don_takosの日記: プロのお母さん 6
日記 by
don_takos
日本は世界でも社会主義的な「資本主義」体制だって聞いたことがあります。
どっちでもいいと思っていましたが、最近気になるようになってきました。
この20年、「もうからないならやめてしまえ」(または儲かるように再構築しろ)
と喧伝され続けてきて、たとえば、
農林水産「食料は輸入した方が安い」(補助金なしで国内生産は儲からない)
繊維「繊維、日常着は輸入したほうが安い」
家電PC「パソコン、液晶テレビ、白もの家電は輸入した方が安い」
で「やめてしまう」ことが進行しつつあって、その代わりとして再構築されて
高い価格で買って貰えるような産業、サービスへの「構造シフト」みたいなことも
合理的な枠組みが出てこず、だらだらと旧来の職場、経験、知識が消失流出しつつある昨今です。何かいい処方箋はないものでしょうか。私は明快で倫理的で包括的な解決策を提示してくれる政治を渇望しています。
ところで、
日本で「儲からないからやめてしまった」もので「なんとか再構築できないのか?」と切実に思うものに家庭、家政や「おかあさん」があります。
「おかあさん」をやっていても儲からないし、面白くないから「社会進出」する。
パートで安価な労働力として使われるのは損だから、大学で学び資格を取って
従来の「おとうさん」と同等、「平等」を目指す。結婚と子育ては無理だから
諦める。-資本主義と家庭経営をうまく両立させることは難しいのでしょうか。
「家庭経営士1級資格」などの資格認証を設けてがんばるお母さんに厚く支援を行うなどしてプロのお母さんを育成すれば・・・
などと妄想があらぬ方向へ漂っていくのでした。
#表札に「ISO9001取得家庭」とかあるのもアレだなぁ。
お母さんに有給を!! (スコア:1)
Re:お母さんに有給を!! (スコア:1)
ohさま、コメントありがとうございます。身近な方が流感になられたのでしょうか。
お見舞い申し上げます。「おかあさん業に有給休暇はない」のはたしかに大変ですね。
家庭経営では社長に当たる職位ですから仕方がないとはいえ。
「おとうさんの臨時ヘルプ」
もなかなか期待できませんしねぇ。
急にお金だけ払って
お手伝いさんに来てもらうのも、弱っているときに散らかった家に知らない人が来る
のもいろいろ心配ですもんね。一般的な解決法は、
親に頼るとか大昔ならばご近所に助けてもらうというとか友人に助けてもらうとか、
日頃から助け合いの保険をいろいろ掛けておくべきなんでしょうが、
そのあたりの余裕がどんどんなくなってきているのがこまったものですね。
この2,30年で失ったものは
家庭だけではなくて近所や友人との助け合いネットワークでもあるんですね。
積極的な意味でいうとビジネスチャンスでもあるのでしょう、味気ないようですが、
ここをうまく代替するサービスがあってもいいのかもしれません。
プロフェッショナル (スコア:1)
『シャドウ・ワーク』という本をお読みになったことおありでしょうか?
・・・ってな話はともかく。
「プロ」っていうのは、つまり、「それでお金を稼いでいる人」のこと
なんですよね。現代の資本主義社会では。
「プロのお母さん」を創成するとすれば、「お母さん業」に対して、
給与を支払うことが必要かと思われます。
(なんてったって「労働力の再生産」を担当してるのですから!)
