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米国新法:クラッカーはテロリスト 22

ストーリー by Oliver
自由の名の元に 部門より

本家より:ニューヨークの0911事件への反応として、新しい対テロ法が米国でよく議論もされず、ドサクサに紛れて可決されようとしている。この新法、電子メール等の盗聴を安易にするだけでなく、政治目的の拷問や殺人、爆弾の作成や空港での暴力行為と共に、これまで不正アクセス法の範疇だった数々のクラッキング行為をも単なる犯罪からテロリズムにアップグレードさせている。これにより時効がなくなり、最高罰則が無期懲役になる。
SecurityFocusの解説記事によると、この法律の元では、ある政府機関のウェブページを恋人への愛の告白に書き換え、昨年逮捕された19歳の少年もテロリストで凶悪犯罪者扱いだそうだ。クラッカーにアドバイス/技術提供した人も同罪なので、Bugtraq等の場で対策を促すためにセキュリティホールを積極的に公開している人はテロリストと化し、臭い物には蓋をしたがるプロプラエタリなソフトウェアベンダーは大喜びしそうだな。米国でこいつが可決されると、日本でもいつの間にかまるごとコピーしたかの様な法律が作られる可能性が少なくないので要注意!

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  • 翼賛の恐怖 (スコア:5, 参考になる)

    by visha (779) on 2001年09月25日 17時33分 (#24859) 日記

    何つってもブッシュ政権の支持率90%って翼賛状態ですからね。何でもOKOK、反対するやつぁテロリストの手先って風潮なんでしょう。

    こうなっちゃうと、理性も歯止めもあったものじゃないのは、太平洋戦争直前から戦争終結前にかけての日本を見てれば明らかなわけで、アメリカも行くとこまで行っちゃうんじゃないでしょうか。そういえば、ついこないだまで支持率90%近い政権をかかえてた国がもうひとつ身近にあったから、他人事ではないよね。

    いずれにしろ、政治ってその国の国民のある種の写像だから、それでどんなひどいことになっても自業自得ではある。よその国はえらい迷惑だけどね。

    # しかし、あそこまで腰巾着だとは思わなかったよコイズミ首相。

  • by hiromasa (1041) on 2001年09月25日 18時13分 (#24871)
    情報が開示されない状態では、セキュリティホールを塞ぐ
    ことが困難になるでしょう。そう考えると、やられ放題で
    放置することを半ば義務づける法律だということになりま
    す。「テロリスト歓迎法」とでも呼びますかね?

    で、やられた場合には、法律の不備のせいにして、
    米連邦政府相手に、賠償請求するのが流行るのかなぁ。

  • Re:国 = 自? (スコア:3, 参考になる)

    by oyaoya (3441) on 2001年09月26日 0時57分 (#24988)
    たとえ個々の決定に反対であろうが、一旦決定されてしまえばそれに従わなければならないし、その結果も背負わなくてはならない。これ民主主義の基本。

    いやなら頑張って多数派を形成するか、さもなければよそに逃げるしかない。もちろんこれは、

    • 少数民族のように、国内における多数派をどうやっても形成できそうにない場合。
    • 言論による討議ののちに個々の国民が意思決定を行なうという政治プロセス自体に制限のある場合。
    には適用できない論理で、従って前者から民族自決権や民族自治区・民族教育権といったものが正当化され、後者から表現・言論の自由を制限する立法は「明白かつ現在の危険」clear and present dangerがない限り違憲となる、という審査基準が導かれるわけですな。

    とりあえず今回の法案に関しては後者、特に手段を教唆したものなどについても「明白かつ現在」と言えるかどうかが問題となるだろうし、たとえ支持率90%だろうがきっとEFFあたりが訴訟ざたにしてくれるからしばらくすれば落ち着くのでは(と希望してみる)。

