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日記

phasonの日記: 水だけ通す不思議な膜 2

日記 by phason

"Unimpeded Permiation of Water Through Helium-Leak-Tight Graphene-Based Membranes"
R.R. Nair et al., Science, 335, 442-444 (2012).

単層グラファイトを基本構造とするグラフェンは,その原子一層分という薄さにも関わらずかなりの機械的強度を持ち,さらに希ガス原子を含め通常のガスを通さないと言う優れたバリア性を持つことから,光や電子線を通しながらサンプルを閉じ込めておけるナノサイズの"窓"としての利用が始まっている.
このように優れた特性を持つグラフェンであるが,大きなサイズかつガスを逃がさないように欠陥の存在しないもの,となるとなかなか作るのは難しい(どちらか一方の条件なら比較的楽であるのだが).小さな断片を何重にも積層するという手も考えられるが,グラフェンのままでは溶媒にも分散しにくいため,そういう手段もとりにくい.

そこで著者らが考えたのが,グラフェンのかわりに酸化グラフェン(Graphene Oxide)を積層した膜である.酸化グラフェンはグラファイトを酸化剤と共に水などの溶液中で処理することにより簡便かつ大量に得られる材料であり,グラフェンの炭素骨格のエッジ部分や,炭素平面の上下に飛び出す形で水酸基(-OH)やケトン(=O),カルボニル基(-COOH)などが付加した構造を持つ.酸化グラフェンの利点の一つはその水などへの溶解度の高さであり,多数の水酸基等の存在により溶液中に容易に分散する.著者らは溶液中に分散したこの酸化グラフェン膜を多数積層させ,0.1から10μm程度までの各種の厚みを持つ膜として成形した.なおこういった酸化グラフェン積層膜,層間隔は10 Å程度であることが知られている.この値はグラファイトにおける層間距離3.4 Åより非常に長いが,これはグラフェン上下に酸化により生じた多数の置換基が飛び出していることを考えれば理解できる.問題はこの層間距離の増大が,ガス透過性にどのような影響を与えるか,である.

そこでこのようにして作成した膜に対し,ガス透過量の測定を行った.まずは厚さ0.5 μmの膜に対し,Heガスの透過量を測定する.Heは原子が軽くて小さい&非常に相互作用が弱い原子であり,ものを透過する力が非常に強く,例えばガラス板なども時間はかかるものの透過してしまう.そのHeガスが作成した0.5 μmの酸化グラフェン膜をどの程度透過するのかを調べたところ,およそ100mbarの圧力までの間で検出限界以下のHeしか透過してこなかった.この透過量は,この作成した0.5 μmしか厚みのない酸化グラフェンの膜が,厚さ1mmのガラス板よりもHe原子を通さない,非常に優れたガスバリア性を持つことを意味している.他の物質でも試したところ,エタノールやヘキサンと言った親水性,疎水性両方の化学種も同じようにきっちりと防ぐ(透過させない)事も確認された.
つまり,酸化グラフェンを使うことで層間距離は増えてしまうが,そこをしっかりと塞ぐ置換基の効果や,離れていてもいくらかは相互作用のあるグラフェン部位のπ-π相互作用により,酸化グラフェン層の間の空間にはガスが浸透できず,ガスバリア性をちゃんと発揮したと言うことになる.これにより,工業的に利用が楽な酸化グラフェンを使っても,しっかりとした極薄のガスバリア膜を作れることが明らかとなった.

ここまではよい.ところが,である.著者らが水分子に対するバリア性を調べたときに,思いもよらぬ現象が起こった.なんと,この酸化グラフェン膜がまるで存在しないかのように,つまり同じ径の穴が空いているときと同等の速度で水が反対側に抜けてきたのだ.実際に示されているグラフは1cm2の穴を通して水が蒸発していく速度と,その穴を1 μm厚の酸化グラフェン膜で覆った場合の蒸発速度であるが,全く同じ程度の速度で水が揮発していく.さらに実験を重ねたところ,どうも水分子はこの膜をほとんど素通りでき,膜の反対側の表面から水が気化していく速度が律速となっているらしい.つまり水にとってはこの酸化グラフェン膜は,スポンジのように容易に向こう側まで透過できるすかすかの存在なのだ.
では水とHeを混ぜたらどうなるのか?その実験を行ったところ,まるでこの膜が水の塊で,その中をHeが拡散していたと考えるとちょうど合う程度のHeの透過が確認された.つまりこの膜は,水がある程度存在すると開通して中が水で満たされるトンネルを多数持つようなものだったのだ.その状態だと,水と一緒に他の分子なども(水に溶け込んだ形で)透過していくことが出来る.

なぜ水だけそのような特異的な状況が実現しているのかは定かではないものの,著者らの推測としては,グラフェンの酸化により生じた様々な親水性の置換基が分子・原子の侵入を防ぐ物理的な門のような状態になっており,通常は気体がそこを透過できない.その門の内側には,あまり酸化が進んでおらず,グラフェン的な構造を維持した平面が広がっている.この未酸化部分は要は元々のグラフェンであるから,層間距離が10 Å程度という酸化グラフェンの積層距離のもとでは,上下の層の間には分子が入り込める十分なスペースが存在するわけだ.つまりは,酸化により生じた置換基が壁と門,未酸化の内側のグラファイト部分が天井と床を成している大部屋のようなものだ.通常状態では様々な原子・分子は壁・門の役割を果たす置換基によって侵入出来ないようになっているが,水分子に限っては置換基の親水性により門が開き内部に侵入できる.一度内部に侵入すると,そこは分子一層分程度の高さを持つ広い空間であるから,水分子はどんどん拡散して広がっていく.そしてまた反対側の壁部分から外に出て……と次々に拡散していけるわけだ.

ただ,ちょっと疑問が残る点もある.単に親水性だからと言うだけなら,エタノールのように水と十分混じるだけの親水性のある分子も透過して良いのではないか?という点だ.水酸基などとも十分相互作用出来るし,グラフェン部位に関してはむしろ水より親和性が高い.このあたりについては述べられていないが,メタノール,エタノールあたりに関する挙動との比較は今後面白いかも知れない.

なお,酸化グラフェン積層膜は熱処理により容易にグラフェン積層膜(的なもの)へと変換でき,こうすれば水の透過性も一気に低くなる.一度量産性&積層膜化しやすい酸化グラフェンで多層膜を作っておき熱処理でグラフェン積層膜へ変換,ガスを通さない膜として利用する,という方向での利用では何の問題もない.

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