Theo、SunSSHを批判 84
ストーリー by kazekiri
Theo健在 部門より
Theo健在 部門より
oldwave曰く、"OpenBSDのプロジェクトマネージャTheo de RaadtがNewsForgeのインタビューに答えて、OpenSSHプロジェクトで企業から支援を受けたことが事実上ないことを告白している。特にSunに対しては、SunSSHがOpenSSHのコードを参照しているのに、OpenSSHプロジェクトに支援がないことを名指しで批判している。
OpenSSHの活動に対して、たとえ1セントでも、それを利用する企業が送ってきた試しはありません。OpenSSHを直接製品に組み込んでいる企業は数百万ドルの節約になっているでしょう。しかし、Cisco、Sun、SGI、HP、IBM、Siemensなど、中規模のファイアウォールを販売する企業は沢山ありますが、1セントさえも送ってきません。Linuxベンダーも同じです。(…中略…)どこかの企業をやり玉にあげるなら、Sunがいいでしょう。Sunは毎年相互運用性のイベントを開催しています。NFSなどのプロトコルがテーマで、SSH実装のテストも含まれています。それらのイベントに参加する開発者に交通費と宿泊費を補助してくれるよう2度頼みましたが、断られました。彼らのSunSSHは私たちのコードを直接参照して作られているという点を考えれば、まったくもって失敬な話です。
/.jpでも、OpenBSDへの支援をめぐってちょっとした議論になっていた。その中でOpenSSHさえ手に入れば、OpenBSDなどいらない、という趣旨の主張があったが、現実にはOpenBSDがなければOpenSSHは存在することができないということが明らかになったと言える。"
強引だってば (スコア:3, すばらしい洞察)
というのは、たぶん、このタレコミを読む限り OpenSSH ではお金は一ドルも寄付されてなくて、OpenBSD に対する寄付のおかげで、OpenSSH の開発ができたというストリーだと言いたいのでしょうけど。
そもそも、OpenBSD に対する市民の寄付は、直接 OpenSSH に対する意図も含まれているわけでして、いささか強引な話に思えます。OpenSSH を意図して、OpenBSD へ寄付された方へ申し訳がない。無論、OpenBSDも含めての寄付なのでしょうけど。むしろ、OpenSSH への寄付とコマーシャルを売った方が、OpenSSH への寄付は集まると思います。知名度自体も明らかに違う。
無論、開発者にとって、OpenBSD と OpenSSH が切り放せないというのは、開発の敬意もあると思いますし、十分尊重しますし、その恩恵を受けているので、OpenBSD も含めて応援したいですし、OpenSSH を使って利益を得ている企業が、OpenSSHに(OpenBSDではなく、OpenSSHに対して)一ドルも寄付されていないのには憤慨を感じますが。
正直、このタレコミの話し方の持っていきかたというか、文章には少しあきれると言うか、怒りを覚えます。スコア-1ですよ、このタレコミ。もっと落ち着いて書いて欲しいですね。
Re:強引だってば (スコア:5, 興味深い)
・OpenSSHに対する活動で集められた寄付は1,000ドルほど
・その寄付はすべて個人からで、企業からは送られていない
・稼ぐためにOpenSSHを作ったわけではないが、実際OpenSSHを使って稼いでいる企業はたくさんあるのにまったく寄付がないのは悲しい
・とくにSunはOpenSSHのコードを直接参照しているのに、何も便宜を図ってくれない(怒)
