kazunosukeの日記: 軍団もしくは閥あるいは愉快な仲間たち 17
コミュニティに属していると常連さんで軍団が自然に形成される場合があります。
内輪とか馴れ合いとかいろいろな言い方はあると思いますが、ま、そんな感じで。
その中にいると楽しいんですよね。共有することも多いし、内輪ネタがいちばん盛り上がれると
いう人もいます。だけど周りの人は、その軍団には入りたくても入りにくいオーラが出てます。
むかし話。
相変わらず僕らはアホな話を連発していてクラスでも(局地的に)盛り上がっていました。
あるとき3年間一緒だった女の子と話していて「かずのすけくんたちはいっつも楽しそうだよね」と
言われました。「なんでー? じゃあ一緒に話そうよ。こっちにくればいいじゃん?ねえねえ」
「え~、いいよ。遠くで見てても楽しいから」という遣り取りがありました。
そのときほど僕のアホ仲間を恨んだときはないです(ぶ。
あ、でもこれマジですよ。
なぜかその話を思い出してしまうのです。
別に仲間内が悪いとかそういうことを言いたいわけじゃなくて、なんというか・・・。
仲間ってよいですよ、もちろん。だけどその盛り上がりが他の可能性を狭めてしまうことにも
つながると感じるのです。だけど仲間は切らない。だって自分も彼らを好きだから。
そういうのって欲張りかな?
いっつも「えー!」って言われるんですけど、たぶん僕ほどシャイな人はいないと思います。
いつも自分から話しかけるのは躊躇してしまいます。だから話しかけてくれオーラを出しているのですよ。
だって話がしたいから。人間好きだから。
本当は「待ち」の人間なんだ。だけど周りがそれを許さない。僕もバカだからその期待を裏切らないです。
ついつい喋っちゃう。自分の恥ずかしさを消すために。
でも本当は物静かな人は大好きですよ。自己主張の苦手な人も大好きです。
そういう人と喋りたい。事実、僕のすらどお友だちリストの中に勝手に登録させてもらっている
方の殆どがセレ部じゃないですよ。なんでこの人たちの日記に誰も反応しないのかなって
思うことたくさんあります。たぶん僕みたいな人たちがコメントしてないからでしょうね(ごめんなさい。
もっと僕も頑張ってコメント付けないとダメだなぁ。いっつも僕はみなさんの日記で励まされているんです。
そういうのってフェアじゃないよね。いつも「待ち」しかしないなんて。
だからたぶんこれを読んでいる「シャイなあん畜生」の方たちも軍団無視して
コメントしてくださいな。もし万が一、10も20もコメントついても(そんなことないけど)
話しているときは僕と一対一ですよ。恥ずかしがることも、たじろぐこともないです。ねえねえ。
いっぱい話したいと言いつつ (スコア:1)
今度会ったときは、もっとお話してください。
私もかずのすけさんの話がもっと聞いてみたいよ。
そ、それは・・ (スコア:1)
なぜなら僕はシャイで頑固でテンション高いけど切羽詰っている人だから(笑)。
一期一会 (スコア:1)
その人を知らないとやはり話の流れに困るのです。
一緒になったテーブルも私が知らない方が多くて。
失礼ですが kazunosuke さんも知らなくて。
けれどどうやら一方的には知られていたらしく。
このエントリにもうコメントをしている方もそうらしく。
「閥」が流れを支配する。
けれど、横紙破りで構わないから信じるまま生きる。
サーファーも次の波を知らなければ波に乗れない。
けれど、波から落ちても構わない。
それを見て笑う人が居たって構わない。
だって、私はそれしかできない。
ただ流され振り回されて悔いを残したくない。
一期一会。
それは、日記も、コメントも。
ネットでも、リアルでも。
私の日記へコメントした数少ない方の一人はもう会えない。
# 私の日記にコメントが付かなかった理由、
# 私のコメントに返答があまりなかった理由のひとつ。
# コレもそうですが、詩みたいになっている。
見える出会い、見えない出会い (スコア:1)
人は別れるために出会うわけではない。だけど悲しいかな、出会いに別れは付きものですよね。
だからこそ一つの出会いを大切にしたい。僕の日記にコメントしてくれた人に対しては、
長々した熱く鬱陶しいコメントを書いてしまうのもそのせいです。
本当のこといえば軍団だって閥だって馴れ合いだってそんなのどうでもいいんですよ。
何かに共感し、もし「仲良くしたい」と思ってくれるなら、もちろんそれを受け入れるだけです。