    日本の場合、とりあえず言論の自由はあるし(通信傍受や公安活動だってアメリカよりはよっぽどゆるい)、選挙制度もまあ概ね全国的に格差のない方式だし、もちろん議会制民主主義だし、後者について大きな問題があるとは思えない(前者はちと難しい点もある)。それでもなおいわゆる進歩派の人たちとかが決して多数派を構成できなかったということの意味を、もう少しあの人たちは真剣に受け止めるべきだと思うのだけどね。もちろん彼らの論理は一般の国民から自己を疎外することによって成立しているので、望むべくもないのだろうけど。

    --
    Takehiro OHYA
  • by kiyotan (3912) on 2001年09月25日 19時29分 (#24893) 日記
    いずれにしろ、政治ってその国の国民のある種の写像だから、 それでどんなひどいことになっても自業自得ではある。 よその国はえらい迷惑だけどね。
    勝手にバカな法案通して勝手に暗黒時代を迎えるのは構わないんですが、
    アメリカのような国だと、
    「うちの法律に反するようなことをやる国はテロ支援国家とみなす。」
    と平然と言い出しそうでそのほうが怖いですね。

    #で、わが国はこれまた簡単にその圧力に屈するんだろうな。
    --
    Kiyotan
  • 国 = 自? (スコア:2, 参考になる)

    by kubota (64) on 2001年09月25日 20時50分 (#24919) ホームページ 日記
    いずれにしろ、政治ってその国の国民のある種の写像だから、それでどんなひどいことになっても自業自得ではある。よその国はえらい迷惑だけどね。

    ある国の国民がみんな同じ意見で統一され、同じものの見方をし、同じ嗜好を持つのなら、そうかもしれないですけど。得と呼ぶことは、国民全体をあたかも一個の主体であるかのようにみなすことだけど、それは間違ってるんじゃないかな。反対派もひっくるめて国民全体に「自業自得だ」と言ってのけることができる理由をさがすとすれば、反対運動を徹底しなかったのが悪い、とかかな。

    日本国民のやること (あるいはその「写像」としての日本政府のやること) はすべて (ほとんど、でもいいけど) 賛成できる、なんて日本人はいないと思うし。

  • by visha (779) on 2001年09月25日 21時18分 (#24932) 日記
    反対運動を徹底しなかったのが悪い

    微妙に違うけど、まぁそんなとこです。早い話が、自国の政府や議会がやる全ての行為の結果は国民に返ってくるわけです。反対してようが賛成していようがね。どこにもケツの持って行きようはない。だとすれば、「ヤバそうなことは阻止する」ことが必要になるわけで、そのために行動して実効を上げられない国民は、その結果を甘んじて受ける以外に何ができる? つーか、それが民主国家ってものの意味だと思う。誰も被害者ヅラはできない(しても意味がない)ってこと。

    # もちろんこいつはある種の理想論なんで、実態はこんな単純には割切れないけどね。

  • 何だって情報源 (スコア:2, おもしろおかしい)

    by AliceYou (2190) on 2001年09月26日 1時14分 (#24993) 日記
    /etc/servicesを読んで,9801番ポートから攻撃する
    ことを考えた。
    アニメキャラの名前がついたサーバの管理者は,
    9801番はブロックしていない場合がほとんどだ

    というクラッカーの供述があったときに,責められるべきは
    だれなんだろうか?

    ※もしこの手口でクラックされたら,お姉さんもテロの
    容疑で国際手配か?(笑えん)
  • 民主主義について誤解があるようなので、ちょっとだけ突っ込み。

    > たとえ個々の決定に反対であろうが、一旦決定されてしまえばそれに従わなければ
    > ならないし、その結果も背負わなくてはならない。
    > これ民主主義の基本。

    民主主義の原理では、「抵抗権」「革命権」の思想があります。
    つまり、民意で政治運営者を選出したが、選出したときの意図と反した
    政策を執った場合、それに反発すること、武力を持っても
    強制的に政権交代させることができるとされています。

