
kazekiriの日記: 曹洞宗の住職のボヤキから地方の宗教を考える 20
「宗教法人への課税」とアレコレ。 (Togetter)
数日前、上記のページがFBかtwitterのどちらかで流れてきました。曹洞宗の住職さんが「宗教法人に課税を」という論調に対して「全国の寺社仏閣の8割は消える」、「営利系の新宗教だけが生き残る」などとぼやいてところに、宗教なんて無駄!的な(おそらく)若者たちがわらわらと出てきて、実に相容れるところのない議論になっている様が印象的でした。私からすると厳しい修行を終えてきた曹洞宗の住職さんに対して内角高めのストレートを投げ込むというのは躊躇するわけですが、まあこれも(おそらく)若者の特権でしょうか。
私の実家は富山の漁村です。歴史的経緯的に村のほとんどの世帯は真宗(一向宗)門徒であり、また漁村であることから村人は村の神社の氏子でもあります。家には大きな仏壇があり、神棚も立派なものがあるのが当たり前のことで、正月と春祭りには明神様に村の安寧と繁栄を祈願し、どこかの家の法事や報恩講では門徒が揃って真宗の坊様からお話を聞くということなどが、村の一年のサイクルの中に組み込まれていました。小さな漁村ですので漁業組合や自治会もほぼ同じ構成員なわけですが、それらと同じように宗教も村の一体感を支える重要な要素であり、共有財産でもあったわけです。この感覚からすると、曹洞宗の住職さんのつぶやきには共感するところが大いにあります。
一方、実家を離れてからは、ワンルームのベッドだけがあるような部屋から大学や会社との往復だけの生活となり、その地域の行事に参加することもありませんでしたし、宗教的な何かに触れる機会はせいぜい初詣ぐらいなものでした。いろいろな行事がなくなったという一抹の寂しさはあったものの、寺がなくても他に都会にはいろいろな何かがあるわけでして、寺の必要性を感じるというのは難しいことだというのは分かります。私の場合は成人前に多くの親族が亡くなったという経験があり、死者への弔いや寺に役割について考えることが多かったのでその必要性を感じていましたが、都会で宗教的なものから離れて育ち、身内に不幸も起きていない状況であったならば、ハナから宗教は無駄的な論に近い感覚だったかもしれません。その意味では、住職さんにストレートを投げ込んでいる人達を何となくは理解できるような気がします。
情感的な話しか書いていませんが、宗教で必要なのはいろいろと割り切れないこの人間の情感的な部分だと思いますし、死者への弔いを忘れた社会や国家というのはちょっと想像したくありません。葬式仏教とは揶揄されるものの、仏教寺院が日本において遺骨の管理と死者への弔いを行う様式として一定の地位を持っている以上、それを支える宗教行為に対しての課税というのは勘弁してやってくれないかなと思う気持ちがあります。実家の村には共同墓地がありますが、おそらく慣習地というか入会地扱いとして固定資産税は課税されていないかと思います。私には寺もそのような地方の村々を支える存在であると現在はまだ思えます。
と、長々と情感的に書きましたが...