僕だって「この人と仲良くなりたい」と思う人、たくさんいますからね。
ただ日記を読んでくれるということに関して言えば、一方的な出会いだなと感じることがあったので、
こんなこと書いちゃいました。いつも向こうは何か感じることがあって読んでくれているはずなのに、
それを僕はコメントのみでしか感じることができない。それは非常に勿体ないことだし、
「フェアじゃないなぁ」と(笑)。だから僕はどんなかたちでもいいから「読んでるんだぞ」
「出会いを感じているんだぞ」と意思表示をしてもらいたかったのかもしれません。
僕もなかなか他の人の日記にコメントできるほうではないのですが、いつも読ませて頂いている方の
日記には必ずいちどはコメントをしています。僕のコメントの哲学(?)ってそういうものなんです。
もちろんJitterboogieさんもその例外ではないですよ。
下らない突っ込みなので確認するまでもないコメントですけど。。
話しているときは一対一でも、 (スコア:1)
それが「はづかしい」んじゃないですかねー。
んーあとは「言葉にしづらい思い」って感じですか。
ただ一言「共感しました」とかってのは書き辛いでしょうし。
あと、Jitterboogieさんのコメントにもありますが、
詩みたいな形になってるとコメントしづらいってのは確かにあります。
いやそれだけならあんまし気にしなくても良いかもですが、
その手の形式のって大抵内容がへびーだったりするんで・・・。
#シャイなあん畜生なのでAC
蛇~ (スコア:1)
あまりにドロドロしていて人前には出せないものを
なんとか取り繕おうとこねくり回しているうちに
どんどん詩のようになっちゃうわけですね。
だから「大抵内容がへびーだったり」しちゃうんだと思うんです。
たとえ出てきたときにはもう捻くれきっていても。
つまり毒蛇なわけです。
# ってシャレかよ、私。
「帰る」は嫌だけど「ヘビー」は受け止めマッスル (スコア:1)
・・・え? 親父ギャグとシャレは違うって?
同じです。ものは同じです。要はそれを相手がどう感じるかですよ・・・
ってマスター(誰だよ)に力説しました。うん、しました(笑。
噛まれないと毒蛇かどうかはわかりません。
でも蛇には滅多なことがないと噛まれませんよ。
もし噛まれたとしても、誰か優しい人が血清を注射してくれているものですよ。
そう、自分が噛まれていることにも、その注射にも気付かないでね(ぶ。。
(意味不明
lalala...言葉にできない (スコア:1)
> それが「はづかしい」んじゃないですかねー。
むむむ、そういうことか。
でもそういうことなら、むしろ他の人にラブラブ具合をアピールできるほどに!
それかもしくは
「あー、あいつ女の人ばっかりに反応しているよ~」
とか?・・・って小学生じゃないんだからね。でも僕は男ですから遠慮しないで下さい。
むしろ女性のコメントは大歓迎ですよ。うははは。
コメントはひとことでもいいんですけどね。
そうすればこちらも、どんな一言で返信しようかなって考えられるもの。
詩とかもおっけーすよ。こんどからは詩には詩で返事を書こうかな
(ネタがなくなって、そっこーできつくなりそうだけど。
自虐は程々に (スコア:1)
苦労や欠点の話も、人と比べる点では自慢と同じようなものです。我勝慢と我劣慢ですよ。
腰の低さや、人の警戒心を解く努力は大切だと思います(特に、男性から女性へは)が、相手に気を遣わせ過ぎてはいけないのです。結局、読み手のことを考えて発言せよなんて面白くも何ともない話になるんですが。自慢話に乗るように強要されていると感じることほど、ただ聞いて/読んでるだけで不愉快なことはなかなかないでしょう。まあ、むしろ太鼓持ちを好む人もいるらしいですけど、皆が皆そうではないわけでして。
じゃあ他にどう自慢にコメントを付ければいいのかといえば、どうなんでしょうね。ただその分野について話をするだけでも危険が大量です。本人が思っていたほど熱意や知識がないために(こっちでも、あるいは相手側でも)引かれるならまだしも、下手に水を差したり鼻をへし折ったりして恨みを買うと面倒です。相手が精神的に幼くて既に周囲から嫌われている人だったりすると、こいつは相手してくれるやつだとマークされてしつこく苦痛な遣り取りを強要されるかもしれません。かといって、頭っから理屈も何もなく否定してみる訳にもいきませんし。