    もっとも、近代民主国家で「抵抗権」「革命権」が
    規定される国なんて聞いたことはありませんが。
    あくまでも、原理原則の問題ということで。

    また、今回のネタの場合多数決での決定のため、
    「抵抗権」も「革命権」も関係ありませんけどね。

  • by oyaoya (3441) on 2001年09月26日 13時39分 (#25086)
    甘い。抵抗権・革命権はむしろ社会契約説との関係で出てくる理念。両権利が民主主義と必然的結合関係にないのは、次の二例を参照されたい。

    • ホッブズは自然状態から社会契約によって絶対的統治権力=リヴァイアサンが構成されると説いたが(民主主義否定)、政府が社会契約に違反した場合の革命権と、政府によって生命の安全が侵害される場合(刑罰など)の抵抗権を認めている。
    • カントは純粋共和制を将来の理想的政治体制として肯定したが(民主主義肯定)、革命権も抵抗権も認めていない。
    民主主義はあくまで決定への服従を要求するが、その民主制を成り立たせている社会契約に反する決定は、社会契約によって無効にできる(抵抗権・革命権)と理解すべきですな。違憲立法審査権(=民主的決定を反故にする権利)は狭義の民主制(議会)の外部からやってくる。そして抵抗権・革命権は憲法制定権力の発動として憲法体制の外部からやってくるわけです。だから憲法体制には規定されるわけがない。

    もっとも、社会契約を「純粋に契約に同意した者のみからなる契約」と考えず、外部効果の存在などを理由として「同意していない者も巻き込んだ契約」と考えた場合、社会契約と民主主義の境界はやや不分明になるのではありますが、それはまた別の話。

    --
    Takehiro OHYA
  • 「民族」以外にも少数派の権利を認める場合はありますね。
    「宗教」とか「思想信条」で、例えば「良心的懲役忌避」なんかがそうですね。あと「私的な宗教教育の自由」とか。ただ「民族」と違って分化習俗を含めた社会生活全般の差異という訳ではないので、「自決」とまでは行かないのかも。

    それと「民族」が問題になりやすいのは、民族問題というのは近代国家にとって喉に刺さった刺のようなジレンマですからね。
  • by HIT (3717) on 2001年09月25日 17時46分 (#24861)
    「ある政府機関のウェブページを恋人への愛の告白に書き換え、昨年逮捕された19歳の少年
    こういうのはともかく
    クラッカーにアドバイス/技術提供した人も同罪
    というのはどうもねぇ。

    ハッキングツールをCD-ROMで配付してる雑誌なんかも
    テロリストの機関誌扱いになるのかな?
    もしそうなら、マスコミから猛反発くらってもよさそうなもんですけど。
    --
    HIT
  • by ryuon (5103) on 2001年09月25日 22時06分 (#24939) 日記
    これまでのパターンだと、
    マスコミは特別扱いにすれば、ニュースに取り上げられることもなくなるんで、大丈夫です。
  • ある政府機関のウェブページを恋人への愛の告白に書き換え、

    こんなことでテロリストとされるのならば、ニュース番組の最中にいきなり婚約指輪を出してプロポーズしたアンカーもテロリストだってことになるな。TVのチャネルはネットワークと違って私物化してもいいというのなら別だけど。

  • by kubota (64) on 2001年09月26日 10時57分 (#25041) ホームページ 日記
    たとえ個々の決定に反対であろうが、一旦決定されてしまえばそれに従わなければならないし、その結果も背負わなくてはならない。これ民主主義の基本。

    民主主義というか、法治国家の基本ですね。まあ、よっぽどなことがないかぎり、この原則は守られるべきでしょう。それに、多数決以上に良い意思決定方式はいまのところ存在しないですから。