宗教行為への課税というのは現行法人税をそのまま採用するのは危険な気がしますが、ある程度はいけるんじゃないかと思ったりもします。住職不在の寺が増えているのは、課税と別要因が大きいと思いますし、まあ課税とセットで墓地管理への補助金制度の拡充等があればいいんじゃないかとも思ったりもします。まあ、このあたりは深く追ったことがないのでトンチンカンなことを書いていそうですが、少なくとも地方で朽ち果てた寺院と墓地が放置されるような時代が近そうですので、いろいろ制度をいじってみるのも悪くはないだろうと思う次第です。
死んだ人より生きてる人の補助が先 と直感的にコメ (スコア:0)
宗教法人税は大手にのみかける方針で。しかしうっかり変なリミット掛けると違憲訴訟にもなりかねない。そもそも宗教関連政党議員もたくさんいる。いろいろ難しい。
#そろそろ11月も終わり。STAPについてなんかの沙汰があるのかな。
Re:死んだ人より生きてる人の補助が先 と直感的にコメ (スコア:2)
タイトルに反応ですが、死者への弔いって生きてる人のためなんですよね。生きてる人が納得し、安心し、前に進むためにある。まあ、そーいうものを全く必要としない人もいるかと思いますが、そうではない人が多いので墓というものが存在するのだろうと思ってます。なのでまあそれを社会が支えてあげてもよいでしょう。
Re: (スコア:0)
それは死後の世界を認めない人に特有の思考でしかありませんね。
もちろん、あなたがそう信じるのは自由ですけど。
確かに私たちの認識能力は生きている人の世界にしか及びません。
だからといってそうでない世界が生きている人のために存在していると断定するのは
ある種の偏見であり、誰にでも通用する/通用させるべきと思ってはいけません。
Re:死んだ人より生きてる人の補助が先 と直感的にコメ (スコア:2)
あ、これはごもっともですね。
ただ、死者に補助を出すのは現在のところ難しいので生きている人に補助を出すということにはなるでしょう。
Re: (スコア:0)
都会の立体駐車的墓地とか(うろ覚えだけど骨を引き取らないというケースが増えてるのを)見てると、貴殿の考え方の人も減りつつあるように思う(´・ω・`)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112821076 [yahoo.co.jp]
Re:死んだ人より生きてる人の補助が先 と直感的にコメ (スコア:2)
会社近くの墓地には一部に(小さなコインロッカーみたいな)マンション型?の墓もあったりしますが、まあこういった従来の墓とは異なるようなものでも何の問題もないと思いますし、あるいは遺骨も残さないという考え方もアリだとは思っています。当人と遺族が納得できていればそれでいいわけですから。ただ、墓というものは残された遺族が前に進むために頭を切り替えるための良くできた様式だと思っていますが。
片付け魔 (スコア:0)
「要らない物は片付けましょう」は、人間が文化的に暮らしていこうとすると正しくないのですよね。
今回、槍玉に挙げられているのは宗教ですけれど、批判している人々にとっての「日常」が同じことをされたら瞬く間に掌を返すことでしょう。
それでも、それを「正しい」とするのは、「生きるために要らない物は片付けましょう」という生物としての話が出てくるからでしょう。
政治的な部分はさておき、今回ツイッターでの批判は「俺の日常のためにおまえの日常に使っているコストを寄越せ」という風に見えてしまいます。
Re:片付け魔 (スコア:2)
同じ日本に住んでいて自分と違う日常がある人達が存在するということを想像付かない人もいるということでしょう。まあ、都市や新興住宅地で生まれ育つとこのような宗教的な感覚は理解しにくいかと思います。
Re:片付け魔 (スコア:1)
例えば他所に住んでる祖父母あたりが亡くなったとしても、孫世代だと「葬式に行って帰って、それでおしまい」になってしまう。
Re:片付け魔 (スコア:2)
自分だと親族も多く亡くなりましたし、まわりの漁師連中も事故や病気でかなり早くに亡くなった人が多かったので、死はそれなりに身近なものでした。これが自分の子供になると、成人するまでに身近な人で亡くなるような方はいない可能性の方が高いと思っています。これが見えているので、どうやって人の死を教えるのか考えることがあります。まあ、教えてもしょうがないし、自分が死んでみせるわけにもいかないわけですが。
Re: (スコア:0)
なんらかの宗教心や信仰心を持つことと、大人になることはほとんど同義ですからねえ
とくにスラドのような若い層からの反発は自然かと
Re:片付け魔 (スコア:2)
ここはオッサンばかりのような気がします :-)
「寺」の価値 (スコア:0)
昔はそれこそ寺子屋があって、寺や住職ってのは尊敬の対象であり、地域の導き手だったわけですよね。
