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日記

phasonの日記: フェーズドアレイ「レーザー」 5

日記 by phason

"Large-scale nanophotonic phased array"
J. Sun E. Timurdogan, A. Yaacobi, E.S. Hossini and M.R. Watts, Nature, 493, 195-199 (2013).

フェーズドアレイレーダーという代物がある.
通常のレーダーは,一つの波源から電波を発し,物体に当たって反射してきた波を感知するものである.電波の飛んでいく方向はアンテナの向きで決まっているため,違う方向の物体を探るときにはアンテナの向きを物理的に回転させる必要がある.
これに対しフェーズドアレイレーダーは無数の小さな電波発生源が平面に並んだ構造をしており,この無数の波源から同じ波長の波を放出する.フェーズドアレイレーダー全体から放出される波を考えると,無数の波源から出た多数の波の干渉波となるのは自明だろう.さてこの時,フェーズドアレイレーダーは個々の波源から出る波の位相を,任意の値で微妙にずらすことができる.例えばここで単純化のためにたった二つの波源から出る波を考えよう.例えば波源の位置は(x,y)=(1,0)と(-1,0)とする.この二つの波源が同じ位相で波を発生させたなら,例えば両者から等距離の点である(0,y)上では両者から出る波の位相が強め合う,つまりまっすぐy軸方向には強い電波が飛んでいくこととなる(別な方向でも,強め合う方向が存在する).一方,もし片方の波源から出る波の位相を半波長遅らせると,今度は(0,y)上では波は弱め合う干渉を起こし,この方向に飛んでくる電波強度はほぼゼロとなることがわかるだろう.この場合,y方向からちょっとずれたある角度方向で波が強めあい,電波はそちら方向に強く飛んでいくこととなる(実際には,さらにいくつもの強め合う方向がある).
波源がたった二つだとこのような強め合う方向はいくつも出てくるのだが,フェーズドアレイレーダーのように波源の数をさらに増やせば,ほぼ1方向にのみ飛んでいくような電波を出力することができる.さらにこの飛んでいく方向は個々の微細なアンテナに与える位相差により任意の方向に変化させられるので,レーダーそのものの向きを変えずに,電波の飛んでいく方向だけを瞬間的に変化させることが可能である.このため例えば高速で広い範囲をスキャンする必要がある軍事用途などでもよく利用されている.また光では無く音で似たようなことをやる,フェーズドアレイソナー的なものも実用化されている(ソナーの探査方向を高速でスキャン可能).

さて,電波も光も波長の違いを除けば同じ電磁波であるので,全く同じ原理がレーザーでも行えるはずである.もしこの「フェーズドアレイレーザー」とでも言うようなものが作成できれば,例えばレンズ不要でのレーザーの任意形状(もちろん,回折限界などは存在するが)への集光であるとか,レーザーの飛んでいく向きの瞬時切り替えなども可能となり,光通信関係を含め工業的に非常に多くの応用が考えられる.しかしながら,これまでにこういったフェーズドアレイレーザー的なものはほとんど開発されておらず,せいぜいが3×3とか4×4程度の非常に小数の発光要素からなる限定的なものであった.
何故開発が遅れているのか言えば,光における位相制御の難しさがある.レーダーで使われる電磁波はおおよそ数GHz程度であり,この程度の速度なら半導体素子により十分に任意の出力がコントロールできる.要は,波を一つ一つ数えたり書いたりできる速度,というようなものだ.これに対し例えば赤外光はその数万倍程度周波数が大きく,光の位相をコントロールするのは非常に困難であり,これがフェーズドアレイレーザーの開発を阻害していた.

今回の論文で著者らは今までよりも遙かに大規模な64×64,4096の微細光源からなる素子を開発,それらからの光で合成波面を作成することに見事に成功した.さらに8×8とやや小ぶりではあるが,位相を任意にコントロールできる素子64個を集積したチップを作成,そこからのレーザーが飛んでいく方向を瞬時に変換できる,つまり単に合成波面が作れるだけでは無く,それがいわゆるフェーズドアレイレーダーと同じように高速走査可能な光源としても働くことを実証した.

