あの、先方さん、自分の方には仕様が無かったんじゃないんですか?
こちらからは仕様を提出しそれに従っているので「それはバグではない」と反論。「動作が違うのならば仕様変更に当たる」と抗議した。しかし要領を得ない。
最後には、「じゃあ、そちらがテストしているというやり方をこちらに提示してください。それを基に仕様を作り直してプログラムを作り直しますから」ということになった。当然仕様変更である。この費用については営業の方のことなので、自分はどうなったかは知らない。

結局、そのテスト内容に合うように物を作り、無事納品したかと思うと、また「バグが出ました」という。なんでも、特定の状況で電源を立ち上げるとまともに動かないらしい。ならば電源の入れ方を直せばいいのではないか、と聞くと、実は、

「北海道の屋外で使用している」

という、これまたそれまで聞いたことのない話が出てきた。
もうこちらからは「先に言えよっ!!!!!!!」としか言いようがない。当然これも仕様変更だ。そんな条件で使うのならば、その条件に見合ったやり方で設計するしかない。

で、変更して納品してことは終わるのだが、この間の交渉の間に、先方から「じゃあ、うちがすべて悪いんですか」と憮然とした表情で発言があったそうだ。その通りである。こちらは示されていない条件や動作仕様を見通す超能力など持っていないのだから。

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日記

YoRの日記: 長尾町史のメモを取ってきた

日記 by YoR

ノートに写した部分のみここに書いて見る。
自分で要点のみ写したもの。
とりあえず、改訂長尾町史から、自分の祖先に関係ありそうな部分だけを書いて見る。この項は都度編集する可能性がある。

846年 讃岐永直、同永成。寒川郡の住人。明法道「二中歴」の10人中の二人。讃岐公から讃岐朝臣へ
 永直の長子は和気朝臣時人。娘は光孝天皇の更衣に上がり、その子に源旧鑑。
(10人の中には、惟宗直本、同公方があり、この子孫から島津氏が出る)
1254年 寒川郡司讃岐朝臣基光の記述有り。上記子孫か。
 1243~1252年まで、寒川郡司
1336年 基光の子、光俊が継ぐ。後見に守護細川顕氏
1344年 寒川七郎上京、また1351年その子二郎太郎が上京。
また、1344年寒川七郎、造田庄を横領
1352年 長尾右衛門尉保守が寒川二郎太郎へ年貢を納める(長尾庄)。このころ寒川二郎太郎は守護代か。
1396年 寒川出羽守元光、長尾、造田の地頭職に。この時期、守護は細川満元
1410年 寒川常文(元光)から寒川出羽守之光へ相伝し領主化の完成
1398年から1414年まで、山城国上久世庄の公文職を元光、之光が訴訟。勝つ。
この間、公文代に寒川貞光→新左衛門光康(~1485)→太郎三郎家光が相伝。
ただし、1427年公文職を解かれる。1441年には畠山氏被官遊佐氏の管理に。

細川勝元旗下で、寒川但馬守元近が勝元より偏諱をいただく。
応仁の乱に出陣。

細川京兆家の跡目争いで澄元(讃州家。阿波守護)が継いだため、讃州は植田氏(十河)以外は大内氏につく。
1507年 寒川左馬介(元家)、十河氏より昼寝城を守る
1519年 寒川氏、大内氏とともに大友討伐へ
1520年 朝鮮へ攻め込む。これは大内氏単独での行動に従う。
1532年 大鉢山と将棋山の間で、十河一存と寒川元政が戦闘。
 鴨部源次、神内左衛門、寒川側にて参戦。左衛門は一存の腕を突くが、討ち取られる。一存、傷に塩を刷り込み、藤かずらを巻いて帰陣する。こののち「鬼十河」と呼ばれる。
1575年 阿波の三好方が昼寝城を攻める。阿波南方に長曾我部氏来寇のため、三好方帰陣。
1576年 寒川氏、織田信長に帰属。
1582年 中富川の合戦に寒川丹後守元隣、同三河守光俊、同権之丞俊元出陣。元隣は討死。

