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人工知能

yasuokaの日記: 古典中国語(漢文)・近代日本語(読み下し文)『大學』平行コーパス

日記 by yasuoka

『漢日英Universal Dependencies平行コーパスとその差異』で製作した平行コーパスのうち、漢文と読み下し文のテキストを抜き出してみた。読み下し文の方は、RIBES等で使いやすいよう、単語ごとに空白で区切ってある。私(安岡孝一)の日記を読んでくれている皆さんの役に立つかなぁ、と思いつつ、とりあえず公開しておくことにする。

大學之道在明明德在親民在止於至善
大學 の 道 は 、 明德 を 明か に する に 在り 、 民 を 親 に する に 在り 、 至善 に 止まる に 在り 。
知止而后有定定而后能靜靜而后能安安而后能慮慮而后能得
止り を 知つ て 、 而して 后 に 定まる こと あり 、 定まつ て 而して 后 に 能く 靜 なり 、 靜 に し て 而して 后 に 能く 安し 、 安う し て 而して 后 に 能く 慮る 、 慮つ て 而して 后 に 能く 得 。
物有本末事有終始知所先後則近道矣
物 に 本末 あり 、 事 に 終始 あり 、 先後 する 所 を 知れ ば 、 則ち 道 に 近し 。
古之欲明明德於天下者先治其國欲治其國者先齊其家欲齊其家者先脩其身欲脩其身者先正其心欲正其心者先誠其意欲誠其意者先致其知致知在格物物格而后知至知至而后意誠意誠而后心正心正而后身脩身脩而后家齊家齊而后國治國治而后天下平
古 の 明德 を 天下 に 明か に せ ん と 欲する 者 は 、 先づ 其 國 を 治む 。 其 國 を 治め ん と 欲する 者 は 、 先づ 其 家 を 齊ふ 。 其 家 を 齊へ ん と 欲する 者 は 、 先づ 其 身 を 脩む 。 其 身 を 脩め ん と 欲する 者 は 、 先づ 其 心 を 正う す 。 其 心 を 正う せ ん と 欲する 者 は 、 先づ 其 意 を 誠 に す 。 其 意 を 誠 に せ ん と 欲する 者 は 、 先づ 其 知 を 致す 。 知 を 致す は 物 に 格る に 在り 。 物 格り て 而して 后 に 知 至る 。 知 至り て 而して 后 に 意 誠 なり 。 意 誠 に し て 而して 后 に 心 正し 。 心 正しう し て 而して 后 に 身 脩まる 。 身 脩まり て 而して 后 に 家 齊ふ 。 家 齊う て 而して 后 に 國 治まる 。 國 治まり て 而して 后 に 天下 平か なり 。
自天子以至於庶人壹是皆以脩身爲本
天子 より 以 て 庶人 に 至る まで 、 壹是 に 皆 身 を 脩むる を 以 て 本 と 爲す 。
其本亂而末治者否矣其所厚者薄而其所薄者厚未之有也
其の 本 亂れ て 末 治まる 者 は 否 ず 。 其の 厚う する 所 の 者 薄く し て 、 其の 薄う する 所 の 者 厚き は 、 未だ 之 あら ざる なり 。
康誥曰克明德大甲曰顧諟天之明命帝典曰克明峻德皆自明也
康誥 に 曰く 、 克く 德 を 明か に す 。 大甲 に 曰く 、 諟の 天 の 明命 を 顧みる 。 帝典 に 曰く 、 克く 峻德 を 明か に す 。 皆 自ら 明か に する なり 。