ということでしょうか。ということで、「OpenBSDに対する寄付のおかげでOpenSSHの開発ができた」という話は全くありません。また、OpenBSDがなければOpenSSHは存在しなかった、という議論についても全く触れられていません。
恩恵を受けているのになにも便宜を図ってくれなくて悲しい、というのには同感。
#でも、いままでOpenSSHがOpenBSD由来だなんて知らなかった(汗)
Re:強引だってば (スコア:3, 興味深い)
というか、確かに、BSDライセンスで公開したので、それに沿って使ってる人、企業に文句たれるのはどうかと思いますが、newsforgeかどっかのコメントに、
'Theoはたしかにわめいてるように聞こえるけど、Sunなどに対しては、Open Sourceをサポートしてるとよくうたってる割には、全然サポートしてないじゃん!ってことで、ちょっとむっとしてるようだ'
ってな、コメントがあって、ふーん、と思いました。ライセンスだけみると、何言ってんだか、ともおもうけど、確かに企業がFOSSサポートしてるよー、とか言って、SunSSHがOpenSSHから派生した割には1 centもお返しが無いのは、まぁ、そうかもね、とも思いました。
Re:強引だってば (スコア:2, おもしろおかしい)
× OpenSource活動を支援している。
○ OpenSourceで開発されたソフトウェアも動きます。
ということなんですかね。
Re:強引だってば (スコア:1)
どうでしょうか。
実際にSunのそういう声明を実際に読んではいないので同ともいえないですが、仮に英語で
We're supporting Open Source softwares
と来たら、さすがに後者には取れないかと。
Our products are supporting Open Source softwares
まあ、これだとあからさまですが。。。
Re:強引だってば (スコア:1)
Re:強引だってば (スコア:1, すばらしい洞察)
出す必要の無い金を出す企業がどこにあるんでしょうか?
ライセンスは、無料で使え、変更したコードも出す必要はないので、憤慨する場所ではありません。開発者、ユーザーしかり。GPLでコードを出さなければ、憤慨してもよいですが、ライセンスに沿った使い方ですから、憤慨したいのなら、払うべきライセンスに変えるべきです。MySQLなんか、そこらへん賢いと思いますが。
まあ、OpenSSHなぞ、知名度があるわけで、何かしら集金方法はあると思うのですが、それの努力が全くないのはどうかと思います。
Re:強引だってば (スコア:1)
"たまには寄付"な企業が大勢いて、落ち着いた収入になれば、いいですが、そうにも見えないのに、あるんだかないんだか分からない収入で毎年1回ぐらい、金くれーー記事はどうなんでしょうか。おこづかいのない子供ですか?。。。
おとなはビジネスやって金もうけません?
関連記事 (英文) (スコア:3, 興味深い)
この中で Theo は
「SunSSH は何年も前の OpenSSH から派生しており、
権限分離を無効にしたり Trusted Solaris 用に大改造
してあるものである。Solaris でセキュアな SSH を
使いたい人はすぐ OpenSSH に取りかえている」
というようなことを書いています。
Re:関連記事 (英文) (スコア:1)
企業が寄付しやすいプロジェクト? (スコア:3, 参考になる)
法人化してるような気がしますが。
法人が個人に寄付するのは税金や法的にかなり面倒くさいと思うんで、
企業からの寄付を受け入れるには法人化するなど、それなりの形を
作ってやらないと難しいんじゃないんでしょうかね?
