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yasuokaの日記: 経済学者の知っている古いタイプライター

日記 by yasuoka
伊藤元重の『現代経済: キーワードから読み解く世界 第9回 ネットワークの外部性』(NTT出版Webマガジン, 2007年5月7日)を読んだが、かなり突拍子もないことが書かれていた。

QWERTYという文字の配列を知っているだろうか。皆さんのパソコンのキーボードの一番左上の文字列をみてほしい。左から右に向かってQWERTYという順でアルファベットのキーが並んでいることを確認できるはずだ。このキーボード上のアルファベットの配列は世界標準である。世界中のパソコンのキーボードがこの配列になっている。

「世界中」なんてのは大嘘だ。フランスはAZERTYだし、ドイツや東ヨーロッパはQWERTZだ。いわゆるQWERTYが標準なのは、アメリカと日本とイギリスを中心とする国々で、「世界中」なんてことはない。

なぜこのような配列が世界標準になっているか知っているだろうか。実は、この配列が採用された理由は、「指がもっとも動きにくい配列」であるからなのだ。

「指がもっとも動きにくい配列」などというのは、全くのデタラメだ。少なくともRichard S. Hirschの『Effects of Standard Versus Alphabetical Keyboard Formats on Typing Performance』(Journal of Applied Psychology, Vol.54, No.6 (December 1970), pp.484-490)やSimon Eugene Michaelsの『Qwerty Versus Alphabetic Keyboards as a Function of Typing Skill』(Human Factors, Vol.13, No.5 (October 1971), pp.419-426)あるいはDonald A. NormanとDiane Fisherの『Why Alphabetic Keyboards Are Not Easy to Use: Keyboard Layout Doesn't Much Matter』(Human Factors, Vol.24, No.5 (October 1982), pp.509-519)などの論文は、QWERTY配列よりもアルファベット順の方が打ちにくい、という結果を示している。これに対する反証があるというのなら、ぜひ見せてほしい。

なぜ指が動きにくい配列が採用されたのか、そしてそのような不都合な配列が世界中の標準として使われ続けている理由は何だろうか。この不思議な現象の背後にもネットワークの外部性が働いているのだ。

「世界中の標準」という部分が、そもそも大嘘なので、この問題設定は全く意味をなしていない。

QWERTYの配列は、もともとは、英文タイプライターのキーボードの配列であった。まだ電動式のタイプライターもない、手動型のタイプライターの時代の話である。若い人はこうした古いタイプライターなど使ったことがないかもしれないが、私たちの世代はかろうじて若い頃に使ったことがある。

QWERTY配列が誕生した時代(1882年頃)のタイプライターは、基本的にはupstrike式だったはずだ。しかもupstrike式タイプライターは、機構の全く異なるfrontstrike式タイプライターに押されて、1920年代にはほとんど姿を消している。1951年生まれの伊藤元重が、upstrike式タイプライターを使ったことがあるのなら、かなりのマニアだということになる。

手動式のタイプライターは、キーを指で押すと、アルファベットのついたバー(活字が着いた金属の棒のようなもの)が前に出てきて、紙に字を打ち込む構造になっている。あまりに早くキーを打つと、二つのバーが絡んで動かなくなることがある。手動式のタイプライターの時代にはこうしたトラブルがよくあった。

それは、frontstrike式タイプライターの説明だ。QWERTY配列が誕生した時代のupstrike式タイプライターでは、そんなトラブルは起こらない。

100年以上前の話であるが、アメリカのあるメーカーがこうしたトラブルが一番起こりにくいタイプライターを作った。英語の文章をタイプするとき、頻繁に利用する文字の指をわざと不便な位置にし、指の動きをわざと遅くさせるような文字の配列にしたのだ。

「アメリカのあるメーカー」ってのが、どこを指しているのかわからないが、QWERTY配列を最初に発表した「E. Remington & Sons」のことならば、この文章は完全なガセネタだ。E. Remington & Sonsのタイプライターは全てupstrike式だったので、「こうしたトラブル」などというものはそもそも起こらない。もし別の会社だというのなら、ぜひ文献を示してほしい。
過去の記事(『経済学者の書くQWERTY配列』や『経済学者の考えるタイプライターの歴史』など)にも書いたが、どうして経済学者の連中は、こうやってQWERTY配列に対するガセネタをエンエンと垂れ流し続けるのだろう。技術史研究者に対するウラミでもあるのだろうか?

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