もちろん「同一労働同一賃金」の原則に鑑み、兼業お母さん(=有職主婦)で
あっても、給与は支給されるものとします。
・・・って出来ますかねえ?この「にっぽん」で。
国によっては、育児中に手当を出している国も、たしかにあるんですが。
(出生率の向上には、効果があるようですよ)
かつての「お母さん」たちが、その夫に「誰が養ってやってると思ってるんだ!」と
ののしられたり、あるいは「稼いでもらってるのだから」と遠慮して生きていた
ことを思うと・・・ 安易に専業主婦を復活させるのもどうかなあと。
現代社会では、人間の価値=いくら稼げるか なんですよね。結局のところ。
とすれば、(たとえ勲章出してごまかしても)「自分の価値を高めたい」と
思う誰か(しかも「お母さん」てことは女性限定?)の望みを、抑制するのは
あんまりよろしくないんじゃないでしょーか。
「人間の価値=いくら稼げるか」じゃない社会、を作れるのなら、それにこしたことは
ないのかもしれませんが・・・・
***
シャドウ・ワーク—生活のあり方を問う (岩波現代文庫)
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みの3号
〜愚か者にも三分の理〜
Re:プロフェッショナル (スコア:1)
みの3号さま、コメントありがとうございます。
本をご紹介いただきありがとうございます。
家庭、親子、地域のつながりは、この30年間で私たちが失った(売り払った)もので
空白のままにしておくべきではなく、新しい形で再構築すべきじゃないかなぁ
と強く感じます。
最近、いまだに「女性は生む機械」という発言をした方がいましたが、家庭を
「次世代を製造するためだけの装置」
にしてしまうと、「女性は交換可能な家庭装置の部品に過ぎない」ことになってしまい、
不幸な状況を招くことになってしまいますね。
わたし自身は、女性は生む機械なんて考えたこともありませんし、実際のところ周りを見渡してみても
硬直した家父長制で虐げられていた女性というのは具体的には知りませんが、生む機械発言や、たとえば
やんごとなき高貴な国民の象徴に関する報道を見るにつけ、子孫再生産だけを最重要機能として家庭システムを構築しようとすると、家族個々人の幸せと言う点からは課題を抱えていたシステムであったのでしょう。
会社でも利潤と株主配当だけを最大化しようとすると社員は不幸せになるというのと少し似ているかもしれませんね。
今だからこそ、解体された家庭の再定義と再構築が必要だし、私たちにはきっと出来ると思います。
Re:プロフェッショナル (スコア:2)
>解体された家庭の再定義と再構築
産業革命以降、家庭はどんどん解体されていったと考えられます。社会そのもののありようが変わった。
# ちなみに、世界大戦のような、大規模な戦争ができるようになったのも産業革命が遠因ですね。
まず一家のリーダーたる父親が工場労働で日中不在になるでしょう。子供は託児所や学校に放り込まれ、
最近は妻も共働きとなって仕事に出る。こうして家に残ったのは老人だけだったりして。
核家族なら家には日中誰もいないわけです。いつのまにかそれが普通になりました。
いなくなった家族のやっていた役目を補うために専門職が幾つも養成されて現在に至るわけですが、
要は家庭の機能をブチ壊してしまったので、不完全だが効率を追求した代替品(まがいもの)をあてがう制度。
老人福祉なんかを見るとまさにそんな感じがしますね。本当は気軽に何でも(わがままを)言える家族に
世話してほしいのだけど、家には誰もいないのでいろいろ必要になる。介護保険とかね。
専業主婦の賃金は実際に計算すると決して安いものにはなりません。何しろ24時間勤務。
特に子供が産まれたら夜中でも適切な対応が求められます。雑用も多いし、専門家に比べて能力的に
不足している部分があるとはいえ、やってる職種が多岐にわたるため、それぞれ人を雇うことにして
賃金を払っていくと、普通の男性の給与ではとても払えません。
# いろいろインフラや家電が普及している日本では、主婦の労働ってかなり負荷としては軽いでしょうけどね。
# 火起こしも、水くみも、畑仕事もしなくていいんだから。最近は皿洗いだってしなくてよくなった。
生活していくための予算が供給されるということと、愛情込みで世話される条件をエサに釣られて
随分買い叩かれているなと思いますよ。(実際にはそのうち人間関係が冷えることも多いのだけど)
適切にそれが評価されるようになったら、社会的な影響は大きいでしょうね。
P.S
もっとも、男のほうだって独身を通すことにして身の回りを簡素にまとめれば、
無理に手広くいろいろする必要も無いような気がしないでもない。
でかい家や自動車も、子育ての費用も、家族サービスも不要になって…
趣味にもっと金をかけられるようになりそうだ(ぉ
Re:プロフェッショナル (スコア:1)
cyber205さん、歴史に基づいたコメントありがとうございます。
私は「まがいもの」ではあっても家事を部分的に切り出してお金でアウトソーシングできること自体は
便利だと思います。
衣類のクリーニングとか、ハウスクリーニングとか、惣菜屋さんお弁当やさん、レストランとか。
仕事でもなんでも「バックアッププランB」があるのは安心できます。
介護にしても、「バックアッププランB」としていろいろなサービスがあるのは家庭経営上
いいことだと思います。
ただ最初からバックアッププランBだけで全部やってしまって、余力の出来た主婦(主夫)はその余力を
どのように使うべきか?パートに出るのがよいのか、自分磨きをすればよいのか。趣味につぎ込むのがよいのか。家庭を豊かにするということはどういうことかこれから考えないといけないと思います。
はっきりと資本主義的な組織である会社についても、業務を部分的に切り出してアウトソーシングできるのは、便利だと思います。その請負、派遣サービスはcyber205さんが家庭についておっしゃる言い方をお借りすると「まがいもの」ということになるのでしょうか。私は今答えを持っていませんが、「非正規」と呼ばれているのでそうなのかも知れません。
アウトソーシングによって身軽になった会社は余力をどこに振り向けるべきでしょうか。コア業務に集中して競争力を高める方向に使うのが良いと思われますが、実際には、余力は単に削減されてしまい、帳簿上の数字が少し改善されて、会社の開発力、競争力が弱体化しているだけのこともあるかもしれません。