akiraaniの日記: 復讐劇と逆転劇の違いは何か 6
議論する場所によってはスラドのタバコトピック並みにあれることがあるジャンル論のお話。
某コンテストのテーマに掲げられていた「復讐もの」というテーマだが、ジャンルとして掘り下げていくと、実はこれはとても狭い範囲でしか成立しないテーマなのではないかと。
仮に、やられたことをやり返すものを復讐ものと定義すると、「やられたらやり返す、倍返しだ」でおなじみの半沢直樹シリーズも復讐ものに含まれてしまう。しかし、これを復讐ものだと考える人はそんなに多くはないだろう。
おそらく、多くの視聴者はこれらを復讐劇ではなく逆転劇と見るのではないかと思う。
一方で、復讐劇の名作、巌窟王(モンテ・クリスト伯)はよほどひねくれた感性を持つもの以外は逆転劇とは見ないだろう。
その違いはどこにあるかを、巌窟王のストーリーを追いかけて調べてみる。
モンテ・クリスト伯ことエドモン・ダンテスは、無実の罪で投獄されるが、脱獄を果たして財宝を手に入れ、名前を変えてパリの社交界に返り咲く。
この時点ではすでに逆転劇は成されていて、彼は悠々自適の生活を送れる状況になっている。ここでめでたしめでたしとして話をまとめることだってできるわけで、その場合は復讐劇とはみなされないだろう。
が、彼はそこからさらに、自分を陥れた怨敵に復讐を開始する。
おそらく、ここが逆転劇と復讐劇の分水嶺と言えるのではないか。
より厳密に定義するなら「復讐を達成することで得られるもの」で分類することができるのではないかと思う。
復讐というのはどこまで行っても自己満足で、復讐を果たしたことで立場が回復したり、窮地を脱したりすれば、それは逆転劇となってしまうのだ。
救われないことを承知の上で、ただ恨みを晴らすだけというある意味後ろ向きな行為を、いかにして面白く読ませるか、そこが復讐劇の肝となる。嗜虐性だとか怨嗟だとそんな感じの後ろ暗い要素が混じることが多いのは、そもそも復讐という行為自体が後ろ向きだからであろう。そんなやり方でも人の不幸は蜜の味、立派なエンタメになるのである。
その意味で、復讐ものというはとても範囲の狭いジャンルであるといえるのではないだろうか。
忍殺風改竄 (スコア:2)
この時点ではすでに逆転劇は成されていて、彼はサツバツとした生活を送れる状況になっている。
ここでゴウランガ!おおゴウランガ!として話をまとめることだってできるわけで、その場合は復讐劇とはみなされないだろう。
が、彼はそこからさらに、ニンジャはコロス!全てのニンジャをコロス!と復讐を開始する。
おそらく、ここが逆転劇と復讐劇の分水嶺と言えるのではないか。
beejay_aniki
復讐された側の「その後」の描写 (スコア:1)
復讐された側がそのままフェードアウト、もしくはそこそこの結末なら逆転劇の範疇で収まり、死亡をはじめ陰惨な結末なら復讐劇になるとか。
半沢直樹の例なら、浅野支店長をとことん追い詰めて一家離散、自殺。なんて結末なら復讐劇とみられてもおかしくない気がします。
逆転劇って初めて聞いた (スコア:1)
復讐譚などはよく聞くけど、逆転って何を指す?
ミステリー、スポーツドラマ、昔話なども逆転といえば逆転に見える
逆転と言えば (スコア:0)
イッパツマンじゃなかろうか(脊髄反射
#一部で有名な「ユメハラがぁー!(以下略」の一件は界隈では背水の逆転劇って呼ばれてるそうっすよ
復讐は自身が被った害に関する報復であり、復讐劇はその一点さえ物語の主軸として守られれば(最後まで貫いていれば)いいので、
「恋愛ものって範囲の狭いジャンルだよね」と言うのと同程度くらいには狭いのではなかろうか。
#Gガンダムが復讐ものにならないのは復讐対象がなくなるから
#ちなみに他者や社会が被った害への報復は「制裁」となるが、主人公が代理人となって制裁する場合は
#復讐ものとして一緒くたにされる。あくまで報復の意志の主体は実行者ではなく「復讐を願う人」だからだ。
目的の違い? (スコア:0)
復讐劇の目的は自分が勝つことではなく相手を貶めること。相打ち上等。
逆転劇の目的は相手を貶めることではなく自分が勝つこと。相打ちはアウト。