大正6~7 造田村村会議員 寒川政廣。上記子孫か?私の曽祖父に当たる。

以下は寒川系図についての自分の個人的見解。
寒川氏系図には矛盾があるが、光永で終わるのが共通している。光永は元隣の息子、又は弟にあたるようだが、三河守、二郎、七郎などの別名があり、これは光俊(三河守)との混同が有り得る。元隣は信家、政国の別名が考えられるが、政国(丹後守または丹波守)が元隣の息子である可能性もある。とにかく兄弟親子が混乱している。
元政は見える系図には幼名太郎、丹後守で共通しており、政国はその弟(二郎、丹波守)、子(丹後守)、ひ孫(丹後守)に名がある。政国は元政からの偏諱と思われ、ひ孫は考えにくい。弟又は息子と考えるのが自然である。
この一族は「俊」「光」を通字としていると考えられ、嫡流が細川家から偏諱で「元」をいただいたと考えるのが自然かと思われる。
系図には、左馬頭長俊、右馬允継俊、左馬入道元恒(常隣)などがみられる。
出羽守之光の「之」は讃州家(阿波守護)細川義之の偏諱の可能性があるか。

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日記

YoRの日記: 曾祖父の名前

日記 by YoR

父方の曽祖父の名前は町史に載っているのでわかっていた。
母方の曽祖父(祖父に言わせると身上をつぶした人)の名前を知らなかったのて、一人で母方のお墓に参ってきて調べてみた。(ちゃんと拝んできましたよ)
そしたら、父方の曽祖父と同じ読みの「マサヒロ」。字は違うのに同じ名前だったとは。
そして何らかの町の役職をやっていたと聞いていたので、町史を眺めていたら…ありました。村会議員を一期のみ、大正時代にやっていました。
ちなみに父方の曽祖父は三代目の村長(明治時代)。

で、「マサヒロ」は父の名前と私の名前を混ぜたような名前なんですな実は。
どんな偶然なのかと。
ちなみに「ヒロ」の漢字は誰もかぶっておらず、「マサ」は二人が同じ字。
うちらは昔は知らず、江戸期には農民だったので、諱の通字などというものはないので、読みが同じなのは偶然に過ぎないのです。そもそも知ってる限りの世代で同じ字を使ってないし。
あ、父方の高祖父は虎八というようです。

13229246 journal
日記

YoRの日記: ここ数日および自分の家の系統について 1

日記 by YoR

休みを取って実家に帰省している。
いきなりタケノコ掘りに駆り出された。
母方の祖母の実家が持つ地所の竹林でとるとかで、そちらの親戚数軒との共同作業である。少なくともみな私との血縁者であるが、私がよそに出ていた期間が長かったため、ほとんど覚えてない。皆、父と母の両方に似ているという。(複雑な経緯のため、母方の親戚も父方の親戚に繋がっているのであるが…)
頭脳労働系の私に鉄と木でできた農具は重く、それでも三つほど掘ったところ疲れで気分を悪くしてしまいギブアップ。
でも、母が料理してくれたそれはやはり新鮮でおいしい。

近所や親戚や母の友人などにおすそ分けすると、田舎の物々交換でいろんなものがお返しにやってくる。これはよい面での田舎の生態系が維持されていて、労働の対価が金銭ではなく流通するシステムが生きている。

その中で、うちの一族(同じ苗字)で、一族のことを調べているという人がいたので、いろいろ話を聞いてみた。以前、名字を聞かれただけで地方銀行に入ったと人がいると書いたがその人だった。本人から聞くと実はそうではなく、学校の先生の推薦がとてもよかったからだということだった。支店長にまでなったらしい。その人は恩師の言葉に従っただけだと恩師に感謝していた。

私の苗字と同じ苗字は村に五つほどの流れがあり、そのうちの三つは江戸時代後期の系図が町史に乗っており、話を聞いた方の家はそのうちの一つだという。ほかに殿様の直臣だったため明治に士族となった家が一つあり、もう一つは殿様の分家の家臣と記録されている。
私の家の流れも五つの流れのうちの一つだといい、これらのI家は水戸の殿様の分家(高松松平家)についてきた関東にいた家であるとその人は言う。また、士族であった家の系図には桓武平氏と記載されていたとのことである。
自分としてはこれまでの情報で十分である。系図に書かれていた姓の信ぴょう性などどうでもよい。どうせ室町の終わりにはよほどの名家でない限りそんなものわからなくなっているのだから。
また、関東の桓武平氏流I氏は忠常流千葉氏の庶流であるらしいので、まあ、とりあえずそのあたりを自称することにする。だとすると、将門に近いほうの血筋なので、成田山には行けないのか…