湯之盤銘曰苟日新日日新又日新
湯 の 盤 の 銘 に 曰く 、 苟 に 日 に 新 に せ ば 、 日日 に 新 に し て 、 又 日 に 新 なら ん 。
康誥曰作新民
康誥 に 曰く 、 新 に する 民 を 作す 。
詩曰周雖舊邦其命惟新
詩 に 曰く 、 周 は 舊邦 なり と 雖も 、 其 命 惟 新 なり 。
是故君子無所不用其極
是の 故 に 、 君子 は 其 極 を 用ゐ ざる 所 なし 。
詩云邦畿千里惟民所止詩云緡蠻黃鳥止于丘隅子曰於止知其所止可以人而不如鳥乎
詩 に 云く 、 邦畿 千里 、 惟 民 の 止まる 所 。 詩 に 云く 、 緡蠻 たる 黃鳥 、 丘隅 に 止まる と 。 子 曰く 、 止まる に 於 て 其の 止まる 所 を 知る 。 人 を 以 て 鳥 に だも 如か ざる 可け ん や 。
詩云穆穆文王於緝熙敬止爲人君止於仁爲人臣止於敬爲人子止於孝爲人父止於慈與國人交止於信
詩 に 云く 、 穆穆 たる 文王 、 於 緝熙 に し て 敬し て 止まる と 。 人 の 君 と 爲つ て は 仁 に 止まり 、 人 の 臣 と 爲つ て は 敬 に 止まり 、 人 の 子 と 爲つ て は 孝 に 止まり 、 人 の 父 と 爲つ て は 慈 に 止まり 、 國人 と 交つ て は 信 に 止まる 。
詩云瞻彼淇澳菉竹猗猗有斐君子如切如磋如琢如磨瑟兮僩兮赫兮喧兮有斐君子終不可諠兮如切如磋者道學也如琢如磨者自脩也瑟兮僩兮者恂慄也赫兮喧兮者威儀也有斐君子終不可諠兮者道盛德至善民之不能忘也
詩 に 云く 、 彼の 淇澳 を 瞻れ ば 、 菉竹 猗猗 たり 。 斐 たる 君子 あり 、 切る が 如く 磋る が 如く 、 琢つ が 如く 磨く が 如し 。 瑟 たり 僩 たり 、 赫 たり 喧 たり 。 斐 たる 君子 あり 、 終に 諠る 可から ず と 。 切る が 如く 磋る が 如し と は 、 學 を 道ふ なり 。 琢つ が 如く 磨く が 如し と は 、 自ら 脩むる なり 。 瑟 たり 僩 たり と は 、 恂慄 なり 。 赫 たり 喧 たり と は 、 威儀 なり 。 斐 たる 君子 あり 、 終に 諠る 可から ず と は 、 盛德 至善 、 民 の 忘るる 能は ざる を 道ふ なり 。
詩云於戲前王不忘君子賢其賢而親其親小人樂其樂而利其利此以沒世不忘也
詩 に 云く 、 於戲 前王 忘れ ず と 。 君子 は 其 賢 を 賢 と し て 其 親 を 親 と し 、 小人 は 其 樂 を 樂ん で 其 利 を 利 と す 、 此 を 以 て 世 を 沒れ ども 忘れ ざる なり 。
子曰聽訟吾猶人也必也使無訟乎無情者不得盡其辭大畏民志此謂知本
子 曰く 、 訟 を 聽く こと は 、 吾 猶ほ 人 の ごとし 、 必ず や 訟 無から しめん か と 。 情 なき 者 は 其 辭 を 盡す こと を 得 ず 、 大に 民 の 志 を 畏れ しむ 、 此 を 本 を 知る と 謂ふ 。
此謂知本此謂知之至也
此 を 本 を 知る と 謂ふ 。 此 を 知 の 至る と 謂ふ なり 。
所謂誠其意者毋自欺也如惡惡臭如好好色此之謂自謙故君子必愼其獨也