素子の作製においては,著者らは一般的な300mmウェハーのファウンドリーを使用し,通常のCMOSと同じ手法を用いている.プロセスは65 nmのSOI,導波路部分は要するにSiのワイヤー状構造であり,一部ヒーターを兼ねる部分はそこにドープを行っている(後述).
素子の構造に関してはSupplementary InformationのPDFも参照してもらいたい.光は外部のレーザーからまず「バス」であるy軸方向に伸びる導波路に導入される.そしてバスにぶら下がった何本ものx軸方向に伸びる「列」へと分岐される.「バス」と「列」の間の接続には近接場が利用される.y軸に伸びる「バス」のごく近傍(波長よりも近い位置)に同じようにy軸に伸びる導波路を沿わせると,染みだしてきた光との相互作用によりこの沿わせた導波路内に光が侵入してくる.ある程度の光が侵入できる長さだけ平行して走らせた導波路をぐいっとx軸に平行な方向に曲げて「列」として用いるのだ(Supplimentary Informationの図S1aを参照).光は「バス」に沿って進むほど,横に伸びる「列」に光を吸い取られて「バス」の内部を通る光は弱まってしまう.それを補償するために,「バス」の先の方で分岐する「列」ほど,「バス」-「列」が併走する距離を長くすることでより多くの光が「列」に流れ込むような設計になっている.これにより,全ての「列」に同じ強度の光が導入される.
「列」から個々の発光源(アンテナ)への光の導入も同様である.近接場を用いてアンテナ側に光を導入,「列」の先の方ほど光が弱くなるので併走距離を伸ばして対応する.これにより,最終的に全てのアンテナ(64×64)にほぼ同じ強度の光が導入される.なお,用いている光の波長は約1.5μmの赤外光だ.

さて,アンテナである.各々のアンテナは,適切な位相差を実現するためのディレイ部分(要はS字に曲がった部分.Supplimentary Informationの図S1cやS2aを参照のこと)をもつ.このディレイ部分が長ければ,アンテナから実際に放出される光は遅れてやってくるため位相が遅れることとなる.ただしこのディレイ部分の長さは固定なので,後から位相をコントロールすることはできない(この素子では.コントロールできる素子も後で登場する).
その64×64の素子である.著者らは,この計4096個の微細な光源から出る光が干渉し合い,最終的にMIT(言うまでも無く,著者らの所属)のロゴの形の干渉波として広がっていくようにこのディレイ部分の長さを設計し,チップを作成した.その設計した個々の素子の位相の分布はSupplementary Informationの図3dで確認できる.そして実際にチップにレーザーを導入すると,そこから放出される光は見事にMITのロゴの形となっていることが確認できた(論文本体のAbstract下部から見られる,Fig. 2dを参照).個々のアンテナそのものから出ているのは同じ強度の光なのだが,それが4096個うまく干渉することで,遠くからはMITのロゴに見えるのだ.なお,素子数が限られているため,2次,3次……の回折により複数個の同形のロゴが発生している.

面白いのはここからだ.
彼らはさらに,能動的に位相差をつけられる素子を開発した.こちらは現時点では発光素子数が8×8と少ないのだが,結果はなかなか面白い.前述の通り,個々のアンテナ素子はS次型のディレイ部分を持つ.彼らはここにドープを行い導電性を持たせ,その両端を電極に繋いだ.ここに電圧をかけると電流が流れ発熱する.電圧をコントロールすることで温度を任意に変化させられる.温度が変化すれば物質の屈折率が変わり,物理的な長さは同じままでも光にとっての長さが変わる,つまりこのS字型の部分を通る際に生じる位相のずれが変化する.これにより,電圧をコントロールすることで個々の素子に生じる位相のずれを動的にコントロールすることが可能となるのだ.
この素子を用いた実験結果は劇的である.Supplementary Informationのムービーを見てみよう.最初は8×8の素子から出る光の干渉により,いくつかのスポット方向に光が飛び出てきているのがわかる.ここで各アンテナのヒーターを調節すると,光の飛んでくる方向の縦位置や横位置,スポット数などが瞬時に変化するのだ.素子はそのまま同じ位置にあり,個々のアンテナも同じ強度の光を発し続けている.ただそれぞれのアンテナ同士の発する光の位相差だけが変化させられ,その結果として出てくる光の方向が見事に変化している.

現在はまだ8×8と小さいが,利用しているのはコンベンショナルなCMOSプロセスであり,さらなる大規模集積化なども原理的にはなんの問題も無いし,各種集積回路などへの混載も比較的容易であるように思われる.各社が研究しているオンチップレーザーなどとの組み合わせなどで様々な電子・光学素子が作れるようになると面白いかも知れない.またこれがさらに高精細化して可視光も扱えるようになると,完全なホログラフィー形式の3D映像を映し出すことも可能となる(十分高精細で,かつ位相を自由にコントロールできる場合).まあさすがにそこまで行くのはどれだけ時間がかかるかわからないが……

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  • by TarZ (28055) on 2013年01月10日 17時15分 (#2303574) 日記