    少数民族のように、国内における多数派をどうやっても形成できそうにない場合。

    ぼくの最初の意図はこのへんにからんでくるんです。なぜ、「民族」の相違にのみ、こういうことが認められるのか。実際には、地理的に分けることが可能でなければ、こういうことは実行不可能なんですが、理念としては、民族だけ特別扱いするのはおかしいと思うのです。民族が違えば一体的な民主制が不可能になるほど意見の相違がある、というのなら、たとえば、宗教、性別、所得クラス、職種、年齢層、など、なんでも意見の相違を生む原因になります。実際には、「民族」は比較的大きな意見の相違の原因であり、「年齢層」はそれよりも相対的に小さな要因ですが、どこで線を引くかは自明なことではありません。

    「民族自決」という言葉を使うなら、なぜ「宗教自決」「性別自決」「職種自決」などが存在しないのか、ということです。

    進歩派というのが何のことをさしているのか良く分からないけど、これはオフトピックだと思うのでパス。

  • それは民主主義の原理ではないです。というか、民主主義だけの原理ではないです。天賦人権思想の考え方なので、民主主義だけではなくありとあらゆる国家に適用される(という考え方)です。

    逆に民主主義は、武力による抵抗や革命の必要をなくすために作られたというふうに考えるべきじゃないかと思います。

    抵抗権・革命権の規定がないのは当然で、最悪の場合にはそういった規定(法律など)を無視してかまわない、という思想だからです。それを法律などに明記するなんて、おかしいでしょう。

    この件をどういう視点から見るか、ということですが、非常に単純化して、「アメリカのプロプラソフトウェア産業 (A)」「アメリカのオープンソースな人たち (B)」「日本のプロプラソフトウェア産業 (C)」「日本のオープンソースな人たち (D)」の 4 つのグループを考えてみましょう。ここでぼくは、(A+B) vs (C+D) という構図よりも、(A+C) vs (B+D) という構図で考える方が適切だと思うのですが、「自業自得」という考えが出てくるのは (A+B) vs (C+D) という視点に立ってるからじゃないか、というのが指摘したかったことです。

    (今回の法案はプロプラソフトウェア産業の陰謀だ、と言いたいのではありません。ぼくがおそれているのは、この流れにプロプラソフトウェア産業が便乗することです)。

  • by oyaoya (3441) on 2001年09月26日 13時20分 (#25083)
    着眼点は悪くないです←えらそう。とりあえず自決権まで想定されているのは民族くらいですが(ユダヤについては民族=宗教かもしれず)、宗教については議会の議席配分や主要な国家の職(大統領・首相・国会議長など)を割り振り制にしている例があり(シリアかレバノンだったと思う)、性別についてはクオータ制(議員候補者の一定割合を女性にしなくてはならない)の例があります(フランスなど)。人種に基づいて自決権を行使したとされるのがリベリアの建国。アメリカから移住したですね。現地の住民にとって迷惑なことはイスラエルと同じ←おふとぴ。

    線の引き方としておそらく重要なのは、選択の可能性があるかどうかです。人は職業・所得は選べるし(「俺はいい所得を選択したいができないじゃないか」という方へ。それはそのために必要な努力をしないという選択をしたと構成されるわけです。もちろんここに一定程度フィクションがあるわけですが、まあ置いておいて)、生きていれば必ずすべての年齢層を逐次経験することになります。すなわち、職業・所得・年齢層はすべての人に機会均等です。

    民族・性別・人種はこれと異なり、選択することができない。人は特定の民族などの内部に生まれるのであって、その決定に対する責任を個人に問うことはできません。だから民族・性別・人種による差別は許されないし、それらによって不利を受けないような制度を作る必要がある、と。

    宗教については、日本人の感覚からするとやや微妙なところがあり、選択可能なような気もするのですが、世界の大多数の人々にとってはやはり所与の文化としてその内部に生まれるという感覚が一般的なのでしょう。

    最初に戻るけど、やはり「自らの同意しない集団的決定に従う義務」(政治的責務)は法治国家ではなく民主主義の原則。なぜなら、すべての社会的決定を直接民主制で行なう仮想国家を想定した場合、そこには「法治」はないが(ある決定が規則として反復適用されないものは法とは呼べない)、民主主義はあるから。そしてそこでも政治的責務は存在する。どうです?