謂はゆる 其 意 を 誠 に す と は 、 自ら 欺く こと 毋き なり 。 惡臭 を 惡む が 如く 、 好色 を 好む が 如く なる 、 此 を 之 自ら 謙う す と 謂ふ 。 故 に 君子 は 必ず 其の 獨 を 愼む なり 。
小人閒居爲不善無所不至見君子而后厭然揜其不善而著其善人之視己如見其肺肝然則何益矣此謂誠於中形於外故君子必愼其獨也
小人 閒居 し て 不善 を 爲す こと 、 至ら ざる 所 なし 、 君子 を 見 て 、 而して 后 に 厭然 と し て 其 不善 を 揜う て 、 而して 其 善 を 著す 、 人 の 己 を 視る こと 、 其 肺肝 を 見る が 如く 然り 、 則ち 何 の 益 あら ん 。 此 を 中 に 誠 あれ ば 外 に 形る と 謂ふ 。 故 に 君子 は 必ず 其 獨 を 愼む なり 。
曾子曰十目所視十手所指其嚴乎
曾子 曰く 、 十 目 の 視る 所 、 十 手 の 指す 所 、 其れ 嚴 なる か な 。
富潤屋德潤身心廣體胖故君子必誠其意
富 は 屋 を 潤し 、 德 は 身 を 潤す 、 心 廣く 體 胖 なり 。 故 に 君子 は 必ず 其の 意 を 誠 に す 。
所謂脩身在正其心者身有所忿懥則不得其正有所恐懼則不得其正有所好樂則不得其正有所憂患則不得其正
謂はゆる 身 を 脩むる は 其 心 を 正しう する に 在り と は 、 身 忿懥 する 所 有れ ば 、 則ち 其 正 を 得 ず 、 恐懼 する 所 有れ ば 、 則ち 其 正 を 得 ず 、 好樂 する 所 有れ ば 、 則ち 其 正 を 得 ず 、 憂患 する 所 有れ ば 、 則ち 其 正 を 得 ず 。
心不在焉視而不見聽而不聞食而不知其味
心 在ら ざれ ば 、 視れ ども 見え ず 、 聽け ども 聞え ず 、 食へ ども 其 味 を 知ら ず 。
此謂脩身在正其心
此 を 身 を 脩むる は 其 心 を 正しう する に 在り と 謂ふ 。
所謂齊其家在脩其身者人之其所親愛而辟焉之其所賤惡而辟焉之其所畏敬而辟焉之其所哀矜而辟焉之其所敖惰而辟焉故好而知其惡惡而知其美者天下鮮矣
謂はゆる 其 家 を 齊ふる は 其 身 を 脩むる に 在り と は 、 人 其の 親愛 する 所 に 之 て 辟す 、 其の 賤惡 する 所 に 之 て 辟す 、 其の 畏敬 する 所 に 之 て 辟す 、 其の 哀矜 する 所 に 之 て 辟す 、 其の 敖惰 する 所 に 之 て 辟す 。 故 に 好し て 其 惡しき を 知り 、 惡み て 其 美き を 知る 者 は 、 天下 に 鮮し 。
故諺有之曰人莫知其子之惡莫知其苗之碩
故 に 諺 に 之 有り 、 曰く 、 人 其 子 の 惡しき を 知る こと 莫し 、 其 苗 の 碩 なる を 知る こと 莫し と 。
此謂身不脩不可以齊其家
此 を 身 脩まら ざれ ば 以 て 其の 家 を 齊ふ 可から ず と 謂ふ 。
所謂治國必先齊其家者其家不可教而能教人者無之故君子不出家而成教於國孝者所以事君也弟者所以事長也慈者所以使衆也
謂はゆる 國 を 治むる に は 、 必ず 先づ 其 家 を 齊ふ と は 、 其 家 教ふ 可から ず し て 、 而して 能く 人 を 教ふる 者 は 之 なし 。 故 に 君子 は 、 家 を 出で ず し て 教 を 國 に 成す 。 孝 は 君 に 事ふる 所以 なり 、 弟 は 長 に 事ふる 所以 なり 、 慈 は 衆 を 使ふ 所以 なり 。