また、このような家では同程度の家での通婚や養子が多かったとかで、近くにあるそれなりに大きなI家は、そういうのが複雑に絡み合った挙句、血統はI家で地所はY家を継いだことになっているとか。
ちなみに私の家そのものは、近年の分家なので大きくもえらくもない。

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日記

YoRの日記: 祖父の持っていた絵 2

日記 by YoR

祖父が持っていた絵が、今でも客間と座敷に飾ってある。
何の絵だと聞いてみたら、客間のが上海事変の時に港を砲撃した絵、座敷のが朝焼けの中の重巡足柄だという。
どうやら、足柄に乗っていた画家さんが描いたものらしい。
というか、その画家さん、「現代の浮世絵師」と呼ばれる有名な人だったらしい。十年前に亡くなっている。

一度、その人が家にやってきたことがあったのだそうだ。というのも、その絵を返してほしいと。
その当時、その人は名前が売れ出したころで、その絵は若書きの上に戦争を扱ったものだったので、世に出ると困るということで引き取りたいという話だったそうな。
でも、祖父にとっては自分の乗ってた艦の思い出なので、手元に置いておきたい。そこで、門外不出を条件にそのまま貰い受けたのだそうだ。

このままならば、いずれこの絵も私のものになる。が、私も、世に出すつもりはない。祖父の思い出としてそのまま残しておくつもりである。
まあ、ひどく痛んでいるので(何があったのかよくわからないが強引に持ち出したものらしい)売りに出したとしても値はつかないと思うけど。

13114963 journal
日記

YoRの日記: 帰省して聞いてきた自分の家のこと

日記 by YoR

自分の家の家紋と近くの神社の神紋が同じなので関係はあるのかと聞いたら、本家筋からの分家がずらーっとその神社のある山の裾に住んでいるとのこと。禰宜さんやってたこともあったとか。おーい。そういう家系なんかい。

かなり昔に、その辺りの地方銀行に同じ苗字の人が面接受けた時、
「Iです。」
「IはZ村の?」
「そうです」
で、入れたとか。凄いブランドだったんだな。今はそんなことないだろうけど。

とか言いつつ、昔村長も出した同じ苗字の家の人が夜逃げしたとかそんな話も…確かその家、唯一の士族だったよーな気がする。お殿様の直臣だったのはそこの家だけ。家老の家来も二件あったようだ(陪臣なので明治維新では平民に)。

で、その人とは別で、やはり村長やってたことのある私の曽祖父、町史に一時期上田家に養子に行ったが戻ってきた、とあったのを親に聞いてみたところ、Iの跡取りが亡くなったかして戻ってきたらしい。その代わりにその人の娘(私の祖父の姉)が上田家に嫁に行ったとか。昔は家の関係はめんどくさい。

母方の家は、よその家の土地を踏まずに墓地まで行けたという。今ある場所から考えて、かなりの広さの地主だったようだ。叔父が十六代目というが本当だろうか。家紋から言えば三宅家(父方の祖母の実家。母方の祖母の親族でもある)の方がその辺りの豪族の定紋(三階松)を使っているのだが。

うちの実家の裏にも同じ苗字の家がある。ところがそこはうちの一族ではないらしい。なのに、うちの一族の墓地に墓を作ったとかで「あそこはうちとは違うやろ」という話があるとか。というか、一体いくつの一族があるんだ。同じ墓地にある同姓で、他にも関係の不明な家が一軒あるそうな。I家は四国でもその付近にしかいないし、全部で数十軒くらいなのに、いくつかの一族に分かれているらしい。よくわからん。江戸の始めくらいに来た新参らしいんだけどなあ。

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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー

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