    --
    Takehiro OHYA
  • by kubota (64) on 2001年09月26日 19時24分 (#25179) ホームページ 日記
    「自らの同意しない集団的決定に従う義務」

    そういう書き方なら、そうかもね。ぼくは、「法律に従う義務」というニュアンスのつもりだったから。ところで、直接民主制であっても「法治」はあると思うんだけど。たとえば交通ルールを直接民主制で決めました。それは「法」とは呼べないですか。

    で、その「義務」ですが、現実問題として少数派のほうが折れなきゃならない (折れてる) というのは、その通りです。が、それが理念として正しいかというと、多数派には少数派のことを配慮する責任がある、ということになると思います。ただそれは理念の上の話であって、実現できないのが実状だと思いますが。

    民主主義の理念そのものの中には、民主主義政治を行う単位として何が望ましいか、ということは一切含まれていません。単純な考えをもってすれば、単一の民主的な世界政府と世界議会があればいい、ということになります。あるいは、民族や言語や宗教などとは一切関わりのない単位を人工的に作ってもかまわない。「住所の緯度を四捨五入した数値が偶数な人の集合」とか。

    それに対して現在の政治の単位を擁護しようとしても、どうしてもとってつけた説明になってしまいます。世界政府に世界議会の何がいけないのか。それに対して民族自決という考え方はどう反論するのでしょうか。

    議会に女性枠や民族枠などを作ったりしたところで、その議会で作られる法体系はひとつなんだから、それは、民族自決の理念に沿うものとは言えない。単に、少数者への配慮というだけです。民族自決の理念とは、民族が異なれば民主主義に基づいて議会を共有したり直接民主制にしたところで意見の相違が大きすぎて民主主義が成立しない、という想定にあるのだと思います。それに対して「女性枠」「民族枠」は答えになっていない。

    で、ぼくの「民族自決」への疑問は2点あって、ひとつめは、民族が違えばほんとうに単一の民主政体を形成することは不可能なのだろうか、それくらいの意見の相違とはどれくらいの意見の相違のことなのだろうか、ということ。もうひとつは、それくらい大きな意見の相違は同一の民族の内部でも存在するにちがいないと思うのだが、もし民族間の「意見の相違」が「民族自決」つまり別個の民主政体をとるという形で尊重されるのなら、同一民族内の同程度の大きさの「意見の相違」が同様な形で尊重されない (現実問題として尊重するのは不可能だ、という意味じゃなくて、されるべきではない、つまり、「自業自得」) のはどういう理念に基づいているのか、ということ。

  • by oyaoya (3441) on 2001年09月26日 21時52分 (#25216)
    第一点。「すべての社会的決定を直接民主制で行なう」と書いたことに注目されたい。例えば交通ルールを直接民主制で決める。我々は普通、その先、すなわち適用の過程には民主制を適用しません。「Aという交通ルールに従えば、B氏がいまここで速度90km/hを出していたことはBという処罰に当たる」ということも社会的決定ですが、我々の社会ではこの段階は専門家論理(警察にせよ裁判官にせよ)に委ねられている。この場合、確かに法治は存在するということができます。

    設例はそれと異なり、適用過程における決定も直接民主制で行なう場合です。この仮想国家における議会は、あらゆる具体的な事例に関して直接的決定を行ない、かつ決定は将来の類似例について拘束力を持たない、と想定するのです。これが非現実的なことは言うを待ちませんが、しかしそこに「法」がないことはまあ確実です。

