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日記

Magazineeroihitoの日記: 中庸

日記 by Magazineeroihito

人は常に揺れる印象の中で動いている。 喜怒哀楽 情緒感傷の波に さらわれたままずっと違った場所に運ばれるという 毎日を過ごしている。

揺れる 印象 揺れる心を常に 中庸に戻す。 この作業が日常 必要になってゆく。 中庸とはあなたの人生のテーマに沿った生き方である。 すると人生のテーマとは何なのかということ。

それはあなたに生きがいをもたらす生き方というものなのだ。 いろいろな葛藤が日々あなたを襲う。しかし あなたは毎日生きがいを持って自分の仕事をこなしている そうするとあなたを襲う あれもやらなくては こうしておけばよかったという印象に対する執着はなくなっていく。 そんな余裕 暇がなくなるからだ。

あなたはあなたのテーマに沿った生き様を生きていくこととなる。 そのことがあなたを日々充実させいきいきとさせていく。あなたのテーマに関わらない こだわりはもはや こだわりではなくなっているのである。

つまり残された印象への執着はなくなって それはもはや カルマではなくなってしまうのである。確かにここではあなたの人生のテーマに対するこだわり 執着というものは大きくなっている。

しかしそこに残る 印象はここまでやり遂げたという印象であって決してここまでやり残したという印象ではない。 そこが自分の人生のテーマの沿った生き方ができるか そこから外れてしまっているかの違いなのである。

自分の持ってきた テーマ そこから外れるということは人生の無駄遣いに近い 非常に大きな間違いである。

自分の生きがいを生きている時はたとえそれがどんなにきついことでも辛いとは思わない。

しかし 自分に合っていない仕事をしている時は身体的に楽なことをしていてもなんだか ストレスが溜まっていくこととなる。

そこには自分というものを司る 中心線がないから あらゆる 印象があなたを あちらこちらへ 引きつけて縛り付ける。 それがカルマとなって持ち越されることになるのだ。

だからどれだけ自分の人生のテーマ=生きがいを見つけることが大切なことかとわかる。

それではこの自分の人生のテーマはどうやったら見つけることができるのであろうか。

1つには自分のやりたいことをやるということ。 この一言には多くの意味が含まれている。

仕事や遊びはもちろんだが 日々の生活を自分のやりたいようにやるということが大切だ。 もっと突き詰めると自分の思い感情表現まで自由にできるかどうかというところまで持って行く。

人は生まれ落ちた時から社会に適応できるように教育され始める。 そこから すでに自由な自己表現への制限が始まっているのである。

大きな声を出してはいけない
走り回らないように
ここでは笑ってはいけない
男は泣くな
女の子だからおしとやかにしなきゃ

などなどの無数のしつけや常識が無垢な幼い感情を押さえつけている。 それは本来 もっと自由にのびのびと育つ はずの感情であった。

それが未成熟のまま固まってしまい それがそのまま大人に持ち越され、その人間たちがまた子供に同じような仕打ちをするという悪循環に入っている。

この悪循環を解消するには 社会が一斉に気づかないと なかなか難しいであろう。 そして今のところ その可能性は非常に少ない。

だから 個人個人がこの現実を見つめて 自分の 抑え込まれている感情を解放してやることが必要となる。

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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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