DanDaDanの日記: 単なるアレゲ人に病名を付けないでほしい 9
日記 by
DanDaDan
「空気が読めない」「集団行動が苦手」と悩んでいる人、周りにいませんか?もし、あなたや、あなたの大切な人が“大人の発達障害”と診断されたら、どうしますか?
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_0715.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001
「報告・連絡・相談がうまくできなかったり、こだわりが強く、周りの状況が分からなくなったりして、悩みを抱える」人も実害が無い限り「アレゲ人」で留めておいてよ。
治療なんてまっぴら。診断するなよ。
#ってコミ障カミングアウトしてどうする...
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_0715.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001
「報告・連絡・相談がうまくできなかったり、こだわりが強く、周りの状況が分からなくなったりして、悩みを抱える」人も実害が無い限り「アレゲ人」で留めておいてよ。
治療なんてまっぴら。診断するなよ。
#ってコミ障カミングアウトしてどうする...
豊かな人生 by NHK (スコア:1)
うん、まぁ家庭を抱えつつ終電まで働き詰める生活を10年以上続けても平気だと思える方がどうかと思う。
これで「豊かな人生を送ってきたはず」と言ってしまうNHKは控えめに言ってもヤバいと思う。
発達障害の話はそれとして、このケースではもっと別の問題を抱えてるとしか思えない。
むしろ (スコア:0)
「報告・連絡・相談がうまくできて当たり前」と思ってる人のほうが病気だと思うけど
Re: (スコア:0)
ニューロティピカル症候群ですね。
空気が読めない、ではない (スコア:0)
ハナから空気を読まないだけだっ!!! (自己紹介モード)
>報告・連絡・相談がうまくできなかったり
面倒だからしないだけ
>こだわりが強く
これはその通り
>周りの状況が分からなくなったりして
自分が全て、周りなんて知らん
>悩みを抱える
なんの悩みもないが、私の扱いで周りの人が悩みを抱えている可能性はあるw
Re:空気が読めない、ではない (スコア:1)
以前なら問題にならないこと、本人もストレス感無く済んでいたことが「査定」主義になって晒されているんじゃないかなぁ。
また、それが治療という名の処置でホワイトニングされる。
記事の画面 [nhk.or.jp]に「言い訳は反感買う」ってアップがあるけど、みんなが言い訳しなくなっていいわけ?
#あ、すまん。
多様性を認めるとか何とか言いながら一方でこれだから、困るね。
“人生の大半の問題はスルーカで解決できる...
Re: (スコア:0)
多様性を認める
これはマスコミ語で本当の意味は「マイノリティを優遇しろ」
そう思うようになったらあなたが (スコア:0)
マイノリティーになったのです。
そういった社会的相対性の存在に気づけば過去の日本が行なっていた
多様性の維持の価値が分かるようになるでしょうね
慣れの問題だと思うけどなぁ… (スコア:0)
ほうれんそうは、社会人の基本。一人で仕事してるわけじゃないんだから。
得手不得手はあっていいと思うし、不得手なことで悩んでもいいと思う。
でも、お互い仕事なんだから。そこは割り切ってもいと思うんですよね。
病気にしてしまうんじゃなくて、悩まないような工夫が必要じゃないかなぁ....
境界線の問題 (スコア:0)
自分のいる位置を発達障害との境界近辺だろうと捉えている人の危機感の出ている文章だと思いました。
私も似たような考えを抱く事はあります。でも、俺は実害を出していないしアレゲで良いだろう、
発達障害というレッテルを貼って欲しくないではダメだと思うんです。
今は発達障害に対する根本的な治療法というものはありませんが、仮に治療法が出来たとすると、
(自閉症スペクトラムなんかは、オキシトシンの経鼻薬が効くとかって話もありますし)
実害を出しているような発達障害の人が治療を受ける事になります。
そこで、それら発達障害の人が治療により障害を克服しても発達障害とアレゲの境界線が
今のままだったらいいのですが、今度は今までは許されていたアレゲの人の
「空気が読めない」「集団行動が苦手」部分が受け入れられなくなり、
その事によってアレゲの人が実害を生むようになる可能性もあるんじゃないでしょうか。
せっかく「空気が読めない」「集団行動が苦手」といった発達障害の特性を個性として認めようとか
多様性を認めようとかっていう機運があるんですから、自分は発達障害ではないと主張するのではなくて、
少し似た部分もあるから……と発達障害の理解者のように振る舞って、
発達障害の認定を受けるのも受けないのも自由、
治療するのも治療しないのも自由(個性だって直したかったら直したって良いじゃない)って立場でいた方が
後々幸せのままでいられそうな気がするんですよね。
ちなみに、発達障害に今のところ治療法がない事、自分が非社会的(と受け取られる)行動を取ってしまう事に
発達障害という理由が出来て、多少社会からの免罪が得られる事(個性だからしかたない?病気だから仕方ない?)、
自分が非社会的(と受け取られる)行動を取ってしまう理由がわからなかったけど、
発達障害という名前が付いて理由がわかった気になって安心できる事、
といった事から発達障害の診断を受けたがる人っていうのもいます。
また、スラドの発達障害関係のストーリーで人格変わっても治療したいという人も見かけた気がします。
上の認定や治療の有無の自由はその辺の踏まえた上で設定しています。