そういうわけで、結局自慢めいた話ばかりする人とは誰も話したがらないのです。自分の不幸の話ばかりでも同じ。そして、自虐も所詮不幸自慢でしかないわけです。
あと、愚痴の好きな人に建設的アドバイスをしても聞く耳を持たないので面白くないというのもあったり。そりゃあ愚痴を聞くマナーとしては失格だとは思うけど、リアルでなら相槌だけ打って聞き流してりゃよかろうが、ネットだと最初の話に戻ってしまう訳で。チャットや2chならともかく、/.みたいな発言の重みが重視される形式の場だと尚更困るわけです。ネット上ではむしろ、アドバイスが欲しくないなら愚痴らないという気配りが必要かも。
Re:自虐は程々に (スコア:1)
だから問題なのは、コメントでのコミュニケーションという1点になると思います。
自分の価値観だけを基準にしてコミュニティを荒らしてまわる人、マークして粘着する人、わたしもとても不快です。自分の日記で展開すればいいのにかまってほしいから誰かの日記のコメントで書く。そういうお子様はいなくなればほっとします。だけど、彼はここに来ちゃいけないのか、と考えると、そんなことはなくて、そういう人をも受け入れられる懐の深さをわたしはコミュニティには求めたいです。
コミュニティの不文律や管理者の良識だけでは、そうした「嫌われ者」は野放しにするしかないです。じゃあなんらかのペナルティを与える、ということになると、誰が裁くのかという問題にもなる。
結局いまのところ、みんなとりあえずは迎え入れて、しばらく我慢して、時々こうしたtorlyさんのみたいな良識的なコメントで自浄作用が働いたり、太鼓持ちというより親切な人が相手をしてあげたり、そしたらいつしか病気のサイクルが終わったりして、なんとかコミュニティは良心的に存続していくものかもしれないです。人が大勢いるかぎりは。
Friend or Foeが導入されたら、また変わるのかもしれないですね。自分の信頼回復は自分で、という機能になればいいのかもしれないと今ふと思いました。
タイムラグ (スコア:1)
とりさんのコメントに気付いてレスを書き始めたのが11時ちょっと過ぎぐらいで
途中、スーパーに牛乳買いに行ったり昼飯を食べたりしていたらコメントを書き終えるのが
遅くなってしまいました。その間にべりさんのコメントも・・・。
いやいや、僕もべりさんの仰るとおりだと思いますよ。
べつに日記なんだから何書いてもいいじゃんって(人を不愉快にさせるものは嫌だけど
「見なけりゃいい」でポイですから)。でもコメントは選べないんですよねー。
そこが難しいところでもあります。
あ、それとべりさんのコメントで思ったんですが、あんまり日記やコメントが
うまくきれいに(といったら失礼ですが)完結されているとコメントしようがないのかな、と。
「うんうん」「そうだなぁ」ってそれだけでは、なかなか反応できないですからね。
反応したとしても何かアホっぽいし(笑)。
でもコメントなかったり少なかったり文が少しだったとしても、何かを伝えられていないわけではない
んですよね。どうしても日記は一方的になりがちだなので、反応を伺っていた感はあったのですが、
それは気にするものでもないのかもしれませんね。
コメントもポイ (スコア:1)
嫌なコメントは見なければいいんです。
もし見てもきれいさっぱり忘れればいいんです。
「コメントもポイ」です。
torly さんはネット掲示板を貫く不文律を知っているのかな。
それと悪意コメントを受け入れる度量もないのかな。
悪意コメントも場合によっては楽しいですよ。
場合によってはフレームを楽しむことすらできます。
それと、私はこのエントリで初めてコメント差し上げましたが、
気軽に突っ込めました。
決して「身内だけ」ではないんです。
身内ではないから突っ込めました。
/.J も匿名掲示板の一種です。
多くの ID は現実世界とリンクさせていません。
(私の ID も「中の人」は判らないし。)
尤も、現実世界の存在とリンクさせている方もいますが、
そんな方は少数派です。
今は slashdot.jp のコミュニティ規模が小さいから
馴染み ID が出来てしまうのですが、
これが slashdot.org 規模まで育ったときには
お便り紹介「×市の○さん」と同じになります。
「感情の吐き出し場」のどこが悪いのか私にもわかんないです。
torly さんは何を期待してるんだろ?
