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Pravdaの日記: 池田信夫氏の歴史認識

日記 by Pravda

池田信夫blogの記事、日本政治のブラックホール [goo.ne.jp] より。

特に昭和期に入って不況に突入すると、国民不在の政争を続ける政治家への不満が官僚にも強まった。岸信介などの革新官僚は軍部と手を結び、商工省を乗っ取って「軍需省」とし、中枢機能を「企画院」に集中した。政党も、政権をとるために軍部に迎合するようになった。戦時体制は、岸の信奉する北一輝の理想とした軍の支配による国家社会主義を実現するものだった。軍は「統帥権の独立」によって議会に制約されなかったため、いつの間にか本来の権力機構の外にあった軍部が権力の中枢になり、他の国家機構を食いつぶし、その暴走は止まらなくなった。

企画院事件 [wikipedia.org] ってのがあったんですけどね。簡単に言うと、戦時中に 革新官僚 と呼ばれた一派が計画経済政策を主張し、その方策を「アカ」だと右翼官僚・財界財閥・軍部が非難および弾圧した事件です。戦時中はある特定一派が突出すると他派が「敵の敵は味方」の論理で集まって潰そうとする、権力闘争の時代。

では計画経済は実行されなかったかというと、その考え方は「戦時統制」という名前で一部導入されました。企画院事件以前に計画経済は満洲で導入されて一定の成果を上げていましたし、資源の乏しい我が国で他の代案があったかどうか疑問です。このように日本のファシズム期は混乱の時代で、池田センセの言うような「官庁セクショナリズム」でひと括りにするのはいささか乱暴だと思いますね。

なお、戦前の日本は「小さな政府」で、医療保険や老齢年金、失業保険など社会保障制度が無かった反面、庶民層はほとんど税金を納める必要はありませんでした。それでうまく社会が回っていたかというと、そうじゃないから右翼や左翼の思想家が論陣を張り、あげくに二・二六事件が勃発したんですよね。まあ、北一輝の思想は右翼なのか左翼なのか、よく判らない部分がありますが。こと「制度史」という切り口では、戦前と戦後を連続させるってのは無理があると思います。

少し戻って、

〔日本の官僚機構で非公式のコンセンサスを得る調整のオーバーヘッドが非常に大きい〕この原因は、公式の内閣―大臣―各省庁というツリー構造とは別の、族議員や他省庁とのスパゲティ状の非公式ネットワークで実質的な意思決定が行なわれるからだ。その原因は、天皇制にある。

なんだか「これからの我が国には、強いリーダーシップを持つ存在が必要」という、一種の独裁者待望論のようにも読めます。ナチズムやスターリニズムばかり引き合いに出すと不公平(?)なので、フランスのド・ゴール主義も似たようなもんですね。むろん、個人的には賛同できるどころか大反対であります。

ホントは、池田信夫blogのコメント欄に書くべき内容ですけど、あそこは池田センセ自らがコメントを「検閲」して不都合なものは載せないので、ここに書きたれる次第。

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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall

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