康誥曰如保赤子心誠求之雖不中不遠矣未有學養子而后嫁者也
康誥 に 曰く 、 赤子 を 保ずる が 如し と 。 心 誠 に 之 を 求むれ ば 、 中ら ず と 雖も 遠から ず 。 未だ 子 を 養ふ こと を 學ん で 而して 后 に 嫁する 者 有ら ざる なり 。
一家仁一國興仁一家讓一國興讓一人貪戾一國作亂其機如此此謂一言僨事一人定國
一 家 仁 なれ ば 、 一 國 仁 に 興る 、 一 家 讓 なれ ば 、 一 國 讓 に 興る 、 一 人 貪戾 なれ ば 、 一 國 亂 を 作す 。 其 機 此の 如し 。 此 を 一 言 事 を 僨り 、 一 人 國 を 定む と 謂ふ 。
堯舜帥天下以仁而民從之桀紂帥天下以暴而民從之其所令反其所好而民不從是故君子有諸己而后求諸人無諸己而后非諸人所藏乎身不恕而能喩諸人者未之有也
堯 舜 、 天下 を 帥ゐる に 仁 を 以 て し て 、 民 之 に 從ふ 。 桀 紂 、 天下 を 帥ゐる に 暴 を 以 て し て 、 民 之 に 從ふ 。 其の 令する 所 、 其の 好む 所 に 反し て 、 而して 民 從は ず 。 是の 故 に 君子 は 諸 を 己 に 有し て 、 而して 后 に 諸 を 人 に 求め 、 諸 を 己 に 無く し て 而して 后 に 諸 を 人 に 非 と す 。 身 に 藏むる 所 恕 なら ず し て 、 而して 能く 諸 を 人 に 喩す 者 は 、 未だ 之 あら ざる なり 。
故治國在齊其家
故 に 國 を 治むる は 、 其 家 を 齊ふる に 在り 。
詩云桃之夭夭其葉蓁蓁之子于歸宜其家人宜其家人而后可以教國人
詩 に 云く 、 桃 の 夭夭 たる 、 其 葉 蓁蓁 たり 。 之の 子 于 に 歸ぐ 、 其 家人 に 宜しから ん と 。 其 家人 に 宜しう し て 、 而して 后 以 て 國人 を 教ふ 可し 。
詩云宜兄宜弟宜兄宜弟而后可以教國人
詩 に 云く 、 兄 に 宜しく 弟 に 宜し と 。 兄 に 宜しく 弟 に 宜しく し て 、 而して 后 以 て 國人 を 教ふ 可し 。
詩云其儀不忒正是四國其爲父子兄弟足法而后民法之也
詩 に 云く 、 其 義 忒は ず 、 是の 四國 を 正す と 。 其の 父子 兄弟 たる こと 法る に 足り て 、 而して 后 民 之 に 法る なり 。
此謂治國在齊其家
此 を 國 を 治むる は 其 家 を 齊ふる に 在り と 謂ふ 。
所謂平天下在治其國者上老老而民興孝上長長而民興弟上恤孤而民不倍是以君子有絜矩之道也
謂はゆる 天下 を 平か に する は 其 國 を 治むる に 在り と は 、 上老 を 老 と し て 民 孝 に 興る 、 上長 を 長 と し て 民 弟 に 興る 、 上孤 を 恤ん で 民 倍か ず 。 是 を 以 て 君子 は 絜矩 の 道 有る なり 。
所惡於上毋以使下所惡於下毋以事上所惡於前毋以先後所惡於後毋以從前所惡於右毋以交於左所惡於左毋以交於右此之謂絜矩之道
