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日記

yasuokaの日記: 『南齊書』における「獨逸」の用例

日記 by yasuoka

「独逸」の当て字に関して、いくつかの論文をざっと読んでみた。中でも特に、佐伯哲夫『維新前後の新聞に見る外国地名の漢字表記』(国語年誌、第5号(1986年10月), pp.1-16)が「漢字表記推移の意識」について述べた部分が気になった。

 ア まぎらわしさのない表記へ
 「亜墨利加」の「墨」が「米」に席を譲ったこと(「墨」はやがてメキシコの「メ」の専用になり、その簡略表記にも用いられるようになる)や、「比利時」が「白耳義」へ交替していったこと(「比」はのち、フィリピンの「フィ」の表記に)や、「日耳曼」が「独乙」「独逸」をとり入れたこと(「日」では日本とまぎれるが、「独」ならそのおそれはない)などがこれである。
 イ おぼえやすい表記へ
 「倫敦」に「竜動」(主+述)が加わったり、「独乙」が「独逸」(修+述)へ交替していったりしたことなど、こう見ることができる。

「修+述」つまり、副詞と動詞の組み合わせであり、漢文にしばしば出てくるパターンである。実際、私(安岡孝一)自身、東京新聞の小野沢健太に電話取材を受けた際、一瞬、頭に浮かんだのが、『南齊書』張融傳の「吾無師無友、不文不句、頗有孤神獨逸耳」だった。

もちろん、5世紀にドイツ連邦は存在しない(はずな)ので、これ自体はドイツの当て字「獨逸」の用例でないことは明らかである。だが、用例そのものでは無いにしろ、典故となった可能性は残る。実際、日本国内での『南齊書』は、荻生徂徠の句読本が宝永年間に出版されていて、現在でも南葵文庫紅葉山文庫に所蔵が残されている。ならば、幕末の要人であれば、ドイツに「獨逸」を当てる際、一瞬「頗有孤神獨逸耳」が浮かんだとしても不思議ではない。

ただ、この説は何の根拠もない。少なくとも、山本彩加『近代日本語における外国地名の漢字表記』(千葉大学日本文化論叢, 第10号(2009年7月), pp.108-78)は、この説に反対の立場を取るだろう。まあ、妄想といえば妄想なのだし、とりあえずは、明治2年の条約あたりを典拠にしておくべきかな。

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