Re:企業が寄付しやすいプロジェクト? (スコア:2, 興味深い)
しないのではなく、できねーよ、とか言ってる人が。
法人としては、OpenBSDに寄付するってのは、レシートも切ってくれない個人が本当にOpenBSDだけに預けた金を使ってくれるのかっていうのがまず分からないので、やれないみたいな話でした。
Re:企業が寄付しやすいプロジェクト? (スコア:2, 参考になる)
なんか見苦しいな (スコア:2, すばらしい洞察)
自分らが好きで開発していて
さらに好きに使って良いというライセンスをつけていて
それで「支援がない」といって批判するのは見苦しいね
だったら最初からそういうライセンスにしろよ
Re:なんか見苦しいな (スコア:2, すばらしい洞察)
というわけで、有料の telnet など考えられないのと同様、
OpenSSH が寄付を強要することはありえません。
OpenSSH を使ってビジネスをしているのに一銭も支援しない
企業と Theo のどちらが見苦しいか、ということであれば
人それぞれ意見があるでしょうが、それはライセンスとは
別の問題ではないかと思うのです。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, すばらしい洞察)
金銭を払うべき、コードを提示すべきライセンスであれば、もちろんしないほうが問題ですが、BSDライセンスで公開してるので、文句が言いたければ、ライセンスを変えろと。
と、osnewsやnewsforgeで何度もコメントしましたが、海外の人は、”使ってるんだし、払えばもっといいのが出来るし、払えばいいじゃん”、みたいなスタンスな人もいて、驚きました。ましてや、企業に対して、泣き言のように求める意味が分かりませんでした。
Re:なんか見苦しいな (スコア:5, すばらしい洞察)
まず Open ありき。
ですからライセンスを変えることなど考えもしないのでしょう。
その中でできることとして、
sustainability (継続可能性?) の観点から自分のためになり、
企業として賢明ですよ」
とか
基幹となる OpenSSH に一銭も出していないのは企業イメージを
損ないますよ」
というような論法 (義務としてではなく、企業価値を高めるという
観点からの説得) で、できることをやっているだけです。
これはたしかに見苦しいかもしれませんが、OpenSSH 陣営には
お金のためにライセンスを変えるという考えがない以上、
これ (継続性と倫理を強調する手法) は最大限のアピール手段
ではないかと思います。
# それよりも私としては「他人を批判することでモチベーションを
# 高揚させている」ようなところが見苦しく感じますが。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, すばらしい洞察)
例えばある村の誰もが無料で使える集会所を利用して、そこで商いをして大きく稼いでいる人が、集会所の修繕費の募金が不足しているのにまったく金を出さなかったならどうだろう。
その集会所は有料にするのが当然?
有料にするのは1つの手段だけど、必ずしも正解ではない。
有料にして使う人が減れば存在価値が薄れてしまいかねない。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
必ずしも、現存するライセンスひとつだけを選ぶ必要は無いと。
無料で使ってくれてるユーザーベースを壊さずに、払えそうで払ってもらいたいところからはもらうようなライセンスを書くことも可能です。
必ずしも、集金=シェアウェア、ではなく、サポートを売るとか、いろいろあると思うんですが、OpenBSDをはじめ、なぜFOSSは寄付が足りないと、あーだこーだ言うのでしょうか。集める努力してないって。フリーソフト開発してると、自分が人の風上にいる風潮はいやですね。金が欲しいのはだれも同等、FOSS開発だから、特別に寄付して、それで食わしてやるよ、って考えはどうかと。
ついでに、Wikipediaも広告でも入れれば、とっっっくのとおにサーバー代まかなえると思いますが。あんなに、トピックに絞られたページばかり持っているのだし、広告すごい置きやすいと思うけど。もちろん運営者の勝手ですが。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, 参考になる)
言うだけなら、勝手ですが、本当に欲しいなら、方法は間違ってると思います。上の投稿で述べましたが。文句を言われる筋合いの無いライセンスを自分で発行しているわけで。
>見掛ける中東の人達
もちろん、その人たち+etcをかばって、収入無く、サーバーがアップグレードできなくて、全員に迷惑?をかけるのも運営者の勝手ですが。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, フレームのもと)
必ずしもそれが現金でなくても。
Re:なんか見苦しいな (スコア:2, 興味深い)
対価についての明確な記述をライセンスに盛り込まなくても皆が幸せでいられた時代も終わったのかな・・・
旅に出ます.(バグを)探さないで下さい.
