kazunosukeの日記: 前へ、前へ!!! 5
先日、友人と飯を食っていたときになぜかこんな話をしていた。
「友人の彼女(僕の後輩でもある)は大学の学費生活費を全部自分で(新聞配達などをして)稼いでいた」
・・・という話題から「俺ら甘ちゃんだな」という流れ。
そして僕らは今だって学費を払おうとすれば出来るはずなのに、親を甘え倒している。
そういえば僕は学生時代に親からもらうお金を当たり前と思っていた。
というより「当たり前」とも考えもしなかった。
授業はみっちり入っていたし通学には何時間もかかるし、ということにしてバイトはガッチリしなかった。
だけどやる気になればバイトなんてたんまり出来たはずだし、どっかに住み込んで働きながら学校に通う
なんてことも可能だったはず。だけどそういうことは考えようともしなかった。
両親は「学校に行かせる(親が学費を払う)というのは当たり前」と、いうようなことを
いつか言っていたけれど、本当にそれが当たり前なのかなと思う。
アメリカとかだったら働きながら学校に通うというのは別に珍しくもないんじゃないだろうか
(詳しい話はわからないけれど)。
日本だったら「親に学費を払ってもらう」というのは普通なのかもしれない。
でも、それを享受する側はあまりにその事実を受け入れすぎだと、今なら思う。
ただ当時はそんなことを考えたこともなかった。
「当たり前」といわれていることの何と難しいことよ。
そして「当たり前の恩恵」を受ける者の何と無意識なことよ。
働いてわかる働くことの難しさ。文句言わず会社に黙々と通い続けている両親の偉大さ。
やっと今、感じる。そしてその一方で当時の自分は辛いのは自分だけと思い込んでいた。
ただの金食い虫が、親に「勉強しなさい!」と言われれば腹を立て「勉強できても社会で成功するとは限らない」
なんて、ウンザリする台詞を毎日返していた。アホ過ぎる。
友人が「留年決まったよ~!!」なんて笑って言えば「アホだな~」と一緒に笑っていた自分、アホ過ぎる。
かつての僕に説教をしたい。
そうしたら、かつての僕はいろいろ言い訳をするだろう。「自分のせいではない」理由をかき集め
己の無力さへのストレスと向き合わず、回避ばかりの20数年だったから。
月一、週一の自己批判も良いだろう。
自己批判することによって今の自分を見つめ直す。そうしないと情けないことに前へ進めないのだ。
今だってヨレヨレの自分だ。だけど、前へ前へと進む気力は漲っている。
それは確実に過去の自分とは違う。前へ、前へ。
それは確実に過去の自分とは違う。
うーむ (スコア:1)
私は自宅生という道を(失敗して)選んだので、仕送りの面では迷惑をかけていないと思ってます。
一人暮らしをしてる人はそれなりの恩恵を受けているので、自分で生活費を払うべきでしょう。
自宅生はそれなりの制約を受けているので、生活費を払ってもらうのは当たり前。
# と考えてしまう私はダメだなぁ…
でも、やっぱり授業料などの学費は親に払ってもらうものと思ってしまいます。
学費に見合う成果を出していない人は自分で払うべきです。
バイトで留年は論外。稼いだ金を学費に充てるべき。
とか書いてるうちにどんどん他人への批判になってしまいました。
出直してきます。
# かずのすけ先生の学生時代を聞かせてください!!
ふむ (スコア:1)
> 出直してきます。
そうですね。
他の人の批判が自己の正当性を高めるためのものだったら、ちょっと悲しいですよね。
僕はあまり他の人のことは、悪いように考えないようにしていますよ。
だって生活環境も違うし、何から何まで理解しているわけじゃないから
どうしても知ったような口調になっちゃいます。
それよりまず自分だなーって。
学費云々のお話は昨日酔っ払った勢いで書いたものなので、それほど真っ直ぐ受け止めないで下さい(笑。
そんなこと言ったら「高校の学費はどうなの?別に親が学費を払わなくても良いじゃん??」って、
義務教育じゃないから、そう考えてもおかしくないです。
それと学費に見合う成果って?今、その成果が目に見えないものだってあるはずです
(わー、なんか偉そうですね。ごめんなさい)。
でも「役立つもの/役立たないもの」は今わかるだけのものではないですよね。
10年後に成果は出るかもしれないし、僕が「無駄ばかりの学生生活で親に迷惑をかけた~」と
今、思って前に進む活力になれば、それは全て無駄とは言えなかったり。
必要なのは「考えること」ではないでしょうか。
どうやっても、しょぼい自分がそこにいて、でもどうにもならないことが、かつてあったり
今だったり、未来かもしれないです。でも、そこでなーんにも考えないと
その場所から一歩も進めなくなる気がするのですよ。
良いことも悪いことも考える。そして考えるなら、なるべく若いうちに考えた方が良い(と思います)。
#学生時代のお話は、ちょぼちょぼネタがなくなったときにでも。
Re:ふむ (スコア:1)
というか、グチになってすみません。
>それと学費に見合う成果って?
