ganghehoの日記: 安岡孝一の「理解力」 17
去る3月29日、日本漢字学会創立大会の懇親会で初めて(やっと?)安岡孝一に会えましたが、写真とは幾分違うというのが初対面の印象。安岡孝一がどうも私の論文(朱 一星「『絶対漢字』と漢字の『字体』 — デジタルファースト時代の漢字コード問題」, 京都外国語大学『研究論叢』, No.89, 2017)に興味を持ってくれたようで、T編集長経由でコメントが廻ってきました。それについて、ひと言、言わせてもらいます。
まず、私は「IPAの会議」とはまったく関係がないことは安岡孝一には想像できていないようですが、安岡孝一がその会議でどなたに、何を力説したかは、私の知ったことではありません。たとえ「縮退マップ」の細部に異議があっても、その措置は漢字「包摂」と同様な役割になるということには変わりがないし、タイムリーな話題を導入部として触れておくのはなんら差し支えない。私の個人意思によるこの展開に、安岡孝一がムキになっていることは、穏当を欠くように思い、プロ意識の欠如が招く悪しき例を示しています。この点について,何よりまず厳しく指摘しておく必要があります。
安岡孝一が連呼した「サッパリ理解できない」は、どうも真実なようです。私(朱一星)はそもそも安岡孝一の理解力を配慮して議論を展開したつもりはありませんでした。理解できないという単純な理由で大騒ぎするのはいかがなものか。騒げば何とかなるのは何時から覚えたのでしょう。そろそろ自分が世界の中心ではないぐらい理解してもよくはありません?
現在の「字体」「字形」概念の混乱ぶりを指摘し、「ソース・コード・セパレーション(ソース分離原則)」の非科学性をあぶり出すことは、私の使命であり、ほかの如何なる団体や個人とも関係がありません。「縮退マップ」がなくても、例え五年前でも、十年前でも,基本的な論旨は成立すると確信します。この重要なポイントをまるで理解できていないのは、まさに安岡孝一の漢字理論知識の貧弱さがもたらした悲劇的な結果です。
ちなみに、漢字絡みのユニコード問題は、情報共有社会の必然性、通信技術面の可能性、漢字体系との整合性と合理性の上に成り立つもので、好きだとか嫌いだとかいう感覚的な次元の話ではありません。安岡孝一のユニコード嫌いの背後には、ユニコード原理に対する根本的な無理解があるようで、その無理解が克服できない限り、そもそも生産的な議論が困難でしょう。
朱一星の論文 (スコア:2)
えっと、私(安岡孝一)個人としては、朱一星の複数の論文に対して、少なくとも2回コメントをお送りした(これ [srad.jp]とこれ [srad.jp])のですが、今日のこの日記 [srad.jp]は、どちらの論文に関するお話ですか?
Re:朱一星の論文 (スコア:1)
このサイトの使い方がよく分からなくて、確かに、関係者でなければ分かり難い・・・
そちらのページがコメント封鎖(?)したようで、仕方がありません。
(リンク済みの文章をペーストしたら、まるで駄目でした。良かったら、リンクのやり方を教えてください。)
いま修正したので、理解しやすくなればいいですが。
(朱)
朱一星の2017年7月論文 (スコア:2)
『「絶対漢字」と漢字の「字体」―デジタルファースト時代の漢字コード問題―』(京都外国語大学研究論叢, 89号(2017年7月), pp.161-176)の方ですね。この論文には
と記されていたので、私(安岡孝一)の方からは「マイナンバー通知カードの氏名欄の字体」 [kyoto-u.ac.jp]と題するご意見を、2017年9月3日にお送りしたのですが、いつ頃、お手元に届きましたか?
