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日記

yasuokaの日記: 平安末期の「佛」の字音

日記 by yasuoka

氏平明の論文『「南無阿弥陀仏」の発音について』(豊橋技術科学大学総合教育院紀要「雲雀野」, 第36号 (2014年3月), pp.1-12)を読んだのだが、「佛」のt入声を完全に無視して、トンデモない説が展開されていた。

親鸞聖人が叡山等で学んだ原典の発音を踏襲していれば、/namoamidabutu/と唱えられた可能性が高い。これをIPA(国際音声記号)で移すと、平安末期の京都者なら、このままたぶん[namoamidabutu]となる。

いや、平安末期なら「佛」の字音は[butu]ではなく、[but]だったと考えられる。どうしても[butu]だと主張したいのなら、「佛」のt入声に関する論文(たとえば以下に6つほど挙げておく)にちゃんと反論してからにしてほしい。

  • 岩淵悦太郎: 國語に於ける入聲tの歷史と外來音の問題, 日本諸學研究報告, 第12篇 (1942年2月), pp.137-151.
  • 小松英雄: 舌内入声韻尾と促音との交渉, 国文学 言語と文芸, 第2号 (1959年1月), pp.67-74.
  • 小林芳規: 鎌倉時代語史料としての草稿本教行信証古点, 東洋大学大学院紀要, 第2集 (1965年9月), pp.43-85.
  • 林史典: 呉音系字音における舌内入声音のかな表記について, 国語学, No.122 (1980年9月), pp.55-69.
  • 浅田健太朗: 声明資料における入声音, 国語学, 第51巻, 第3号 (2000年12月), pp.102-88.
  • 犬飼隆: 天草版平家物語と平家正節のt入声, 愛知県立大学「説林」, 第60号 (2012年3月), pp.35-49.

もちろん、平安末期の「佛」がt入声ではなかった、という説を唱える余地もありうるが、その場合においても、t入声に全く言及しないわけにはいかないはずだ。というのも、この論文『「南無阿弥陀仏」の発音について』は、後半で以下のような自説を展開しているからだ。

「なもあみだぶつ」の「つ」は、母音の無声化、/t/の聞こえ度の低さ、そして語末に位置することから弱化していって「なもあみだぶ」となった。

この論文『「南無阿弥陀仏」の発音について』は、過去の研究論文や「入声」という概念に全く言及することなく、アヤシゲな自説「母音の無声化」を主張している。というか、単なるサーベイ不足の結果、ガセネタ論文を流布してしまっているように、私(安岡孝一)には見える。人文科学教育の意義ってのは、一つはガセネタを流させないことにあると思うのだが、そのあたり、豊橋技術科学大学はどう考えているんだろう。

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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人

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