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日記

aruto250の日記: 発達障害者のコミュニティ 6

日記 by aruto250

よく、(特にASP傾向のある)発達障害者を引き合いに出して、定型発達は共感に引っ張られ過ぎて理論を軽視する、ニューロティピカル症候群じゃないか、という指摘がある。個人的にはこうした見方には同意するけれど、同時に、ASP傾向の人間同士では共感が成立するということは無視できないと考える。これまで発達障害者は、その割合の少なさから社会の中に孤立して存在するが故に、いやがおうにも共感からは無縁であり、その結果、共感による影響を受けない合理的な考え方ができていたけれども、発達障害というものが認知され、お互いに繋がる機会を得た現在では、発達障害者でも発達障害者同士の共感を得られる反面、共感に引っ張られて目が曇ることが増えてくると予想される。例えば趣味を通じた強力な欲求により、SNS普及以前から似た者同士が集まっていたオタク界隈ではこの問題がすでに先行して発生していて、典型的定型発達であるウェーイ系とか体育会系になじめないという点で定型発達から多少の距離をおいていると想定されるオタク同士であっても、オタク界隈の中で活発に社会生活を送れる集団がそうでないオタクを「あいつらはおかしい/キモい/オタクの面汚し」と叩く構図を頻繁に目にする。この例を見るに、発達障害者同士で集まれば、その集団の中にお互い共感し合える層と、その集団の中でも共感し合えない層が分離し、共感できる層ができない層を「おかしい」「非常識」と非難するようになることが容易に想像できる。唯一の頼みの綱は、「自分たちが定型発達の集団においてどう扱われていたか」を顧みることにより自制心がはたらくことだけだが、想像力による思いやりというものがどのくらいあてにできるかについては、個人的には悲観的な予想を抱いてしまう。

ちなみに、個人的にはある意味「発達障害に」に分類されると思われる、「知性的に優れている人」の層にも、共感能力が高い人と低い人(ASP傾向の低い人と高い人と言い換えられるかもしれない)がいると思っていて、やはり従来は「知性的に優れている」人はその出現率の低さから、集団内(実際には共感能力が備わっていても)共感できる相手がいないために孤立していて、それがよくある「頭がいい人は人情がない」みたいな評価につながっていたんだろうけれど、今や各種メディアの発達やインターネットによってこの層がお互いに繋がることにより、お互いの共感能力が発動しはじめ、「自分が所属する、人種や国籍を超えてお互いに理解し合える知性的な集団」に対する所属意識と、民族主義的な態度が現れるようになる。私はこれが最近批判される「リベラリスト」を生んでいるのではないかと思う。
対して、それら「リベラリスト」を批判している層はどういう人達かというと、おそらく同じように「知性的に優れている」のであるが、ASP傾向やその他独特の特性によって共感能力が低い、または共感を得られない人々ではないかと考えている。彼らは共感しない・できないがゆえに本質的な問いを立てたり、情緒に流されない合理的な(ただし客観的とは限らない)思考をするし、また自分のそういった「正しい」意見が一般社会にも「リベラリスト」集団にも受け入れられないことに、失望と怒りと無力感を覚えているように見える。

まあ結局何が言いたいかというと、発達障害者同士なら連帯できるかというと全然そんなことはないよね、どこまで純度をあげて同類を集めても、特性の違いで小集団が出来て割れるよね、という話でした。

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  • by saratoga (23467) on 2017年03月01日 22時52分 (#3169345) 日記

    「北斗七星って柄杓の形にみえるけど、それはあくまでも地球から見たときに限った話で、じつは七つの星どうしはとんでもなく遠くにあるんだよね」
    と、かつて、普通の人たちから私とひとまとめにされたことを不本意に感じた方がおっしゃってました。発達障害も個性もそういうものだと思います。

    • by Anonymous Coward

      星の空間上の配置が発達障害や個性にどう例えになっているのか全然わからない俺は多分共感力が低い

      • これがわからないのは、共感力の問題ではなく教養の問題でしょう。
        文字通りパースペクティブの話なわけで。

        とか言っちゃうのが、共感力の低い人。

        親コメント
      • 発達障害(自閉症スペストラム)だけじゃないけど、原因(要因)も多数ある可能性もあるし、現れてくる症状も多種多様なので、健常者と発達障害者の間に単純な差があるというとらえ方では難しいかもしれない。

        ということで、多パラメータ、多次元、多尺度で、それぞれをプロットした場合、ある切り口(次元、尺度)でみれば、北斗七星(なにかのまとまり、同じクラスター)に見えても、別の次元や切り口(射影)でみると、まったくバラバラということになるかもしれない。

        というようなことをチラッと思いました。ぶっちゃけ、健常者でも実はいろいろ。自閉症スペクトルは連続的だから、(健常者と発達障害者を)クラスターとして分けるのも難しい、というような意味なのかも。

        親コメント
  • ニュータイプ同士だって別に連帯できるわけでもなく、
    むしろ意志が通じ合ってしまうがゆえに衝突してばっかりなんですよね

    --
    一人以外は全員敗者
    それでもあきらめるより熱くなれ
  • by Anonymous Coward on 2017年03月02日 9時00分 (#3169452)

    他者をどの程度同一化するかで、脳の利用領域が違うと言います。
    同一化が強ければ、自分について考える脳の領域が使われる。
    そして、定型発達の人は、理屈で同一化できるだけではなくて、
    感情の部分でも同一化出来ます。それが自分の主張を無理に通そうとせずに、
    お互いに折れ合う事にも繋がるんだと思います。
    自分の主張が少しでも通る事でストレスも軽減できます。
    発達障害の人の場合は、自分の理屈が通す事に拘って中々折れてくれない事が
    コミュニケーション能力の評価に繋がります。
    知的能力が高ければ高いほど、
    「自分は正しいから受け入れてくれ、お前らは正しくないから受け入れない」
    って頑なですし。
    実際には主観的な正しさに過ぎない場合が多いんですけど。
    科学的真実なら主観的真実と客観的真実に差は生じませんが、
    社会的真実は簡単に1つに定まりませんから。
    自分が真実だと思っているものは、自分が所属している大小様々な社会の制度や
    思想に大きな影響を受けているにも関わらず、その点に無自覚なんですよね。
    その点、哲学してくれていたら良いんですけど。
    それでも多くの人は、知的能力の高いが自分より正しい事を言っているのはわかっていて、
    ただすべては受け入れられないと言っている場合が多いと思うんですけどね。

    #正しい事、理屈の通った事は受け入れなければならないって
    #それは人間の世界では絶対的な真理ではないですし、
    #その主張・立場もまた一つの感情論だと私は思ってますけどね。

    発達障害の人が集まったコミュニティって、結局、主観的な理屈ばかりで共感しあって、
    感情の部分で同一化できないから(感情の部分を考える時に自分の事を考える時に使う脳領域を使えないから)
    脆弱って事もあるんじゃないでしょうか。
    だから私も発達障害の人同士の連帯って、定型発達の人と発達障害の人の連帯より難しいと思います。
    発達障害の人が誰かと連帯する必要があるなら、
    定型発達の人で発達障害に理解ある人が間に立つのが一番だと思います。

    北斗七星の例って、結局、地球から見た時にそう見えるって偶然に意味を見いだすと言う行為に
    どれほど共感できるかですよね。知識自体は偶然に意味を見いだす事に対する共感を邪魔しないと思います。

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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward

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