Re:朱一星の2017年7月論文 (スコア:1)
論文に書いた謝辞は、五年前の話、それは安岡の日記にコメントで書き込み済み、そちらを参照してください。
論文の中の文言は、論文掲載後の9月3日の文章と時系列に無関係であることを理解してください。
縮退マップの詳細は、IPAの関連サイトに意見してください。
Re:朱一星の2017年7月論文 (スコア:2)
私(安岡孝一)がお送りした「マイナンバー通知カードの氏名欄の字体」 [kyoto-u.ac.jp](2017年9月3日)は、あくまで「本論文」 [nii.ac.jp]の
にしたがって「本論文」の
という文章の事実誤認を指摘したものです。私の指摘は、この文章の「各自治体では」という部分を、特に問題視しているのですが、論文に「お寄せ下さい」と書いていながら、本当にお受け取りになっていないのですか? 立岩礼子編集委員長からのお返事は、2017年9月5日にいただいたのですけど。
Re:朱一星の2017年7月論文 (スコア:1)
なるほど、「各自治体では」という表現を問題視するのですね。
私は、「縮退」云々はより本質的なことに繋がっていると表明しています。
なお、安岡孝一と編集長のあいだのやり取りには、私は口出ししませんが。
Re:朱一星の2017年7月論文 (スコア:2)
あの、私(安岡孝一)は、このコメント欄で、すでに2度ほど
と尋ねているのですけど、実際のところ、いつ、お受け取りになったのですか? あるいは、受け取っていないのですか?
Re:安岡孝一の理解力 (スコア:1)
安岡孝一のコメントを受け取ったことは、
3月の日本漢字学会設立総会の懇親会で話していませんでしたか。
それとも忘れました?
当時も、編集長とは個人的に意見交換はありましたけど。
安岡孝一の理解力を超えたようで、すれ違いがあり、しばらく様子を見ることにしました。
そして、
私が取り上げた「縮退マップ」は、誰か個人の話ではなく、
情報処理推進機構の公式発表や [ipa.go.jp]
ビジネス情報系の公式サイトです。 [impressbm.co.jp]
私の論文は、「縮退マップ」の原理的「意義」を取り上げ、後の論旨展開に繋がっています。
そこから、「字体」「字形」概念の混乱ぶりとソースコードセパレーションの非科学性を指摘しています。
この論文が「縮退マップ」の運用を議論するものではないことは理解していないようですが。
ganghehoは朱一星なのか (スコア:2)
ganghehoさん、そもそも私(安岡孝一)は、あなたが朱一星なのかどうかすら、ずっと疑っているんですよ。というか、ここまでにganghehoさんが書いてきたコメントや日記は、まあインターネットで情報を集めれば書ける程度で、正直なところ朱一星本人でなくても書ける程度のものです。しかも、私が疑念を持つくらいなのですから、他の読者は、ganghehoさんが朱一星だと信じる根拠がない、ということなのですよ。
とタネアカシしてしまいましたので、これでganghehoさんは、ご自分が朱一星だということを示すのは、かなり難しくなってしまったように思うわけです。今からだと、どうしても「後だし」になっちゃいますし、読者全部に言って回るわけにもいきませんからね。ちなみに、私のこれまでのコメントも、ganghehoさんが朱一星本人かどうかを見極めるために書いているのであって、必ずしも現実的なことを書いているとは限らない、ということも明かしておきます。
Re:安岡孝一の理解力 (スコア:1)
なるほど(笑)、でも、朱一星しか分からないことも書いたでしょう。(読み取れていないかな)
それとも、ここで書いた話は、世間で知れ渡って、だれでも利用できるネタ?