上 に 惡む 所 、 以 て 下 を 使ふ こと 毋 れ 、 下 に 惡む 所 、 以 て 上 に 事ふる こと 毋 れ 、 前 に 惡む 所 、 以 て 後 に 先んずる こと 毋 れ 、 後 に 惡む 所 、 以 て 前 に 從ふ こと 毋 れ 、 右 に 惡む 所 、 以 て 左 に 交る こと 毋 れ 、 左 に 惡む 所 、 以 て 右 に 交る こと 毋 れ 、 此 を 之 絜矩 の 道 と 謂ふ 。
詩云樂只君子民之父母民之所好好之民之所惡惡之此之謂民之父母
詩 に 云く 、 樂しき 君子 は 、 民 の 父母 なり と 。 民 の 好む 所 は 之 を 好み 、 民 の 惡む 所 は 之 を 惡む 、 此 を 之 民 の 父母 と 謂ふ 。
詩云節彼南山維石巖巖赫赫師尹民具爾瞻有國者不可以不愼辟則爲天下僇矣
詩 に 云く 、 節 たる 彼の 南山 、 維 石 巖巖 たり 。 赫赫 たる 師 尹 、 民 具 に 爾 を 瞻る と 。 國 を 有つ 者 は 以 て 愼ま ざる 可から ず 、 辟すれ ば 則ち 天下 の 僇 と なる 。
詩云殷之未喪師克配上帝儀監于殷峻命不易道得衆則得國失衆則失國
詩 に 云く 、 殷 の 未だ 師 を 喪は ざる や 、 克く 上帝 に 配せ り 。 儀しく 殷 に 監みる べし 、 峻命 易から ず と 。 衆 を 得れ ば 則ち 國 を 得 、 衆 を 失へ ば 則ち 國 を 失ふ を 道ふ なり 。
是故君子先愼乎德有德此有人有人此有土有土此有財有財此有用
是の 故 に 君子 は 、 先づ 德 を 愼む 、 德 あれ ば 此 に 人 あり 、 人 あれ ば 此 に 土 あり 、 土 あれ ば 此 に 財 あり 、 財 あれ ば 此 に 用 あり 。
德者本也財者末也
德 は 本 なり 、 財 は 末 なり 。
外本内末爭民施奪
本 を 外 に し 末 を 内 に すれ ば 、 民 を 爭は しめ て 奪ふ こと を 施す 。
是故財聚則民散財散則民聚
是の 故 に 、 財 聚れ ば 則ち 民 散じ 、 財 散ずれ ば 則ち 民 聚まる 。
是故言悖而出者亦悖而入貨悖而入者亦悖而出
是の 故 に 、 言 悖う て 出づる 者 は 、 亦 悖う て 入る 、 貨 悖う て 入る 者 は 、 亦 悖う て 出づ 。
康誥曰惟命不于常道善則得之不善則失之矣
康誥 に 曰く 、 惟 命 常 に 于 て せ ず と 。 善 なれ ば 則ち 之 を 得 、 不善 なれ ば 則ち 之 を 失ふ を 謂ふ 。
楚書曰楚國無以爲寶惟善以爲寶
楚書 に 曰く 、 楚國 は 以 て 寶 と 爲す 無し 、 惟だ 善 以 て 寶 と 爲す と 。
舅犯曰亡人無以爲寶仁親以爲寶
舅犯 曰く 、 亡人 は 以 て 寶 と 爲す 無し 、 親 を 仁する を 以 て 寶 と 爲す と 。
秦誓曰若有一个臣斷斷兮無他技其心休休焉其如有容焉人之有技若己有之人之彦聖其心好之不啻若自其口出寔能容之以能保我子孫黎民尚亦有利哉人之有技媢嫉以惡之人之彦聖而違之俾不通寔不能容以不能保我子孫黎民亦曰殆哉
秦誓 に 曰く 、 若し 一 个 の 臣 あら ん に 、 斷斷 と し て 他 の 技 なく 、 其 心 休休 焉 と し て 、 其れ 容るる 有る が 如く 、 人 の 技 ある を 、 己 之 ある が 若く し 、 人 の 彦聖 なる を 、 其 心 之 を 好し て 、 啻 に 其 口 より 出づる が 若く なる のみ なら ず 、 寔 に 能く 之 を 容れ 、 以 て 能く 我が 子孫 黎民 を 保ぜ ば 、 尚はく は 亦 利 あら ん か な 。 人 の 技 ある を 、 媢嫉 し て 以 て 之 を 惡み 、 人 の 彦聖 なる を 、 而も 之 に 違う て 通ぜ ざら しめ 、 寔 に 容るる 能は ず 、 以 て 我が 子孫 黎民 を 保ずる こと 能は ず ば 、 亦 曰 に 殆い か な 。