Re:なんか見苦しいな (スコア:3, すばらしい洞察)
ビジネスモデルの確立で一番難しいのは、人の役に立つことではないんです。どのくらい役に立ったかお客さんに認めてもらって代金を回収し(ここが難しい)、それを使って継続的に活動を続けるかなんです。無償で使っていいよなんて言ったくせに、憎まれ役のコスト回収は企業にやって欲しいというのは、私にはずるく、あるいは甘く見えます。
企業の立場で言えば、お客さんからは「あんたたちタダでそのSSH手に入れてるんだろ? それに代金なんて払えないよ」と言われるわけです。だって開発元がタダだって書いてるんだもの。コストがかかっているなら最初から提示してくれれば、それに見合った対価がもらえそうか見積もるだけなんだから。
#なんだか文字にしちゃうとあたりまえのことなんだけど……
人生は七転び八起き、一日は早寝早起き
ビジネスモデル (スコア:1)
フレームの元だったら遠慮なくマイナスモデどーぞ。
陸上系のスポーツ選手の多くは本来一銭にもならない(あくまで職業として)ことをしていますが、スポーツ用品メーカーから支給される製品を着て露出することでスポーツメーカーから広告料を貰っていますよね。
その額が成績に比例しますので、場合によっては一生かかっても使い切れないような額になることも。
今日たまたまテレビ見てたんですが、エチオピアのケネニサ・ベケレなんて走ることで自身の生計を立てるどころか、国民を鼓舞しているわけで。
彼のようなキャラクターに対する出資は、広告効果以上のものが得られるのではないでしょうか?
オープンソースでのビジネスの一形態にこれらは当然含まれていますよね?
だったら言い方がの問題のような気がします。
「儲けてるはずなのに支援しない」ではなくて
「金銭的支援をし、そのことを公表すれば貴方の企業の価値が上がりますよ」と言えば値千金のビジネスの話になると思うのです。
また、そのつもりで言ったかも知れないのに(記事にした|訳した)時点で主旨が変わっている可能性はないのでしょうか?
#なさそうだなぁ。
Youthの半分はバファリンでできています。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
寄付が一般的でない日本ではそうかもしれませんけど、
米国あたりだと、寄付を活動資金に組み入れてるNPOは少なくないですよ。
#ま、節税対策だったりもするんですが。
> コストがかかっているなら最初から提示してくれれば、
> それに見合った対価がもらえそうか見積もるだけなんだから。
それに見合った対価を見積もれるんだったら、
その対価を寄付するってことも可能なのでは?
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
ただ、寄付をしない団体に文句を言うのは筋が違うと思うのです。
>> コストがかかっているなら最初から提示してくれれば、
>> それに見合った対価がもらえそうか見積もるだけなんだから。
>それに見合った対価を見積もれるんだったら、
>その対価を寄付するってことも可能なのでは?
見積もれるのなら、おっしゃるとおりです。
伝わらなかったのかもしれませんが、私は見積もりようが無いと書いているつもりです。
開発元が無料だと書いてしまったら、その対価は見積もれません。
もしそこに何かの値段をつければ、お客さんからは「タダで手に入れたものを使って金をとるのか、それはぼったくりだろう」と文句を言われてしまいます。何かの付加価値をつければその部分には対価をつけられるでしょう。しかし(意見の分れるところでしょうが)、その付加価値はOpenSSHの作成したものではないと考えるならば、別に金を払う義理はありません。
開発にコストがかかっていると考えているなら、継続的に開発を続けるにはそのコストを計算して収支を合わせるべきです。
あと、話が少しずれるのですが、これを寄付(donation)と呼ぶのもちょっと違うかなと。衣食住が脅かされている人を助けるための寄付とは違うのだから、区別したほうがいいのではないかと思うのです。これって、寄付というよりはむしろ無償で頑張っている人を応援するカンパ(campaign)ですよね? 個人的な感覚があるかもしれないけれど、道義的な責任は寄付に比べてだいぶ薄いと感じてしまいます。本人が無料だと公式に書いているのにわざわざださなくても、なんてね。
人生は七転び八起き、一日は早寝早起き
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
理解できなくもありません。
でも、「文句くらい言ってもいいじゃん」って考え方もあっても良いんじゃないかな。
別に無理やり金を強奪するわけじゃないんだから。
> 開発元が無料だと書いてしまったら、その対価は見積もれません。
あるものの仕入れ値がタダであろうとなかろうと、
それによって何らかの有用性を得ているのであれば、
その有用性を対価に換算することはできるでしょう。
それを顧客に説明できないとしたら、
それもまた、脆弱なビジネスモデルと言えるのでは?