    法を単に主権者の命令と同一視する素朴な法概念論に立てば別ですが、反復可能性の要件を無視するそのレベルの議論は支持を得られないでしょう。参考、デリダ『法の力』。

    第二、少数派の問題。多数派に配慮義務があるかは難しい問題。とにかく一般的に合意されているのは、決して奪い得ない権利(特に生命権や言論の自由)はあり、多数派の支持による民主的決定によってもそれは侵害できないということ。ただしそれが民主主義の原則なのか、立憲主義=社会契約説の原則なのか、とにかくそういう自然法=自然権があるのかは議論の分かれるところです。

    第三、民族自決権。これは必ずしも「別個の民主政体をとる」ことを意味しない点に注意。正確には「とることができる」、とるもとらないも決めるのはその民族だという点に主眼があります。各民族がそれぞれ、「やっぱり世界政府でいいです」と言えば世界政府でいい。それを何らかの基準に基づいて外部の人間が決めることは許されない、という主張ですな。

    逆に言えば、民族自決権を認めることによってはじめて、少数民族に留まることの不利を甘受せよと規範的に言えるわけです。自決権があるんだから、いやだったら独立して別国家を作ればいい。それをせずに同一国家内に留まるのなら、他の民族が中心となって行なった決定にも従いなさい、というわけですな。

    ここで問題は「選択の可能性」に戻ってくる。個人には常に、いま現在所属している国家を出て行く権利と自由がある(規範的にはね)。いやな決定をされるのなら別の国に行けばいい。その自由があってはじめて、「留まるのなら従え」という主張が可能になるわけです。民族という集団に対して同様の論理を要求するのが民族自決権だと言えるわけですな。

    ここでは個人の自由=責任の論理が民族を単位として再現されているわけですが、直ちにおわかりの通り「本当に、民族とは個人と同じくらい確固とした単位なんだろうか?」という問題はあるわけです。まあしかし、民族自決権と個人の自律の問題が同一ラインにあるということの説明としてはこれで十分かと。

    現実問題として、世界には安定している多民族国家もそれなりにあるわけで、民族の違いが必ず政体の統一を不可能にするとは言えないでしょう。ただ、そういう組み合わせもある。もう一つ、民主主義は構成できるが、少数派なので必ず投票で負けてしまうという場合がある。このレベルの意見の相違の場合には、一定の自治権付与とか、人口比を上回る発言力(議会定数など)を与えることが解決策になるでしょうし、「その条件なら政治的責務の引き受けに同意する」という選択がありえるでしょう。ちょうど、個人において「言論の自由等々が保障されるのなら、政治的責務の引き受けに同意する」という主張が可能であるように。

    --
    Takehiro OHYA
  • by oyaoya (3441) on 2001年09月26日 21時57分 (#25218)
    以上述べたような「最終的には出て行く権利」が保障されていることが政治的責務を成立させる重要な要件だという前提に立つと、世界政府のまずさが導けます。つまり、世界全体で単一の政体を構成してしまった場合、どこにも出て行く先がなくなるからですな。確か井上達夫(法哲学者)はそういう議論をしていたような。

    もちろんこれは現在の国家区分とか、国境線とかを正当化するものではまったくありませんが、分裂状況を消極的に正当化する理論として参考までに説明しておきます。

    --
    Takehiro OHYA
  • by wawawa (3653) on 2001年09月28日 9時08分 (#25470)
    宗教的情熱で禁酒法を作った国ですからねぇ。このくらいはあるかも。

    ただ、禁酒法が 結局はマフィアの懐を暖めた結果に終わった。
    って事は思い出してもらいたいものだ。 > USA
  • by Anonymous Coward on 2001年09月26日 0時34分 (#24983)

    もともと米国は「自由の国」なんてお題目の割には、そうじゃないところがいっぱいあるところだよなぁ、なんて仕事で行く度に思いましたが、ついに馬脚がでてきた、ということかな。

    WTCもあれくらいであとかたもなく倒れちゃうんだから、ハリボテと同じだよね。

  • by Anonymous Coward on 2001年09月26日 18時22分 (#25159)
    みんなポーカー好きだからブラフも得意なのでは?
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家

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