     まさか光でこんなことができるようになるとは。

     以前から妄想していたしょうもない応用例ですが、「ディスプレイ(例えばLCDパネル)から発する光は、人間の目に入る光以外はエネルギーの無駄。瞳なんて直径数mmなのにディスプレイは全方位に光を撒き散らしており、とんでもなくエネルギー効率が悪い。瞳にだけ光が入るようにすれば、消費電力は数万分の1くらいになる(かも)!」。
     瞳の位置をトラッキングする必要はありますが、光の位相制御よりは技術的には容易そうです。左右の瞳に別の映像(の光)を送れば立体画像になりますし、この場合もホログラムのように完全な立体の情報を作る必要がなく、2視点分の映像だけで済むので画像を作るための計算リソースも軽い。

     その他のしょうもない(セコい・みみっちい)応用例としましては…。

    1. プロジェクターから不恰好なレンズが不要に! 1枚の板状の物体がスクリーンと平行に置かれているだけで画像投影。

    2. 部屋の天井全体に位相制御の素子を敷き詰めれば、手元だけ照らすスポット照明から室内全体照明まで自由自在の素敵な照明器具に。

    3. 航空母艦の甲板とか駆逐艦の船舷を位相制御レーザー発振素子で埋め尽くすと、任意の方向に任意の強さのレーザーで攻撃でき、対空・対ミサイル防御能力アップ。軍事分野もおいしい。

    # 2, 3 あたりは相当に無理っぽいですが、まあSF的夢想ということで。

    • 凄いですよねぇ.
      原理自体はレーダーで実現されているように非常に当たり前なものなんですが,微細加工技術がついにここまで来たか!と思い知らされますよね.

      その一方で,「トップダウンはもう限界!これからはボトムアップ!ボトムアップ!」と言ってた人たちの大部分が息してないような気が……
      #まあそちらはそちらでDNA折り紙みたいに生体がらみで大きな進歩をしてますが.

      >瞳にだけ光が入るようにすれば

      それならヘッドマウン(略)

      >部屋の天井全体に位相制御の素子を敷き詰めれば

      ああ,良いですねぇ.
      ついでに,夏場なんかにはピンポイント集光でうっとうしい蚊を自動撃墜してくれるようになればこんなに素敵なものは無い.
      #誤動作で死ねますが.

      >任意の方向に任意の強さのレーザーで攻撃でき

      実はオンチップじゃなくてもっと大がかりな装置で良ければ,コヒーレントレーザーアレイというものがあるそうです.いや,攻撃用ではありませんが(多分).
      「遠距離で非常に高輝度なレーザーが実現できる」って謳い文句で,「それ軍事目的以外で何に使うんだ……」と思っていたら,宇宙空間でのエネルギー伝送に使おうとか言っている人も居るそうで.なんかよくわからんけど夢が膨らみます.

      親コメント
  • ぶっちゃけ、この記事の内容を解っていないのだけれど、
    これまで分光器でわけてやっていた二光子励起の実験が
    1個のレーザー素子でできるということ?
    それだと、ものすごいインパクトあるんだけど。

    • ちょっと2光子励起との関係がよくわからなかったのですが,違うような気がします.

      今回の研究は,

      「チップ上の,平面状の発振器から,任意形状の波形の光を出せる素子(の初歩的なもの)」

      という感じです.
      #ここで言う「波形」は空間的な波形であって,ファンクションジェネレータみたいな時間的な波形とは違います.

      例えば1つの点光源からでは球面波しか出せませんが,こいつを多数平面上に並べてそれらの位相を自由に操作出来れば,発光する平面から,直進していく光やら右斜め方向に飛んでいく光やら,それどころかもっと複雑な形状の光も思いのままに作れる(&瞬時に切り替えられる)よ,と.
      光の照射方向を瞬時にスイッチング出来る発光素子,なんてのはすぐ出来ます(というか,今回作ったチップがそのもの).

      また,今の疑似3D映像なんかは,右目と左目の映像を映す,と言う非常に原始的な方法で作られていますが,例えば「物体から反射された光が作る波面」と全く同じ形状の波面となるように各素子からの出力(位相と強度)を制御してやれば,平面状の発光素子を眺めるだけで完全な3D映像が出来る,とかそういう方向も考えられます.

      何せ実際に物体があったときに反射してくる光の波面をそのまま再現出来るので,メガネも要りませんし,見る角度を変えればちゃんと違う面が見える.

      と言っても,さすがにそこまで行くには技術的に非常にギャップが大きいのですが.

      親コメント
      • >#ここで言う「波形」は空間的な波形であって,ファンクションジェネレータみたいな時間的な波形とは違います.

        ああ、なるほど。。。
        どっちかっていうと、マクロスのホーミングレーザーみたいなものですね(絶対違う)

        >平面状の発光素子を眺めるだけで完全な3D映像が出来る
        というのは・・・レーザー光源を直視するのはいやだなぁ(笑
        三菱電機からレーザーTVがでてますけどね。

        親コメント
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