yasuokaの日記: 中日新聞の書くQWERTY配列 15
QWERTYという言葉をご存じだろうか。手元にパソコンがあれば、キーボードの左上に並ぶアルファベットを見ていただきたい▼左から右へQ、W、E、R…となっていよう。このキー配列をそう呼ぶようだが、これが誕生したのはタイプライター時代の一八七三年。最も効率的に打てる並び方だから今なお生き残っているのか、と言えばそうではない▼当時はタイプライターが壊れやすかったから、わざわざタイピストの手を遅くするために考えられたのだという。ところが、それが大量生産され使う人が増える。他メーカーも続き、また使う人が増え…というふうに、定着してしまったものらしい▼『複雑系』(M・ワールドロップ著、田中三彦、遠山峻征訳)で、「収穫逓増」なる経済理論を説明する中で例示される話。
ざっと読んだ限り、どうやらワールドロップの『複雑系』(新潮社, 1996年6月)のp.41にある
クリストファー・スコールズという技師が、一八七三年、タイピストの手を遅くするために、このQWERTY配列を考案したのだ。当時のタイプライターは、タイピストがあまり速く打つと動かなくなったからだ。だがその後、レミントン・ソーイング・マシン・カンパニーがこのQWERTY配列のキーボードを大量生産した。それで多くのタイピストがそのシステムを学び、それで他のタイプライター会社もQWERTYキーボードをつくりはじめ、それでさらに多くのタイピストがそれを学び……というようになっていった。もてる者はさらに与えられる、すなわち収穫逓増。
を下敷きにしたコラムのようだ。戦略的思考とQWERTYなどでもさんざん書いてきたが、「タイピストの手を遅くするため」という説には全く根拠が無い。August DvorakやRobert Parkinsonがバラ撒いたガセネタだ。というか、『複雑系』のこの部分を読んだだけでも、「スコールズ」だの「レミントン・ソーイング・マシン・カンパニー」だの間違いだらけで、かなりマユツバだってのはわかりそうなものだ。
それにしても、新聞の朝刊の1面で、このガセネタをバラ撒きまくったとなると、またあっちこっちに飛び火するなぁ…。せめて『キーボード配列 QWERTYの謎』が発売されてからにしてくれれば、よかったのに。
研究者として視野が短絡的すぎる (スコア:1, 興味深い)
これを読むと"彼なり"に「金属棒がからまないように調整」が最初にありきで、その結果(「finally」)として「よく一緒に使う文字群が最大限に離れた事に彼は興奮した」となっています。 つまり、「よく一緒に使う文字群が最大限に離れた」事は、副産物に対する彼の主観であり、厳密に統計学的に「よく一緒に使う文字群」を離していった訳ではないのです。
http://srad.jp/~yasuoka/journal/413372 [srad.jp]戦略的思考とQWERTY
私はどちらの安岡氏の説とニューヨークタイムスの記事の審理には、全く興味がありません。
私が問題視しているのは安岡氏の研究姿勢です。安岡氏の挙げる浅い考察をもってガセネタだと断言するのは、一人の研究者としてあまりにも短絡的すぎるので、英語圏の研究者にはほとんど相手にされないのではないでしょうか?
あと、wikipediaで御自分の宣伝は見苦しいですよ。 普通、記事中の参考文献欄に自己著作物は記載せず、御自分が参考にした文献を記載するのがマナーじゃないですか? 引用を自己著作物にするなんて、馬鹿げてませんか?
Re:研究者として視野が短絡的すぎる (スコア:1)
× single letter combinations most frequently joined
○ two letter combinations most frequently joined
Re:研究者として視野が短絡的すぎる (スコア:2, 興味深い)
そりゃあ、Peter T. Whiteの『Pyfgcrl vs. Qwertyuiop』(The New York Times, Vol.CV, No.35792 (January 22, 1956), Magazine Section, pp.18,20)だけを見てたんじゃ、「短絡的」にしか見えないのは当たり前です。っていうか、そもそも中日新聞や東京新聞が引いてるのは、ワールドロップの『複雑系』(新潮社, 1996年6月)ですよ。なんでそこからいきなり、40年も前のPeter T. Whiteのコラム(1956年1月22日)に飛ぶんですか?
その2つを繋ごうとすると、最低限、Earl Poe Strongの『A Comparative Experiment in Simplied Keyboard Retraining and Standard Keyboard Supplementary Training』(United States General Services Administration, 1956)、James H. Winchesterの『Machine That Helped Emancipate Woman』(The Christian Science Monitor, Vol.57, No.68 (February 15, 1965), p.11, l.4-6; No.69 (February 16, 1965), p.13, l.4-6)、Robert Parkinsonの『The Dvorak Simplified Keyboard: Forty Years of Frustration』(Computers and Automation, Vol.21, No.11 (November 1972), pp.18-25)、William Brian Arthurの『Competing Technologies and Economic Prediction』(Options, No.1984/2 (April 1984), pp.10-13)、Paul Allan Davidの『Clio and the Economics of QWERTY』(The American Economic Review, Vol.75, No.2 (May 1985), pp.332-337)と読み進めていって、それでやっとWaldropの『Complexity』(Simon & Schuster, 1992)に辿り着けるんですよ。そういうところをすっとばしたんじゃ、「短絡的」に見えるのは当たり前です。
ただもちろん、これだけの論文全部に対して、ブログや日記に書くのはさすがに無理ですから、私も『キーボード配列 QWERTYの謎』 [nttpub.co.jp]という書籍の形でまとめることにしました。↑に挙げた論文などに対しては、第8章の「ドボラック配列とアンチQWERTY説」でかなり徹底的に議論しましたので、よければお読み下さい。
はあ? 私の説に興味がないのに、私の日記にコメントしてるんですか? 私の研究成果は、著書や論文の形で公開しています。私の研究姿勢を批難したいのなら、少なくとも、私の著書くらい読んでから出直してきて下さい。Re:お読みくださいって、買えってことか? (スコア:1)
私の著書をわざわざお買い上げいただかなくても、別に図書館で読むっていうのでもいいんですよ。私の著書を読んでいないのなら、私の研究姿勢を批難する資格はない、ってだけのことですから。もちろん、私の説に興味がおありなら、ぜひ読んでいただくべきだとは思いますけどね。
ただ、今度の『キーボード配列 QWERTYの謎』 [nttpub.co.jp]には、唐沢俊一なんて出てきませんよ。坂村健 [srad.jp]とかPaul Allan David [srad.jp]なら登場しますけど。だって、そもそも唐沢俊一がQWERTY配列に言及したのって、榛村季溶子のR25での記事 [srad.jp]くらいで、直接の言及はしてないでしょ?
これはdcxviiiの聞き方が (スコア:0)
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札幌出身じゃないけど関係者なのでAC
he wound upは (スコア:1, 興味深い)
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札幌出身じゃないけどAC
別の例 (スコア:1)
http://www.oreilly.co.jp/books/9784873113661/ [oreilly.co.jp]
元ネタとされているURLはこちら:
http://www.ctrl-c.liu.se/~ingvar/jargon/q.html#QWERTY [ctrl-c.liu.se]
とりあえずご参考まで。
その2chのスレッド (スコア:0)
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新手のモリタポ勧誘っぽいのでAC