って、kazunosuke さんへ聞くことではないですね。
ゴメンナサイ。
Re:自虐は程々に (スコア:0)
と苦言を呈しているに過ぎないと思いますが。コメントでの
コミ
Re:自虐は程々に (スコア:1)
ごめんなさい。>kazunosukeさん
いえいえ (スコア:1)
僕はべりさんコメントを嬉しく思って、意見に納得できて共感できましたから。うん。
このコメントは僕の自慢オンパレードでいきますよ (スコア:1)
> 書くなとは言えないけども、気軽に突っ込めるのは身内だけということを忘れないで欲しいです。
> 自虐に悪意なきコメントを求めるのは、賞賛や同情を強要するようなものでして…
うーん・・・やべえなぁ。
やっぱりそうなのかな。ということは自虐ネタ率が高めの僕の日記に「コメント欲しい」というのは
同時に賛同、同情を強く求めているのかしら。
それと気楽に突っ込みながらも実は相手に気を使っているようには見えますけどね。
それが悪いとかもちろんそう言いたいわけではなくて。。。
> 苦労や欠点の話も、人と比べる点では自慢と同じようなものです。
でもね、こうも思うのです。苦労や欠点、自虐、自己満足、詩や散文、はたまた今日食べたものまで
そういうことを書いてもそれは「自慢話」になるのではないかなぁと。
つまりそれを自慢かそうでないかと感じるのは相手次第ということだと思います。
受け取り方次第では何を話しても自慢になってしまいます。自分にないものや、物事に対する考え方、
素晴らしい洞察力をみせるコメントをすればそれは自慢になるのでは、と。
だけど発言しているその人に対して何か“ひけめ”のようなもの(うまい言葉が見つかりません)を
感じていなかったり、あるいは微笑ましいと思えるほどの親密さや、一方的ではあっても
愛情のようなものがあれば特に自慢を自慢と感じませんよね。
たとえば痩せている人が「太った」と言ったら、それに普段から仲のいい人たちが「ふざけんな!」と
反応したとします。人物相関を全く理解していない人がその遣り取りを見れば、「太った」と言った人の
自慢ということになりそうですが実際はそうじゃないでしょう。
反応した時点で自慢ネタに引っ張られているわけで、当事者として批判しながらも楽しんでしまっている。
じゃれ合って楽しんでいるならもうそれは自慢じゃないですよ。少なくとも傍から見れば
(逆にそんな遣り取りが仲の良さ自慢になるのかもしれないけれど)。
その親密さを馴れ合いといえばそうだろうし、でもそれは不快なものではない筈です。
つまり自慢かそうでないかということは、何だかんだ言ってもうまくバランスが取れていて
それほど大したことではないと僕は考えてます。やっぱり自慢連発な人っているけどそんな人が
いたっていいじゃない・・って思えますよ。
もちろん全ての人が僕のように単純には考えられないだろうし、そうはならないってこともわかりますけど…。
でも本当にそんなに複雑なのかなぁ。もっとシンプルな気がしますけどね。
じゃなかったら自慢連発している僕の友人の好かれる理由がわからない(笑。
> あと、愚痴の好きな人に建設的アドバイスをしても聞く耳を持たないので面白くないというのもあったり
どうしても愚痴を言ってしまう人はいますよね。
生きてりゃストレスって溜まりますもん。自分は殆ど文句や愚痴を言わずに溜め込む人間なので(ここ笑うところ)
我が身に置き換えることは難しいんです。だけど皆の目に触れやすいところに書いたり
コメントを有効にしているってことは、自分の話を聞いてもらいたかったり何かを言って欲しいという
意思の裏返しですよね(もうそんなことは当然みなさんわかっていると思いますけど)。
その人に建設的アドバイスをしても、やっぱり「でも・・・」って言われちゃいます。
それでも愚痴や悩みをぶつけたい人はコメントを求めて、また、「でも・・・」と反論されても
コメントをしたくなってしまう人がいます。励ましも含めて。
だからそれもそれでバランスが取れているってことでしょう。持ちつ持たれつってことで
(また「バランス」なんですけど・・・)。あ、でもアドバイスや励ましに反論しながらも、
相手の人はたぶんムカついてはいないと思いますね。
あー、なんかもうぐちゃぐちゃ書きすぎて自分でもよくわからない文章になってしまったので、
たぶん読んでいるとりさんやその他のみなさんはもっとよくわかってないでしょう。ごめんなさい。
自慢や馴れ合い、腰の低さや愚痴がコメントの増減に作用するというのはわかります。
あとは何ですかね。自分の日記で考えてみると、このようなダラダラとしたレスコメントかな・・・
なんて思ったり。自分で考えてみてもノーリアクションだったら悲しいですから。
だからレスコメント付けているってわけじゃないですよ。へへ。
それと「この人に意見を言いたい」って思われるのってやはり嬉しいですね。
自分が明らかに間違っていてそれを正してくれる意見だったとしても、まったく言葉の通じない人だったら
コメントはつかないわけですから。
・・・って、そんなことはどうでもいい
自虐とは思わなかったな。 (スコア:0)
お友達登録させて頂いている、いち読者です。
スラドに知り合いはいません。日記の反応が寂しい反面気楽です。
自分はこれでいいかなと思っています。
知り合いが見ていると、どうしても気を使ってしまうので。