自分のやってきたことに自信がもてること、ではないでしょうか。
数年間で何か得たと感じることができれば、それは立派な成果だと思います。
確かに、成果は目に見えないものですね。
成果は自己満足になりがちなので、他人に意見を求めたほうがいいのかもしれません。
>必要なのは「考えること」ではないでしょうか。
そうですね、考えて悩むことは大事ですね。
でも、人間は考える必要がないと考えない生き物です。
つらいことや悲しいことがあったりしないと。
あと、いろんな人とお付き合いして色々な価値観を学ぶことも大事だと思います。
#考えすぎると鬱になりますけどね・・・。
そこまでするほどのことだったのか(ただの愚痴です) (スコア:1)
下宿も月3万のお化け屋敷同然のところでした。
でも日本の世間一般は大学生に対してそういう認識はないみたいで、
バイトしたこともないパラサイトに限って「親のスネかじりやがって」みたいな僻み言うのね。
それ自分だろ、みたいな。
総合大学だったから、広く浅い教養は身についたかもしれないけど、
仕事に直結しない知識だし、無意味だったかなと思っています。
済んだことはしかたないから、わしもとにかく前に進むだけですけどね。
それはあとでわかるかもしれないしわからないかもです (スコア:1)
> わしは入学金だけ親に出してもらってあとは奨学金とバイトでなんとか大学を出ました。
こういうお話を聞くと自分が情けなくなりますよ。
もう「へへ~」って感じで何も言えなくなります。はい。
> 総合大学だったから、広く浅い教養は身についたかもしれないけど、
> 仕事に直結しない知識だし、無意味だったかなと思っています。
やっぱりこの話も友人との話題で出ましたよ。
僕が「大学出たからって意味ねーんじゃねーの?」と言ったら修士出の彼は
「僕も前はそう思ったけど、やっぱり学校で得ることって多いんじゃないかな。
専門的な知識を学んだり研究するだけが大学の役目じゃない。友人と遊ぶのもそうだし、
いろんなつまらないことを考えるのも勉強だと思うよ。すぐに会社で働くよりも、
同年代の人間がワサワサいるところに身を置くことが、貴重な時間と感じることってあったし」
というようなこと(意訳されています)を言ってました。
今は無意味と感じることって山ほどあります。
生徒にも「こんな勉強して意味あるの?」って言われます。
だけど僕はその都度言っています。
「じゃあ君は10年後、20年後の自分を正確にイメージできるかい?
君が今思う"将来必要なもの"って何? それは10年経ったら本当に必要なものなのかな。
逆もまた然りだと思うよ。俺だって10年前、君たちと同じ年齢のとき
地理なんてさっぱり好きじゃなかったもの。
だけど今こうして教壇に立っていて“やっぱり勉強しておいて正解だった”と思う。
それはその仕事に就いているとかそういうことじゃなくてね。自分自身の知識欲の問題。
人の興味なんて変わるんだよ。そして興味を持ったときには少し遅い。
“あぁ、あのときちゃんとやっておけば”今まではそう思いっぱなしの人生だったな。
自分で自分の将来の幅を狭めることはしちゃダメだ。必要なもの、好きなものなんて
コロコロ変わるんだから、何に興味を持ち、何で成功するかわからない自分の未来のために
多くのことを学びましょう」
(もっと口調は悪いです)
まぁ、これは中高生に言っていることですので、絶対に僕よりも多くのことを学び、経験している
先輩であるくらまっくすさんに言うのは失礼かと思いましたが100分の1ぐらい「参考になる」と
思っていただければ最高です(あぁ、なんか本当に失礼な奴だな。僕ってば)。
無意味なんて言わないで下さい。たとえその時間が無意味だったとしても、無意味からも何かを
学べるはずですよ。そうすればそれは無意味じゃないでしょう?
前に進むことには勿論異論はありません。