しかし、今は日本全国の行き来が容易になり、知識層も格段に増えたため寺への尊敬がなくなったことが、寺の衰退につながったのではないでしょうか。
私ははっきり言って葬式や法事のときにお坊さんが話す内容がひどく低レベルに感じられます。
こんな話しかできない、狭義に縛られているようでは衰退してもさもありなん、と思うことが多いです。
さらにいえば、年寄りの異常な寺での寄附の見栄とか、そういうものにも胡散臭く感じてしょうがないです。
Re:「寺」の価値 (スコア:2)
まあ、みんなそんなもんかと思いますよ。自分もより寺が身近であった実家に住んでいた頃はそんな風に思っていました。実家を離れ、親世代が亡くなり、子供が生まれ.... と経過していくことでいろいろ思うようになりましたが、このようなきっかけがないとなかなか変わらないものです。まあ今の葬式仏教の寺院にかつての価値がないことも自業自得と言えるかもしれません。
さらにいえば、年寄りの異常な寺での寄附の見栄とか、そういうものにも胡散臭く感じてしょうがないです。
年寄りにはどんどん心の拠り所がなくなってきますので、まあ子供らに迷惑かけない程度なら、と思ってしまいます。見栄といえばそうなのでしょうけどね。
そういえば、台風で壊れた寺の土塀を再建するために檀家の年寄り連中が寄進を集めようとしたところ、檀家には負担をかけたくないし、今の時代に塀なぞ無くても問題ない、ということで住職がそれを止めるということが実家近くでありました。年寄り連中はその行動に感じ入り、立派な住職だと口々に言ってまわるわけですが、私は寄進の受け入れ云々よりも檀家と住職の繋がりという部分が重要な意味があるのだろうと感じました。まあ、この一件では、立派な塀がなければダメだと言っている檀家もいたようですけども。
Re:「寺」の価値 (スコア:1)
へー、かっこいーですね。
#すんません、すんません、ごめんなさい。どうしても指が勝手に....
とってつけたように真面目な話をすると、
個人的には仏教そのものにちょっと興味があり、仏教の現場担当者の話を聞いてみたくはあります。宗教というか実践する哲学という印象があるので。
座禅でも組みに行くか。その前に体重減らした方がいいけど。
#存在自体がホラー
Re:「寺」の価値 (スコア:2)
http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/taiken/taiken.htm [mitene.or.jp]
永平寺なんて如何でしょうか?私は遠慮しときますが。
Re:「寺」の価値 (スコア:1)
>葬式や法事のときにお坊さんが話す内容がひどく低レベルに感じられます。
実家で仏事を担っている和尚もそんな感じの典型。ライブで百名千名規模の信徒を相手に法話する機会で鍛えていればともかく、そうでなければ高齢の檀家衆相手に手垢にまみれた話を洗練とは程遠い話術でという寺持ちの僧侶は少なくないでしょうね。
Re: (スコア:0)
宗教の役割はロールプレイの方にあって、坊主の説教などは演出にすぎませんから、そういう本末転倒が広まった結果が宗教の弱体化でしょうか
もしくは宗教の弱体化の結果が本末転倒か
ロールプレイとは、戦争映画なんかで、兵士が牧師役を仰せつかって聖書の適当な箇所を読み上げる、みたいなのをイメージするといいと思います
はじめまして (スコア:0)
私はtwitterに書き込んでいたSigesige00です。
あなたは、宗教は無駄論を唱える人を「都会で宗教的なものから離れて育ち、身内に不幸も起きていない状況」のような人と想像されているようですが、私は極めて宗教的な家庭で育ちました。
日本人の父親に、護国神社参拝を強要される虐待を受け、日本の宗教特に神道を激しく憎むようになりました。なので、日王制やそれを支えてきた神道の絶滅を生涯の目標としています。神社恐怖症で鳥居を見ただけでがたがた震えてしまうようになってしまったので、神社を一つ残らず潰したいのです。
仏教については、学問としての仏教は否定しません。大学院で仏教学を専攻した友人もいます。しかし、葬式仏教は社会の寄生虫であり駆除すべきものです。
「死者への弔いを忘れた社会や国家というのはちょっと想像したくありません。」とおっしゃっていますが、死者への弔いだって生きているもののためにあるものです。偉業を残した人や志半ばで倒れた人々を記念するようなことは必要でしょうが、「死者への弔い」一般は不要です。
Re:はじめまして (スコア:2)
読む限りでは、あなたは「特定の宗教だけ」を無駄であり潰したいと仰っているようにに見えますが、そこに生活している人々の共有財産であり礎石でもあるシンボルに対して、それを全否定するような考え方は私にはできないですね。わざわざ日王と書かれているのでその考えに至るまでの背景は理解致しますが。
というか、あまり特定宗教に偏った話はしていないつもりなので、そのあたりはご理解ください。そもそも私の実家の真宗門徒からすれば、曹洞宗は異端ですし。