> 衣食住が脅かされている人を助けるための寄付とは違う
そういうものだけを寄付と捉えるのは、私の感覚には合いません。
例えば寄付講座って、食うや食わずの人に与えるもんじゃないですよね。
東大安田講堂は、富士銀行の前身安田銀行の創立者、安田善次郎の寄付によるものです。
個人的には、寄付と呼ばれようととカンパと呼ばれようと、
この場合言葉遊び以上の意味は見出せません。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
OpenSSHはそういうライセンスなんでしたっけ?
masashi
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
道徳的観念の欠如 (スコア:1, 興味深い)
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
などと言っている私はTheo様ファン。これからも楽しみにしています。昼飯代程度ですが、先日のネタを見て寄付もしてみました。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, すばらしい洞察)
「法で人を縛るなんてダメだ、法に違反しなきゃなんでも良いと思う輩が出てくる」
仁を求める事と法を求める事は何も矛盾しませんよ。
# 4番打者に敬遠球投げたらブーイング飛ぶでしょ? ルール的にOKでもさ。
Re:礼節を重んじる (スコア:1)
欧米人はサービスに対して対価を払う癖がついていますが、日本人はサービスは無料という感覚なので、ライセンスに書いてなくても欧米人は金を払うし、日本人は払わない。
日本人の礼節にはそぐわないだけじゃないんですか。
Re:礼節を重んじる (スコア:1)
なぜ、あいまいな結論がでるんでしょうか?
ただ、単にライセンスに沿った使い方に対して、要求があるみたいですが、それを呑むかどうかはその人次第、むしろ無視してもなんら問題ないわけで。個人的に感謝を示すのはしたければ、すればいいですが、企業は要求されない金を出すところって聞いたことありませんが、意図が他に無い限り。
OpenBSDないしOpenSSHを使ってる人は世界中にいるわけで、そんなあいまいなスタンスでチップくれよーなんて、言われたら、無視されたり、非難され当たり前です。
金が欲しいなら通用するビジネスをやればよいと。
1回のインタビューでこれだけ騒がれるほどOpenBSD/SSHが注目されてると仮定すれば、ビジネスをやろうとしないほうがおかしい。金がいらないなら別だけど、欲しそうだし。
Re:礼節を重んじる (スコア:1)
>日本人がサービスに金を払っていない訳ではありません。
お客さまが「サービスしてよ」って言うときは、大抵、「タダにしろ」っていうことなのはどういうことなのかしら(;_;)。
# わたくしサービス業なのです、それがお仕事なのです、おきゃくさまああああああ(涙)だけどIDで。
荒らしが何言ってんだか (スコア:2, 興味深い)
http://docs.freebsd.org/cgi/mid.cgi?9516.845798821 [freebsd.org]
Re:荒らしが何言ってんだか (スコア:1)
http://cvs.opensolaris.org/source/xref/on/usr/src/cmd/ssh/
なぜLinuxは寄付が集まり、OpenSSHには集まらないのか (スコア:2, 興味深い)
「これは我々の求めるものに限りなく近い、しかしわずかに足りない。寄付(やらなんやら)をするからその分を作ってくれよ」
というのがいろんなところから集まる。
OpenSSHは基本的に単機能でしかも比較的完成したものなのでそれが見込めない。
少なくともLinuxと同じやり方をしていては成り立たない、ということでしょうね。
読み取れません (スコア:1, すばらしい洞察)
>ということが明らかになったと言える。
えーと、どの部分から明らかになったんでしょうか?