疑い深いなら、話を止めればいいだけの相談ですよね。
そもそも、私の相手が安岡孝一かどうか・・・?も同時に問題発生します(苦笑)
すべて「安岡孝一」次第です。
Re: (スコア:0)
いや、それ、そもそも発信量の差。yasuoka(21275)は、かなりたくさんの量を発信していて、その内容のアレゲさからも、安岡孝一先生本人なのは間違いない。一方、gangheho(42783)は、まだ10通かそこらでスラドでは無名の人だから、誰これ?が当然。「朱一星しか分からないことも書いた」とか言われても、ACには読み取れなかったし、スラドに書くならコミュニティっていうものをもう少し理解した方がいいと思う。
Re:ganghehoは朱一星なのか (スコア:1)
そもそも、「安岡孝一」と名乗る人物が、面識もない私(朱一星)に対して行った行動でした。
安岡孝一が、と或る「親切」な通報者(「読者」)の意図を確認もしないで、他人に利用されるような軽率な行動を行い、
さらに、ご自分(安岡孝一)の文字理論に対する理解力の限界を認めようとせずに、形勢不利になるような軽率な発言をしたと、
今さら後悔しても仕方がありません。
痛い教訓として記憶に留めるがよろしい。
Re: (スコア:0)
論文を公表したのに、その論文に名指しで批判受けたら「面識もない」とか言い出すの、さすがに引くわー。頭おかしいんじゃない?
Re: (スコア:0)
Re:安岡孝一の理解力 (スコア:0)
おや、「安岡孝一」がいつの間にか「覆面」になった?
⋯⋯自討沒趣。
Re:安岡孝一の理解力 (スコア:0)
「覆面安岡孝一」へ
(とりあえず、君をそう呼ぼう)
まあ、その通りですが、研究は常に前進するし、考えも進化します。
漢字「字形」「字体」の理論的定義の混乱を正すことも、
「ソースコードセパレーション」に対する疑問視も今後継続的に議論します。
(なにか不都合はありますか?)
論理的な批判に対してはいつもオープンだし、質疑も受け付けます。むしろ、大勢の学者との切磋琢磨を喜びます。
その上、より良い論文を今後も引き続き書いていきます。
ただ、「理解できない騒ぎ」はそもそも評価でも批判でもないから論外です。
安岡孝一[安冈孝一]的理解能力 (スコア:1)
安岡孝一對我(朱一星)的論文(朱 一星「『絶対漢字』と漢字の『字体』 — デジタルファースト時代の漢字コード問題」, 京都外國語大學『研究論叢』, No.89, 2017 [srad.jp])頗感興趣,還通過T編輯委員長轉來質疑文章。對此,本人做如下回復。
首先,看來安岡孝一似乎無法想像我(朱一星)和“IPA會議”毫無瓜葛,無論安岡孝一在某些會議上向某些人如何力陳己見,對我來說都無關緊要。即便“縮退表(縮退マップ [ipa.go.jp])”的細節存在爭議,其總體目的本質上相當於漢字(統一碼的)“異形認同”這一點是不會改變的。而我的論文在進入正題之前提及時下的話題,又有何值得非議的?需要指出的是,安岡孝一的強烈反應,頗有失態之嫌,身為學者,實令人不敢恭維。
安岡孝一連連驚呼“無法理解”,這或許是由衷之言,因為我(朱一星)的論文從未曾打算照顧到你安岡孝一的理解能力。难道說只因為無法理解就得如此耍態度?這種惡習始於何年何月?為甚麼不能理解世界並非以你為中心?
指出當下“字體”“字形”概念的混亂,揭露“源碼分離原則”的偽科學性,是這篇論文的使命。這和任何團體或個人都豪無干係。我相信即使没有情報處理推進機構(IPA)的“缩退表”,比方說五年前或十年前,論文的基本主張也都能成立。正是在這個至關重要的關鍵問題上安岡孝一根本不能理解,回應無力,說辭蒼白,說明安岡孝一对漢字理論知識的毫無準備已到了慘不忍睹的地步。
還需要指出的是,有關漢字的統一碼問題,是一個基於信息社會的必然性、通訊技術的可行性、以及和漢字系統的融合性合理性統籌兼顧的綜合科學。而不應該被特定群體的喜愛偏好掣肘。安岡孝一討厭統一碼,實乃對統一碼工作原理缺乏有深度的理解。今後若不克服這一理論上的弱點,恐將無法進一步拓展出任何有價值的討論。