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日記

yasuokaの日記: NewScientistの考えるQWERTY配列の歴史

日記 by yasuoka

「ECONOトリビア」QWERTY記事顚末記の読者から、グレアム・ロートンの『NewScientist起源図鑑』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年12月)の「なぜ私たちはQWERTY配列のキーボードを使い続けるのか?」(pp.214-217)を読んでみてほしい、との御連絡をいただいた。読んでみたところ、歴史的経緯に微妙な間違いが散見されて、あちこち私(安岡孝一)には納得がいかなかった。

QWERTY配列のキーボードが世界に飛び出すきっかけになった場所は、1866年にアメリカのミルウォーキーにあった小さな作業場だ。そこでは、クリストファー・レイサム・ショールズという編集者が一山当てることを狙って、ある発明の研究を始めていた。それは、本のページ番号を自動でふる機械である。

ショールズが、Paging-Machine (U.S.Patent No.44488)の特許を取得したのは、1864年9月27日だ。1866年に始めたわけじゃない。

ショールズの計画に発明家仲間のカルロス・グリデンが加わった。1867年7月に、彼はたまたまScientific American誌で「タイプライティング・マシン」という短い記事を読んだ。彼らはこの記事からインスピレーションを得て、研究の方向性を変えたとみえ、最終的には「書くよりも2倍速く、考えたことを文字にする……ための機械」を作った。

U.S.Patent No.79868の特許出願は1867年10月11日であり、当時の雑誌流通事情を考えると、Scientific American 1867年7月6日号から「インスピレーションを得て、研究の方向性を変えた」とは、私には全く思えない。『キーボード配列 QWERTYの謎』にも書いたとおり、U.S.Patent No.57182にインスピレーションを得た、という可能性の方が高いと思われる。

1年後、彼らは3つの特許を取っていた。ただ、彼らの発明品がタイプライターだと認識するのはかなり難しい。見たところピアノのように白鍵と黒鍵が並んでいて、その一つ一つに文字がついているというものだ。この機械は紙詰まりしやすく、印字の行はいつの間にかずれがちだった。しかしショールズはそれを使って、出資してくれそうな人に手紙を書き続けた。その一人、ジェームズ・デンズモアは、現物を見もせず、ただちに特許の4分の1の権利を買い取った。

時間の順番が無茶苦茶だ。1868年成立の特許のうちの1つ、U.S.Patent No.79265には、図版のWITNESSESの一人としてJames Densmoreの名があるのだが、ロートンが「現物を見もせず」と主張する根拠は何なんだろう?

デンズモアはE.レミントン&サンズという会社の技術者たちの前で、タイプライターの実演を行った。その会社はニューヨークに本社がある銃製造業者で、家電製品にも手を広げたところだった。

E.レミントン&サンズの本社は、当時はニューヨーク州イリオンにあったはずだけど、それより「家電製品」って何だろう? 「家庭用品」(home appliances)の誤訳かしら?

レミントンが1874年に第1号のタイプライターを売り出すと、この機械はたちまち人気を得て、世界で初めて商業的に成功した執筆用機械になった。

この「大文字しか打てないタイプライター」が、当時の人気を得たとは、私には到底思えない。もし、本当に人気を得ていたのなら、もっと多くの「Sholes & Glidden Type-Writer」が生産されていたはずだし、その後のショールズは開発費に苦しまなかったはずだし、E.レミントン&サンズはタイプライター生産部門を手放さなかっただろう。

これらの疑問点に加え、「完全なQWERTY配列」(MがNのすぐ右)の登場が1878年になっている点(p.217)が、私個人としては全く納得できなかった。私の調べた限り、1878年時点のQWERTY配列は、MがLのすぐ右にあったようなのだが、ロートンは、いったい当時の何を根拠としているのだろう?

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