OpenSSHへの寄付窓口があるのに送金されなかったんですか?
ssh.com (スコア:1, 参考になる)
本家SSH Communications Security [ssh.com]のことも忘れないでください...
Re:ssh.com (スコア:2, 参考になる)
ちなみに俺は本家SSHの方が好きで,頻繁に使うマシンには,わざわざコンパイル&インストールして使ってるけど,だからといってOpenSSHが無くなったら困るぞ.
企業だからこそ (スコア:1, 興味深い)
それが危惧されるくらいなら、しないという選択をした。
自分に直接の益があるかないか、という点に対しては、個人より敏感でしょうし。
openssh.org のひとりごと。 (スコア:1, 参考になる)
Theo のこの手の話のコメントを見るたびに (スコア:1)
Theo のこの手の話についているコメントを見るたびに思うのが、ノーブレスオブリージュ [google.co.jp]について、全く言及がない事。単に日本人に馴染みのない概念なだけかもしれませんが、Sun などに対しては、まさしく社会的責任を果たそうよと言ってるように感じます。
とはいえ、FreeBSD Foundation などのような財団の形を取るなどしないと、OpenBSD は寄付してもらうのも難しいと思うのですけどね。
そもそも、「口は出すな、金は出せ」「お前らが協力しないのが悪い」なんて言ってるようなプロジェクトじゃ、なかなか支援してもらえないとは思いますが。
Re:Theo のこの手の話のコメントを見るたびに (スコア:1)
ライセンス的には果たしてるんじゃん。SunSSHはOpenSSHから来ました、ってどっかに書いてあれば。
http://cvs.opensolaris.org/source/xref/on/usr/src/cmd/ssh/
他はどーでもええ。ってか、ライセンスの要求じゃないし。
Re:Theo のこの手の話のコメントを見るたびに (スコア:2, 興味深い)
だれも Sun が「ライセンスに違反してる」なんて言ってない。 法的な問題をクリアしてるってのは最低条件で、その上で倫理的、道義的な観点から(オープンソースを支援するとか謳ってるんだし) Sun はもっと色々してくれても良いんじゃないの?って言ってるのだと思うけど。
まー、私はその意見に同意しますが、ただ、言いまわしはもっと考えたほうが良いのでは、と思いますけどね。 元コメントにあるように「口は出すな、金は出せ」「お前らが協力しないのが悪い」なんて言い方では集まる寄付も集まらんでしょう。
Re:Theo のこの手の話のコメントを見るたびに (スコア:1, すばらしい洞察)
「誠意ってモンを見せてもらいたい」
端から見たら集りにしか思えない。
Re:Theo のこの手の話のコメントを見るたびに (スコア:1)
あー、うん、まさにそのようにとらえられかねないから言い回しに気をつけたほうがいいよね、と思ったのだけど、このような返事がつくってことは、私の言い方もよろしくないって事か。
法には触れてないというラインと義理を欠いてないというラインの間にいくばくかの開きがある、ということ自体はきっと定性的には多くの人の感覚に反しないと思うのだけど、定量的にどの程度要求してしかるべきか、てのはかなり各人の主観に依存するのでしょう。で、そこを(要求する側が)社会通念に照らして過大に評価してるようなときには、「やくざの言い分と一緒」って言われてしまうのだろうし、(要求される側が)過小に評価してるときには「社会的な責任を果たしてない」って言われるのだろうな、と。
で、どの辺が妥当なラインかってのは、私には断定的なことはいえないけど、少なくとも「ライセンスに触れてないんだから何しても良し」ってのは不穏当なほどに両極端な意見のウチの片っ方ではあるでしょ、と言いたかったのね。
ところで本筋と関係ないけど「集り(たかり)」って漢字だとこう書くんだ。知らなかった。読み方分からなくて検索しちゃった。恥ずかしい。