唯仁人放流之迸諸四夷不與同中國此謂唯仁人爲能愛人能惡人
唯だ 仁人 之 を 放流 し て 、 諸 を 四夷 に 逬 け 、 與 に 中國 を 同じう せ ず 。 此 を 唯だ 仁人 能く 人 を 愛し 、 能く 人 を 惡む を 爲す と 謂ふ 。
見賢而不能舉舉而不能先命也見不善而不能退退而不能遠過也
賢 を 見れ ども 擧ぐる こと 能は ず 、 擧ぐれ ども 先んずる こと 能は ざる は 命 なり 、 不善 を 見れ ども 退くる こと 能は ず 、 退くれ ども 遠ざくる こと 能は ざる は 過 なり 。
好人之所惡惡人之所好是謂拂人之性菑必逮夫身
人 の 惡む 所 を 好み 、 人 の 好む 所 を 惡む 、 是 を 人 の 性 に 悖る と 謂ふ 。 菑 必ず 夫の 身 に 逮ぶ 。
是故君子有大道必忠信以得之驕泰以失之
是の 故 に 君子 は 大道 あり 、 必ず 忠信 以 て 之 を 得 、 驕泰 以 て 之 を 失ふ 。
生財有大道生之者衆食之者寡爲之者疾用之者舒則財恒足矣
財 を 生ずる に 大道 あり 、 之 を 生ずる 者 衆く 、 之 を 食む 者 寡く 、 之 を 爲る 者 疾く 、 之 を 用ゐる 者 舒けれ ば 、 則ち 財 恆 に 足る 。
仁者以財發身不仁者以身發財
仁者 は 財 を 以 て 身 を 發し 、 不仁 者 は 身 を 以 て 財 を 發す 。
未有上好仁而下不好義者也未有好義其事不終者也未有府庫財非其財者也
未だ 上 仁 を 好み て 、 下 義 を 好ま ざる 者 あら ざる なり 、 未だ 義 を 好み て 、 其 事 終ら ざる 者 あら ざる なり 、 未だ 府庫 の 財 其 財 に あら ざる 者 あら ざる なり 。
孟獻子曰畜馬乘不察於雞豚伐冰之家不畜牛羊百乘之家不畜聚斂之臣與其有聚斂之臣寧有盜臣此謂國不以利爲利以義爲利也
孟 獻子 曰く 、 馬乘 を 畜へ ば 雞豚 を 察せ ず 、 伐冰 の 家 に は 牛羊 を 畜は ず 、 百 乘 の 家 に は 、 聚斂 の 臣 を 畜は ず 、 其の 聚斂 の 臣 あら ん より は 、 寧ろ 盜臣 あれ と 。 此 を 國 は 利 を 以 て 利 と 爲さ ず 、 義 を 以 て 利 と 爲す と 謂ふ なり 。
長國家而務財用者必自小人矣彼爲善之小人之使爲國家菑害並至雖有善者亦無如之何矣此謂國不以利爲利以義爲利也
國家 に 長 と し て 財用 を 務むる 者 は 、 必ず 小人 に 自る 。 彼 之 を 善し と 爲す 。 小人 に 國家 を 爲め しむれ ば 、 菑害 並 に 至る 、 善者 あり と 雖も 、 亦 之 を 如何 と も する こと 無し 。 此 を 國 は 利 を 以 て 利 と 爲さ ず し て 、 義 を 以 て 利 と 爲す と 謂ふ なり 。

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